第5話 ブレーキ音は鳴らないまま何処までも
海域調査の現場を一通り見せてもらった後、B《ブロウ》・P《パファー》
海は遠くを見れば見るほど暗く、明かりに照らされた波だけが白く光っていた。
意味もなく海を眺めていると、遠くで大きな水飛沫が上がり尾鰭のようなものが海に打ち付けられるのが見えた。
「お、おぉー」
「……なにか見えたの?」
思わず感嘆の声を漏らすと、風呂から上がった幸叶はタオルで髪を拭きながら現れる。
「鯨かな……魚の尾鰭が見えたんだ」
「暗いのによくそんなの見えたね」
「生まれつき身体能力だけは高いんだよ。にしても、なんで浴衣なんだ?」
黄色い花柄の浴衣。彼女の勢いある性格と相俟ってよく似合っていた。
「このあと花火大会があるの。ちょうど夏祭りの日だから」
「へー、ここから見えるかな」
「そうだけど、折角だから外に出てみ……」
ピンポーン。
幸叶が言いかけた途中でチャイムが鳴った。
「料理でも頼んだのか?」
「いや特になにもしてないけど……」
幸叶は訝しげな顔をして玄関の方に近づく。
オレも気になって跡をついて行った。
「——誰?」
幸叶は覗き戸を覗いで首を傾げながら呟いた。
交代してみると、そこには見知った人物がいた。
「あ、多分オレの用だ」
「知り合いなの?」
「うん。一様知り合いかな……」
歯切れ悪く答えると、幸叶はジトーとした視線を向けてくる。
居た堪れない空気に耐えながら扉を開く。すると、扉が引っ張られるように早く動いて、赤い髪が覆い被さるように抱きついてきた。
「——久しぶり!」
突然現れた温泉川は耳元で叫んだ。
力強く抱きしめられているオレを、幸叶は猫のような鋭い瞳孔で見つめている。
「あ、あの温泉川さん……どうして此処に」
「私が逢いに行くのに理由がいるの?」
なんだこの人……すでに
「えっと、とりあえず離れてくれませんか」
大きな胸の感触で顔を赤ながら言うと、温泉川は渋々と離れて幸叶の存在に気づく。
「あらら、まさかお邪魔しちゃった?」
「いえ、大丈夫です。とりあえず落ち着いて下さい」
横目で幸叶を見るも、なにも言わずに突っ立っていた。
……なんか怖いんだけど。
「それで、どうして此処に? どうやって居場所を知ったんですか?」
「えーっと直人の話というか。結構アレな話題なんだけど、ここで言っても大丈夫?」
温泉川は幸叶の顔をチラリと見ていた。
オレの視点からだと彼女がどんな表情をしているのかわからない。
「大丈夫です。一様全部知っているので」
「そうなんだ。よろし……いや、初めましてだね。四月一日幸叶ちゃん。私は温泉川彼花だ」
幸叶が驚いた様子で顔を上げると、温泉川は含みのある笑みを返していた。
なにこれ、女って怖いんだけど。やだなぁーもう。
温泉川はオレの対面に座る。幸叶はお茶出しをして直ぐ隣に座った。
「最初に聞いておきたいんだけど、どうしてこの場所がわかったんです?」
「壱真に連絡したら不機嫌そうに教えてくれたよ」
なんでアイツが現在地知ってるんだよ……オレの周囲は怖ぇ奴しかいないのか。
「本当は壱真が頼まれていたことなんだけどね。なんか私の方に直人から頼まれちゃってさ」
「どういうことです? 直人に会ったんですか?」
「要塞都市からの帰りに偶然ね。壱真に託したものをきちんと渡してくれているか確認してくれって」
要するに、壱真が頼まれていたことをしていなかったから温泉川は代わりに来てくれたのか。
「その頼まれていたことってなんですか?」
「直人が使っていた車を君にプレゼントするんだってさ。移都市に帰ることは二度とないから」
「そう、ですか……」
車を貰えた。二千キロの愛は重い。
「にしても彼女を連れて都市外に出るなんてビックリしたよ。お母さんワクワクしちゃうなー」
「へ……」
オレは思わず頬が引き攣り、幸叶はとても驚いた顔をする。
「
「あぁ、ちゃんと言ってなかったね。さっき要塞都市から帰ってきたって言ったでしょ? 私結婚してきたの。だから正真正銘のお母さん」
「マジかよ親父……」
「約束を保護にされるかと思ったけど。まぁ無理矢理というかなんというか。息子を村田から守ったことを伝えたら折れてくれたよ」
「愛し合えてないじゃないですか」
「
「そっすか」
完全に終わったな。オレの初恋。
「そういえば、浩也から息子の初恋が私だって話されたよ」
まだ
「マザコン……」
幸叶はオレの顔を見てそう呟いた。
「マジで勘弁して下さい」
「いいのよ。マザコンでも、私は母親として貴方を愛すから」
ここは地獄かよ……誰か助けてくれ。
なんだかんだ寿司屋で絡まれたときも
「じゃあ、報告も終わったし車の場所に案内するよ」
「——あ、あの、温泉川さん!」
温泉川が立ち上がると、幸叶は意を決したように口を開いた。
「ん、どうしたの?」
「貴方は野良に調査員になって外の世界を旅して欲しいと思いますか!」
幸叶の必死な表情に、温泉川も真面目な顔で席に戻る。
「……もう親みたいな立場だからね。普通に反対だよ。そもそも浩也は
「え、オレの味方は一人もいないの?」
「味方にも敵にもなるつもりはないよ。だから車を届けに来たんだ」
温泉川の答えに、幸叶は再び不機嫌そうな顔に戻った。
「調査員はみんな自分勝手ですよ!」
彼女がそう怒鳴ると連呼するように窓の外から花火が破裂するのが見えた。
「自分勝手じゃなきゃこんな仕事を始めようだなんて思わないからね。君は周りのことを気にしすぎだよ。周りのことを自分のことのように、そして自分のことを周りのことのように考えている。社会の中で生きるならその価値観は正常で大変素晴らしいものだ」
「そう思うならなんでわかってくれないんですか! 私が苦しいのはいつも周りのことばかりを考えているから。幸せを感じるのも周りのおかけで、勝手に誰かを思って傷ついてるのに、貴方たちは違う! 他人の心を見ていない! 私と話しているときより、野良は貴方と話している方が嬉しそうで! 心が揺れて動いて……必死に訴えてるのに! なんで貴方たちは自分のことしか考えていないの!」
幸叶は心の叫びを、訴えを、不満を、感情を、赤裸々にしていた。
オレはなにも答えることができず、ただ二人の会話を眺めていた。
「それじゃあ成し得ないからだよ」
温泉川は涙を流す幸叶にはっきりと答えた。
「
「自分が死ぬだなんて思っちゃいない。楽観的でどうしようもなく我が強いんだ。誰かに共感して群れているだけじゃ成れないから。特別な人間になれない。行動心理はクラスにいる目立ちたがり屋と一緒さ」
「わかんないよ」
「わからなくて当然だよ。今の君には成りたいものがないんだから。夢がない。憧れがない。目標がない。社会はよく子供に夢を与えようとするけど。現実は夢を折ろうとする。だから私みたいなのは浮くんだ。茶柱のようにね。ふふっ」
なに笑ってんだこいつ。
「君も少し冷静になって考えてみるといい。それじゃあ、志楽野良をちょっと借りてくよ」
「え……そんな急がなくても」
「置き見上げをちゃんと渡しておきたいからね。親子水入らずで話したいし」
「それはしたくないのでやめて下さい。あと空気読んで下さい」
オレは温泉川に引っ張られるがまま、俯く幸叶を放って出ていってしまった。
それからオレは温泉川に連れ回されるまま、必要な物と知識を蓄えさせられる日々を送った。
荷物を整え、バックを背負い、車に乗り込む。助手席にはボロボロのアタッシュケースが置かれており、直人は拳銃を車と一緒に都市の外に持ち出していたそうだ。
「——お祖父さん。お祖母さん。お世話になりました」
オレは旅館の前に車を止めて祖父母に挨拶を交わす。
「本当に行くのかね」
「寂しいわ」
「ごめんなさい。でも、必ず帰ってくるよ」
「うん。できれば私たちが老死する前に帰ってきておくれ」
「縁起でもないこと言わないでよ」
「ははは。すまんすまん。でも、そろそろだからな」
「頼むから健やかに見送ってくれ。マジで行きずらいじゃないか」
「幸叶に挨拶はしないのか?」
「せめて最後くらい来てくれると思ってたんだけど会ってくれないからね。伝えたいこともあったし」
「告白?」
祖母はワクワクした表情でそう言う。
おい、従姉妹だろうが。
「そういうの死亡フラグって言うんだぞ。やめとけ」
「オレは死ないから大丈夫」
なんだかんだ祖父母と未練たらしく喋り込む。
「思ったんだが、幸叶はお前が今日旅立つことを知っているのか?」
「玄関の隙間に手紙を残したから来ると思うよ」
「その自信はどこから来るんだ」
「いやー、絶対来ると思うよ。来ないと恥ずかしい写真をばら撒くって脅したし」
「クズじゃな」
「そうね。死になさい」
「酷いなこの祖父母」
「「お前にだけは言われたくない」」
来なきゃそれでしかたない。伝えたいことはその手紙の中に書いておいた。
オレは車のエンジンを掛ける。ギアをパーキングからドライブに切り替えて、ゆっくりサイドブレーキを倒した。
「じゃあ行ってくるわ!」
「——待って!」
アクセルに足を踏み込む直前、後方を振り返ると幸叶が息を荒立てながらそこに居た。
おお、めっちゃいいタイミングだ。まるでドラマみたいだ。
「人類は地上を這うことしか許されていない。怖いやつが何処かに居て、衛星を打ち上げられないのや海底を潜れないのだってそう」
幸叶は駆け足でゆっくりと進む車の窓口を掴んでそう言った。
オレは一瞬ブレーキに足を掛けようとしたが、後戻りができなくなる気がして辞めておいた。
「そうみたいだね。怖くて、不思議だね」
「外の世界は辛いだけだよ」
「かもしれないな」
「痛いだけ。苦しいだけ。君が今まで受けた苦痛よりも外は真っ暗で、誰も自分を見てくれなくて、ふとした瞬間に消えてなくなる」
「きっと辛いとは思う。今も少し辛いけど」
「進んだ道を誰も褒めてくれやしない。君が誰かを思っていても、他の誰かは君を知ってくれなくなる」
「仕方ないよ。結果が出なきゃ全部そうだもん」
「こうして意気込んだところで絶対に損をするよ。お先真っ暗だ」
「だから君は灯っている世界で暮らすべきだ。僕は一人でも世界を少し見すえられる。気がするだけかもしれないけど」
「私を追い得ていかないでよ……」
「じゃあ、一緒に来るか?」
幸叶は顔を歪ませる。……俯いて、下唇を噛み締めた。
「私は調査員が嫌いだ」
「それでも君の親父を探してみようと思う。適当にだけど。見つけたら連れて帰るよ」
「父親も嫌いだ」
「家族を放ったクズだもんね」
「お前が言うな」
「君はどうしたいんだ?」
「私は……君と一緒に暮らしたい。安心したい。不安になりたくない」
「それはなんで?」
「きっとこの先、家族が君しかいなくなる」
「そうだね。でもそれは君の理由だ。オレの理由じゃない」
「……最低」
幸叶はなんで言わせたんだ言わんばかりにこちらを睨む。
それがなんだか可愛くて、愛おしくて、申し訳ない。
「オレは憧れの人のようになりたい。それが調査員になる理由だ。だから、そんなものは理由にならない」
オレは彼女にずっとそう言いたかった。
直人が要塞からオレを連れ出したみたいに……。
最低だと思う。
全然似ていないし。
ただの自己満足。
別れ際に無理矢理ねじ込んだだけだ。
「野良は
「そうかもね……また、会いに行くよ。君が寂しくて死ななない程度には会いに行く。それか有名になって君にオレの名前を届けるよ」
「死亡者に乗ったのは嫌だよ」
「オレは特別になる。だからきっと主人公補正ってのがついてるよ! ——じゃあな」
そっと触れていたブレーキペダルから足を離して、ゆっくりとアクセルペダルを踏み込む。
幸叶は最後まで窓に手を掛けていたが、進んでいく車に追いつけずに手を離した。
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