第5話 受け入れる者でしか、始められないことがある

 帰りは登りと比べて楽なはずなのに、足を滑らせた万愚節を背負った所為で余計に疲れた。


「……うん、筋肉ムキムキな割には意外と軟らかいね」


「最近運動してないし、機能性重視だからな」


 坂を降りても背負われていた万愚節はまじまじとオレの肩を揉んでいた。


 虫の音がより一層響く夕暮れどき、オレはコンビニ寄ってどこかのベンチで彼女の足に消毒液と包帯を巻く。


 軽い擦り傷だが絆創膏では覆えないほどすり傷は広かった。


「……大丈夫か?」


「ありがと」


 オレが隣に座ると、万愚節はオレの背中に寄りかかるように抱きついてきた。


 自分で歩きたくないのだろう。そう感じたオレは彼女の前で屈んで、予約していたレストランに向かった。


 道中に多彩なイルミネーションが煌めいていた。


 レストランに着くと、窓の外には丁度花火が打ち上がり美しい夜景が広がっていた。


 動物の顔や形を催した花火を眺め、二人でどんな動物がいたのかを言い当てる。


「——こちら前菜になります」


 アシスタントがそっと前菜を置くと、白いコック帽を被った店主が万愚節に向かって頭を下げた。


 予約して金を払っているのはオレなのになぜ彼女に頭を下げるのか。


 貫禄の違いか? オレは金持ちに見えないのか?


 怪訝な視線で眺めていると、アシスタントの女性に見覚えがあった。


 ——直人だ。


 化粧して長いカツラを被っているが、オレを見る蔑んだ目が直人そのものだった。


 嘘……なんでいるの、そっくりさんじゃないよね。


 万愚節は運ばれた料理を見て「おぉー」と感嘆の声を上げる。


「美味そうだね」


「あぁうん。そうだね」


 前菜は多種多様のチーズと中央に温泉卵が乗ったサラダだった。


 名前を覚えようとしたが、直人がいたことに驚いてすぐに忘れてしまった。


 いや、アイツのことは一旦忘れよう。今は楽しまないと損。きっと顔立ちが似ているだけの人違いだ。


「うん、美味しい」


 嬉しそうに微笑む彼女を見つめて、オレは意を決して尋ねる。


「……言いたくなければいいんだけど、どうして外に出る夢を諦めちゃったんだ」


 万愚節は一瞬、困った顔をしてこちらを見る。


 前々から疑問に思っていた。


 君ほどの生物好きが、外が危険だからという理由で諦めてしまうとは思えない。


「私は外に興味があるとしか言ってないよ」


「でも、諦めたって言っていたじゃないか。本当に怖くて嫌だと思っていても、少しでも憧れがあるなら、それは夢だと思う」


 オレもそうだった。外の世界は恐ろしいものだと親父に教えられてきた。


 だから、オレは外の世界に惹かれて親父たちに憧れを抱いた。


 なぜ、このタイミングでこんなことを聞いているのか自分でもよく分からない。


 この先を彼女と旅できたら楽しいと衝動的に思ってしまった。


「……君は、失うことが怖くないからそう思えるんだよ。本当に大切なものをなくしてないんだよ」


 万愚節は顔を合わせず、窓の外を向きながら答えた。


 確かに失ったわけじゃない。ただ置いてきただけだ。


 村田から告げられた拒絶ことば現実はなしも辛いことには辛かっただけだ。


「僕だって死ぬのが全く怖くないわけじゃないよ。でも、今更後悔する生き方を選びたくないんだ」


 オレは痛みに鈍感なだけなのかもしれない。


 父親も恋人も捨てて、次の日には別のことに心を奪われている。彼女と一緒にいたいと思い始めている。


「私も後悔したくない。だから、外には出ない」


 そっか……。


 もうダメなのだとわかった。彼女は決意というか、ちゃんとした意思を持って選んだことだった。


 これ以上かける言葉が見つからず、静かな時間が流れる。


 食器が下げられ、湯気の立つスープが置かれる。


「野良は調査員になりたいの?」


「ちょっと前までは興味がある程度だったんだけどね。今はそれが将来の夢になったよ」


 初めて明確に成りたいものを抱いた気がする。


「……じゃあここに来たのは失敗だったね」


「え?」


「昔、調査員の彼氏がいたの」


 彼女が放ったその言葉で、先ほどの言葉を思い出した。


「彼が言ってくれたの。自分が一流プロになったら迎えに来てくれるって。でも、実際には私が迎えに行くことになった。遺体は傷だらけで上半身だけだった。私が話していた夢物語なんてあまりにも現実味がなかった」


 実際に目の前にいる人から聞かされると、大丈夫だと思っていた自分も不安を感じずにはいられない。


 直人に頼りっきりの自分が調査員になれるのだろうか……。


「野良には絶対わからないよ。生き物が好きなら研究者になればいい。調査員である必要はどこにあるの?」


「それは……」


 将来の夢を持って生きるということが、どれだけ大変なことか見えてきた気がする。


 オレが目指す先に彼女はいない。


 いつか一人になったとき、自分はどう生きているのだろう。


 この先も、十年先も、自分が同じ夢を持っているのだろうか。


 村田のように、親父のように、選んだ先は理想とは違うのだろうか。


 現実という不安が重くのしかかる。


「——ねぇ野良。夢を目指した先にあるものって、なんだと思う?」


 それはまるで、彼女が人の夢を終わらせるために放ったようだった。

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