第5話 僅かな好奇心が若者を大人にさせられる

「——直人、お前の家に止めてくれ。オレ、今日帰りたくないんだ……」


 昨夜の悶々とした時間を思い出しながら言うと、直人は玄関の扉を勢いよく閉めた。


「ちょちょちょ、人が色んな意味で困っているのにそりゃないだろ」


「それ以前に気色悪いんだよ。何だその眠そうな顔と乱れた髪は、キモい、キショい」


「男に対してその感性はおかしいだろ。ってそうじゃなくて、昨日は色々あったんだよ。夜鶴がご飯のお裾分けに来たと思ったら、オレたちが何の買い物していたのか聞いてきて、挙げ句の果てには性行為誘ってきたんだ。……あぁ勿体ねぇ」


 後悔をぶちまけると、直人が少し扉を開いて神妙な面持ちでこちらを覗いた。


「どういう流れで、買い物から性交渉の話になるんだよ」


「ふっ……童貞には分からないか」


 直人は先ほどよりも勢いよく扉を閉める。


「あ、ごめん、意外と気にしてたんだな。とにかく、会社の方で寝るのはなんかもう嫌だし、オレの家に帰ったら夜鶴がまた来る気がするからさ。お前ん家に止めてくれよ」


 直人はジトッとした目を向けながら扉を開く。


「彼女はどんな感じだった?」


「なに急に。お前、夜鶴のこと好きなの? NTR?」


「そう言う意味じゃない。オレたちのこと探ってきたんだろ? 計画に支障が出たら困る」


「まぁそうだな。仕草はいつもの夜鶴と変わらなかったよ。なんか急いでいる感じはしたけど」


「急ぐねぇ。そのとき首の後ろに手を回されたりしたか?」


 直人は神妙な面持ちでよくわからない質問をした。


 なに言ってんだと思いつつ、オレは直人の質問に答える。


「抱きつかれたときに手を回されたりはしたけど。それがどうした?」


「首の後ろ辺りになにか刺されたか?」


「刺されるって……なに言ってるのか分からないんだけど」


「いいから答えろ」


 オレは昨日のことを追想する。


 夜鶴が突然鍋を持って自宅に押しかけ、鍋を温めていると急に尋問され始めて、抱きつかれ、キスをされた。


 思い返すとまた悶々とした気持ちになったが、オレは平静を装うように答える。


「首の後ろを撫でられた気はするけど、親父が帰ってきてハグは終了。息子は固くなり、色々な意味で元気になって、親父と同室だから色々な意味で困ったことになった」


「質問にだけ答えろよ。こっちはお前の逸物に興味ないんだからさ」


「だったら、これがなんだって言うんだよ」


 どうでも良いと蔑ろにされ、オレは少しムカつきながら説明を催促した。


「色々と状況が変わったかもしれないってことだ。お前、親父さんからなにか預かっていたりしないか?」


「封筒もらったけど……」


「それ今開けるぞ」


「いや、外に出てから見てくれって言われてんだけど」


「いいから、どこにある」


「一応、カバンの中に……」


 オレは直人の切羽詰まった様子に流されてカバンを差し出す。


「じゃあ部屋に入れ。すぐに出発するぞ」


「え、どこに?」


「今日、ここを出ることにする」


『なんで?』とは言葉が出なかった。


 人生見えることだけが全てだが、世界は自分の見えないところで作られている。自分の知らないところで誰かが動いているのはわかっていた。


 直人は鞄から封筒を取り出すと、すぐに上部を破いて中身を開いた。


 随分と分厚い封筒だなと思っていたが、中には三つ折りにされた手紙が三枚と親父の運転免許証みぶんしょうが封筒の底に入っていた。


 一つは、『野良へ』。二つは『直人へ』。


 三つは『調査報告書』と書かれている。


 直人は自身に向けられた手紙を真っ先に読み、すぐさま調査報告書と書かれた紙に手をつける。


 オレも自分の手紙を開くが……。


『——この文章を直人が先に読んでしまったなら、この先を読むことなく調査報告書を燃やしてもらいたい。そして、この要塞を出ていく前に、息子がこの手紙を開けてしまったのなら今すぐ閉じてほしい』


 と、最初の一文に注意事項おねがいごとが書かれていた。


 オレは手紙を閉じて顔を上げる。直人は驚きと喜びが混ざった表情をしており、自分が知る彼の初めての表情だった。


「——もう読んだのか?」


 こちらに気づいた直人は尋ねた。


「一応ね」


「見せてくれ」


「やだ」


「……なんでだよ」


「そっちが内容を教えてくれるならいいよ」


 そう言うと直人は黙り込み、「……後で話す」と仕方なさそうに言った。


 オレは長年の付き合いから、彼がなにも話してくれないのを知っていた。


「じゃあ嫌だね」


 手紙をポケットに仕舞うと、直人は断られるのが分かっていたのかすぐに腰を上げる。


「じゃあ、移動しようか。言っておくが、お前が俺の言うことを聞かなかったら見捨てるからな」


「分かってる。約束したからね」


 強要しないのは直人なりの優しさだろうと解釈した。

 





 外周の縁、北北東。ヘルメットを装着した直人はエレベーター前の床板を外して操作パネルを起動させる。


 モーターが回りだし、地面がガタガタと不吉な音を立てて揺れ始めた。


 そういえば、親父に『さようなら』を伝えていない。夜鶴と別れ話すらできていない。


 身体より大きいリュックを背負っているのに、 今になって置いていくものの重みを感じていた。


「——直人、質問いいか?」


「いいぞ。エレベーター来るまでに答えられることならな」


「お前からして、ここの住人はどう見えていたんだ?」


 直人はなにも答えずにマフラーを外し、こちらに背中を向けるように胡座をかく。


「ずっと不思議だったんだ。なぜ、誰もここから出ようとしないのか。外の世界に憧れないのか。この疑問の答えはまだ出てないけど。最近気づいたことがあるんだ。オレはずっと誰かに守られてきたから、そんなことを思えていたのかもしれない」


「三十五点。親父さんはお前をずっと守ってきた」


「この街の住人は、囚われているのか?」


「五十五点。ここは外の世界から、『機銃要塞きじゅうようさい』もしくは『囚われの街』と呼ばれている。誰もが外を恐れて出て行かないんじゃない——出ていけないんだ」


「オレって親父曰く〝市民証〟を与えられていないらしい。だから、交換箱にある液晶を触っても反応しないし。多分このエレベーターも動かせない。その市民証ってさ。お前の首に付いている基盤みたいなものだよな」


 直人の長く伸ばされた髪が風に靡く。彼の首の後ろには黒色の精密機器チップがステープラーのようなもので皮膚に貼り付いていた。


 オレはそれを見たことがある。親父や夜鶴の首の後ろにも同じものがついていた。


「七十五点。お前はなにも知らされていない温室育ちだと思っていたが、違ったみたいだな。予想と少しズレていたよ」


「囚われているってことは、これは単なる市民証じゃないんだな」


「これは祝福と呪いだ。このチップを埋め込まれた瞬間から、この要塞の設備を利用できる代わりに、この要塞から一キロ以上離れられなくなる」


 そう言うことか。親父を誘ったときのあの態度が腑に落ちた。


 あれ、でも……直人はどうなんだ?


 彼の首の後ろは日差しが金属部分が反射してキラキラと光っていた。


 それを尋ねる暇もなく、直人は話を続ける。


「まぁ、あの人にしてはよくやった方だと思う。こんな腐ったれな仕組みの中でお前を育て、誰にも悟られないように真実を隠してきた。流石だよ」


「直人が親父の手助けをしてくれたんでしょ。どう考えても一人でこんな隠し事はできないよ」


「多少はな。因みにあと二人ほど協力者がいた。わかるか?」


「いや、さっぱり」


 街を出る前に長年の答えが出てしまった。外に出たいと思った好奇心がこれだ。


 親父が一緒に来られない。


 恋人と話すこともできない。


 自分の憧れた相手は隣にいない。


 直人に話した外に出ていきたい理由は嘘ではない。けど、一人で出ていくには動機が薄くなりすぎていた。


「嫌だなぁ……」


 そう思う反面、これは我儘だなと思った。


「別れるのは辛いか?」


「そりゃあね」


 親父や恋人よりも、君と別れるのが辛い。


 そんなことを口にしてしまえば、きっと叱咤され、夜鶴には刺し殺されるだろう。


「もし、お前がここに残る選択をしたのなら、自分の夢が叶えられないのを親父たちの所為にするなよ」


「え?」


「選択っていうのは、結局のところ本人がしたいようにしているに過ぎない。理由があるから外に出ないんじゃない。外に出たくないから出ない理由を今更表に出している」


「そんな訳……」


「さっきまで、お前は父親も恋人も捨てて出て行くつもりだっただろ。そのとき、この理由はお前の足を止める理由になっていたのか?」


 ……ならなかった。


「親父が外に出られない。それは出て行きたいくないが為の理由だ。本当に外に出たいのなら、そんなものなんの理由にもならない」


 直人ははっきりとそう言った。


 それがオレの憧れていた彼の生き方なのだろう。


「まぁ、選ぶのはお前だ。お前がついてこなくても、俺は一人で行くことにする」


 彼ならひと……ん、今なんて言った? 


「直人はここから出られないんじゃないの?」


「なに言ってんだ、お前」


 直人はコイツ頭大丈夫かという表情でこちらを見る。


 いや、こっちの台詞なんだけど。


「チップが埋め込まれたら出られないって、自分で言ってたじゃん」


「俺は出られるに決まっているだろ。大体、なんでお前だけ外に出すんだよ。散々危険だって言ってきただろ」


 確かに、オレ一人で行かせるはずないよな……つーか無駄死むだじにだし。


 そもそも、直人はメリットなしで人のために行動するような殊勝な性格を持ち合わせてはいなかった。


「——行くよ。オレは外の世界を見てみたい」


 彼がこの先ついてくれるなら、進みたいという気持ちが強くなる。


「あぁ、連れていってやるよ」


 やれやれと言わんばかりに放たれた言葉は、誰よりも頼もしく聞こえた。

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