11-2 二年生・一月(5)
その次の日の昼休み、あたしは麻路の頭に通販で買ったヘッドドレスをつけて遊んだ。色素の薄い髪に、派手なフリフリのついたそれはめーっちゃよく似合う。麻路の恥じらってるんだろう、クールなむっつり顔もそういうコンセプトの写真集みたいに映え映えで、あたしはもう学校用スマホのシャッターボタンのところが凹むんじゃないかってくらい写真を撮った。
それから攻守交代、麻路があたしの頭にヘッドドレスを被せる。くすくす笑われる。どうせ似合ってないですよ、と不貞腐れようとした瞬間、麻路は言った。
「可愛い」
えっ──。
あたしは何にも言えなくなってしまった。思えば、麻路があたしの容姿を褒めたことって一度もなかった気がする。それを、こんな、今のタイミングで初めてするなんてずるい。顔が熱くて熱くて、前を向けなくなる。麻路を直視できない。
カシャ、と音が鳴った。びっくりして見ると、麻路がネイビー色のスマホのカメラをあたしに向けていた。シャッターは一度だけ。ちょっ……あたしは麻路に飛びついた。
「ま、待って、今変な顔してたから!」
「してない。これで十分だから」
麻路のブロックが強くてスマホが取れない。あー、恥ずかしい。死にたい。だけど、嬉しい。嬉しすぎても死にたい。あたしは未知の興奮で感情がぐちゃぐちゃになっていた。
もう、これが人寄せのためのショーなんて信じられなくない? 一月が終わったら前触れもなくパタっと店じまいするなんて、もったいなさすぎる。まあ、もちろん、あたしに何かを決める権利なんてないんだけど。
昼休みが終わり、教室が戻る段になっても、麻路はスマホを手にぎゅっとしていた。なんだか、あたしの写真を大事にしてくれてるみたいに見えて面映ゆい。
「それじゃあ、またね」
「うん、また……」
麻路はスマホを持った手を小さく振ってくれた。いや、めっちゃ大事にするじゃん。これが計算尽くだったらとんでもない女だな、と思いながらあたしは大きく手を振った。
自分のクラスに戻ると、相変わらずの「いつもの教室」がそこにあった。は? 別にお前のことなんか気にしてないけど? というオーラを煮詰めた、定番のギャグみたいな白々しい雰囲気もあとちょっとで見納めだ。
その日の帰りは麻路と落ち合えなかった。まあ、こういう日もある。むしろ、最近が会えすぎだったんだと、あたしは物足りない気分を宥めながらバスに揺られて帰宅、家では藍子とドラマを見てからお風呂に入り、その後、なんとなく授業のノートを開いてすぐに飽き、マンガをフラフラ読んで、好きな芸人のラジオを聞きながら寝落ちた。
翌日、今日も昼休みを楽しみにしながら、朝食を食べて身支度をする。今日も「可愛い」って言われたかったので気合いを入れた。それから、スマホを見たら麻路から連絡が来ていて、ドキッとした。珍しい。何かと思ってLINEを開いてみる。
『碧子、ラルヴァに』
短い一文に、ものすごい嫌な予感がした。
あたしはすぐに学校用のスマホを見た。ブラウザを立ち上げてラルヴァにアクセスする。
そのトップに現われた文章に、あたしの息が止まった。
──「言おうか迷ってたけどいいます。西泉愛沙と比良宮健翔が視聴覚準備室で良い感じにしてた。今日もするかも知れない。中庭ばっかり見てるとこに便乗してたっぽいな」
──「西泉って、三年の?」「三年生なのになんで学校来てんの?」
──「補習か?」「また付き合ってる奴らの出てきたの?」「っていうか相手誰?」……。
じわ、と心臓から冷たい汗が噴き出した。。
嘘でしょ?
最初の報告にはものすごい勢いでリアクションがついていた。え? 既に承認欲求の餌食になってんじゃん。なんで? 誰が? どうしてどうやっていつどこで? ずっと今まで大丈夫だったじゃん。健翔が完璧に計算した場所で、あたしたちが目一杯人目を引いてやってたのに、あとちょっとのところでこんなことになるなんて。
いつの間にか、ぐーすか寝てる間に、あたしたちの計画は破綻していた。そして、愛沙先輩は……あたしは震える手で返信をする。
『見た、どうしよう、せんぱい』
『私が家まで見に行く』『だから、場合によっては昼に会えないかも』
昼休みに麻路に会えない。あたしは一瞬状況を忘れて、それは嫌だ、と思った。
『あたしもせんぱいの家にいく』『場所教えて』
『比良宮くんも行くから』『人多いとあっちに迷惑だから、碧子はまって』『最悪、放課後、フルネス屋上で落ち合って』
冷静なようで文が少し乱れてる。そっか、あたし以上に麻路は動揺してる。ここで意地を張っても仕方がない、あたしは苦しさを呑み込むと断腸の思いで返事を打った。
『わかった』『絶対にせんぱい学校に連れて来て』
ラルヴァは朝の市場のような大賑わいだった。愛沙先輩が留年スレスレなこととか、一年生の時の、悪い意味で注目されていた時代のログなんかが晒されたりしていた。なんでそんなことをするんだろう。快楽のため? 自分が書かれるのは蛇蝎のように嫌うのに、他人にするのは気持ち良いなんて、やっぱりどう考えてもふざけてる。ふざけんな。それで留年したら誰が責任を取るんだ。
行きのバスに揺られながら、あたしはそんな憤怒を文字にして、ラルヴァにぶちかましてやろうかと思った。でも、何の意味があるんだろう。そうだね、悪かったよ、と匿名のヤツらに言われたとしても、煽りにしか聞こえないし、一度ぶちまけられた情報は盆に戻らない。誰も、何も、どうもしてくれない。事態はただただ低い方へと転がってだけだ。
これから、あたしたちはどうなってしまうんだろう、とあたしは突然、強烈な不安に襲われた。先輩と健翔のことがバレた以上、麻路と関係を演じる意味はない。もう昼休みに会うこともない……いや、それだけならまだいい。そもそも、これはあたしが考えた計画だ。それが破綻してこのまま愛沙先輩が留年したら、麻路はあたしを恨むかも知れない。そうなったら……死ぬより酷いかも知れない。
身体の底の方から寒くなってくる。頬が痒くなって、触れると濡れていた。うわっ、涙が出てる。それからショックを受けた。あたしにとって、愛沙先輩のことより、麻路のことの方がずっと大事なんだ。あたしは薄情なヤツだ。自己中なヤツだ。最低なヤツだ……。
学校に着いても、教室に行く気になれなかった。あたしは保健室へ直行する。先輩が何にも知らず、気まぐれで麻路や健翔の来る前に家を出て保健室にやってきていたら、あたしにもフォローのしようがあるかも知れない。……ゼロ%じゃない。麻路にもそう連絡しておく。
養護教諭の先生は、あたしがぽろぽろ涙を流してるのを見て、何も訊かず、優しく保健室の滞在許可をくれた。この人はラルヴァのことを知ってるんだろうか。愛沙先輩が今日は来ないことも? わからない。今は誰も信じられない気分だった。
あたしはベッドに横たわると、しばらくぼーっとして、それからスマホで昨日撮った麻路の写真を見た。カメラロールには映画のフィルムみたいに、ずらっと頭だけゴスロリの麻路が並んでいる。ああ……残りの日分も、イチャイチャする内容、考えてたのにな。こんな風に終わってしまうなんて。
昼まで待っても、愛沙先輩は来なかった。
時間が経って、事実を受け入れ始めたあたしは「言おうか迷ってたけどいいます」とかいう甘えた書き出しで、あたしたちの守ってきたものを暴露したヤツのことを考え始めていた。
──「西泉愛沙と比良宮健翔が視聴覚準備室で良い感じにしてた。今日もするかも知れない。中庭ばっかり見てるとこに便乗してたっぽいな」
読んでるだけでキレそうになる。こいつは一体、何なんだ。
投稿時間は夜中の三時半。おっそ。まあ、本人の申告通りに迷った感はある。丁寧な文体から砕けた口調になっているところに手の震えも感じる。普段、ラルヴァに興味のないヤツがたまたまふたりを発見したのだろうか。で、承認欲求と罪悪感の激しい戦闘の末、投稿した。
でも、おかしい気もする。たまたま昼休みに人気のなさ過ぎる視聴覚準備室に行き、三年の先輩と二年の健翔を同定するって、無理じゃない? クリーニング店員と無気力補習ガールだぞ。共通の知り合いとかいる? こういうののセオリーとしては「付き合ってる男女がいる」という曖昧な報告から始まって、集合知からちょっとずつ特定されていくものだ。それをスキップできるくらいのゴシップ通なら、まさに昼休みふたりのランデブーの最中、リアルタイムに躊躇なく書き込む気がする。
ちぐはぐだ。わかんない。あたしは横になって目を瞑った。もう何も考えたくなかった。暗い視界の底から気持ち悪さがぐいっと上り詰めてくるように、意識が薄れていった。
「……碧子」
肩を揺すられた。目を開く。ぼんやりとした意識の中に、麻路の下ろした髪と銀色を見た。
「麻路……せんぱいは」
「さっき、なんとか学校まで連れてきた」
その報告にあたしに希望が差す。補習にさえ間に会えばどうにかなる。
「じゃあ──」
麻路は首を振って、スマホの画面を見せてくれた。
補習の開始時間はとうに過ぎていた。
「遅刻で減点。愛沙は……」
麻路の言いさした言葉に、寝起きの気怠さが吹き飛び、視界がはっきりしていく。
そうして見えてきた彼女のその顔色から、あたしは全てを察してしまった。
「そんな……そんなぁ……」
どうして──そう問い詰めようとしたけど、全く言葉の出ないあたしがそこにいた。突然、真っ暗な闇の中に放り込まれたような気分になった。
ゆっくりと身を寄せてくる麻路を抱き寄せながら、あたしはただひたすらに呆然としていた。その高い体温も遠く感じる。ねえ、どうして? あたしは──どうすればいいの。
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