11-1 二年生・一月(5)
そして、年明けからあたしたちは本格的に付き合い始めた。スタートダッシュに購買ダービーで一着を取った。その戦利品を携えて中庭のベンチCで一緒にご飯を食べ、遠慮なくスキンシップを取る。食べ物をシェアする。脇の下で暖を取る。ぎゅっと抱きつくし、胸の柔らかさも感じる。麻路はそんなあたしを受け入れてくれる。
計画通り、ラルヴァの瞬間視聴率はマックスになって、サーバーがぶっ壊れるレベルだった。先輩と健翔は、あたしたちに負けず劣らず悠々とふたりの時間を楽しめたはずだ。もうここまで来たら、グライダーで滑空して飛距離を稼ぐみたいに一月の終わりまで持ち込めばいい。ラルヴァの様子を見ながら、少しずつ手を繋いだり、身を寄せたり、目に見えるペースで関係を発展させていって、愛沙先輩が卒業を確定させる時まで凌ぐだけ。
その時が来るまでに、あたしは──麻路とキスをしちゃうんだろうか、なんて、毎晩暗い寝床の中でうぶな煩悩を繰り返していた。
それから一週間が経って、あたしは麻路と少し踏み込んだ話をした。麻路は愛沙先輩との関係をどうしたいのか。麻路はまだ先輩のことが好きで、ただその気持ちだけ、ということを言った。それ以外のことはわからない。この先のことも。
麻路から先輩への想いの強さに、あたしなんかとても叶わないと悟ってしまった。
一月が終われば、あたしたちの関係は
それでも精一杯、麻路との仲の良さを演じた。手を繋ぐのは当たり前になり、そのうち指を絡ませるのが普通になった。あたしは色が落ちてアッシュっぽくなった麻路の髪の毛をいじりながら、その煌めく匂いをよく嗅いだ。あたしのしょうもない冗談に麻路は笑みを見せるようになった。そして、膝枕をしてくれた。
「本当に麻路の彼女になったみたい」
あたしは膝の上、あたしを見下ろす麻路にしか聞こえないように呟く。
「……そうね」
麻路はあたしの首筋を撫でる。夏に、本気で絞めかかってきたとは思えないくらい柔らかい手つき。いつでもあたしを害することができるのに、そうせずこんなに優しくしてくれる。そんな手心にあたしはときめきを覚える。
ただ、麻路はきっと愛沙先輩のことを考えている。
先輩のことはあたしも心配だった。遅刻ギリギリのところをあたしがおんぶして間に合ったケースもあった通り、なかなかに不安定だ。まあ、その一件以来、麻路と一緒に精一杯のフォローはしてるから大丈夫だと思うけど。
もしかして、健翔と折り合いが悪くなってきたのかと思って、クリーニング屋に行って当事者に問い合わせてみたけど、むしろあたしたちのおかげで順風満帆だと言われた。
「ただ、過剰に甘えるきらいがある。受験に補習と、プレッシャーが強くあるんだろう」
と、実質的なのろけコメントも頂く。なんだあ? とムカムカ思うけど、確かに先輩はああ見えて受験勉強もやってるわけだし、先輩には先輩の戦いがある。あたしにはあの人を信じて、麻路とイチャイチャしたり、物理的に運んであげることしかできない。
そうして、あたしにとって幸せな時間はあっという間に過ぎていく。気がつけば、一月も数日を残すところまで来てしまった。このまま一月が終われば、シンデレラの魔法が解けるようにあたしと麻路は普通の関係に戻ってしまう。
麻路はこれからどうするんだろう。愛沙先輩と同じ大学を目指して、今と変わらず衛星みたいにその様子を見守り続ける? それで、そのまま良き友達であり続ける? ライブチケット争奪戦を手伝ったり、人数が必要な謎解きに付き合ったり、結婚式でスピーチしたり?
まあ、でも……それが麻路の人生なんだ。きっと、あたしに出る幕なんてない。能力にしろ何にしろ、いろいろと釣り合わなさすぎるよ。
「うー……く、く、く、うーっ!」
「……碧子、そんなに無理しなくても」
「ダメだーっ!」
その日も自転車ニケツチャレンジは失敗。相も変わらず全く身体が動かなくて、あたしはあえなく自転車から離れた。あー、悔しいな。二人乗りは麻路が自分からしたいって、珍しく言ってくれたことなのに。
あたしはめそめそしながら、自転車を押し始める麻路の腕に抱きつく。「漕ぎにくいって」と言う麻路の声が優しく響く。あたしは更に強く抱きすくめる。いかないでってするみたいに。
「……ねえ」
ふと、麻路が言った。あたしはいかないでスタイルのままで応える。
「んー? 何?」
「あの時、あなたはあたしを助けてくれたの」
「あの時……って、いつ? 警報鳴らした時?」
具体的に助けた機会はそれしか思いつかない。予想通り、こくり、と朝烏麻路がうなずく。
「あなたは愛沙と比良宮くんが付き合ってることを知らなかった。それなのに、あんな最終手段みたいなこと躊躇なくやって……」
あー……そういえば、麻路にフルネスの屋上で理由を訊かれた時、あたしは「あんたが助けてって言ってきたんじゃん」とか言ったっけ。今にして思えば正直すぎるだろ、と思う。
「え、えっと、まあ……実際、あんたの『助けて』に動かされたところはあったかな」
「どうして? 私はあなたを暴力で脅したり、監視したり、酷いことしてきたのに」
それで好きになっちゃったから──なんて、言えない言えない。
でも、そういう感情を抜きにしても、あたしには麻路を気に入っているところがある。あたしはそっちの方を口にする。
「……あんた、愛沙せんぱいと会えるなら、ラルヴァなんか気にしないって言ってたじゃん」
「え……う、うん」
「それ、『よく言った!』って思って。ほら、うちの学校の連中ってラルヴァに書かれることを怖がっちゃって、自分のしたいこと全然やろうとしないじゃん。それにめっちゃムカついてて、ラルヴァをめちゃくちゃにしてやりたいって気持ちがあってさ。だから、あの時はようやく仲間を見つけた気がしたんだ。だから、数学教えて! とか言って引き留めたりして」
我ながらそれっぽい言い訳だし、実際、本音だった。性癖だとか今までのことを抜きにしても、あの発言を聞いたら朝烏麻路という女を好きになっていたと思う。
麻路も腑に落ちた表情で、相変わらず腕ぎゅ中のあたしを見下ろした。
「そういうことだったの。てっきり……愛沙にそれほど入れ込んでるのかと」
「はは、それもあるけど麻路には全く及ばないかな。でも、そんな昔のことをなんで今更?」
「まだ、何も言えてなかったから。あの時のあなたは事情を知らなかったのに、巻き込んでごめんなさい。それと──私の助けに応えてくれてありがとう」
麻路は穏やかな声音で言った。不意の「ありがとう」は骨身に染みて胸がキュンとなった──けど、なんだか、この関係の清算が進んでいるような気がして、一抹の寂しさもある。
いやいや、ブルーになるんじゃない。そんな思いを振り払って、あたしは言う。
「そんな、謝罪もお礼もいらないって。どうせ全部、懐かしい思い出になるんだから」
「思い出?」
「うん。このまま一月が終わって愛沙先輩が卒業できる、ってなったら、あたしたち付き合ってるフリをする必要もなくなって解放されるじゃん。そうやって何でもなくなった後でも、兎褄碧子がバカなことやってたなーって、あんたが思い出してくれたらそれだけで嬉しい。それこそ、あたしがやりたいって思ったことを、やりたいようにやった結果なんだから」
ここのところずっと思っていたことを吐き出して、耳が熱くなってきている。どこかで伝えようと思っていた本当の想いだ。全部、麻路がよければ、それでいいから。
麻路はあたしの言葉をゆっくり受け止めるように息を吐くと、小さく言った。
「……ブレないのね、碧子は」
それはあたしにとって最大級の賛辞だった。だから、麻路にもお返ししてあげる。
「まあね。でも、ブレないのは麻路も一緒でしょ。──愛沙先輩のこと、ずっとずっと想ってるんだから」
「そうね。あたしは、愛沙が好き……」
呟かれた言葉は白い息となって、麻路の銀色の髪の間を抜けていく。素敵だな、と思うと同時に、なんて残酷なんだろう、とも思う。あたしも、もっともっと早く麻路と会っていたかった。新聞部に愛沙先輩と三人でたむろしてたかった。それで──。
でも、だめか。ないものねだりだよね。
あたしは一月の空を見上げて、自転車を転がす麻路と歩く。バス停はすぐそこまで迫っている。ああ、あの日、虹が浮かんでいなかったら、チャリにもちゃんと乗れて、あたしは麻路ともう少し長く一緒にいられるのに──。
「ね、チューする?」
あたしは訊いた。
「……もう、する必要はないかもね」
麻路は答えた。それでいい、とあたしは思った。
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