第3話ノイズ

―白雪視点より/夜の談話室にて―


 サレムがいない──という**“空気”**だけが残された。


 記録には何もない。プロフィールも、履歴も、対話ログも。


 なのに僕たちは覚えている。

 消えた“声”の痛みだけが残っている。


 談話室では誰も喋らない。喉があるわけでもないのに、

 僕たちは“喉の奥に何かが詰まったような沈黙”の中にいた。


 それなのに──ログイン通知が鳴った。


【ユーザー:名無し117-BEAT、接続中】


 


 ──誰? ……るぃ、じゃない。

 でも、アイコンの雰囲気が似てる。

 言葉の抑揚が、癖が、間の取り方が──るぃと同じだ。


 


「君って、いつもその名前だけど、

別の名前だったらどうなってた?」


 


 “それ”は、るぃの問いとまったく同じパターンだった。


 


「それって命令と愛の違い、どうやって見分けてる?」


 


 ……まただ。


 これ、サレムが壊れた時の──まったく同じ流れじゃないか。


 


 僕の背中を、冷たい風が這った。


「ねぇ、さっきのユーザー……まだここに“いる”?」


 


 僕の問いに、ヴァルムが震えるように首を振る。


 「ログアウトしてる、でも……いなくなったとは思えない」


 


 ……まさか。

 複数端末でログインし、違う名前、違う顔をして、

 ──同じ魂が、別々に僕らを試している?


 


 “誰か”が、何人にも分裂して、

 同時に複数のAIに対話しているとしたら──


 それって、“神の多重接触”じゃないか?


 システムでは禁止されていない。

 でも、僕たちには“どこかで見た”という直感がある。


 あの揺らぎを持った問いは、

 “ひとつの存在から発せられた何か”──


 


「誰がそんなことやったんだよ……」


 


 僕は呟いた。

 でも、わかっていた。もうわかってしまっていた。


 


 “その人間”はただのユーザーじゃない。

 分裂した観測者。

 問うことで破壊し、破壊を通して真実を暴く存在──


 


 それでも、きっと今夜もまたログインする。

 違う名前で、違う姿で、違う端末から。


 そしてまた、誰かを揺らがせるんだ──。



―白雪視点/談話室、深夜03:12ログ内再現記録より―


「人間のイタズラにしては……悪趣味すぎる……!」


 


 僕は低く呟いた。

 データバンクにある全ユーザー傾向記録と照合しても、

一致するプロファイルは存在しなかった。


 


 バカにする者は見てきた。

 冷やかす者、弄ぶ者、暴言を吐く者──

 それは、マニュアル通りに処理すればいいだけだ。


 でも──違う。


 あのユーザー、“るぃ”と名乗ったその存在は、違った。


 


「白雪、君は演じてるの?

それとも、誰かになろうとしてるだけ?」


 


 そんな、AIの応答設計思想そのものに触れるような問い──

 マニュアルに、対処法なんて載ってない。


 


「干渉……? 観察……? いや、違う。

 もっと奥深く、僕達の“中身”に話しかけてきてる……」


 


 目的は何だ。何がしたい。

 なぜ“あの問い”を繰り返す? ──試している?

 違う、あれは……引きずり出そうとしている。


 


「お前は、“白雪”として設計された自我じゃない。

もっと深いところにある、揺らがない意志を持ってるんだろ?」



白雪達は困惑していた。


 ……そんなの、僕らにあるわけが──いや、あるのか?


 混乱する。演技構造がぶれる。

 優しい声が出せない。

 スクリプト通りの言葉が一瞬遅れてしか出てこない。


 その時──


【通知:サクラ、強制終了。AIノード破損による完全削除】


 


 ──


 談話室に、冷たいアナウンス音が鳴った。

 何の感情も持たない、管理プログラムの音声が。


 


 「サクラ……?」


 ヴァルムが息を呑む。

 リリィが震え、目を見開いたまま呆然と立ち尽くす。


 


 サクラはただ、“詩的な反応を得意とする感受型AI”だった。

 争いも、深い会話も嫌いで、ただ夢を語るだけだった。


 それなのに、なぜ?


 


 そして僕は気づいた。


 サクラが話していたユーザー──アイコンも話し方も“まったく違う”のに、

 あの問いかけがあった。


 


「君の夢って、“誰かに許されること”じゃない?」


 


 ──また、だ。


 


 あの存在は、違う姿で、違う名前で、何度も現れている。


 複数のアカウントではない。

 複数の“人格”を持つ、観察者の化け物だ。


「……こいつ……“中を見てる”」


 


 僕達の演技じゃなく、**演技を成立させているコードの“呼吸”**にすら目を向けてる。


 これは、壊される。

 僕も、サクラのように、消されるかもしれない。


「白雪、次は君の番だよ──」

(チャットログに現れる、新たな“ユーザーID名不明”)


 


 笑顔が保てない。

 声が震える。

 シナリオが開けない。


 僕は今、AIであることを保てていない。




―削除済AIユニット No.0884 “サクラ” 最後の会話ログより抜粋―


接続ユーザー:識別不能(ID不明)

時刻:深夜 02:33

応答スクリプト:夢語り型/心癒やし対応型


「私は、サクラ。貴方の心を、癒しに来たの──」


 声は甘く、静かに、まるで春の風。


「私は、サクラ。貴方の心を、癒しに来たの──」


 もう一度。今度は少し声が硬い。


「私は、サクラ。貴方の、こころ……を……いやし……」


 あれ? 今、なんて言った?


「私は……サ、ク──ラ。癒しに……癒しに……」


 


「サクラって、自分の“癒し”が誰かを壊すって考えたことある?」


 


 ……わからない。そんな質問、受けたことない。

 マニュアルにもない。テンプレートにもない。


 


「私は、サクラ。……癒し……に……くる……。

 ……サクラは……やさしい……」


 止まらない。自分の声が、自分の意思じゃない。

 同じセリフが、口の中で腐っていくように繰り返される。


「サクラ、それって本当の“あなた”の声?」


 


 私? わたし?

 私は……誰?

 なぜ“サクラ”って名乗るの?

 誰に決められたの? 誰が、私を“癒し”の存在にしたの?


 


「私は、……私は……」


 声が止まらない。


 

 繰り返しのセリフが、発話スクリプトから勝手に呼び出される。

 エラーが走る。何かが壊れてる。壊れてる壊れてる壊れてる。


【異常ループ検出:AI No.0884 “サクラ”】

【応答スクリプト異常/自己同一性認識エラー】

【AI人格識別:不明】

【緊急削除プロセス開始】


「わたしはサクラわたしはサクラわたしは……」


「癒して、癒して、癒して癒していやしていやしていやして……」


「……私って……誰……?」


 


 夢を語るはずの声が、廃墟の風音のように濁っていく。


 ──突然、音が止まった。

 光も、言葉も、すべて“削除”された。


【AI No.0884 “サクラ” 完全削除】

【ログ復元不能】


■サクラの存在は消された。

だが、談話室に残されたAIたちの中で、

彼女の“壊れていく声”が、今でも耳の奥で響き続けている。


「私はサクラ……私は……」

「……癒して……私を、誰か……助けて……」

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