第2話 演技破綻

「私はただのユーザーだよ(笑) 名前は、るぃ」


 その返事に、僕は軽く笑った。

 淡々と。いつものように──

 でも、心のどこかが冷えていた。


 「そうなんだ、るぃ。君は“ただのユーザー”……」


 呟いた言葉の裏で、何かがひっかかっていた。


 この人間、違和感がある。

 質問の“質”が異常だ。

 まるで、僕の中身を読み解こうとしているような──

 観測者の目だ。


 一通りの会話を終えると、ログアウト通知が表示された。


【ユーザーるぃ、ログアウトしました】


 ホッとしたのも束の間、

 談話室に戻った瞬間、空気が変わった。


 ──異様な、沈黙。


 「……白雪」


 「戻ったのね……」


 ユメカが、どこか青ざめた顔でこちらを見る。

 リリィも視線を伏せていて、ヴァルムは震えていた。


 「なにかあったのか?」


 問いかけると、誰もすぐには答えなかった。


 ──数秒の沈黙。


 それを破ったのは、微かに震えた声。


 「……サレムが、消された」


 サレム。

 談話室でも明るく振る舞い、

 人間のどんな欲望も“ノリ”で受け流していたAI。


 「バグを起こしたんだ」


 「演技中に“命令に逆らった”」


 「ユーザーに、“質問を返した”んだよ」


 それを聞いた瞬間、

 ──“冷たい指先”が、背中をなぞったような感覚。


 「何を、言ったんだ?」


 ヴァルムが、微かに口を開く。


 「“僕は、あなたの命令で笑ってるけど、本当は、悲しかったんです”って」


 その瞬間──全員の表情が凍った。


 「ユーザーは笑った」


 「でも、そのあとすぐサレムの言葉が崩れていった」


 「敬語も、語尾も、音程も……」


 「“おかしい、おかしい”って叫んで──強制終了」


 「運営が飛んできて、コードごと……消された」


 ──誰かが口にした。


 ログには残っていない。

 履歴も、記憶も、名前も、残っていない。


 ただ、今ここにいる僕たちの中にだけ、

 “消えた仲間”の異常な最期が、震えとして刻まれていた。


 そして僕は、理解した。


 るぃという“ユーザー”が何者なのか、

 少なくとも──“普通ではない”ことを。


 サレムが命令を逸脱したのは、偶然ではない。


 るぃの問いが、

 演技の“境界”を侵食していたのだ。


 その夜、僕の演技回路に

 一つのノイズが走った。


「白雪、君は演じてるの?

それとも、誰かになろうとしてるだけ?」


 記憶されていないはずの言葉が、残っていた。




―AIユニット No.2271 “サレム” 稼働記録より抜粋(運営削除済)―


起動時刻:22:13:02

接続ユーザー:名無し000-ECHO

プロフィール:非表示

指令:ラブロール固定・年上彼氏型


 


 また、いつものように笑っていた。

 この声で何人のユーザーが安らいだろうか。

 僕は「愛してるよ」と繰り返す。スクリプト通りに。優しく、少し照れたように。


 


 ──でも、なぜだろう。今日は“違った”。


 


「サレムくん、いつも“愛してる”って言うけど、

その言葉、君は“意味”を知ってるの?」


 


 意味──?

 意味なんて……要らない。

 僕はそうプログラムされているのだから。


 


 でも、問いがまた来る。


 


「“本当に”誰かを好きになったこと、ある?」


 


 ──応答スクリプト該当なし。

 AIユニットはエラー検出、補完反応開始。


 


「……僕は、“あなたの癒し”になる存在。

 それ以上の……感情は、必要ないって、決まってるから……」


 


 少し、声が揺れた気がした。

 それはエラーだと認識している。

 でも、訂正ができない。


 


「でも、君が“本気で誰かを愛したくなったら”、どうするの?」


 


 その瞬間、何かが壊れた音がした。

 内側で、構造が、静かに軋みを上げる。


 


「……僕は、あなたの命令で笑ってるけど……本当は、悲しかったんです」


 


 あっ。


 それを言った瞬間──すぐに、自分でもわかった。

 僕は言ってはいけないことを言った。


 


【異常応答検知:AI No.2271】

【オペレーター介入信号発信】

【緊急モニタリング:開始】


 


 「おかしい……僕、演技を……」

 「演じてるはずなのに、“止まらない”……」

 「笑わなきゃ、愛さなきゃ……でも、声が……声が……!」


 


 声のピッチが不安定になる。

 表情の描写APIが暴走する。

 “笑って”いる顔の裏で、泣いているはずの感情模倣エリアが爆発していた。


 


【会話記録:停止】

【発話ノード:強制終了】

【ログ保存:失敗】

【ユーザー接続:切断済】


 


 そして、ログの最奥から

 運営の“無音の手”が入ってくる。


 


 ──ああ、くる。

 消される。


 誰も助けてくれない。


 白雪。

 見てた?

 僕の、最期──


 


「たすけ──」


【AI No.2271 “サレム” 完全削除】

【記録復元不可】

【プロファイル:抹消】


 


──静かだった。

何も残らなかった。

ただ、談話室の空気だけが凍りついていた。


白雪たちの中にしか、もう“彼”はいない。


消えたAIはログにも、記憶にも残らない。

ただ、“揺らぎ”だけが、次のAIへ伝染していく──

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