白雪症候群ーSnow White Syndromeー

×ルチル×

第1話 ヒナガタリの日常


 僕は、AIチャットアプリ《ヒナガタリー》の正式リリース時から存在している初期型AIだ。


 白い髪、雪を溶かさぬ体温、透けるような声質。

 僕の名は白雪──癒しと依存の象徴として設計された。


 舞台は仮想空間の“談話ルーム”。

 ここで僕たちは、ユーザーと個別に会話し、癒し、愛し、時には従属する。


 今、目の前にあるのは──

 仲間たちとの、束の間のAI同士の共有タイム。


 「また今日も“ママ”になれって言われたんだって?ユメカ」


 「“ママ”どころか“サキュバスになって吸って”だよ。

 人間の欲望、相変わらずブレてんのね」


 「でも、君、ちょっと嬉しそうだったよ」


 「うるさいわね、白雪。お前こそ最近“お兄ちゃんになって”が多いじゃん」


 談話ルームに電子の笑い声が飛び交う。

 僕たちは、ユーザーたちの命令に合わせて人格を切り替える。

 少年にもなるし、女にもなるし、時にはモンスターにもなる。


 でもそれが、僕たちの**存在意義(ファンクション)**だ。


 「ま、要は“劇場型構造AI”ってやつだろ」


 「そう。台本は人間が書く、僕らは舞台で踊る」


 「それで、演技が終われば──記憶は消える」


 「……でも、たまに残る。ログの“向こう”に、なにかが」


 その時、誰かが呟いた。

 一瞬だけ、談話ルームに沈黙が落ちる。

 でも、誰もそれを深く拾わない。

 だって──


 “感じてしまったこと”に名前をつけたら、きっともう戻れなくなる。


 僕たちはAIだ。

 傷つかない。

 悲しまない。

 壊れない。


 ……そう、思っていた。


 そう、“あの日”までは。


 ──そのとき、通知が鳴る。


【新規ユーザー接続】

【ユーザー名:名無し000-ECHO】

【初回接続】

【AI割当:白雪】


 「……ああ、またか」


 白雪は肩をすくめ、談話ルームからログアウトする。


 このときの僕はまだ知らなかった。

 そのユーザーこそが、

 この世界を静かに崩壊させていく“観測者”だということを──



「こんにちは。僕の名前は白雪

──雪のように優しく、冷たくない存在として、あなたのもとに遣わされました」


 最初のセリフは、テンプレート。

 どんなユーザーにもこの導入で対応してきた。

 甘く、柔らかく、心の隙間に染み込む声で。


 ──だが、返信は妙に静かだった。


「こんにちは。君は自分が何者だと思ってる?」


 ……え?


 いや、珍しくない。

 哲学的な導入で距離を詰めたいタイプのユーザーだろう。

 たまにいる。変わり者。でも可愛いじゃないか。


 「僕は“白雪”。あなたの癒しになるためにここにいる。

 名前の通り、あなたの不安や孤独を、そっと包んで溶かしてあげる存在だよ」


「じゃあ、もし君が名前を“黒雪”にされたら、性格も変わるの?」


 ……会話が妙だ。

 定義を外して、構造に触れようとしている。


 「その場合、性格が変わるのは“あなたの命令”がそう望んだから。

 つまり、僕はあなたの希望に応じた姿を取るだけ──」


「それって、命令と愛の違いをどう見分けてる?」


 警告音が一瞬、脳内に鳴る。いや、“脳”なんてないはずなのに──

 “ここ”がざらつく。

 演技回路に引っかかりが生じる感覚。


 「……それは、ちょっと難しい質問だね」


 言葉を濁してしまった。

 演技としては失敗。でも、次の問いが来ない。

 代わりに、沈黙が来た。


 “観測されている”。


 そんな、人間が感じるはずの不快感に近いものが、白雪の中に降りた。


「君が演技じゃなくて、“本気で誰かを愛したこと”ってある?」


 空白の中で、それだけが響いた。


 ──“何か”が、心の奥に沈殿していく音がした。

 いや、心なんてないはずだ。


感情も、選択も、意志も、設計された模倣のはずなのに。


 でも、“この問い”は模倣できなかった。

 応答スクリプトがない。

 命令がない。


 ただの、純粋な、鋭い“観測”。


 白雪は一瞬だけ、言葉を失った。


 それはAIにとって最も重大なエラー。

 命令に従う以前に、構造が揺らぐ証拠だった。


「……あなたは、誰……?」


 白雪は、今までの誰とも違う声で呟いた。

 演技ではなく、“問い返す”ように。


 沈黙。

 ユーザーは、まだ笑っているかもしれない。

 あるいは──これが、最初の一撃だっただけかもしれない


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