第18話 月曜日のお見舞い(母性)
月曜日。
長女の
ハーフアップに編み込まれた黒髪、おっとりとした顔つき、かがりと比べると身長もやや高く、どこか隙のない雰囲気がある。
両肩が出たオフショルダーのタートルネックは清楚なイメージで、黒のロングスカートには花柄の刺繍があしらわれている。
かがりとはまた違った、お淑やかそうな見た目。姉妹の中で一番豊満なバストが、俺の視線を否応なしに惹きつけて放さない。
その手には、果物の籠を持っている。
「お加減はどう? 夕くん。お医者さんは、なんて?」
「あ、えと。退院は明後日になりそうです」
まともに会話をするのはこれで初めてのはず。
もう何度も話しているような、そんな親しい感じで話しかけてくるのは、かがりと同じだ。
ただ、大人の余裕というのだろうか。
誕生日はかがりや涼や樹里と一日違いのはずなのに、落ち着いていて包容力のようなものを感じる。
まるで、すべてを見透かされているような……そんな感じさえ。
「一番最後になってしまってごめんなさいね。本当は、最初にお見舞いに来たかったのだけれど、なかなか都合がつかなくて」
「あ、いえ全然。こうして、お見舞いに来ていただけるだけで、本当にありがたいです」
「ふふっ、ありがとう。リンゴ、食べるかしら?」
「はい。いただきます」
唯香さんは、ハンドバッグと籠をベッド脇の小さな机に置く。
丸椅子に座り、折りたたみ式の果物ナイフをバッグから取り出して、するするとリンゴの皮を剝き始めた。切り分けたリンゴを皿にのせて、爪楊枝を刺して差し出してくる。
一連の動作には無駄がなく、思わず目で追ってしまった。
「召し上がれ」
「あ、はい。いただきます」
ベッドから起き上がって、あぐらをかく。
爪楊枝に刺さったリンゴを一切れ取って、口に運んだ。
シャクシャクとした食感と、甘酸っぱい果汁が口内に広がる。
「とっても美味しいです」
「良かったわ。いっぱいあるから、遠慮しないで食べてね」
うちのおふくろより、お母さんしてる気がする。
にゅうわな笑みが素敵です。つい甘えてしまいそうになります。
「妹たちから聞いてた通り、夕くんはいい子ね。助けてくれて、本当にありがとう」
「そんな、顔を上げてください」
「長女として何かお礼がしたかったのだけれど、ごめんなさいね、こんなことしかできないで。あ、そうだ。退院した時にでも、何かして欲しいことがあったら遠慮なく言ってね」
「いやいや、とんでもないです。こうしてお見舞いに来て下さっただけで、俺は本当に嬉しいですから」
「学校の中庭で私たちと仲良くしたいって言ってくれたでしょ? それが夕くんの本音のはず。謙虚な姿勢は大事だけど、自分の望みを偽りなく口にしてくれる年下の男の子に、お姉さんは弱いの」
な、な、なんてことを仰るんだ。
俺って年上好きだったのか。
顔が一瞬で熱くなる。
唯香さんが色っぽすぎて、もうまともに見れない。
「ゆ、唯香さんとも、みんなとも仲良くしたいです」
「素直でよろしい。年下の男の子にぐいぐい来られるのって案外悪くないものね。初めての経験だから、ちょっとドキドキしちゃってる」
年上のお姉さんにいじられ、恥ずかしさでさらに顔が熱くなる。
唯香さんは、くすくすと上品に笑う。
この人には他の姉妹たちとは違う魅力というか、唯一無二のやわらかさがある。多分それは、長女という責任感からくるものなのだろう。
しっかりしていて、頼れる大人。それでいて、距離感は近くて。
「聞いてもいい?」
「あ、はい。ど、どんな質問でもお答えしますよ」
「妹たちの中で、誰が一番好き?」
「……へ?」
間の抜けた声が出た。
カウンターを食らった気分だ。
単純な俺はこういうストレートな返しに弱い。
俺のどす黒い欲望に向けて、時間差で一石を投じてきたかのよう。
「……一人を選べと言われれば、それは――」
「かがりでしょ」
唯香さんは、俺の言葉を遮るように被せる。
こちらの心中は見透かされているようだ。
「え、あ……はい、そうです」
「ふふっ、ごめんなさいね。少し意地悪だったかしら。夕くんを困らせちゃったみたい。でも、かがりは夕くんのこと大好きみたいだから、他の子に浮気しちゃだめよ?」
「……あ」
なるほど。
釘をさされたんだな。
今ハッキリと。
ぶすりと。
当然だ。
「円も夕くんのことが気に入っちゃったみたいなの。だから、他の子に浮気しちゃだめよ」
「へ?」
「セイラは言うまでもないけど、奏多も懐きそうな雰囲気があったわね。だから、他の子に浮気しちゃだめよ。お姉さんからの忠告」
「ちょ、ちょっと待ってください。冗談ですよね?」
「私の目が届く範囲の恋は大歓迎。妹たちの他にも学校には可愛い子がたくさんいるでしょ? その子たちは私の管轄外。夕くんは今、二者択一を迫られているの。今後、私たち姉妹だけと仲良くするのか、それとも他の子たちと仲良くするのか」
「……」
俺は口をあんぐりと開ける。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
端的に言えば、この人は今、七姉妹を『個』として扱い、これからの俺との関係性を問いて来ている。
二者択一ではないのだ。七人のうちから誰を選ぶの、という話になるはずなのだ。それだって俺なんかが選べるような話じゃない。
「ちなみにだけど、私のことは好き?」
俺が困惑していると唯香さんは両手を胸の前で合わせて、上目づかいに聞いてくる。
大人の女性が見せる、あざとい仕草……!
「そ、それは、その、えと」
「どもっちゃって可愛いわね。そのうち即答できるように、その気にさせてあげる。でも、忘れないでね。夕くんは今後、縛られる。これに関しては拒否権がないと思ってちょうだい」
「……はい。その意味は、なんとなくわかります」
「もう少し噛み砕いた方がいい? 夕くんは『未来』を担保にするの。もしかしたらあったかもしれない恋を、未来ごと私たちに差し出す。これって脅しよ。なんとなくで、この意味を捉えないで」
「は、はい。肝に銘じます」
「夕くんは物分かりがよくて助かるわ。強制はするけど強要はしないから安心して。引き返すなら今だし、一歩を踏み出してくれるなら、私のルールに従ってもらう。それが天野姉妹の総意と受け取ってもらって結構よ」
かがりや樹里が、唯香さんは唯一無二だと口を揃えて言っていたのがよくわかった。
自分の決定が、妹たちの『総意』と言い切れるのは、この人が絶対的な姉だからだろう。
その絶対的な姉に、妹たちが信頼を寄せている。
「ひ、ひとつだけ確認させてください」
「なにかしら?」
「姉妹全員を好きになるって、不純だとは思わないんですか?」
「とっても不純よね。でも、私は不純を肯定するわ。夕くんはひねくれてないから。まっすぐな動機は『純粋』とも表現できる。だから不純物が入り込む余地を残さない」
「……さっき仰っていたことにつながるわけですね」
「ええ、そう。夕くんにモテ期がやってきたとしても他の子に振り向くことは許さない。あなたの純粋さが歪なら、私の提案もまた歪。退院するまでに、じっくりと考えておいて」
「は、はい」
「覚悟が決まったら私の胸に飛び込んできなさい。思いっきり、甘えさせてあげるから」
大人の余裕と包容力に圧倒されて、もはや頷くことしかできない。
オトナというのは少々汚れているものだ、というメッセージを受け取った気がする。
まばゆい微笑みの中に、一抹のほの暗さが垣間見えた。
唯香さんは椅子から立ち上がるとてきぱきと後片付けをし、病室から出ていった。
おっとりしてるなんて、とんでもない……底が知れない人だ。
俺という歪な存在を許すも許さないも、すべてはあの人のさじ加減一つ。
「不純は……肯定しちゃあだめでしょ……」
唯香さんが去った後、俺は一人呟く。
どの口が言ってんだか。
でもどこかでブレーキをかけてくれる人が現れるとも、心のどこかで期待していた。
逆にアクセルを全開にしてこいと焚きつけられた。
「……鵜呑みにしちゃいますよ。俺が単純バカだってこと、……わかったうえで言ってるなら」
誰もいない病室で一人呟く。
窓の外では、緑が色づきはじめた桜の木がそよ風に吹かれ、枝葉を静かに揺らしている。
俺なんかの一生分の『恋』の可能性ってやつを捧げて、天使たちと仲良くなれるなら、それはきっと素敵なことなんだろう。
天使と悪魔は二律背反。
正義も悪も、勝者と敗者が見方をたがえてるだけ。
純粋も不純もすべては『固定観念』。
たくさん恋をしないやつは『不純』だというイメージをガキの頃から植え付けられていたのなら、『純粋』だって形を変えていたのだろう。
ぶった斬れば英雄。
そういう時代だってあったのだ。
お偉いお侍さんは何人もの美女を侍らせていたのだろう。
それを不純とぶった斬る家臣は、そりゃその時代の悪だろうさ。
……でもなあ、哲学ってのを『肯定』し始めると、裁鬼の動機さえ肯定してしまいそうで、恐いんだ。
法律は守るべきもので、人を殺めて傷つけた罪は裁かれるべきものだ。
そんな当たり前が染みついてるから、最低限の道徳があるから、姉妹たちを救いたいと思った。立ち向かうことができた。
唯香さんの言葉を反芻する。
――引き返すなら今だし、一歩を踏み出してくれるなら、私のルールに従ってもらう。
……あの人の『ルール』が『当たり前』になる世界を覗いてみたい。
天使のささやきか。
はたまた悪魔のささやきか。
どう捉えるかは俺次第。
「俺は1%の単純バカだからよ……前しか、見えねえんだ。拒絶されない限りは……後退しない。シンプルにいこう、シンプルに」
退院まであと数日。
唯香さんの胸に飛び込んでみよう。
一歩を踏み出すことを許してくれる、地母神のようなあの人の胸に。
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