第9話 四人歩きの積乱雲


 結局、閃と迅は天上へと帰って行った。一方の碧は、私と一緒に暮らせるようになった。


 しばらく報告書やらなにやらでゴタゴタしたけれど、ようやく家に二人。落ち着いたところで碧から、いくつか話を聞いた。


 閃と迅が碧を迎えに来られなかったのは、雲の流れを乱さないため。ここまで戻って来るのに、七年かかったという。碧はそんなことお構いなしに逆走してきたらしいけれど。



「碧は、パパとママ、好きなんだよね」


「うん。お友達も、たくさんいた。でも、とうさまいないと、寂しい」



 碧はそう言って、私の首に腕を回す。私も抱き締め返すと、首にすりすりと甘えるようにすり寄って来る。ふわふわした耳もしっぽが触れると気持ち良い。碧の中で私の存在がどれだけ大きいのかを実感して胸が温かくなる。



「私がいても、パパもママも、お友達もいないよ? 良いの?」



 私は意地悪だ。安心したい。碧がここを選んでくれた時点で分かり切っていることなのに。



「碧は、みんな好きだけど、とうさまが良い。それに、ここにも、お友達いるもん。ひぃくんも、こぅくんもいるもん」



 ちょっと離れた碧は、にっこり笑ってしっぽをふりふりと揺らす。碧には、たくさんの居場所がある。碧は、そんな中でも私を選んでくれる。それを実感した。



「碧、これからは、雷遊び止めないよ」


「え、良いの?」



 今までは怖くて快くは許せなかったけれど、今なら分かる。碧とは偶然の出会いだったけど、碧の帰る場所はここ。そして、私のそば。それが分かるなら、安心できた。



「うん。もしかしたら、上に行ったときにお友達やパパやママ、友達に会えるかもしれないでしょ?」


「うんっ! 会いに行きたい!」


「ちゃんと誰にも見られてないことを確認してからだよ? そのお約束だけは守ってね?」


「はぁい!」



 碧はピンッと耳を立てて満面の笑みを見せてくれた。私にだって、時々は誰かに会いに行きたい気持ちは分かる。私だって、私、だって。そう、だな。いつかの昔、両親に会いに遠出することがあった。今は、ないけれど。


 遠い記憶。いつかの、私になる前の私。最近その記憶が浮かんでくることがあるけれど、結局それがなんだったのか、よく分からない。



「とうさま?」



 碧が不思議そうに翡翠色の瞳で私を見つめてくる。私は首を横に振って、碧の手を握った。私の過去がなんであろうが、関係ない。今私がそばにいたいのは、碧。先手組の門番としての仕事が誇りで、駅の管理もなんだかんだ楽しい。


 人生が何度あろうと、誰の人生を羨んでも、今が一番幸せだと思えるなら、これでいい。


 思考の世界から戻って、碧を抱き寄せる。



「そうだ。また手習所の通学の申請しないとね」


「うん。今度はね、たくさんお友達作るの」


「そうなの?


「うんっ! お友達の作り方、分かったから」



 碧はにへへ、と照れたように笑う。この一年、天上で経験したことの全てを知ることこそ叶わない。けれど碧の成長を見れば、どれだけ頑張ってきたのかが分かる。それと同時に、どれだけ楽しくて嬉しかったのかも。友達ができた、なんてこんなに笑顔で報告されたのは初めてだ。


 娘の成長は嬉しいもの。とはいえ、こんなに一気にその成長を感じさせられると、妙な寂しさも沸いて来る。


 これからは碧の成長を隣でしっかり見守ろうと改めて思う。当たり前は当たり前ではない。それに気が付くことができた。私は、きっと幸せ者だ。


 後悔は先に立たない。未来だって分からない。それでも今に甘んじてしまう。だって、幸せだから。でも、その幸せが泡のように弾けたとき、もっと大切にすれば良かったと、手放したくなかったと苦しむ。


 そういうとき、大抵は再び元の場所に立ち戻ることはできない。けれど私は、どんな幸運なのか再び碧との暮らしを続けることができるようになった。


 いや、幸運ではない。碧の努力と頑張りのおかげだ。碧が頑張ってくれた分、私は精一杯碧を愛していこう。碧がこれから先、一生笑っていられるくらい。たくさんの愛情を注いでいく。



「碧、今日のお夕飯は何にしようか」


「とうもろこし!」



 やっぱり、とつい笑ってしまう。なんとなく管理を続けていたとうもろこし畑は、ちょうど収穫のピークを迎えている。



「じゃあ、収穫に行こうか」


「うんっ! たくさん採って、ひぃくんとこぅくんも誘って、みんなでご飯したい!」


「えぇっ、来てくれるかなぁ?」


「たまが誘いに行く!」



 碧はそう意気込んで、早速出かけようと草履を引っかける。



「待って、お耳としっぽ。仕舞わないと」


「あっ!」



 碧はうーんと力を入れる。耳としっぽが消えて、人間の姿になる。このとき人間の耳が生えているのだけど、今日もふわふわの髪に隠れている。



「いってきまぁす!」


「待って待って、私も行くから!」



 早く早く、とうずうずしている碧の手を握って、草履を引っかけて外に出る。遠くに見える積乱雲。碧は鼻をひくひくさせる。



「今夜、雷鳴るかな?」


「鳴るよ! 雷の匂いする!」



 碧は嬉しそうに笑って、私の手をぐいぐいと引っ張っていく。身分証を見せて町に入ると、宿場町の手前で曲がる。訓練所には、案の定聖さんと紅焔がいた。



「ひぃくん! こぅくん!」



 碧が全力で叫ぶと、訓練所にいた全員が碧の方を振り向く。本所の窓からも何人か顔を覗かせる。私は申し訳ないけれど笑ってしまった。



「碧、うるさいぞ」


「碧ちゃん! 会いたかったよ!」



 碧と紅焔が一時間ぶりの感動の再会をしている間に、訓練所にいた面々が訓練を中断して碧の方に集まってくる。碧の両親の一件で西門隊の面々は碧と顔を合わせることになった。


 そして当然のことではあるけれど、碧の可愛さに全員が陥落。こうして会うたびに碧を可愛がってくれるようになった。今もお菓子を渡して取り込もうとする人を発見。碧は喜んでお菓子を貰って、彼の想定とは真逆だろう、私の元に走ってきた。



「とうさま! お菓子もらった!」


「そうだね、お礼は言った?」


「あっ! お兄ちゃん、ありがとう!」



 碧がニコニコ笑うと、彼は嬉しそうに、けれど複雑な表情でうんうんと噛み締めるように頷いた。未だ碧に名前を覚えてもらえないことが悔しいらしい。聖さんと紅焔以外はお兄ちゃんで統一。我先に覚えてもらおうといい歳をした連中が必至になっている。


 碧はお菓子を私に預けると、一目散に聖さんと紅焔の元に向かう。そして二人の手をがっちりと掴んだ。



「お夕飯! 今日たまのおうちで食べよ!」



 碧は目をキラキラさせてじぃっと見つめる。そのくりくりした瞳に、紅焔は考える間もなく頷いた。



「もちろん行くよ! 聖さんも行きますよね?」


「いや、オレは」



 聖さんが一歩下がると、その両腕に碧と紅焔がしがみつく。



「行きましょうよ! 碧ちゃんも楽しみにしているみたいですし、春燈さんのご飯美味しいですし。ね? ね?」


「ね? ね?」



 期待に満ちた翡翠色の瞳と琥珀色の瞳。二人からの強い眼差しを浴びて、聖さんは深くため息を漏らして頷いた。



「ったく。今日だけだからな」



 前髪をかき上げる。その呆れたようで、けれど嫌そうではない姿に碧と紅焔はパチンっと両手を合わせた。



「聖さん、ありがとうございます」


「別に良い。うちの嫁も碧の頼みだと言えば何も言わないさ」



 聖さんは実は三人の父親。全員息子さんで、聖さんの奥さんは碧を大層可愛がってくれている。



「あいつ、まだ諦めてないからな。息子の誰かの嫁に碧を、ってよく言ってる」



 そういう聖さんも満更ではなさそうな様子。



「うちの子はまだ嫁には出しませんからね」



 聖さんは残念そうに肩を竦めると、私の肩を叩いた。



「さあ、行くか」


「はい。碧、帰るよ」



 碧は紅焔に抱き着いていたのに、あっさり離れて私のところへ。手を繋ぐと、訓練所の面々に手を振って家路につく。


 町を出て、家まであと少し。四人で並んで歩きながら、ふと空を見上げる。真っ青な青空。



「気持ち良いねぇ」


「うんっ! でも、夜は雷!」



 碧は満足そうに笑って積乱雲を指さす。怖かったはずの雲が、尊く素敵なものに見えた。



【Fin】

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