第26話 幼馴染は水魔導士

 外は茹だるような炎天下だった。時折風が吹き抜けるも、その中に涼しさは感じられない。

 そんな暑さをものともせずに、タクトはぐんぐんと前に進んでいく。


「兄ちゃん! マナが帰ってきてるよ!」

 

 タクトは元気いっぱいに声を張り上げて、数軒先の家に向かって手を振った。

 庭先で洗濯物を干していた青年が、その声に気づいて顔を上げる。

 

 タクトと同じ青い髪は、差し込む日差しを浴びながらきらきらと輝く。

 弟のくるくるとした髪質とは正反対で、彼の髪はさらりとまっすぐに伸びている。

 風に揺れる大きなシーツに合わせて、その髪も軽やかになびいていた。


 ──アルトだ……!

 

 懐かしいその姿を目にした瞬間、胸の奥に暖かい感情が広がった。


「アルトー! ただいまー!」


 見知った姿にマナは大きく手を振って、声を弾ませながら彼の名を呼んだ。

 彼は干してあるシーツに手をかざしながら、駆け足で近づいてくるマナたちに目を凝らしている。

 そして、マナとの距離が縮まるにつれて彼の顔に驚きが混じり始めた。


「……マナ! 本当に帰ってきてたのか」

「うん、昨日の夕方くらいに。アルトも元気そうでよかった!」


 アルトはマナの二つ年上で十七歳。そして、二人は昔からの幼馴染だ。

 青い髪と紫色の薄い瞳は、どことなく涼やかな雰囲気を漂わせている。

 均整のとれた顔立ちで、彼を見た人は『好青年』という言葉を浮かべるだろう。

 

 小さい時から面倒見が良く、マナも何かと世話を焼いてもらっていた。兄的な存在、とも言える。


「マナも相変わらず、元気そうだな。王宮に行って少しはお嬢様らしくなったかと思ったけど、お転婆てんばなところは変わってなさそうだ」


 アルトは目を細めながら、マナの額をつんと指で軽く突いた。

 見た目こそ爽やかな好青年だが、その性格は意外にもやんちゃで自由奔放。

 それでも人情に厚く、どこか憎めない魅力を持っている人物だ。

 

「なんでみんなしてお転婆って言うの⁉︎」


 つつかれた額を手で押さえながら少し顔をしかめるも、マナの表情には怒りや不満はまったく見えない。

 楽しげで、いつものように軽くふくれっ面をしているだった。

 

「ま、変わらない方がマナらしいけどな」


 肩を軽くすくめ口元に穏やかな笑みをのせたまま、アルトはまたシーツに手をかざす。

 その動きに合わせてふわっと風が吹き上がり、シーツが揺れ始める。


「アルト、それ……風魔法?」


 驚いたように尋ねると、アルトは少し照れたように首をかしげた。


「兄ちゃんね! 最近、風魔法も使えるようになったんだよ!」


 そう言ったタクトは、自分のことのように嬉しそうにしている。

 するとアルトは少し困ったように微笑みながら、弟の頭をぽんと軽く叩いた。


「そよ風くらいだぜ? 母親からは『洗濯物がはかどる』って、ますますこき使われてるよ」


 苦い笑顔を浮かべて、彼はまた肩をすくめた。

 

 アルトは生まれながらに水魔法を操る力を持っていた。

 魔力を持って生まれてくる子供はおよそ五百人に一人と言われていて、それだけでも希少な存在とされている。

 

 魔法の資質は遺伝によることが多い。

 アルトの水魔法は、彼の曽祖父からの遺伝だと聞いた。

 また、その力は弟のタクトには引き継がれてはいないので、魔法が使えるのはアルトだけだ。

 

 そして、聖力を持って生まれてくる子供はさらに珍しく、千人に一人という割合。

 マナの場合は、母からの遺伝によるもの。

 

 小さな村に続けて希少な力を持つ子供が生まれてきたことに、当時、村の人たちはみんな驚き感激していたそうだ。


「でも、すごいよ! 水と風を操れるなんて、かっこいいじゃない!」

「どうせなら、えん魔導士の方がよかったけどな。こればっかりは諦めるしかない」


 アルトは少し不満げに顔を歪ませて、ふうと息を吐く。「男なら炎を使える方がかっこいい」と、昔からよく言っていたことを思い出した。

 

 生まれ持ってきた魔力属性は、自分で選ぶことも後から変えることもできない。

 そして炎と水、風と土は、それぞれ反対の性質を持つため、両方を扱うのは非常に難しい。

 どれだけ修行を積んでも片方の魔法しか扱えない人がほとんどなので、最初から反属性魔法の習得は諦めている人が多かった。


「そんなことないって! 魔法を使えるってだけですごいんだから!」

「そうだよ! 兄ちゃんはすごいんだよ!」


 マナとタクトがそろって褒めちぎる。

 二人とも本気でそう思っており、その言葉に少しの偽りもなかった。


「……で、隣にいるその男は?」


 アルトの視線がマナの隣に立つ黒髪の男へと向けられる。

 風に揺れるシーツの間から、彼の薄紫の瞳が一瞬鋭く光った。


 だがレイは何も言わず、顔色も変えないままだ。

 その態度からは、アルトに対する興味や関心がまるで感じられない。

 重い空気が流れたのがわかった。


「彼はね! 私の騎士なの! レイっていって! ここまで送ってくれたりしてくれたの!」

「……へぇ。騎士ねぇ」

 

 その空気感に耐えきれなくなって必要以上に声と顔を明るくして伝えたが、アルトの顔がまた一際鋭くなった気がした。


 ──なんだかアルト、急に機嫌が……。


 不礼儀なレイの態度に機嫌を損ねてしまったのだろうか。

 見たことのないアルトの姿に少し戸惑ってしまう。

 

「ほら、レイも笑って。さっきはちゃんと愛想よくしてくれたじゃない」


 小声でうながすように言うと、レイは眉ひとつ動かさずに切り返してきた。

 

「見返りは?」

「見返り、って……」


 レイはレイでいつも通りすぎて、思わず肩を落とす。

 先ほど伯母おばの前で見せてくれた猫被りの姿は、やはりそう簡単には引き出せそうにない。

  

「マナちゃんじゃない! 久しぶりね!」


 そんな重苦しい空気を吹き飛ばす、晴れやかな声が響いた。

 アルトの母親だ。

 豪快だけど澄み切っていて、よく通る声をしている。

 栗色の髪と畑仕事で日焼けした肌が日々の活力を感じさせて、昔から「頼れるお母さん」という印象の人だった。


「リラおばさん! お久しぶりです!」

「クロエさんから聞いたわよ。昨日帰ってきたんですってね!」


 マナの背中を数回叩きながら、リラは溌剌はつらつと笑う。

 

「はい。でも、また村を出て、旅をしようと思ってるんです」

「あらまあ、そうなの! お母さんと一緒ね。応援してるわ!」


 頼もしくマナを励ますリラの横で、アルトは顔を曇らせている。


「……お前、またいなくなるのかよ」

「ちょっとだけだよ。村を離れて、私は世間知らずだって思い知らされたから。お母さんがそうしたみたいに、私はいろんな経験をして、聖女として成長したいの」


 日記に隠されていたページは、マナの信念を確固たるものへと変えていた。

 

「それに、私が生きている間は、できる限りで困っている人を助けたい。それが生きた証になると思うから」


 大聖女になったら心臓はレイにあげる。この村の人には誰にも言わないが、そういう契約だ。

 なら、それまでに自分のできることをしたい。母のように、聖女として生をまっとうしたい。


「マナまたどこかに行くの? じゃあ、僕が畑で育ててるトマトあげる!」


 タクトは子犬のような笑顔で、先ほどと同じようマナの手を力いっぱいに引く。

 すぐに「こっちこっち」と足早に畑の方へと向かった。

 

「こら、タクト! あんまりマナちゃんを困らせるんじゃないよ!」


 リラは軽くたしなめるよう、タクトに声をかける。

 それでも止まる気配のないタクトに、リラは「本当にあの子は……」とわずかに苦笑しつつため息をついた。

 

「全然大丈夫です! ほら、レイもこっち」


 マナはすぐにリラの方へ振り返ると笑顔を向け、続けてレイに元気よく手招きした。


「……本当に落ち着きがない」


 レイは眉を下げ気怠そうに呟き、重い足取りで二人の後をついて行く。

 

「アルトも、またね!」


 マナは手を軽く振って、アルトとリラのいる庭先から離れていった。

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