第27話 アルトもどかしさ

 ──なんだよ、あいつ。いけすかない男を連れて帰ってきたと思ったら、今度は旅? 勝手すぎるだろ。


 アルトは不満そうにマナたちの後ろ姿を眺めていた。

 自分の知らないところで、マナだけが前に進んでいくような気がする。

 彼女があの男と一緒に過ごした時間が、どうしても気になってしまう。

 

 風魔法も使えるようになったのに、その差は縮まるどころか広がっていくようで、いつか手の届かない存在になるのではないか。

 今までに感じたことのない感情が胸をざわめかせた。


「なんだかマナちゃん、顔つきが変わったねぇ。大人になった感じがするよ」


 母は腰に手を当てながら、にんまりと笑っている。

 自分の娘であるかのように誇らしげな顔だ。

 

 だが確かに、マナから感じる聖力は以前とは違っていた。

 母の言った「大人になった」という感覚ではないが、少なくとも彼女が自分の知らない場所で成長しているのは間違いなかった。


「……昔、ひいじぃちゃんが山から取ってきたっていう花、なんていったっけ?」


 アルトは気を紛らわすように、リラに何気なく問いかけた。


「ああ、透幻華とうげんかのこと?」

「そう、それ。透幻華」


 幼少期に、父から曽祖父の武勇伝を聞かされたことがある。山火事をしずめたとか、洪水から村を救ったとか、そんな話だ。

 曽祖父以来の水魔導士の誕生だったので、それはもう目を輝かせながらいろいろと語ってくれた。

 

 その武勇伝の一つが透幻華。

 村で一番標高が高い山の頂に咲いているらしいそれは、濃い霧が立ちこめる場所にしか咲かない純白の花だという。

 透き通ったような花弁の真白さ故に霧と同化してしまい、肉眼で見つけるのは至難の業とも言われている。

 

 誰もが「幻の花」と呼び、存在すら半信半疑だったその花を、曽祖父は十五歳という若さで見つけ出したのだ。

 

 危険な場所と知りながらも、水魔法を駆使しながら命綱なしに断崖絶壁を越え、そしてついに摘み取った。

 すべては想いを寄せていた人──曾祖母にその花を贈るためだったという。

 

「なに、あんた? 興味あるの?」

「別に」


 アルトは気まずそうにリラから顔を背ける。

 

「ま、そうね。『恋が実る花』なんてロマンチックなものに、アルトは興味ないわよね」


 リラは「あはは」と軽く笑うも、その笑いは一瞬で消え、すぐに真剣な表情へと変わった。

 

「透幻華はね、危険な場所に咲くの」


 緊張感を張り詰めたような母親の声色に、アルトの顔が一瞬こわばった。


「昔、その花を摘み取るために何人もが山に登った。でも転落して……、そのまま帰らぬ人となった。透幻華の名を知ってるのは、今ではうちくらいだって知ってるでしょ?」

「……ああ。危険だから子供たちが興味を持たないように透幻華の話は避けたって聞いた。それで次第に、村では語られなくなったって」


 そう答えると母は静かに息をつき、遠くの山々を見つめた。

 

「そう。山頂付近は霧が濃すぎて足元すら見えなくなるし、風も強いって。おじいさんも、『決して楽ではなかった』って言っていたわ。そういう場所よ」


 声色が落ち着いている分、その言葉には重みがある。

 リラは再びアルトの方へとまっすぐに視線を向けた。


「だから、絶対に、興味本位で行く場所じゃない」


 彼女の眼差しには息子を心配する優しさとともに、抑えきれない不安がわずかに滲んでいる。

 

「興味ねぇって……」


 その目を避けるように視線を外す。

 普段はあまり見ない母親の真剣な表情に、なぜか胸が少し締めつけられた。

 

「……まあ、さ! そんな花がなくったって、あんたの気持ちはマナちゃんには伝わってると思うよ!」


 リラは励ますように明るく笑って、アルトの背中を豪快に叩く。

 そして「洗濯物、頼んだよ」とまた畑の方へと戻っていった。

 

「……余計なお世話だっての」


 母の背中に向かって、ぼそっと小言を吐いた。

 

 ──伝わってたら、こんなムカついた気分になってねぇよ。


 もし伝わっていたのなら、今頃マナの隣に立っているのはあの長髪男ではなく、自分だったのだろうか。

 無意識にくだらないことを考えてしまう。

 しかし、一体何者なのだろう。あの男からは感じたことのない、異様とも言えるような魔力が漏れ出していた。


 ──本当に騎士なのか?


 あの男の隣で笑っている彼女の姿が勝手に浮かんできて、またむかむかと胸の中が騒ぎ出す。


「……透幻華か」


 アルトの呟きが風に舞っていった。


 ꧁——————————꧂


「よく寝たぁ……」


 今日もまた、朝日の光でマナは目覚めた。

 窓の外に目を配り、「楽しかったなあ」と昨日の出来事を思い出す。

 

 アルトと別れたあの後。

 少しだけタクトと一緒にトマトの収穫をしたのだが、すぐにレイは「付き合いきれん」と短く言い残し、ふらりと姿を消してしまった。

 

 追いかけようとしたものの、彼のあまりの速さと、タクトが無邪気に笑いながら収穫を続ける姿を見て、結局その場に留まることにした。


「マナちゃん、タクトの面倒見てくれてありがとう。これ、よかったらクロエさんと食べて」

 

 しばらくして様子を見に来たリラが、お礼にとトマト以外の野菜をたくさん持たせてくれた。

 ありがたくいただいた野菜たちは早速夕飯の一品に並べられ、伯母おばと一緒に美味しく味わった。

 

 そして夜はまた、伯母にこれまでの話をした。

 今度の話題は、妖精たちとの出会い。

 伯母は相変わらずの聞き上手で、昨晩もつい夢中で話し込んでしまったのだった。


 ──今日もいい天気。

 

 大きく伸びをしてベッドから起き上がり、下の階へと向かう。

 

「おはよう」


 リビングにいた伯母に声をかけた。

 今日は昨日より早く起きたこともあり、伯母はまだ畑には行っていなかったようだ。

 

「おはよう。ちょうどコーヒーを淹れたところなの。マナも飲む?」

「飲む! ありがとう、顔洗ってくるね!」


 急いで身支度を整え、リビングの椅子に腰を下ろす。

 目の前に置かれたのは、たっぷりのミルクと角砂糖を二つ落とした甘めのコーヒー。

 マナの定番の分量だ。


「さすが伯母さん、私の好み知ってるなぁ」


 いただきますと一口飲んで、ほっと息を吐く。

 

「成長したと思ったけど、そういうことろは変わっていないのね」


 ふふっと微笑んできた伯母に、マナはちょっぴりと照れた笑いを返した。


 ──こんなに甘くしたら、レイもやっぱり子供っぽいって思うかな。


 そう考えた瞬間、ふるふると小さく首を振った。

 どうして今ここにいない彼のことを思い浮かべてしまったのだろう。

 それに自分の好きなものを飲んでいるだけ、何も恥じる必要なんてないはずだ。

 もやもやした気持ちと一緒に勢いよくコーヒーを飲み干した。


 その余韻を味わう間もなく、玄関の扉を叩く音がリビングに響いた。

 どこか少し、急かされるようなノック音だ。

 伯母が扉を開けると、そこにはリラが立っていた。


「……アルトは、来ていませんか?」


 開口一番にそう言った彼女の声は、若干だが震えていた。

 そして眉間にしわを寄せている顔は、焦りと不安が入り混じっているようにも見える。

 

「いいえ、来ていないわ。どうかしたの?」


 伯母は驚きつつも、優しくゆっくりと問いかけた。

 

「昨日から帰ってきていないんです。財布も置きっぱなしで、街に行ったとは考えづらくて」


 リラの手が胸の前でぎゅっと握られる。


 ──アルトが帰ってこない? 信じられない……。


 不安はマナの胸にも広がっていく。

 昔からやんちゃなところもあるが、礼儀はしっかり通す人だ。

 行き先も告げずに帰ってこないだなんて、彼らしくない。


「やっぱり、マナちゃんのことろにもいないとなると……」


 リラの顔がますます青ざめる。


「……心当たりがあるのね」

「はい……。ベルエスト山に登ったとしか……」


 ベルエスト山は、この村で一番高い山だ。

 幼少期はよくその山のふもとで遊んでいたりもしたが、奥は霧が濃くて危ない場所だから立ち入らないようにと昔から言われていた。

 

 そんな山に、どうしてまたアルトは行ったのだろうか。

 マナは疑問を抱きながらも、リラに向かって声をかける。 

 

「私、見てきます」

「マナちゃんが……? 駄目、危険すぎる」


 リラは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに「女の子一人で行く場所ではない」と引き留めた。


「大丈夫です。昔、アルトたちとふもとでよく遊んでいたので、だいたいの地理はわかっています。それにアルトが行方不明だと聞いて、じっとしてなんかいられません」

「……わかったわ、ありがとう。でも、麓まで。それ以上は行かないで」


 マナの迫真の表情に、リラは言葉を詰まらせながらも首を縦に振った。

 力強くうなずいたマナは、すぐに足を踏み出した。

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