【改稿】鬼に仕える人間たちの夜明け
「どうせあなたは……私たちより仕事のほうが大切なんでしょう?! だったらいっそ……っ!」
俺はハッと目が覚めた。額にはあぶら汗をびっしょりかいていた。
「また……あのときの夢か……」
時計を見ると4時になっていた。そろそろ起きる時間だな。汗をかいていたので、着替えを持って風呂場へ向かった。シャワーを浴びてスッキリした後、スーツに着替えて歯を磨いて家を出た。空はまだ薄暗く、人通りはない。駅のプラットホームには俺と同じように始発を待っているサラリーマンがちらほらいた。電車に揺られること1時間。
『次は――新宿』
オフィスは駅から徒歩10分くらい。俺はオフィスを眺めながら深いため息を吐いた。
(今日も長い1日が始まるなあ……)
中に入ると、「よっ! 澤田」と背中を叩かれ、思わず「わぁあ!」と声が裏返っちまった。振り向くと、同期の桐谷が笑顔で立っていた。
「おい! 驚かせるなよ。寿命が縮まっただろうが……」
「アハハ! 情けない声だなぁ。そんなんじゃ戦えないぞ!」
「お前は元気だな……」
「俺だって限界だよ。よし! ストレス発散を兼ねて今晩飲みに行かないか?」
「いいね」
俺たちが呑気に喋っていると、周りの社員たちが走り出した。
「おいお前ら! いつまで油売ってんだ? 早く仕事始めねえと。なんたって今日は……」
同じ部署の同志が慌てた様子で俺たちに言った。俺たちもデスクへ向かおうとしたそのとき……。空気がピリっと張り詰め、入口から重たい足音が響いてくる。
「おはようございますッ!」
誰かが声を張り上げ、全員が一斉に姿勢を正す。現れたのは、濃紺のスーツに真っ赤なネクタイを締めた、鬼島社長だった。社長は恰幅がよく、強面でいつも黒塗りの杖を持っている。
「今日の予定はどうなっとるんじゃ? 麗子!」
社長の一歩後ろを歩いてる秘書の鬼頭麗子は常に無表情で赤縁メガネをかけている。彼女は手帳を見ながら、淡々と言った。
「本日の社員たちは帰宅不可となっております」
「おお! ええのう。それじゃあ、わしの利益のために、しっかり働いてもらおうかのう!」
ガッハッハと高笑いと共に社長室へと消えていった。俺たちは深いため息を吐いた。
「……今日は無理そうだな」
そうボヤくと桐谷に肩を叩かれた。ここ鬼ヶ島カンパニーは超がつくほどのブラック企業。そのことは入社してから気付いた。だってネットの評価にはそんなこと書いてなかったから……。今思ったら都合の悪い情報を消してきたんだろうな。とにかく社長の出勤日は社長が帰るまで帰れないという暗黙のルールがある。それ以外の日でも大体終電近くなってしまうのに……。なんとかやっていけてるのは毎月もらってる給料のおかげだ。
業務を始めてちょうど1時間が経った頃、麗子が人事部に現れた。
「皆さんに重要なミッションを与えます。本日より始まる中途採用の面接対応についてですが、今回は“働きやすさ”と“ワークライフバランスの徹底”をアピールする方針です。実際の業務時間・休日取得状況についての質問があった場合は、“現在改善を進めている”または“プロジェクトの繁忙期に限る”という表現を使用してください。以上です」
読み上げた資料をぱたんと閉じる音だけが静かに響き、俺たちは言葉を失った。
(つまり……ウソをつけってことか)
「この前中途で入ってきた人さ、心的ストレスで一週間で辞めていったよな」
「また犠牲者を出す気かよ……」
誰かの呟きに、彼女の目が赤く光った。
「……何か文句でも?」
そのひと言で空気が凍りついた。誰も反論できず、目を合わせないように、みんな俯いた。
「何もないようなので、失礼いたします」
麗子が踵を返し、ヒールの音だけを残して去っていく。その足音が完全に消えた瞬間、ふっと誰かが息を吐いた。
「……ここで働きたい奴なんてさ、よっぽどの物好きだよな」
俺も画面を見たまま、小さく相槌を打った。
「……そうだね」
俺たちには当然昼休みもなく、仕事をしている。出勤前に買ったエナジーゼリーを流し込みながら。
結局、この日社長が帰ったのは深夜1時。終電なんかあるわけもなく、当たり前のように会社に泊まった。
そんな日々が続いたある日、俺はとうとう限界を迎えた。
文字を入力しているとき、手に違和感があった。なんだか分からないけど震え出したのだ。
「お前大丈夫か? 顔色悪いぞ」
「だ……大丈夫。ちょっとエナドリ買いに行ってくる……」
視界がグルグル回る。上手く歩けずに足がもつれて倒れてしまった。
「澤田! おい!」
桐谷の声がだんだん遠くなる。俺はそこで意識を失ってしまった。
次に目が覚めたとき、医務室のベッドの上にいた。腕には点滴が打たれている。
「よかった。気がついたんだな」
桐谷が安堵の表情を浮かべている。
「目が覚めましたか?」
俺が倒れたことを聞きつけて麗子がやってきたらしい。腕時計を眺めながら俺に冷たい言葉を投げかけた。
「そろそろ勤務に戻ってください。サボった分の仕事が溜まっていますので」
「お言葉ですが、今日は早退させてあげてください! 仕事は俺たちが代わりに……」
桐谷が掛け合ってくれたんだけど、最悪なことに社長もやってきた。
「この件、人事に記録しとくけぇの。今期の査定……期待せんほうがええわ」
虫けらでも見るかのような目で、俺を一瞥して出ていった。
(給料下げられたら困る……)
みんなの制止を振り切って、体に鞭打って仕事に戻った。
その日は社長が珍しく早めに帰宅し、久しぶりに家に帰れる。プラットホームで電車を待っていたとき、ふと家族のことが脳裏をよぎった。
『最近、ユキがあなたの顔を思い出せないって言ったの……』
『……あなた、家にいつ帰ったか覚えてる?」
『どうせあなたは……私たちより仕事のほうが大切なんでしょう?! だったらいっそ……別居したほうがいいと思うの。ユキのためにも』
俺は一体……誰の為に仕事を頑張っているんだろうな……。もう生きてることにも疲れた。
(ラクになりたい……)
気付けばホームの端に立っていた。
『まもなく下り電車が参ります。危ないですので、黄色い線の内側に……』
駅員のアナウンスと電車の警笛と共に入線。俺は無意識に線路に身を投げようとした……そのとき。
「危ない!」
誰かに手首を掴まれて引き戻された衝撃で体を打った。
「何やってるんですか!? 死にたいんですか?」
見上げると、そこには頭に白い鉢巻を巻いた見七三分けの見知らぬ若い男が立っていた。まるで昔話に出てくる人物みたいな――それよりも……。
「……死なせてほしかった」
俺がそう呟くと青年は手を差し出した。
「よかったら話を聞かせてください」
電車に揺られながら青年と話をした。
「実は俺……鬼ヶ島カンパニーに勤めてて」
「そうなんですね。僕も名前は聞いたことあります」
「辞めたいけど、家族がいるから辞められなくて……」
「なるほど。そういうことなら僕に任せてください」
どういう意味か聞こうとしたら、彼は次の駅で降りてしまった。
その謎は翌日に明かされた。
「今日からお世話になる桃太郎と申します! よろしくお願い致します!」
俺は驚きのあまり開いた口が塞がらなかった。しかも彼の指導係にされちまった。
「澤田先輩! よろしくお願い致します」
「う……うん。よろしく」
桃太郎は常に笑顔で俺たちに接してきた。そして、いざ仕事をやらせると覚えがよく、卒なくこなしていく。そして、18時には笑顔で帰宅。こんな新人は初めてだ。
彼が来てから異変が起きた。18時になるとパソコンが強制シャットダウンされるようになった。社長がシステム部に怒鳴り込んでいたが、彼らもこの現象は初めてらしく、朝9時からじゃないと起動ができないようにハッキングされてると。
(一体誰が……)
「あちゃーー。これじゃあ仕事になりませんね。皆さん帰りましょう」
呑気な顔をしている桃太郎を見た社長が激怒した。
「仕事はどうすんじゃ! 今日のぶん、まだ残っとるじゃろうがァ!」
その様子を隣で見ていた麗子が深いため息を吐いた。
「仕方ありません社長。今日のところは帰らせましょう。また明日やらせればいいかと」
社長はフンっと鼻を鳴らして去っていった。
「おい澤田! 飲みに行こうぜ!」
「うん!」
こんな時間に帰れるなんて初めてだ。桐谷と楽しく飲んで、ほろ酔いで帰宅した。明日は9時に行けばいいなんてサイコーだ。シャワーを浴びてベッドにダイブ。気付いたら寝落ちしていた。
翌朝、頭がスッキリしていて仕事の効率も上がった気がする。
「これで休みがあったらサイコーなんだけどな」
「さすがに贅沢だろ」
俺がそう呟くと、社内メールが流れてきて、それを読んだ社員が雄叫びを上げた。俺も急いで確認する。
【総務連絡】
『社内環境改善の一環として、今週より土日を休業日といたします。出社してもオフィスには入れません』
なんだか桃太郎が来てからどんどん会社が変わっていく。
(彼は本当にただの新人なのか?)
俺は彼のことが気になっていた。だけど、とある出来事で彼のことを知ることになる。
ある日出勤したとき、3人組がオフィスに入っていくのが見えた。
(見たことない人たちだなぁ)
パソコンを起動させているとき、先ほど見た連中がフロアに入ってきた。雉みたいな長身の男に犬顔の小柄な女、無造作ヘアの猿みたいな男。
「皆さん手を止めてください。これから業務監査を行います」
監査? 今まで来たことないぞ。俺たちが驚いていると、「犬塚、猿渡始めろ」と長身の男が指示を出した。彼らが調査を進めているとき、桃太郎は笑顔で見つめていた。監査のことを聞きつけた社長と麗子がやってきた。
「お主らなんしよんじゃ、コラァ!」
すると、桃太郎が立ち上がった。
「何って、正式に調査してるんですよ」
笑顔を消し、彼は静かに言った。
「冗談抜きで、これ以上は見過ごせませんから」
「桃太郎くん……キミは」
俺が口を開いたとき、彼らが騒ぎ出した。
「雉野さん! 問題点がすでに改善されています」
「雉野さんこっちもです! 課題が見つかりません……」
「なんだと!? それは一体どういうことだ。はっ……まさか!?」
彼らは桃太郎を見る。すると、彼は明るい声で「ごめん雉野、猿渡、犬塚。我慢できなくて動いちゃった!」と。彼らは口々に文句を言っている。
「桃太郎くん。キミ労基の人間だったの?」
「黙っててすみません。実態を調査するには潜入したほうがいいと思いまして」
明かされる事実に驚きを隠せない。それから桃太郎は社長と麗子をキッと睨みつけた。
「あなた方は経営者失格です! 力で社員たちを権力で抑えつけようとして……反省しなさい!」
桃太郎にこっぴどく叱られて2人からは威厳が薄れていった。
「利益ばっかり見とって、大事なもん見失うとったわ……」
「社員の声より、社長の顔色ばかり見てました。申し訳ございません」
社長たちが俺たちに頭を下げた。
「まだまだ課題もあります。皆さんでこの会社を良くしていきましょう」
「ありがとう桃太郎くん。俺たちじゃ、声を上げることもできなかった……」
彼は俺に笑顔を向ける。
「澤田さん。あなたにはまだやることがあるんじゃないですか? 早く帰ったほうがいいですよ」
(帰っても誰もいないのにな……。)
言われるまま帰宅して玄関を開けると、聞き覚えのある声が響いた。
「あなた。おかえりなさい。ユキ、パパ帰ってきたよ!」
「パパ……」
「何で……?」
2人は確かに5年前に出て行った。なのに突然どうしたんだろう……。
「桃太郎さんって方から、あなたの職場が変わったって連絡があったの。今後は家族との時間もお約束しますって。それをユキに話したらパパに会いたいって言ったから帰ってきたのよ」
大きくなったユキを見て涙が溢れる。俺は2人を抱きしめた。
「今までごめん! 家族サービスもする! だから家族をやり直させてほしい!」
するとユキが俺に抱きつき返した。
「約束だからね! 絶対! 絶対!」
「もちろん」
「良かったねユキ」
ユキが俺に甘える姿を見て妻が微笑む。
「ユキ、パパに『おかえり』って言ってないんじゃない?」
「そうだった! パパおかえり!」
涙を腕で拭って俺は笑顔を向けた。
「ただいま!」
おわり
※桃太郎パスティーシュ
オレンジ文庫用短編小説集【公募】 ゆずか @mimie1118
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