8話 Respect the situation

 それからと言うもの、入院したジャックの元には医者が来たり、警察が事情聴取に来たりと様々な人間が訪れた。

 だが、ジャックがは訪れなかった。


 いやいや、諦めるな。クラウンはいつも俺の気が緩んだ時に現れるし、不意を突いてくる奴だ。だからきっと、今に現れるだろう。


 ジャックは「これが自分の、本当の現実なんだ」と受け入れそうになる自分にこうして活を入れながら、滾々と流れる時に身を置いていた。


 カチカチ、カチカチと時計の針は何度も「十二」の文字盤を過ぎ、太陽は何度も東から昇り、西へ沈んだ。


 そして……ジャックは、廃人と成っていた。

 麻薬を使用した後に待つ、特殊な効果のせいとも言えるのだろうが。彼を廃人として仕立て上げている主な材料は、別の所にあった。


「クラウン、何故お前は現れてくれないんだよ」

 ジャックは呆然と呟いてから、病院の白天井を見つめる。

 清潔感が目に見える白色ばかりが広がっていた。そこに、黒は見えない。


 ツンと鼻腔に刺激が通る。

 ジャックはキュッと唇を真一文字に結び、そっと目を閉ざした。


 ……今にクラウンが現れて、この世界を変えてくれる。

 もう、そんな考えは捨てるべきか。


 ボソリと内心で独り言つと、「そんなの駄目だ」と反駁する小さなジャックが現れた。

 だが、ジャックはその小さな声を無視して「そうだ。クラウンなんて、俺が作った化け物に過ぎなかったんだ」と淡々と言葉を継ぐ。


 俺が、おかしくなっていただけなんだ。

 俺が現実だと思って生きていた世界は、全部、麻薬が見せる幻覚だったんだ。

 だから凄まじい悍ましさと恐ろしさがある世界だったんだよ。


 麻薬は俺を常習化させようとしていたばかりか、薬の効果を失う事を潜在的に恐れさせていたんだ。

 中毒ってもんは普通を嫌い、自分の力が薄れる事を恐れるものじゃないか。


 ジャックの口から、重々しく、長ったらしいため息が吐き出された。


 薬を投与され過ぎて、記憶が混濁しているだけで、この現実が俺の「本物」だったんだ。

 違うと思い続けていたのは、俺の奥底が自分の現状を嫌っていたからに違いない。

 だからこの世界は違うと背を向け、麻薬が創り出した「甘美」に飛び込んだ。

 ただ、それだけの話だったんだ。


「……だから、クラウンなんて居ないんだ」

 哀愁が纏う決定が吐き出された、次の瞬間だった。


 シャーッとカーテンの仕切りが開かれる。

 ジャックはハッとして、そちらに顔を向けた。


「お加減はどうですか、ハーヴィーさん?」

 点滴を交換しに来ましたよ。と、クリスと言う名札を付けた若い女性のナースがジャックの病室に入ってきた。


 初めて訪れるナースだ。

 普通の茶色よりも落ち着いた色を持った髪は肩辺りまでの短さだが。くるんくるんと激しく付いた癖を伸ばせば、もう少し長くなる事だろう。

 顔は、下半分が大きめのマスクで覆われている為に分からない。だが、マスクが覆わない目の部分は、パッチリと可愛らしい目をしていた。


 ジャックは少し現れてしまった落胆を息と共にゆっくりと飲み込んで、「お願いします」と頼む。

 クリスはニコリと目を細め「はぁい」と、朗らかに答えた。


 ジャックは彼女の顔を一瞥してから、軽く組んでいる手元に視線を落とす。


 ……はぁ。やっぱり、クラウンは来ないよな。

 いやいや、来る訳ないんだ。

『自分で居ないと決めたばかりなのに。なんで期待なんかしているんだろうな、俺は』

 心中でボソリと自嘲じみた独り言が零れる。すると


「期待する事は良い事じゃないか、ジャック」

 すぐ横から聞こえてきたのは、朗らか且つ艶やかな声。

 忘れる事なんて出来ない程の衝撃を含んだ、クラウンの声だ。


 ジャックの全てが、バッとそちらを向く。

 そこには、クリスと言うナースがパチッと点滴を変え終えているだけで、クラウンの姿はなかった。


 い、今。今、こっちから、アイツの。クラウンの声がした……よな?

 ジャックはギュッと眉根を寄せた。


「く、クラウン?」

 ボソリと呟く様にして名を呼ぶと、「クリス」がジャックの顔を見据える。


 クリスは顔にかかる大きめのマスクの紐に手をかけ、ゆっくりと外した。

 困惑に襲われ、ポカンとするばかりの彼に向かって、覆い隠していたものを見せつけたのである。


 ジャックの心臓が、ドクンッと大きく鼓動を打った。

 信じられないと言わんばかりの自分に言い聞かせる様に、目がハッと大きく開かれていく。無論、口も同様だ。下唇が支えを無くし、あんぐりと下がっていく。


 どろどろと崩れていくレオンの内から現れた、あの、相貌だ。甘い微笑を称えながらも、そこには鮮烈な恐怖しか存在していない。


「ハァイ」

 わざとらしく間延びした挨拶に、にんまりと歪む口。


 ジャックの鼓膜を震わせた声にかかりかけていた、幻聴と言うヴェールがバッと勢いよく剥がされていく。

「クラウン!」

 ジャックは張り叫んだ。

 その声に一番含まれているのは恐怖なのか、興奮なのか。はたまた、歓喜なのかは分からなかった。勿論、ジャック本人も。


「やはりお前は居るんだな! そうだな? 俺の幻でも何でもなく、お前は存在するんだな! 嗚呼やっぱり俺がおかしくなっていた訳じゃないんだ! お前が現れた! つまりこの世界は作り物だ! 俺の本来の世界なんかじゃないんだな!」

 ただ、胸の内に溜まっていた言葉が、次から次へと飛んで行く。


 クラウンはジャックの言葉の数々にふぅと大仰に肩を竦めて「勿論、僕は存在するよ」と、笑った。

「けど、そう言う君はどう?」

 端から見れば、柔らかな微笑だが。ジャックの目にはそんな風に映っていなかった。


 悪魔が何かを企んでいる時の笑みに、ジャックの顔にグッと強い警戒が込められる。


 しかし、クラウンは急激に高められる警戒を前にしても、何も変わらなかった。

 ニコリとした微笑を称えたまま「君は、ちゃんと存在しているのかな?」と、尋ねる。


 ジャックの口から「は?」と、一言がポロリと零れた。

 思いも寄らない問いかけが、声帯にヒタヒタッと張り付いてしまったのか。その声は、ひどく掠れていた。

「どう」

「そうだね、確かに君は存在しているよ」

 クラウンはジャックの言葉を聞かずに、「でも」と一人勝手に朗々と言葉を継ぐ。

「一体、どこに存在しているんだろうね?」

 不気味な不明が、ジャックの思考にもわもわと厚くかかり始めた。


 ……どこに、だって?

 まるで意味が分からない。コイツは一体、何が言いたいんだ?


 呆然と止まりかける頭に、ボソリと憤懣の一つが並んだが。ジャックはゴクリと唾を飲み込み、「いやいや、コイツの言葉の真意なんて初めて会った時から分からなかったじゃないか」と、呆気に取られるばかりの自分に活を入れた。


 そしてジャックはギロリと目の前の悪魔を睨めつけ、「もう訳の分からないのはうんざりだ!」と、怒声を張り上げた。

「俺はちゃんと存在している! だが、この世界は俺が居るべき世界じゃない! 俺の生きる世界じゃないんだ! この世界は、化け物のお前が作り出した可笑しな世界なんだから!」

「嗚呼、ジャック」

 猛るジャックの手に、サッと手が伸びる。


 ジャックの両手は捕らえられた。血が巡る温かさを感じられない手に、ジャックの全身は一気に粟立つ。


 ジャックはヒッと息を呑み、手を直ぐさま引き抜こうとした……が。冷たい牢獄からは逃れられなかった。


 クラウンはニタリとした笑みを浮かべて、「ジャック、ジャック」と、ポンポンと内側で怯える拳を優しく宥める。


「君が、そう思ってくれているなんて本当に嬉しいよ。でもね……でも残念ながら、違うよ。違うんだよ、ジャック」

 怯えが支配する顔の前で、キュッとわざとらしく眉根を寄せて、ふぅと可愛らしくため息を吐き出した。


「な、何が、違うんだ?」

 ジャックは目の前の悪魔に向かって、恐る恐る口を開く。

「何も、違わないだろう」

「いいや、違うよ」

 クラウンはキッパリと言った。


 ポンッと、ジャックの拳を叩いていた手が止まる。

 ぞわりと総毛立つ程の冷たさが、グッと力を増した。


「君はもっと自分を知るべきだ。いや、理解するべきと言うべきかな。僕を化け物だなんだと誹る前に、自分は何なのかをちゃんと理解するべきだよ」

「……自分を理解する、だって?」

 ジャックは戦々恐々と囁く。


 クラウンは「そうだよ」と、朗らかに首肯した。

「それが、この世界の止め方さ」

 ジャック。と、不気味に歪んだ口が彼の名を囁いた。


 そしてようやく、纏わり付いていた恐怖がゆっくりと剥がれていく。

 ジャックの身体からストンッと強張っていた力が抜け、ホッと大きく肩が落ちた。


 しかし、安堵したのも束の間。突然、ボコボコッとジャックの腕に繋がる点滴の管が大きくさざ波を打つ。


 ジャックはギョッとし、慌てて点滴針を外そうと動いた……が。

 ドクンッ

 ジャックの神経に雷が迸った。


 なっ、何だ……?

 突如自分を襲ったものの正体を掴もうとするが。必死に張り詰めようとする意識は、緩んでいくばかりだった。


「く、クラウン……また、お前、が」

 全てを元に戻そうと手をよろよろと伸ばし、ジャックは必死に抗う。


 しかし、ぐにゃりぐにゃりと歪んでいくばかりか、とろんとろんと薄れ始めた。


 嗚呼、クソ。またか、またなのか。

 また、俺はおかしな世界で生きなくちゃいけないのか。


「さぁ。新章の始まりだよ、ジャック」

 ……薄れ行く意識の最後に映った笑みは、何一つとして変わらなかった。

・・・

 ちょっと長くてすみません!ここで、椿野小話です😳

 サブタイのRespect the situationは、クリス(クラウン)がマスクを外し「はぁい」と満面の笑みで言う所だけです。

 この場面は、とある映画のワンシーンのリスペクト・オマージュなのですが。何の映画だか、分かりましたか?😳

 そうです!映画ダークナイトより、ヒース・レジャー演じるジョーカーが入院したハービーの元に訪れる場面です!(ご覧になっていない方がいらっしゃいましたら、ネタバレですみません😭)

 私、ヒース・レジャーのジョーカーが大好きでして……あ、勿論、ホアキンのジョーカーも大好きです(´∀`*)ヒースもホアキンも、あの演技、やばくないですか😳それぞれ良さがある事は勿論、あの格好良さには痺れちゃいます😳

 バットマンの知識は零と言っても良いのに、彼等の演技に魅了され、ジョーカーだけは好きなんですw

 バットマンファンの方には「舐めてんのか!」って怒られそう😱すみません、怒らないでください……😭

 

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