7話 He wants that
ん。と、小さな吐息が零れた事を契機に、瞼がゆっくりと上がった。
目覚めを感じた意識がじわじわと全身を巡り始め、端々にピタリと到達していく。
すると「目が覚めましたか」と、ハスキーな声が身近で飛んだ。
……誰だ? こんな声は聞いた事がないぞ。
ジャックは身近で飛んだ声に不審を抱いたが。徐々に覆っていた霧が晴れるかの如く、彼は傍らに居る存在をハッキリと目にした。
ナース服を身に纏っている、四十を過ぎたであろう年頃の女性。仕事の邪魔にならない様にしているのか、煌々と赤に輝く髪の毛はバレッタでがっつりと纏められていた。
そして彼女は、この病院でのベテランナースと言う域の存在なのだろう。ジャックの枕元にある点滴を手際良く、パパッと変えながら、ベッドに横になるジャックに顔を向けて尋ねた。
「今、先生を呼んできますけど。お体の具合はどうですか?」
ジャックは、彼女の問いに「えっと」と口ごもる。
目覚めた世界にナースが登場したばかりか、自分は点滴に繋げられていると言う事が分かると、一気に混乱が襲ってきたのだ。
「何故?」「どうやって病院に来たんだ?」「今は、現実の世界の病院に居るのか?」
次々と困惑に塗れた疑問が並ぶ。
「……あの、自分はどうして病院に?」
ジャックはぎゅうぎゅうに押し詰める疑問に耐えられず、ボソリと吐き出した。
「救急車で運ばれてきたんですよ、とある黒人男性からの通報で」
ベテランナースは淡々と答える。
「運ばれた貴方を検査すると、大量の薬物が検出されましたから。今は身体に残る毒物を薄め、流している最中と言う所ですね」
カチッと新たに点滴を流し始めると、ベテランナースは「では、先生を呼んできますね」と身を翻し、カーテンの仕切りからパッと飛び出して行った。
大量の薬物、とある黒人男性の通報、救急車で運ばれた……。
ジャックの中で訥々と彼女の答えが繰り返されると、ぶわりと並んでいた疑問が一つ、また一つと姿を消していく。
そうして、消えていく場所の中から「答え」が浮かび上がった。
……この世界は、何も変わっていない。
クラウンの新しい世界なんかじゃないんだ。
ジャックの全身だけに、ずうぅんと物々しく重力がかかる。
ジャックは、硬いベッドの内にめり込んでいく心地に陥った。
馬鹿馬鹿しい、そんな訳がない!
ジャックは茫然自失と成っていく自分を叱咤し、ギュッと目を瞑る。
開かれていた光が、瞬く間に閉ざされ、暗闇が襲った。
嗚呼、きっとこれは夢だ! だからまた目を開ければ、違う世界になっているはずだ! 嗚呼、そうとも! この世界は、馬鹿馬鹿しい夢の世界なんだ!
暗闇にグッ、グッと力を込め、一層黒を強めさせる。
そこで、どれほどの時間を漂っていたのかは分からない。
もう充分だろう。と、ジャックは強めた暗闇の中からゆっくりと這い上がった。
じわじわと光が差し込むばかりか、朧気に歪む世界が鮮明になっていく。
開かれた双眸が捉える世界、それは……
「か、変わらない」
ジャックの口から、絶望が弱々しく吐き出された。
そう。世界は何一つ変わっていなかった。
真っ白な天井も、自分をここに繋ぎ止める点滴のチューブも。鼻腔を貫く、病院独特の匂いも。耳に入る、バタバタと廊下を慌ただしく駆ける人々の足音も。
まるで、変わっていなかった。
「そんな。この世界が、俺の本来の世界だって言うのか?」
嘘だ、嘘だ、嘘だ。
ジャックの目から。いや、心から、悲痛な叫びが零れ始める。
「違う。こんなの、俺の世界じゃない。頼む、変わってくれ。この馬鹿げた世界を変えてくれ!」
……彼は、求めだした。
あれほど嫌い、あれほど恐れた存在を……クラウンを、彼は強く求め始めたのだ。
しかし身体にのしかかる絶望は、まるで軽くならなかった。
「頼む、クラウン! 俺を元に戻してくれ! この世界を変えてくれぇ!」
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