3話 Find out the cause
それからのジャックには平和が、いや、本来の日常がすっかりと戻っていった。
仕事も家庭も変わらぬままで、狂気的な恐怖に襲われる事もない。
故に、ジャックの中で「あの時」が夢だと言う確信を帯びて薄れ始めていったのである。
戻って始めの頃は、ジャックの胸中はヒヤヒヤとするばかりで、クラウンの影に怯えていたものだ。
どんな話も打ち明けられるハンナにすら、あの時を語ろうとしなかった。
打ち明けてしまったら、マズい事態に陥るんじゃないか。
そんな不穏が拭いきれず、ジャックは身動きが取れなかったのだ。
一方のハンナは、ジャックが何かに怯えていると分かっていたが、根掘り葉掘り聞こうとはしなかった。
しかし、互いを大切に想い合うが故に生まれる気遣いは、滾々と流れていく時と共に薄れ、いつしかなくなっていく。
そんな時だ。ジャックが、ハンナに「あの時」を打ち明けたのは。
怖がりな彼女にはあんまりにも刺激的過ぎる為に、端折ったり、曖昧に語った部分もあったが。自分を狂気的な世界に陥れた存在の事だけは、しっかりと伝えた。
「俺の世界が狂った原因は全て、クラウンにあると思う」
厳しい面持ちでキッパリと結ぶジャック。
ハンナは夫が戦々恐々と語る話に、真剣に耳を傾けている。その面持ちには、いつもの朗らかさはなく、険しいばかりであった。
「何がどうなっていたのかは、今でも本当に分からない。けど、牢獄で目覚めた時から、俺はすでにクラウンの世界に引き込まれていたんじゃないかと思うんだ」
ジャックはボソリと独り言つ様に、考えを吐き出す。
ハンナはその考えに「そうね」と、静かに頷いた。
「私にも貴方が体験してきた世界が何だったのかは、分からない。でも、夢だったにしろ、現実だったにしろ……恐ろしい世界って言う事には変わりないわ」
彼女は、テーブルの上に置かれたジャックの両手に手を伸ばし、ぎゅうっと包み込む様にして握りしめる。
「大丈夫よ、ジャック。ここは貴方のよく知る現実だから、もうそんな事にはならないわ」
ジャックの胸に、ハンナの温かい優しさがじんわりと蕩けていく。
ジャックはフッと柔らかく相好を崩し、「そうだね」とぎゅうっと彼女の手を握りしめ返した。
ハンナは返された力に口元を綻ばせるが、すぐに真剣さを取り戻して「でも」と言葉を継ぐ。
「その話、カウンセラーにも打ち明けた方が良いと思うわ。そうしたら心も落ち着くだろうし、今の貴方が無理に割り切ろうとしている恐怖が少し和らぐかもしれないわよ」
ジャックはハンナの提案に、軽く目を見開いた。
あまりカウンセラーを利用した事がないから、全く考えが及ばなかったが。確かに、カウンセラーにかかってみるのも一つだ。
かなり頭がおかしい奴だと思われるかもしれないが。そこで幾らか心が和らぐかもしれないし、原因だって分かる可能性のあるのだから行ってみるべきじゃないか。
ジャックは「あぁ、そうしてみるよ」と、ハンナの提案を受け入れる。
「丁度、明日は土曜で休みだから。近場のカウンセリングに行ってくるよ」
「近場で適当になんて駄目よ、腕の良いところを探した方が良いわ」
ハンナは鋭く突っ込むと「あ、そう言えば」と、何かを思い出した様にスマホを取り出し、サッサッと指を滑らせ始めた。
「クレアの友達がカウンセラーをしていたわね。結構腕が良いって評判らしいのだけれど。えーっと、名前はなんて言ったかしら。アディス、だったかしら」
「アディス?」
ジャックはポロッと零れた名前を繰り返すと、「結婚式で会った気がするなぁ」と呟く。
「結婚式? 私達の?」
「いいや。ティムとクレアの結婚式で、だよ」
「あら。じゃあ、やっぱり連絡先がどこかにあるかもしれないのね」
ディスプレイを滑る指先が、更にスッスッと素早く上下に動き出した。
ジャックは徐に立ち上がり、彼女の天頂に「ありがとう」とキスを落とす。
ハンナは「良いのよ」と画面に目を落とし続けながら、朗らかに微笑んで答えた。
その翌日。
ジャックは白衣を纏った女性と対峙していた。
日系の血が、彼女の中に流れているのだろうか。肩辺りで切り揃えられた黒髪と黒曜石の様な瞳。そして実年齢よりもやや幼く見える様な顔立ちから、そんな事を思えた。
「ハイ、ジャック! アディス・ラングレーよ。今日はよろしくね」
アディスはパッと花が咲いたかの様な笑みで、サッと手を差し伸べる。
ジャックは「ジャック・ハーヴィーだ」と、差し出された手を握って答えた。
「今日は時間を取ってくれてありがとう、アディス」
「良いのよ。貴方とは友達みたいなものでしょ、だから何も気兼ねする事ないわ。遠慮もなしよ」
お金だけは気にするけれどね。と、アディスはフフッと蠱惑的な笑みを零した。
ジャックは「勿論、分かっているよ」と、大仰に頷いて答える。
アディスは「それは良かった」と悪戯っ子の様な笑みで答えてから、「こっちに座ってちょうだいな」と、中央に置かれたリクライニングソファを勧めた。
ふかふかのクッションに、身体が緩やかに沈んで行く。手元にリクライニングのレバーがあり、患者が好きな体勢で話せる様になっている。
リクライニングソファと言い、清潔感と平穏を纏めた部屋の作りと言い、バックグラウンドで流されているクラッシックと言い、来院した患者がリラックス出来る様に尽くされていた。
「まぁ、リラックスしてちょうだいな」
アディスはジャックが座るソファ前にある、小さな丸椅子に腰を下ろして言う。
「まず、話す事は無理に話し出そうとしなくて良いの。好きなタイミングで、好きな事を話してくれれば良いから」
前座があった方が良いって言うならそうするし、いきなり本題でも構わないわ。と、彼女は柔らかく相好を崩した。
「オッケー。じゃあ早速だけど、本題から初めても良いかな? かなり参っているから、早くどうにかしたいんだ」
「勿論よ」
アディスは朗らかに首肯する。
ジャックはソレを見るや否や、ゆっくりと口を開いた。
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