第一章 3

 箕島は改めて資料を受け取って読み込んだ。刺された相手は〈双和会〉の構成員の依田よだ道雄だ。かつて、まだ薬物関連の罪が重くなかった頃、一度逮捕され実刑三年の懲役刑を食らっていた。だがその後、組に復帰している。しかも今では若頭補佐という要職に就いていた。双和会に事務所は中区の若葉町にあったが、依田自身は大船に住んでいる。微妙な近さだ。桝野と顔見知りと考えられなくもない距離だ。とにかく桝野の周辺を調べてるのが先決だろう。まずは藤沢に行ってみよう。箕島は立ち上がった。すると鈴木にちょいちょいと手招きされた。

「ウチからは人手が出せないから応援を頼むことにした」連続強盗犯の案件が落ち着いた途端にベテランの阿部と笹本がインフルエンザに罹ったのだ。二人はずっと一緒に動いていたので、罹るのも同時というわけだ。

「藤沢皆に署に頼んである。藤沢に詳しい奴と一緒のほうが何かと役に立つでしょ」

 行けばわかるようになってるから。鈴木はそう言って箕島を送り出した。


 箕島が藤沢南署に到着すると、何故か正面玄関の脇で見知った顔に出会った。

「お疲れさまです」箕島は頭を下げた。

「おう。ちょっと付き合え」そう言って署内には入らずに裏に向かって行った。箕島は仕方なくついて行く。刑事第二課暴力犯係の係長だった記憶がある。鈴木の後輩で何度か顔を合わせていたが、挨拶をした程度だ。確か──滝本という名前だったか。

 滝本は喫煙所に到着するとすぐに煙草に火を点けた。そしてすぐに手を差し出した。

「えっと?」

「資料」

 鈴木は恐らく滝本に頼んだ。やはり上が承知しておかないといけないのだろう。箕島は滝本に資料を渡した。

「煙草吸ってていいぞ」

「いや。煙草は吸わないんで」

「なんだ、禁煙組か?」

「いえ、そもそも吸ってないんで。だから気にならないです」禁煙組のほうが喫煙には煩いものだ。においが全く駄目になってしまうものも多い。だが箕島は他人が吸ってることに関してはあまり気にならなかった。

 滝本は資料を取り出して厳しい眼差しで精査し始めた。もし滝本の眼鏡にかなわなかったら、人員は割いてもらえないのだろうか。箕島は隣で立っていて気が気ではなかった。

 太鼓腹で肌艶のいい鈴木に比べて、滝本は痩せ型で顔には深い皺が刻まれていた。短く刈った頭髪にもだいぶ白いものが混じっている。ハリスツイードのブラウンの織柄のスーツは安いものではない。だが長い期間着ているのだろう、ずいぶんとくたびれた印象だった。だがなにより鈴木と違っているのはその鋭い眼光だった。隣にいるだけでずっと気の抜けない感じがした。

 滝本はたて続けに三本煙草を吸った。それは箕島には何より長い時間に感じた。

「よし、行くか」滝本はそう言って怠そうに立ち上がった。「まずは桝野の自宅からだ。藤沢駅からそう遠くないところだったな」そう言って歩き出した。

「滝本係長! あの」いったい誰と組ませてくれるのか。まずは紹介してもらえないものかと箕島は慌てて呼び止めた。

「なんだ? 時間はないと鈴木さんから聞いてるぞ」

「いや、あの。誰と一緒に向かえばいいんでしょうか? 打ち合わせは車の中でもいいんですが」

「ああ、ウチはみんな出払っててな。俺が行く」

「はあ⁉︎」箕島はつい変な声をあげてしまった。係長自ら他署の手伝いに向かうというのか?

「ずっと椅子に座ってるのは性に合わん。それに依田のことを一番詳しく知ってるのは俺だ」

 滝本はそう言うとさっさと歩き出した。箕島は慌ててあとを追った。


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