第34話 殿下の婚約

 夕食のあと、エドワードのところへ書類を届けに行っていたルーファスが、こわばった顔で戻ってきた。普段はあまり表情の変わらないルーファスだからこそ、そんな顔をしていればなにかがあったのだとわかる。


「ルーファスさん、どうかしたんですか?」


 問いかけたギギーの顔を見て、ルーファスは眉間の皺をさらに深くさせた。めずらしく、ためらうように数秒黙り込んでから口を開く。


「――エドワード殿下の、婚約が決まったそうだ」

「…………え?」

「殿下の側近が教えてくれた」


 ギギーが城にやってきてからの約二年と数ヶ月、エドワードにはたびたび婚約の話が持ち上がっていた。すべてはうわさの域を出ないものばかりだったが、今回は違う。真偽のわからないうわさ話ではなく、ルーファスが側近から聞いた話である以上、それは事実なのだ。


「――ギギー」


 琥珀色の液体で満たされたカップにぼんやり視線を落としていると、名前を呼ばれた。はっと顔を上げれば、レオルが間近から顔を覗き込んでいる。


「大丈夫か?」

「レオ……うん、ごめん。なんだか、びっくりして……」


 よほどひどい顔をしていたのかもしれない。レオルが心配そうに見つめてくる。

 いつかその日が来るとわかっていたのに、いざその日を迎えて、こんなに動揺するとは思わなかった。


「いいのか?」

「……なに、が?」

「このまま、殿下が結婚していいのか?」

「いいのかって言われても、俺が決めることじゃないよ……」


 エドワードがだれを選ぶのかは、ギギーが決めることではない。エドワード自身が決めることだ。


「殿下と話をしなくていいのか?」

「…………俺、は」


 本当は、エドワードと話がしたい。

 でも、今までの態度を思えば、話を聞いてくれない可能性が高い。冷たい視線を向けられるかもしれない。突き放されるかもしれない。エドワードとの距離がもっと遠くなるかもしれない。エリオットとは別人なのだと、思い知らされるかもしれない。そう思うと怖かった。約二年間、エドワードに対するギギーの気持ちは、ずっと宙に浮いたままだった。


「学校に魔物が現れたときのことを覚えているか?」

「うん、忘れるわけない」


 あの日のことは、昨日のことのように覚えている。


「あのときは口止めされていたが、実は以前からシュレ……殿下に警告されていたんだ。近々、学校に魔物が現れて、俺が瀕死の重体に陥る、と。危険だと思えば休学してもいいと言われた。そのあいだは安全な場所で保護し、休学中の訓練や授業は試験で補えるように計らうから好きなように選べ、と言われた。ギギーはアルスやほかの騎士が必ず守る……そう言っていた」


 用意周到なエドワードのことだ。夢を見た時点から裏で準備を進めていたのだろうと思っていたが、レオルにまで予知夢の内容を伝えていたのは予想外だった。

 はじめから、エドワードはレオルを犠牲にするつもりなどなかったのだ。


「……レオは、知ってたの?」

「ああ」

「だったら、なんで……」


 なんで逃げなかったのか。なんで休学を選ばなかったのか。そう尋ねようとして、レオルがそちらを選ぶわけないのだと気づいた。ギギーが危険だと知ったら、なおさらそばにいようとする。レオルはそういうひとだ。


「俺がいなくなった結果、代わりにおまえが危険な目に遭うのを避けたかった。それに、俺はおまえのそばにいると決めていたからな。自分がどうなろうと、おまえを守りたかった」

「……っ、どうなろうと、なんて言わないでよ」


 記憶を取り戻す直前の気持ちがぶり返して、じんわりの目頭が熱くなった。


「すまない。だが、いまはそうは思っていない。おまえを守り、おまえと共に生きていたいと思っている」

「うん……」


 ギギーの濡れた目元を指で拭ったレオルが、わざとらしい咳払いをして一歩離れる。アルスがにやにやと笑っているのに気づいたからだ。


「話を戻すが……あのとき、殿下は俺が助かるのを確信しているようだった。殿下はこう言っていた。――僕は信じているんだ。ギギーが記憶を取り戻して、きみを助けるのを、と。多くは語らなかったが、俺にはそれが光魔法のことだとわかった。だから、不安もなかった」


 レオルは、エドワードのことばを信じた。そして、エドワードが信じたギギーを信じた。ふたりは、ギギーを信じてくれた。


「逃げるよりも、ギギーのそばにいるほうを選んだ俺に、殿下は礼を言ってくれた。危険な目に遭わせてしまうことを謝ってくれた。あのときはまさか第三王子だと知らなかったから、調子が狂ったな」


 レオルが話してくれた彼は、ギギーがよく知っているエリオットだった。ギギーが大好きなエリオット・シュレーバーだった。


「……やっぱり、いやだな」

「なにがだ?」


 尋ねる声は、ちいさな子どもに接するようにやさしかった。


「このまま、なにも話さないうちにエドワードが結婚して、手の届かないところに行っちゃうのは、いやだ」


 それが、先ほどのレオルの問いかけに対する返事だった。


「そうか。俺にとって、あいつは恋敵だからな。勝手に逃げられたら困る」


 口や態度で示す以上に、レオルにとってもエドワードは大切な友人なのだ。やっぱり、ギギーが思っているよりもふたりはずっと仲が良い。


「ギギー、私からも殿下のことをお願いしたい」


 そう言ってきたのはルーファスだった。


「光の魔法使いを城に連れ帰ることが、我が国にとって最優先事項だった。だが、殿下はギギーの記憶が戻ることよりも、ギギーやレオルの安全を優先しようとした」


 期末試験で魔物に襲われたときも、エリオットはギギーを助けようとしてくれた。森から出て、ギギーを安全な場所へ連れて行こうとしていた。あのときも、ギギーの安全を優先しようとしてくれた。


「私が知る限り、いままで殿下が予知夢を変えようとしたことはなかった。それは、きみにも知っていてもらいたい」


 ギギーは知っている。エドワードが、一度予知夢を変えようとしたことを。楽しそうだからという些細な理由で、自分のために選んだことを。

 でも、期末試験でも、学校に魔物が現れたときも、エドワードはギギーのために未来を変えようとしてくれた。


「はい、殿下が嘘つきなんだってよくわかりましたから。しからないと」


 ギギーの答えを聞いて、ルーファスはうれしそうに笑っていた。この中でエドワードとつきあいがいちばん長いのはルーファスだ。きっと、エドワードのことをずっと心配していたはずだ。


「最近の殿下、見てらんないんだよなー。意地張って、らしくない態度取っちゃってさ。ここらで一発、がつんと言ってやれよ、ギギー」


 今度はアルスがそう言いながら拳を突き出してくる。ギギーも握った手を突き出し、アルスの手にこつんとぶつけた。


「うん、がつんと言ってくるよ」


 殿下に感謝していると言っていたアルス。エドワードのことを見捨てないでほしいと、しあわせにしてやってほしいと言っていたのを、いまでもはっきり覚えている。アルスとの約束も守りたい。婚約という選択が、エドワードにとってしあわせになることなのか、確かめたい。


「エドワードと話をしにいこう。今度こそ、エドワードの本当の気持ちを聞きたい」


 頷く三人の騎士たちの顔を見ていたら、恐怖なんてもう感じなかった。自分には、エドワードを大切に思っているひとたちが三人もついている。

 こんなに心強いことはない。

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