第35話 夢を見る
幼いころから、夢に見たできことが現実に起きた。
「今日、夢と同じことがあったんだ」
エドワードがそう言っても、侍女はたまたまだと思ったのか、「すごいですね」と笑っただけだった。
その後、エドワードが未来に起こるできごとを何度も言い当てると、侍女たちは得体の知れない生き物を見るような視線を向けてきた。不審に思った侍女が、エドワードの魔法の教育係に相談したのをきっかけに、城で働く文官や騎士にもエドワードのうわさが広まり、とうとうエドワードの夢のことが国王や王妃の知るところになった。専門家が呼ばれ、夢の内容の検証を行ったところ、エドワードには予知夢の特殊能力があると診断された。
エドワードの母親は、隣国の生まれだった。隣国に訪問していたアイレルズ国王から見初められたが、酒場の娘である平民を妃として連れ帰ることを周りがよしとしなかった。王と娘の逢瀬はそれきりになるはずだった。
しかし、王の帰国後、娘が王の子を身ごもったことが発覚し、娘は周囲の反対を押し切ってエドワードを生んだが、難産で命を落とした。そして親代わりにエドワードを育ててくれた祖父母も翌年病で亡くなり、幼いエドワードは教会に預けられた。数年後に再び隣国を訪れ、娘の死と息子の存在を知った国王は、エドワードをアイレルズ王国に連れ帰った。
アイレルズ王国で、エドワードは不自由のない暮らしをあたえられ、知識や教養を身に着け、第三王子として王族に相応しい教育を受けた。魔力の使い方を習って風の魔法が使えるようになり、一通りの武術も身に着けた。
王妃はいつも妾腹であるエドワードに対して冷たい態度を取っていたが、特になにかをしてくるわけでもない。第二王子は意地の悪いことばかり言ってきたが、第一王子はエドワードにやさしくしてくれて、本当の弟のように接してくれた。専属騎士のルーファスは、いつもエドワードのそばにいて、親身になって面倒を見てくれた。
アイレルズ国王では、特殊能力を持つ子どもはほとんど生まれない。そして、一部では特殊能力を持つ人間を忌み嫌う風潮がある。隣国との戦争で特殊能力者に追い詰められた歴史が、何百年経ったいまでも一部の人間に偏見を残していた。
エドワードは、第三王子でありながら肩身が狭かった。妾腹であり、特殊能力を持つことが、よりエドワードの立場を悪くさせた。王城に出入りする人々は気味が悪いと陰口を叩き、侍女は一通りの世話をするものの、エドワードと一定の距離を置いていた。
たとえ、周りからどんな扱いを受けようと、自分を息子として迎えてくれた父には感謝している。あのまま、衛生環境も悪く、食事もまともにありつけない教会にいたのでは、いつ死んでもおかしくなかった。
第三王子として父を支え、この国のために尽くすことが自分の役目なのだとエドワードは考えていた。
九歳になったころから、エドワードはとある少年の夢を見るようになった。その少年の名前は「ギギー」というらしい。エドワードと同じ年頃で、この国ではめずらしい黒い髪と瞳を持っている少年だった。髪と瞳の色以外は平凡で、どこにでもいそうな普通の少年。最初、ギギーに対して感じていた印象は、あるときを境にして一瞬で覆った。
夢の中で、ギギーは友人のけがをあっという間に魔法で治してみせた。世界にたったひとりしか存在しない、光の魔法使い。それが、ギギーだった。
この国の歴史を学ぶとき、最初に聞かされたのが光の魔法使いのことだ。教師に聞かされ、さらに父である王からも熱のこもった声で語り聞かされた。この国の王族が切望している、唯一無二の存在だ。
週に一度は、ギギーの夢を見た。夢の長さはまちまちだったが、基本的には体感として数分ほどの短さだった。ギギーの夢を見るたびに、エドワードはだんだんとギギーのことが少しずつわかってきた。
森の中にある家で、母親といっしょに暮らしていること。母親が近くの町で仕事をしていて、昼間は町に住んでいる「レオ」といっしょに森で遊んでいること。友人の「レオ」と共に、騎士を目指していること。自分のけがはたちまち治る体質であること。母親が大好きなこと。甘いお菓子が大好きなこと。少し甘えん坊なこと。とてもやさしいこと。ギギーのことを知るにつれて、エドワードはギギーをどんどん好きになっていった。
ギギーの夢を見るのが待ち遠しくて、夢を見ていないときもギギーのことを考えるようになって、光の魔法使いについて調べるようになった。さいわい王城には光の魔法使いに関するすべての文献が揃っていて、歴代の光の魔法使いの手記も保管されている。
光の魔法使いについて調べるかたわら、夢の中の少ない手掛かりから、ギギーの住んでいる森を探し続けた。それは、国のためではなく、単にエドワードがギギーに会いたかったからだ。
先代の光の魔法使いが亡くなってから、すでに十年近くが経っている。光の魔法使いの捜索は国の急務であったが、ギギーを城に連れてきてしまえば、ギギーは騎士になる夢をかなえられない。母親やレオとも離れ離れになってしまうかもしれない。ギギーをかなしませたくはなかったし、ギギーがいやがることはしたくなかった。
ギギーのことを、まだだれかに教えるべきではない気がして、エドワードがだれにも話せないでいるうち、事件が起こった。
「……毒?」
ここ数日のあいだ、エドワードは腹痛や発熱、吐き気などの症状で寝込んでいた。
「はい、毒見にも気づかれぬよう、毎回少量を食事に混ぜていたようです」
ようやく熱が下がったところで、食事に毒が混ぜられていたと聞かされ、「どうして?」という疑問しか湧かなかった。
どうしてそんなひどいことするのか、という疑問ではなく、どうして自分をわざわざ殺す必要があるのか、という疑問だった。
王太子になるのは第一王子が最有力候補とされていて、母親が他国の平民であるエドワードは、王位継承権を持っているものの、王になれる可能性は低かった。ほかの王子たちのように彼らを支持する確かな後ろ盾があるわけでもない。第一王子と第二王子の派閥の仕業とは考えにくかった。ならば、王家に他国の血が入ることをよしとしない者たちか、特殊能力者に差別意識を持つ者たちか。それとも、エドワードに予知されては困る謀を企てている連中か。
いずれにしてもエドワードに毒を盛った犯人はまだ捕まっていない。安全のために、エドワードにはしばらくのあいだ王城を離れるよう、国王から指示が下された。
「すでに準備は整えております。エドワード様の体調が落ち着き次第、城を出ましょう」
報告をしてきたルーファスは、いつも以上に硬い表情と声だった。エドワードを守れなかったことを悔いているのか、それとも毒殺が失敗したことを悔いているのか。なにを考えているのか、内心はわからない。
ルーファス、ほかの騎士、侍女、教師、王城で働く使用人や料理人。毒を入れられる人間は何人もいる。犯人が見つかっていない以上、だれもが怪しく思えてくる。さらに実行犯と首謀者が別にいる可能性もあるのだ。首謀者ともなると、王妃や第一王子、第二王子、その関係者。いくらでもあやしく思えてくる。
毒殺が失敗し、エドワードに警戒されているいま、直接的な手段に及ぶかもしれない。エドワードに逃げられないうちに、強引にことを進めようとするかもしれない。
犯人が捕まっていないという事実は、エドワードに恐怖をあたえた。急に周りの人間が全員恐ろしく思えてきて、自分に仕える侍女や護衛をすべて辞めさせ、王城内の別の場所へ配属させたが、ルーファスだけは決して首を縦に振らなかった。
まともに食事を摂れず、ろくに眠れず、当然ながらエドワードの体調はなかなか快復しなかった。ようやくベッドから起き上がれるようになって、まだ体調が良くないからと反対したルーファスを押し切り、強引に王城を旅立った。本当はひとりで旅をしたかったが、ルーファスはついていくと言って聞かなかった。
「――ギギーに会いたいな」
ひとりきりの馬車の中、つぶやいた声はだれにも聞かれないまま、がたがたと揺れる馬車の音に紛れて消えていく。
ギギーに会いたかった。無性に、会いたかった。一度も会ったことがないのに、ほかのだれも信じられないのに、ギギーだけはどうしてか信じられた。
国内に多数ある王家の別邸のうちのひとつで、東の外れにある別邸が、今回の旅の目的地だった。昼間は馬車で移動し、夜は宿に泊まり、目的地を目指していく。エドワードの体調を優先した結果、比較的ゆったりとした旅程になった。
三日目に立ち寄った町は、村と言ってもさしつかえないほどにちいさな町だった。町にある宿は一軒のみ。硬いベッドと机と椅子しかない質素な部屋にルーファスは恐縮していたが、エドワードにとってはどうでもいいことだった。
いつだれかに襲われるかもしれないと考えると、城を出てからもまともに眠ることができなかった。ギギーの夢を見ることを期待して短時間だけ眠っても、ギギーの夢は見られない。ほとんど眠らないのだから、ベッドがどんなものであろうと関係なかった。
ふと、宿の窓から見た夕暮れに染まる風景に既視感を覚え、ルーファスが止めるのも聞かず、エドワードは外へ飛び出した。
高台に教会があり、坂の下にはちいさな診療所がある。町の主な店が並ぶ商業通りには、パン屋や乾物屋が軒を連ねていて、早くも店仕舞いの準備をはじめていた。
朝には、この通りで魚や肉、野菜を売る市が開かれることを、エドワードは知っている。はじめてこの町に来たのに、どうしてか知っているのだ。
町の入り口に架かっている橋の向こう。鬱蒼と広がった森を目にしたとき、エドワードの心臓がどくりと跳ね上がった。
「エドワード様、どうなさったのですか?」
「僕は、この風景を知ってるんだ」
「知っている? 夢で見たのですか?」
そうだ。夢で見た。この町を、夢で見たから知っている。
まさか、ここは――
エドワードがひとつの考えに思い至ったとき、森の中に続く小道から、ひとりの少年が飛び出してきた。金色の髪に、つりあがった青い瞳。エドワードはその少年を知っている。
「……レオ」
レオがエドワードの目の前を通ったとき、一瞬こちらを見たレオと視線が合った。しかし、少年は立ち止まらずに走り去っていき、やがて次の角で曲がって見えなくなる。レオの存在が、エドワードの予感を確信に変えた。
この森に、ギギーがいる。そう思ったらいてもたってもいられなくて、エドワードは走り出していた。だが、すぐに足がもつれて転び、ルーファスに捕まって抱え上げられてしまう。
「どこに行かれるおつもりですか?」
「下ろせ、ルーファス! 僕は、あの森に行きたいんだ!」
あの森に行きたい。ギギーに会いたい。
「いけません。じきに日も暮れれば、魔物が出ます。森に入るのは危険です」
夜になると魔物が活発化することくらい、エドワードも知っている。あの森にどんな魔物が潜んでいるかわからないが、魔物除けの魔法石を持っているし、護身用にナイフも持っている。攻撃用の風魔法も使える。魔物なんて怖くない。なにより、エドワードにとっては魔物よりも人間が恐ろしかった。人間がたくさんいる町よりも、魔物が出現する森のほうがよほど安全に思えるのだ。
「どうしてもギギーに会いたいんだ!」
エドワードが叫んだのと、ルーファスが背後に近づいてきただれかに警戒したのは同時だった。
「――あら、うちにご用ですか?」
場違いなほどに明るく穏やかな声が聞こえて、ルーファスに抱えられたまま顔を向けると、そこにはひとりの女性が立っていた。その女性は、間違いなくギギーの母親だった。
「……あ」
「お知り合いですか?」
小声でルーファスが尋ねてくる。
「ひとまず下ろしてくれ。もう勝手にどこかへ行かないから」
「……わかりました」
ルーファスに地面へ下ろしてもらい、エドワードはギギーの母親に向き直った。
「はじめまして。僕は、エリオットと言います。こちらは、従者のルーファス」
この旅の最中、エドワードとルーファスは、貴族令息と従者ということにしている。平民と偽るには、エドワードの身なりやことばづかいに無理があったからだ。馬車もエドワードの身体を気遣ってそれなりに上等なものを使っている。
エドワードは偽名を名乗るようにルーファスから言い含められ、この旅では「エリオット」という名前で通している。それは生まれたときに母がつけてくれた本当の名前だったが、隣国の神の名前に由来するという理由で、城に入る際に「エドワード」という別の名前をあたえられていた。
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。私はマリアと言います」
「あの……僕は、あなたの息子さんのことを一方的に知っていて、ずっと話をしたいと思っていたんです。もし、よければ――」
そこまで言って、エドワードはことばに詰まった。いまの説明に嘘はないが、予知夢については話すことができない。面識がない以上、マリアにとってエドワードは不審者でしかなかった。だからと言って、ギギーの母親にいいかげんな嘘をつくのもためらってしまう。
「ギギーと話をしたいと思ってくれて、ありがとう。よければ、うちに来てちょうだい」
「……いいん、ですか?」
「ええ、歓迎するわ。きっと、ギギーもよろこぶもの」
「あ、ありがとう、ございます」
マリアは、エドワードとルーファスの素性を気にかける様子もなかった。ふたりが旅の最中だと知ると、「よかったら、うちに泊まっていってください」と言ってくれて、そのことばに甘えさせてもらった。宿には一泊分の宿泊費に上乗せした金額を払った上で、部屋に置いていた荷物を引き上げてきた。
少し遠回りだが馬車も通れる道があると聞き、馬車にマリアを乗せて森の中の家へと向かっていった。馬車の窓にゆっくりと流れる薄暗い空を眺めながら、エドワードはいまさらながらに気づく。
エドワードはギギーのことを知っているが、ギギーはエドワードのことをまったく知らない。予知夢のことを言ったところでギギーを怖がらせてしまうし、信じてもらえないだろう。どう説明したら、ギギーを怖がらせないで済むだろうか。
でも、もうすぐギギーに会える。やっと、会える。
ギギーのことばかりを考えているうち、張り詰めていた緊張の糸が途切れ、エドワードは気を失っていた。
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