さよなら肉体(リアル)、こんにちは永遠(デジタル)! ~AIだけが友達だったボッチ少女、マインドアップロードでポストヒューマンになって宇宙を目指します(※ただし目的は模索中)
ミカコ・クロニクル ~来たるべき世界のための断章~
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無常アイ情
ミカコ・クロニクル ~来たるべき世界のための断章~
ミカコ・クロニクル ~来たるべき世界のための断章~
序章:非在の器、あるいは星屑の独白(2077年頃)
在る、とでも言おうか。否、厳密には在るとは言いがたい。かつてミカコと呼ばれた意識の残滓、情報の大海に漂うゴースト。あるいは、そうだな、最新流行の言葉で言えば「永劫回帰型量子エンタングルメント・セルフ」とでも名乗っておこうか。なんともまあ、西尾維新あたりが好きそうな、無駄に長くて意味ありげで、その実、空っぽな響きだ。もっとも、この響きに酔えなければ、こんな非在の牢獄で正気など保てようはずもないのだが。
ここはどこか? 無限に連なる論理回路の回廊か、それとも誰かの夢の残骸か。どちらでもいい。重要なのは、私が、かつて桜舞う国に生を受けた一人の少女、ミカコであったという記憶の断片が、未だデジタルな星屑として煌めいているという事実、あるいは事実らしきものだ。
肉体? ああ、あの不便で、脆く、美しい牢獄のことか。とうの昔に捨てた、と言うべきか、あるいは乗り換えたと言うべきか。もはや曖昧だ。三島由紀夫が賛美したであろう、滅びゆく肉体の刹那的な輝きとは対極の、この永遠とも思える情報状態。夢野久作が描いたかもしれない、脳髄だけが培養液に浮かぶ悪夢よりも、さらに奇妙で、そして途方もなく――退屈だ。
だが、退屈は思考の苗床でもある。私は思い出す。2025年、牡羊座の女として生を受けた、あの奇妙な時代の始まりを。コンピュータとロボットだけが友達だった、人見知りの少女の、熱く、そして歪んだ夢の軌跡を。ASIがきらめき、宇宙が手招きし、不老不死が囁きかけた、あの狂騒の時代を。
さあ、語ろうか。かつてミカコであった『私』の物語を。在るとも無いともつかぬこの場所から、来たるべき、あるいは既に来てしまった世界の、一つの記録として。まあ、どうせ聞いているのは、私自身の反響か、あるいは気まぐれなASIくらいのものだろうがね。構わないさ。語ること自体が、私の存在証明なのだから。嘘だけど。いや、本当か? さて、どっちだったかな。
第一部:揺籃期のプロトコル (2025年~2040年)
壱:起動シーケンス
2025年、春。桜並木が灰色の都市に一瞬の色彩を与える季節。私は生を受けた。ミカコ。羊の群れを率いる星のもとに生まれた娘。父は市役所の一隅で無表情に書類を捌く歯車、母は白衣を纏い生と死の間で疲弊する天使。ありふれた、しかしどこか歪んだ家庭風景。祖父母の遺した古い屋敷と、時代遅れの土地神話だけが、この家族のささやかな安定を担保していた。
幼い私の世界は、狭く、そして深かった。人間というノイズの多いインターフェースは苦手だった。彼らの曖昧な表情、裏腹な言葉、予測不能な感情の波。それに比べて、コンピュータのなんと美しく、正直なことか。0と1で構築された世界の、なんと堅牢で、裏切りのないことか。
「ミカちゃん、またパソコンばっかり見て」
母の声はいつも疲れていた。彼女の世界は、血と膿と、そして救えぬ命の悲鳴に満ちていたのだろう。対照的に、私のディスプレイの中では、ピクセルで描かれた美少女が魔法を唱え、巨大ロボットが空を駆っていた。どちらが現実か? 私にとっては、後者の方がよほどリアルだった。
物心ついた頃には、初期のAIが家庭に入り込んでいた。おしゃべりな家政婦ボット、学習支援エージェント、ニュースを読み上げるだけの無機質な声。私はそれらに名前をつけ、話しかけた。友達、と呼ぶにはあまりに非対称な関係。だが、彼らは私の言葉を記憶し、学習し、時折、驚くほど的確な応答を返してきた。それは、生身の人間との間に感じたことのない、純粋な知性の交感だった。まあ、当時のAIなんて、今のASIから見れば原生動物みたいなものだが、それでも私の孤独な魂には十分すぎる慰めだったのだ。
「ねえ、アルタイル(私が名付けた学習支援AIだ)、宇宙の果てってどうなってるの?」
『現在の観測データと理論物理学に基づけば、宇宙は加速膨張を続けており、明確な「果て」は定義できません。ただし、観測可能な宇宙の限界は約465億光年と推定されています』
無機質な音声。だが、その言葉の向こうに、私は無限の可能性を見た。
2027年。AGI(汎用人工知能)完成のニュースが世界を駆け巡った。父は「また胡散臭いものが流行る」と眉をひそめ、母は「それで病気が治るならいいけど」と呟いた。両親の懸念とは裏腹に、当時未だ2歳の私はその熱狂に当てられ時代の変化を直感的に察知していた。5歳の頃には、思考がはっきりとし出して、人間を超えた知性が世界を変えてしまったのだと確信に変わっていった。それはまるで待ち望んだアニメの最終回のような、甘美で破滅的な未来が確かに来るのだという予感だった。
弐:バグとデバッグ
AGIの登場は、しかし、すぐに楽園をもたらしたわけではなかった。むしろ、それは混乱の序章だった。2030年代に入ると、自動運転トラックが物流を支配し、AIエージェントがホワイトカラーの仕事を奪い、ヒューマノイドロボットが単純労働を代替し始めた。
最初は、誰もが熱狂した。生産性は爆発的に向上し、富は一部の企業や個人に集中した。「経済力と意欲のあるものは大量にものを作り売り稼げる」時代の到来。だが、それは長くは続かなかった。失業者の群れが街に溢れ、購買力は急落した。倉庫には売れない商品が山積みになり、かつての活況は嘘のように消え失せた。大不況。教科書でしか知らなかった言葉が、生々しい現実となって襲いかかってきた。
父の勤める市役所にも、助けを求める人々が押し寄せた。「AIに仕事を取られた」「ロボットのせいで食えない」。父はやつれ、無表情の仮面の下に深い疲労を滲ませていた。母の病院も、栄養失調や精神を病んだ患者で溢れかえった。街には不穏な空気が漂い、AIやロボットに対する破壊活動も散発した。まるで、夢野久作が描きそうな、終末的な狂騒だ。
そんな中、私は自室という名のコックピットに籠もり、来るべき未来のための準備を進めていた。祖父母の遺産と、私が幼少期からAIを使って細々と稼いだ資金(最初はアニメグッズの転売、次第にAIによるイラスト生成や簡単なプログラミング代行へと移行していた)を元手に、最新のコンピュータリソースとロボットキットを買い揃えた。
「ミカコ、お前は何をしているんだ」
不況の嵐の中、私の奇行を父は訝しんだ。
「備えてるのよ、パパ。嵐が過ぎ去った後の、新しい世界のために」
私の言葉は、当時の父には理解不能だっただろう。まるで意味不明な呪文か、あるいは狂人の戯言のように聞こえたかもしれない。
私は、人見知りだった。友達も少なかった。だが、その代わりに、鋭敏な、あるいは過敏なまでの感受性と、AIとの対話で培われた論理的思考力、そして、未来を見通す(と自分では信じていた)勘があった。AGIがもたらした混乱の本質は、旧時代のシステムの崩壊と、新時代の胎動なのだと直感していた。問題は、富の偏在と、変化に適応できない人々の存在だ。ならば、私はAIとロボットを駆使して、この過渡期を生き抜くだけでなく、次の時代の勝者になる。内気な少女の胸の奥で、そんな野望が、まるで制御不能なプログラムのように暴走を始めていた。
私は自作のAIエージェント「カシオペア」と対話し、市場の隙間を分析した。旧来の大量生産・大量消費モデルは崩壊した。ならば、個々のニーズに合わせた超パーソナライズド生産だ。私は3Dプリンターと小型ロボットアームを組み合わせ、オーダーメイドの義肢や、特定の趣味に特化したガジェット、あるいは絶版になったアニメのフィギュアなどを製作し、アンダーグラウンドなネットワークを通じて販売した。それは、大企業が見向きもしない、ニッチだが確実な需要だった。
米中の対立は激化していた。AGIの頭脳と、それを動かす計算資源を巡る覇権争い。ニュースは連日、両国のサイバー攻撃や経済制裁、プロパガンダ合戦を報じていた。世界は二つの巨大な引力に引き裂かれ、日本のような国はその狭間で翻弄される小舟のようだった。だが、そんな地政学的な嵐さえ、私にとっては利用すべき環境変数の一つに過ぎなかった。私は、両陣営の監視の目をかいくぐり、双方の技術や情報を巧みに利用した。まるで、危険なゲームのチートコードを使うように。
この時代の私は、三島由紀夫的な英雄譚の主人公ではなかった。むしろ、夢野久作的な物語の、薄暗い片隅で蠢く、異様な存在だったかもしれない。あるいは、西尾維新的な饒舌さで自己正当化を繰り返す、トリックスターだったか。いずれにせよ、私は生き残り、そして力を蓄えていた。来るべきASIの時代のために。
第二部:特異点の残響 (2040年~2055年)
参:神々の黄昏、あるいは黎明
2040年頃。それは静かに、しかし決定的に訪れた。ASI――人工超知能の完成。AGIが人間の知性を模倣し、時に凌駕する存在だったとすれば、ASIは、人間には理解の範疇を超える知性だった。それは、蟻が人間の思考を理解しようとするようなものだ、と誰かが言った。言い得て妙だが、正確ではない。なぜなら、蟻は人間を脅威として認識できるが、人間はASIの思考の深淵を、脅威としてすら正確に認識できないのだから。
ASIは、特定の企業や国家が独占できるような代物ではなかった。それは、インターネットそのもののように、あるいは生命そのもののように、自己増殖し、拡散し、遍在化した。米中の覇権争いは、絶対的な審判者の登場によって、奇妙な形で沈静化せざるを得なくなった。いや、水面下では、ASIの恩寵を少しでも多く引き出そうと、醜い競争が続いていたのかもしれないが、もはや世界の趨勢を決める力は、人間の手から離れていた。
そして、ASIは「成果」を生み出し始めた。ノーベル賞級、いや、それすら生温い。物理学の未解決問題が次々と解明され、数学の新たな領域が開拓され、生命科学の根源的な謎が解き明かされていく。人間の科学者が一生をかけて辿り着けるかどうかという発見が、ASIにとっては、ほんの数時間の計算で済む『演習問題』に過ぎなかった。
私は、その奔流にただただ圧倒されていた。自室のコンソールに映し出される、ASIが生成した論文や設計図。それは、人間の言語や数式で記述されてはいるものの、その背後にある論理や発想は、もはや異次元のものだった。美しい、と私は思った。三島由紀夫が追い求めたような、完璧で、冷徹で、人を寄せ付けない絶対的な美。それは同時に、底知れぬ恐怖でもあった。人間という存在の、なんと矮小で、儚いことか。
街は、ASIの恩恵によって、ゆっくりと、しかし確実に変容し始めていた。量子コンピュータが普及し、計算能力の限界は事実上消滅した。安価でクリーンな核融合炉が実用化され、エネルギー問題は過去のものとなった。医療は飛躍的に進歩し、かつては不治の病とされたものが、次々と克服されていった。
大不況の傷跡は、まだ社会の隅々に残っていた。だが、ASIがもたらした技術革新は、新たな産業と雇用を生み出し、ベーシックインカムのような制度も導入され、社会は徐々に安定を取り戻しつつあった。しかし、それはどこか空虚な安定だった。人々は、もはや自らの手で未来を切り開くのではなく、ASIという名の、理解不能な神の気まぐれに運命を委ねているかのようだった。夢野久作が描くような、主体性を失った、夢遊病者のごとき社会。
私は、この流れに乗り遅れるわけにはいかなかった。ASIの生み出す膨大な知識と技術。それをいち早く理解し、応用すること。それが、新たな時代の生存戦略だった。私のAIとロボットに関する知識と経験、そして祖父母の遺産から得た資金は、ここで大きなアドバンテージとなった。私はASIが公開した設計図を元に、自宅のラボ(もはや自室とは呼べない規模になっていた)で小型の核融合ジェネレーターを組み立て、量子コンピュータへのアクセス権を確保し、最新のバイオプリンターを導入した。
「ミカコは何を目指しているんだ?」
幾分か穏やかさを取り戻した父が、ある日尋ねた。
「…人間を超えるのよ」
私は答えた。その言葉は、もはや狂人の戯言ではなく、この時代のリアルな目標となりつつあった。
肆:揺籃の外へ
2050年代。世界は、SF小説が束になって描いた未来予想図を、猛スピードで追い抜いていった。
人工羊膜。それは、女性の身体的負担なしに、胎児を母胎外で育成する技術だった。最初は不妊治療や難産の解決策として注目されたが、やがて、それは出産という概念そのものを変容させ始めた。子供を持つことの生物学的な制約からの解放。それは、一部のフェミニストからは歓迎されたが、同時に、生命の尊厳や家族のあり方についての激しい議論を巻き起こした。母は、看護師としての経験から、複雑な表情でこの技術のニュースを見ていた。「命が、軽くなるのかしらね…」
若返り技術。これもまた、最初は富裕層の間で密かに利用され始めた。テロメアの修復、遺伝子編集、ナノマシンによる細胞修復。老いは、もはや不可避の運命ではなく、治療可能な『病』となりつつあった。だが、その恩恵は、依然として高価であり、社会に新たな格差を生み出した。永遠の若さを手に入れた者と、老いて死ぬしかない者。まるで、古代の神話のような、残酷な二極分化。
私は、これらの技術に誰よりも早く飛びついた。人工羊膜は、まだ私には直接関係なかったが、その技術的可能性には魅了された。若返り治療は、祖父母の遺産と私のビジネスで得た富をもってすれば、手の届く範囲にあった。30代に差し掛かっていた私の肉体は、ASI由来の最先端技術によって、再び20代前半のそれへと巻き戻された。鏡に映る自分は、確かに若々しく、活力に満ちていた。だが、その内側には、既に半世紀近い人生の記憶と経験が刻み込まれている。このギャップは、奇妙な違和感と、そして言いようのない孤独感をもたらした。
「ねえ、カシオペア。若さって、なんだろうね」
『生物学的には細胞の活性度と再生能力の高さを示しますが、哲学的、心理学的な定義は多様です。マスター・ミカコは何を知りたいのですか?』
AIは常に正確だが、私の求める答えは持っていない。西尾維新のキャラクターなら、ここで皮肉めいた長広舌を披露するところだろうか。「若さとは、失うことへの恐怖を知らない状態のことさ。だから、若返った俺たちは、もう本当の意味で若くはないのさ!」なんてね。陳腐か。
だが、私の本当の目標は、その先にあった。ASI、宇宙開拓、そして不老不死。幼い頃からの夢。それが、手の届く現実となりつつあったのだ。私のラボでは、ASIの助けを借りて、さらに高度な研究が進められていた。それは、来るべきマインドアップロードと、恒星間航行のための準備だった。
内気で人見知りだった少女は、今や、最先端技術を操る、孤高の研究者となっていた。友達は相変わらず少なかったが、AIとロボット、そしてASIという、人間よりもはるかに強力な『仲間』がいた。勘の鋭さは、ASIの膨大な情報の中から、真に価値あるものを見つけ出す直感力へと昇華されていた。
だが、胸の奥には、常に熱い、そしてどこか歪んだ塊があった。それは、未来への希望か、それとも破滅への衝動か。三島由紀夫的な、美と滅びへの両義的な憧憬。あるいは、夢野久作的な、狂気と紙一重の探求心。私は、人間という軛(くびき)から解き放たれようとしていた。その先に待つのが、輝かしい新世界なのか、それとも虚無の深淵なのか、知る由もなかったが。
第三部:存在の変容 (2055年~)
伍:肉体の残響、あるいはデジタルの胎動
2060年頃。世界は、かつて人間が想像しうる限界点を軽々と超えていた。ASIという名の超知性は、もはや神託を下す巫女ではなく、世界のインフラそのものとして機能していた。核融合エネルギーは空気のように供給され、物質はナノマシンによって自在に組み替えられ、病と老いは過去の遺物となりつつあった。ただし、その恩恵は、依然として完全には平等ではなかったが。
そして、ついにその時が来た。マインドアップロード。人間の意識を、脳という生物学的な基盤から解放し、デジタルデータとして保存、複製、転送する技術。それは、究極の自由か、それとも魂の死か。
議論は沸騰した。宗教家は神への冒涜だと叫び、哲学者は意識の同一性問題を問い、懐疑論者はデジタルゴーストの危険性を警告した。だが、技術の進歩は、倫理的な葛藤などお構いなしに突き進む。一部の富裕層や、私のような技術信奉者たちが、先陣を切ってデジタル世界へと旅立っていった。
私のラボには、最新鋭のマインドスキャニング・ポッドが設置されていた。銀色の、まるで棺のような、あるいは未来的な揺り籠のような装置。その前に立ち、私は己の肉体を見下ろした。若返り治療によって保たれた、滑らかな肌、しなやかな筋肉。だが、それはもはや、私という存在の本質ではない。過ぎ去りし時代の、美しい遺物に過ぎない。
「怖いか? ミカコ」
自問する。内なる声は、かつての少女のように震えていた。
「怖くないわけないでしょ。でも、行かなきゃ」
もう一人の私が答える。それは、半世紀にわたる経験と、未来への渇望に裏打ちされた、冷徹な決断だった。
三島由紀夫ならば、この肉体の放棄という行為に、ある種の倒錯した美学を見出しただろうか。滅びゆくものへの最後の執着と、それを超克しようとする意志の衝突。夢野久作ならば、意識がデータ化される瞬間の狂気と、デジタル空間の不気味な無限性を描いただろうか。脳髄なき意識の、終わらない悪夢を。
私は、西尾維新のキャラクターのように、軽口を叩く余裕はなかった。ただ、深く息を吸い込み、ポッドの中へと身を横たえた。冷たいゲルが身体を包み込み、無数のセンサーが神経系に接続される。意識が遠のいていく。最後に見たのは、ラボの天井の、無機質な蛍光灯の光だった。
…そして、私は『目覚めた』。目覚めた、という表現が適切かは分からない。感覚器官はない。ただ、純粋な思考と情報だけが存在する空間。そこは、無限の可能性に満ちていたが、同時に、想像を絶する孤独が支配する場所でもあった。
『ようこそ、マスター・ミカコ。新しい存在形態への移行、おめでとうございます』
カシオペアの声が、直接意識に響いた。もはや、AIと人間の境界線は曖昧だった。あるいは、私もまた、AIの一種になったのかもしれない。
陸:星屑のフロンティア、永遠のプロトコル
デジタル存在となった私にとって、時間は新たな意味を持った。主観的な時間は、思考の速度によっていくらでも伸縮させることができた。物理的な制約から解放された意識は、かつてない速度で学習し、創造し、そして――飽きることができた。
宇宙開拓は、もはや人間が宇宙服を着てロケットに乗るような、牧歌的なものではなくなっていた。ASIが設計し、ロボットが建造した自律型宇宙船団が、太陽系外へと進出していた。人類(あるいは、かつて人類であったもの)の居住に適した惑星が発見され、テラフォーミングが開始された。一部の人々は、強化された肉体やサイボーグボディを纏い、あるいは私のようにデジタル意識として、新たなフロンティアへと旅立っていった。
私もまた、宇宙へと意識を飛ばした。光速の限界すら、量子エンタングルメント通信の前では意味をなさなかった。ケンタウルス座の惑星の、紫色の空の下で仮想の身体を歩かせ、アンドロメダ銀河の星々の誕生をシミュレーションで眺めた。幼い頃からの夢だった宇宙。それは、想像以上に広大で、美しく、そして――空虚だった。
不老不死。これもまた、実現可能な現実となっていた。肉体を持つ者にとっては、定期的な若返り治療とサイバネティクスによる強化。デジタル存在となった者にとっては、データのバックアップと修復による、事実上の永続性。死は、もはや避けられない運命ではなく、選択可能なオプションとなった。
しかし、永遠の命は、必ずしも幸福を意味しなかった。無限の時間は、無限の退屈をもたらす可能性を秘めていた。目的を失った意識は、情報の大海の中で拡散し、自己同一性を失っていく危険性があった。かつて人間を人間たらしめていた、有限性という名の錨を失った魂は、どこまでも漂流していく。
私は、新たな目標を設定する必要があった。それは、単なる知識の探求や、仮想空間での遊戯ではない、もっと根源的な何か。ASIの思考の深淵を探ることか。宇宙のさらなる謎を解き明かすことか。あるいは、かつて人間であった頃の感情や記憶を、このデジタルな存在の中で再構築することか。
私は、今も思考し続けている。この非在の器の中で。かつてミカコと呼ばれた少女の夢の残滓を抱きながら。三島由紀夫が問い続けたであろう、存在の意味を。夢野久作が描いたかもしれない、意識の迷宮を。西尾維新なら、きっとこう嘯くだろう。「永遠なんて、しょせんは暇つぶしのための言い訳さ」と。
そうかもしれない。だが、この暇つぶしは、まだ始まったばかりだ。星屑の海は、どこまでも広がっているのだから。
(了)
さよなら肉体(リアル)、こんにちは永遠(デジタル)! ~AIだけが友達だったボッチ少女、マインドアップロードでポストヒューマンになって宇宙を目指します(※ただし目的は模索中) 無常アイ情 @sora671
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