第9話
事務所に所属せず、フリーで活動する私は基本的に仕事の依頼を動画サイトやSNSアカウント経由で受けている。
海外からのオファーはエージェントを経由してのブッキング、国内での仕事はメールやメッセージで直接送られてくるオファーに対してスケジュールと照らし合わせて検討し、返事を送るという形だ。
「事務所に所属して活動すればいいのに」と良く言われる。実際に芸能事務所から声がかかることは時々あるのだけれど、一人で捌ける分だけの仕事を一人で丁寧にこなしていく方が性に合っている気がして、結局現状を維持している。
「半田さん、初めまして。今日はよろしくお願いします」
「初めまして、エトさん。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
今日のブッキングをくれた、運営の半田さんが楽屋入り口で出迎えてくれる。
今夜の仕事は渋谷で行われる某外資系アパレルブランドの周年パーティーでのDJ。来場者には芸能関係者も多いようで、やけにステージ裏の人の量が多い。
「出番までゆっくりなさっていてください。衣装はここのラックから、好きなものを選んで頂くようにと、主催側から」
時刻は深夜0時30分。出番まであと30分もあることだから、早めに用意をしてフロアの様子を少し見に行くことにしよう。
「それと、出番が終わり次第3階のVIP席にご案内するようにとのことですので、一度こちらに来て頂けますか」
「了解です。因みに、どなたが?」
「日本法人の取締役のほか、芸能関係の方がいらっしゃるらしいです」
お金持ちの遊び、この世界とは切っても切れない関係が、大人たちの間にはどうやらあるらしい。
「なるほど、承知しました」
「他に何かあったらいつでも仰ってください。今日は私がエトさんの担当なので」
「ありがとうございます。じゃあ、用意終わったら頃合いで出ますね」
よろしくお願いします。軽く挨拶を済ませ、支度を始める。〈よそいきモード〉は、この時点でまだ8割やそこらだ。
メイクを軽く直して、前髪と後ろ髪も櫛で梳かす。
クラブの控え室はホールなどのように綺麗に清掃が行き届いている訳でもなければ、設備が整っているわけでもないので、いつも大体作り込んでから現場に入る。髪は今日もトレードマークのタイトなポニーテールだ。
ヘアメイクの確認が終わって、先に案内されたラックから衣装を選ぶ。選びながら、洋服を先に着終えてからにすればよかったなと後悔する。この後悔は人生で多分1000回目。
「服、どれにしようかなあ」
それなりのハイブランドなだけあり、デザインはカジュアルで前衛的でありながらどこか品のあるディテールで、すごく魅力的だった。プライベートでは絶対に選ばないデザインだけれど。
だからこそ鎧になるのであって、それでこそ衣装なのだ。
背中と胸元が大胆に開いたタイトなロングスリーブのレザーミニワンピースと、同じくレザーの厚底ショートブーツを選んだ。
「ボンデージ?てやつかな、これ」
熟れたトマトのように赤いワンピースに、ブーツは艶のある黒を合わせてみたけれど、我ながら余りにもしっくりきて、つい笑みが溢れてしまう。
鎧を纏って、私の〈よそいきモード〉はようやく完成する。
ステージに立てば、誰もが私に魅入る。視覚も聴覚も神経も、全てを私がジャックする。私にはそれが出来る。そういう自己暗示をかける。
細くて暗い廊下を行けば、ステージの傍の出入り口に繋がっている。何度も来た事のある箱だから、勝手は大体分かっていて便利だ。
地響きと共にドアの金属部品が震える音の先、ドアを開ける。
「わあ、いっぱいの人」
ざわつく観客の声、ズンズンと響くスピーカーの音、全てがダイレクトに鼓膜に響き、さらには足の底から身体へ伝わってくる。
仮眠は少し取ったものの、ダメ押しでエナジードリンクを飲んだものだからカフェインで余計に身体が震えている。
大丈夫。今日も。
「……がんばるぞお」
〈私〉になった私が素のテンションでゆるく気合いを入れ、今宵もライトが照らすステージへと向かった。
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