第8話

「わ、もうこんな時間だ」



メールの通知が来たので、茉優來に一言断ってそれを手に取ると、画面の時計は15時を示していた。


文章の内容は今夜のイベントの業務連絡だ。



「今夜もイベント?」


「そう。今日のはアパレルブランド主催のイベントだから、いつもの10倍ぐらい"よそいき"で行かなきゃなの」


「10倍で足りる?」


「……15倍で行こうかな」



ふは、と笑われる。



「アパレルってことはさ、モデルとか来るんじゃないの?」


「あ、オファー来た時に担当の人がそんなこと言ってたような気が、しないこともない、かも」


「いや曖昧すぎん?私だったら絶対忘れないよ、イケメンとか来るってことじゃん。最高か?」



とか言いつつ自分は絶対に来ない。その癖、嬉々とした様子で食いつく茉優來は無類のイケメン好きだ。来てくれた暁には堂々とゲストとして招くと何度も提言しているというのに。



「どうする?ここでまさかの出会い、あるくない?」


「いやいや、絶対ないよ」


「どうしてよ?」


「まず、企業主催のイベントとは言え、クラブに来る男の人なんて絶対遊び人だし、モデルさんだったら尚更だよ。せいぜいワンナイトできそうな子見つけてこっそり遊ぶだけだと思う。私とは恋愛の価値観がまず違うだろうし」



嫌悪感たっぷりで饒舌に言い切ると、唇を突き出してものすごく不満気な表情の茉優來が低い声で、今度は猫のように唸る。



「でもお、いるかもしれないじゃんかあ」


「運命のなにがしが?」


「そ。まあうぶで処女で?恋愛初心者の?あっちゃんには?分からんと思いますけどね?」


「もお!全部余計だから!」



揶揄いながらきゃっきゃと愉しそうな声を上げる茉優來。


けれど、言われて改めて考えてみれば、私の恋愛スペックが高校生どころか中学生もびっくりの低さであることに気付く。


……何だ。彼氏いない歴イコール年齢の25歳処女って。


湧き上がる羞恥心で堪らず顔に熱が集まってくる。



「これでセクシーとかエロいとか言われてんの、逆におもろい」


「それはまあ、キャラクターじゃん……」


「嫌じゃないの?今に始まったことじゃないけど、男嫌いなのにそう言う目で見られるのは」


「音楽続けるために必要だと思うから、そこは今でもちゃんと割り切ってるよ」


「かー!真面目だねえ。でもそこも面白い。面白いし、可愛いわ。ある意味ギャップ」



相変わらずよくわからないところを若干貶しつつ誉めてくれたところで、店員さんが空になったグラスを下げに来た。


そのタイミングで、今度は茉優來のスマートフォンが震える。



「げ、部長からだ」



部屋の隅で死んでいる蜘を見るような面持ちで画面を睨みながら茉優來が呟いた。


文字を追う目つきが段々と険しくなり、画面を閉じると共に一度目を閉じ、心を落ち着かせるように深く息を吸っている。


これは相当腹が立ったときの茉優來の癖だ。何か面倒な事でも起きたのだろう。


肺いっぱいに吸い込んだ空気を勢い良く吐き出してから、今度は一回白目を剥いて、茉優來が言う。



「私の持ってる案件がトラブったらしい。今から会社行ってくる」


「うわあ、お疲れ様……」


「ジジイがめっちゃキレとるわ。もう既に疲れた」



休日に呼び出しとはさすが、彼女曰く『金払いが悪かったら30分で辞めてたブラック企業』だ。



「ごめんね、阿都。せっかく時間合わせてくれたのに」


「気にしないで。粗方話せたし」



本来断っても良い筈のところへ送り出すのは少々気が引けるけれど、茉優來が行くと言うのなら仕方がない。


急いで片付け、席を立った彼女に「また連絡するね」と声をかけ、ひらひらと手を振って見せる。



「本当ごめんね!今度埋め合わせするから!」



お会計足りるかな?!と5千円札をテーブルに置いた茉優來は、要らないよと言う私の声を無視して顔の前で手を合わせながらそう言って颯爽と店を後にした。


けれど、どの道そろそろ帰って用意をしなくちゃならなかったので、茉優來の置いて行ったお金を財布に仕舞ってから会計を済ませ、QRコード決済アプリの送金完了を確認して私もすぐに帰路に着いたのだった。

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