第14話 人気女優とのディナータイム③



「うちっていうのは、お、大崎の……??」

「そこ以外にどこがあるんですか??私の今住んでる家ですよ??」



 チンっとエレベーターが到着して誰もいない箱の中に乗り込んだものの、俺は大崎が言っている言葉の意味がまるで理解できなかった。

 友人がいなかった俺に誰かの家に行くというだけでも難易度は相当に高いのに、ましてや女の子の家に行くなんて想像できるわけがない。


 こんなことになるなら気安く『俺にできることなら』とか言わなければよかった。

 自然な素振りで大崎の握った手を放そうとしても『逃がさん』と言わんばかりにガッチリ掴んでくる。しかも痛いぐらいに。



「この時間から行くのは……」

「一人暮らしなんで迷惑も何もないですよ??今日は掃除もバッチリで、誰が来ても問題なしです」

「も、もし誰かに見られたら……」

「その時はその時です。うちの事務所は恋愛NGじゃないですし、それに週刊誌の連中なんて放っておけばいいんです。人のプライベートを嗅ぎまわって何が楽しいんだか」

「恨み節が光ってるな……」



 エレベーターが一階に近づいていけばいくほど、外堀が埋められているような気がしてならない。

 いくら家主がOKを出していたとしても、男女二人で、しかも夜の大崎の家にお邪魔するのはさすがにマズイ。

 他者がどうこう、家主がどうこう、の以前の問題で、俺の理性の問題もあるわけで。



「……なので、上野さんが心配する要素は皆無と言っても過言ではありません」

「どう考えても過言だと思うんだが」



 狭いエレベーターという密室の中、しかも距離の近い大崎からは惑わすような甘い香りがする。



「上野さん……??」

「な、なんだ……」



 そんな押し問答を続けてどれくらいが経っただろうか。

 年下の女の子に負けないようにと理性と戦っていたからか、二十四時間働き続けたかのような疲労感だ。

 階層を表示しているモニターが1になった瞬間、安堵した俺を刺すように大崎の冷えたトーンが箱に響く。



「女の子に、恥、かかせないで」

「……は、はい」

「よろしい」



 さっきまでどうにか守っていた防衛ラインは何だったのか、と思わせるぐらい、大崎の冷えた攻撃はすさまじかった。

 女優モードでも見たことのない深々と突き刺さる視線は、藍色の瞳のせいで余計に迫力が増していた。


 そんなのを前にして首を横に振り続けることなんて俺にできるはずもなく。



「♪~」



 チンっと乾いた音を響かせて、エントランスにうきうきと出る大崎に手を取られながら、木陰でひっそりと客待ちしていたタクシーに押し込まれて、俺は言われるがままに連れ去られていくのだった。




――




「ありがとうございました~」



 タクシーの代金を何事もなかったかのようにカードで支払い、俺を引っ張っていく大崎。

 バタバタと外に出ると、そこは都内の中でも有数のタワーマンションが――あれ??



「ここが……??」

「そうです。私のお家ですよ??引っ張ってきてなんですけど、家の中狭いんであんまり期待しないでください」



 俺が想像していたのは芸能人や政治家の御用達である超高級タワーマンションだ。セキュリティーもトップレベルで、外装もこれでもかと言うくらい凝っている、いわゆる成功者の証みたいなもの。


 しかし、目の前にあるのは一般的なマンション。

 俺が押し屋のバイトしている駅から離れておおよそ二十分くらいの立地にある閑静な住宅地の一角。

 都内の超好立地というわけでもなく、こんな人気女優が住むにはちょっと意外な場所だった。



「立ちっぱなしもあれですし、早く中に入りましょう。この前美味しいハーブティーを買ったんですよね」

「お、おい……!!あんまり引っ張るなっ!!」

「だって上野さん逃げるじゃないですか」

「ここまで来て逃げたりしない」

「そ、そうですか……」



 少し大人しくなった大崎に連れられて中に入り、エントランスオートロックに鍵を差し込んで開錠。

 流れで小さなエレベーターに乗り込んで途中のフロアで降りて、角部屋の前にたどり着く。



「ど、どうぞ」

「お、お邪魔します」



 言われるがままに玄関をくぐり、大崎が先導する形で部屋に入ると白を基調にした綺麗に整った部屋があった。

 どこからか漂う甘い金木犀の香りが優しく部屋を包み込んで、女の子の部屋らしさをより際立たせる。



「実はこのマンション、家族向けと一人暮らし向けが一緒になっているんです。ここは家族用でも二部屋しかない手狭な方ですけど、新築なんで綺麗だとは思います」

「俺の住んでるボロアパートよりもはるかに大きいし綺麗だぞ」

「今度は上野さんのお家にも連れて行ってくださいね」

「き、機会があればな……」



 大崎の今日みたいな強引さがあれば俺が断っても押しかけてきそうだなとは思う。

 口には出さずに二人掛け用の小さなソファに座らせてもらうと、大崎は「着替えてきます」とだけ言い残してもう一部屋へと入っていった。



「……ほんとに来ちゃったな」



 こうやって実際に部屋に入るまで緊張しっぱなしだったが、一般人向けの空間に入ったと思えば少しだけ心に余裕ができてきた。

 さすがに部屋の中をジロジロ見るわけにもいかないと思い、真っ暗なスマホを見つめて何とか冷静さを保とうとしておく。

 これが令和の座禅だと言わんばかりに集中しても、金木犀の他から漂う別の甘い香りが俺の集中力を削ぐ。



「お待たせしました。お茶入れますね」

「……っ」



 大崎の声がする方向に反射で振り向くと、そこには薄手のTシャツとショートパンツ姿の完全オフの大崎がいた。

 その破壊力は女優モードやお忍びモードの外向けの姿しか知らない俺からしたら破壊力は絶大だ。


 少し緩い襟元からは白い素肌が見え、かがんだタイミングでその先の深淵も覗けてしまいそうになるほど危うい。

 ショートパンツから伸びる生足はまるで陶器のよう。観賞用の高級な皿のように滑らかで、かつその色味も美しい。

 こんなの生殺しだ。男を家の中に上げているというのにこの無防備さは危険要素しかない。



「……さん。上野さん??」

「な、なに!?!?」



 さすがにそんな危険な方を向けるわけもなく、心の中で念仏を唱えていると彼女が俺の顔をのぞき込んでいた。

 お盆を手にもってかがんでいるせいで深淵の先に青い紐のような何かがちらっと見えてしまい慌てて目を逸らす。



「どうしたんです、ボーとして??ハーブティーできましたよ。私のお気に入りです」

「あ、あぁ。ちょっと緊張でな。ありがとう、いただくよ……」

「女の子の部屋、初めてですか??」

「そりゃあ、な。そもそも友達の家に行ったことなんてなかったし」

「上野さんの初めて……」



 ふふっと桜色に頬を染めている大崎を横目に、彼女が入れてくれたハーブティーに口をつける。

 いろいろとざわついていた心に染み入るような優しい味。仕事や大学で忙しい大崎にとってホッと一息つけるアイテムであるというのにも納得だ。



「美味しい……」

「気に入ってもらえたようでよかったです。人それぞれ好みが分かれますし」

「俺は基本なんでも飲むタイプだからな」



 そう言って大崎と雑談を繰り返していくうちに、だんだんと意識がボーっとしてくる。

 緊張の糸をほぐして、リラックスさせる効果もあるのだろう。

 すっきりとした味の中に、茶葉らしい若干の……がアクセントになって――



「ほんと……こんな美味いのは初めて……のん……」

「……眠たいですか??」

「ちょ、ちょっとだけ……」



 これがいわゆるリラックス効果なのか。そういえばハーブティーは眠気を促すって何かで見たような……

 頭がどうもはっきりしないし、瞼も重いし――



「すまん……ちょっと……目瞑る」

「はい、好きなだけどうぞ」



 いくら何でも他人の家でリラックスしすぎだ。

 そう思って無理やり意識を保とうとしても俺は抗うことができず、どうにかカップをソーサーの上に置いてそのまま意識を手放した。


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