第35話:ふたりの巫女、それぞれの『解放』

「着ろ。目立つ」


バユが、通路で酔って寝ている男の外套を引き剥がし、アマヤに差し出した。

アマヤはそれを受け取り、黙って羽織った。


「……ありがとう。」


ダンジョンの地下一階は、ほとんど路地裏のような有様だ。

すっかり制圧されており、露店まで出ている。


遺跡探索者たちが、あちこちで食事をし、酒を飲んでいる。

無防備に横になっている者も多い。


アマヤはポーチから銀貨を出し、寝ている男の懐に入れた。

外套代のつもりだろう。


バユはそれを見ていたが、何も言わずに歩き出した。

仮面はつけていないが、フードを深く被って顔を隠している。


アマヤもそれにならった。

こんな場所では、女二人だとバレない方がいい。

だが、二人は否応なく目立っていた。暗虎を連れているからだ。


馬ほどもある真っ黒な猛獣を見て、人が避けるので、自然と道が出来る。

二人はその道を悠々と歩いて、ダンジョンを出た。


外は青い光が差し、夜明け間近の冷たい空気が頬に気持ち良かった。

そこは広場で、朝市の準備がもう始まっていた。

粗末な屋台、石畳に転がる木箱。人々が黙々と立ち働いている。


ダンジョンの出口は石作りの小さな塔になっていた。

広場の中心に建っていて、出口が四方にある。


朝市が始まれば、地下の酔っぱらいたちも地上に上がってきて、

温かいしっかりした食事にありつくのだろう。


暗虎を見た人々は驚いたが、暗虎はすぐに跳び上がって広場の向こうの闇に姿を消した。

そのため、大きな騒ぎになることはなかった。


「何処へ……」


「狩りだ。あいつの自由だ」


そう言って、バユは無造作に歩き出した。アマヤもあとに続いた。


◆◆◆


「……いま、あなたとこうしているのが不思議」


パンの切れ端をかじりながら、アマヤがぽつりと呟いた。


二人は市場の端に腰を下ろし、暖かい汁物と固いパンで腹を満たしていた。

軒先には吊るされた魚の干物、通りには叫び声と笑い声が混ざっている。


「……成り行きだ」


「森で別れたのに、どうしてあそこに居たのか聞いていい?」


アマヤの問いに、バユはスープをひと口すすってから、ぽつりと答えた。


「別の遺跡から転送された」


「……望んで来たの?」


「そうだ」


バユは器を置いた。手首には食べ物の油が少しだけ光っている。

アマヤはしばらく黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。


「……ありがとう。助けてくれて」


「それも結果だ。オレの目的はロクヤだった」


「うん……でも、あなたのおかげで逃げられた」


バユは少しだけ、口の端を持ち上げたように見えた。

だがその表情が意味するものを、アマヤは読み取ることができなかった。


「水の巫女というのは強力な魔法を使うんだな」とバユが言った。


「……禁術を使ったの。もう、わたしは巫女とはいえない」


二人の間に沈黙が流れた。


「巫女でなくなると、どうなる?」


アマヤは、きょとんとした顔でバユを見た。


「え……さあ、考えたこともなかった。無職になるってことかな」


バユが小さく鼻から息を吹き出した。

これならアマヤにも分かる。笑ったのだ。


「自由になるとも言えるな」


バユは面白そうに言った。

アマヤは自然と笑顔になっていた。


◆◆◆


「よう、お嬢さんたち、いい朝だなあ」


うるさい声が割り込んできた。


通りをふらふらと歩く三人の男。目は据わり、手には空の瓶。

革の鎧を着込み、剣をぶら下げている。遺跡探索者でもガラの悪い部類だ。


「ちょっと分けてくれよ、そのパン。おっと、その体もな」


ひとりがアマヤの肩に手をかけようとした瞬間、バユが動いた。


男の手首を取り、逆関節に極めてそのまま地面へ。


「痛い痛い痛い痛い!!」


「で?」


残りの二人がひるんだ瞬間、アマヤの掌に小さな水の膜が生まれた。

空気中の水分が、手のひらに集められていく。


「やめておいた方がいい。オレの方が優しいぞ」とバユ。


「ひっ……すまん、すまんってば!」


三人の男は這うようにして去っていった。


アマヤはバユを不満そうに見つめた。


「なに、オレの方が優しいって」


「事実だ」


「そんなことない!」


バユが体が破裂するジェスチャーをして、アマヤがさらにむくれた。


そのとき、広場の空気がわずかに揺れた。

ざわめきと小さな悲鳴が聞こえる。


通りの奥から、暗虎が悠然と歩いて戻ってきた。二頭に増えている。

背には、ひとりの人間の姿。風に外套がなびかせながら手を上げる。


「よお、無事だったか」


アマヤは一瞬でその姿を見分けた。


「クガツさん……!」


クガツは無言で近づいてきた。

風を背に受けて、無表情に立ち止まる。


「あの、どうして……?」


「まあ、待て。こっちにも色々聞きたいことがある。いっこだけ、慌てる必要はねえってことだけ言っとく」


「朝飯、まだでしょ。買ってきて」


そう言って、バユが銀貨を投げた。


◆◆◆


「え、じゃあ、村は無事だったんですか!?」


アマヤは思わず大きな声を出した。

まわりの視線を感じて、声を落として続ける。


「でも、オクシトが確かな情報だって……」


「どいつが騙したのかは知らねえ。でも、あんたは騙された」


クガツがパンをスープにつけながら淡々と言った。


「でも……」


「あんたへの借りはこれで返した。すまねえが、俺はバユに話がある」


「お前と別れてすぐ、ことは起こった」


「おい、巫女さんに聞かれていいのか」


「構わない。もう巫女じゃないんだってさ」


「……そうなのか」


バユはクガツに影手の村が壊滅した経緯を端的に語った。

アマヤは隣でそれを聞いていた。


◆◆◆


――声が、した。


気のせいじゃない。ナレの声だった。


ユリカの意識は、重い泥の中に沈んでいた。

外から入って来ようとするものと戦うための深い集中。


何も見えない。いや、見えるのかもしれない。

けれど、それを認識するには、あまりにも痛みが強すぎた。


肉体的な痛み、識心を侵食される痛み。

対抗するには、まるで痛みがないかのごとく振る舞う必要があった。


そのための集中。


「……ッ、ぐ……」


加えて何重もの術式が、彼女の識心を封じていた。

ヴォルトの式ではない。もっと、古くて……冷たい。


(……ユリカ……)


かすかに、誰かが名を呼んだ気がした。

その瞬間、ユリカの中の何かが、はじけた。


ユリカは、視た。


ぼやけた視界の先に、光があった。

ダンジョンの闇を破って現れた三つの影。


男――ナレ。


女――ナティラ。


そして、キーマン。


「……来てくれたんだ……」


口が動いたのか、心で呟いたのかは分からなかった。

けれど、その想いは確かに波紋となって広がった。


全身を縛っていた識心の鎖が、少しだけ緩んだ気がした。


(――だめ、違う。そうじゃない)


一瞬の甘え。


だが、それが引き金になった。

異形の闇がぐっと奥に入ってきた。激痛に背骨が軋む。


(……このままじゃ、押し返せない)


集中がとぎれて、かえって意識が明瞭になる。


(あたしが負けるわけにはいかない……でも……)


このまま彼らが近づけば、巻き込む!


「だめ……来るな……!!」


もう限界だった。


ユリカは力を解放した。

炎の巫女としてのすべてを、いまこの瞬間に賭ける確かな決意とともに。

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