第34話:闇が来る――せめて普通の魔物にして!

ダンジョンは静かだった。


俺は足を止めた。暗く続く通路の壁に手を置いてみる。

黒茶色の、妙に冷たい感触。ざらつきのない滑らかな材質。


――やっぱり、変だな。


この世界の者たちは、こういう場所を「古代文明の遺跡」だと言う。

俺も一度はそれを受け入れた。けれど、この均質な作り、重なったハッチ式の扉。

どうしても、宇宙船――それも、恒星間航行を想定した巨大船を連想してしまう。


ナティラが、隣でモニター端末を確認している。

ぴ、と小さな音がして、彼女が首をかしげた。


「また識心の濃度が変わった……これ、普通の遺跡じゃないよね」


――それがどう異常なのか俺には分からないが。


「妙に綺麗なのも気になるな」

キーマンがぼそっと言う。

黒い眼帯の奥で、彼女はじっと通路の先を睨んでいた。


たしかに、ここには埃も、カビの臭いもない。

ただ空気が澱んでいるだけだ。


「他の入り口から切り離されてるんだろうな」

キーマンの声は静かだったが、確信めいていた。


彼女は遺跡探索者ギルドのギルド長だ。遺跡を知り尽くしたプロ中のプロ。

そのキーマンが、わずかに困惑している。


ナティラも、端末をしまいながら苦笑する。


「遺跡って、もっと埃だらけで、散らかってるものだよね」


彼女は水の神殿に仕える技術者であり、癒し手だ。

神殿そのものが遺跡であり、日常的に遺物の修理や保守を行っている。

さっきのモニター端末も遺物のひとつだそうだ。


――まあ、俺だけ素人ってわけか……


俺たちは異形の怪物がいた巨大通路から出て、ダンジョン内をさまよっていた。

いまは、キーマンが見知った領域を目指している。

何をするにしても、迷子では仕方ないからだ。


進むべきか、引き返すべきか。

ふと、一行の足が止まった。


「動こう。ルスカたちに合流しないとね。あの子、無茶ばかりするから」

ナティラが気持ちも立て直す。


「それに、ユリカも心配だな」

俺が答えると、ナティラは静かにうなずいた。


キーマンは無言のまま、奥へと続く闇を見据えていた。


青白く滲む光が、床の筋に沿って流れている。

俺たちは、その光を踏みながら、さらに奥へ進んだ。


そのとき――


視界の端で、何かが蠢いた。


ずるり、とぬめったものが這う音。俺は即座に立ち止まった。

ナティラはポーチを探り、キーマンは静かに眼帯に手をかける。


闇の奥から、魂を軋ませるような嫌悪感が溢れ出してきた。

俺は無意識に、ナティラを後ろへかばった。


そして闇の中から、それは姿を現した。


ひしゃげた獣の骨に、粘つく黒い肉がまとわりついたようなものだった。

頭蓋は半分溶け落ち、剥き出しの骨から異様な気配が漏れ出している。


――これが、魔物か……


「異形――どういうことだ?」

キーマンの言葉で、あれが遺跡によくいる魔物ではないと知れた。


いきなり、そいつが突進してきた。

キーマンが素早く眼帯を外す。


露わになった左目――

黒に近い灰色の瞳孔が、闇の中で微かに光った。


「鼠か」キーマンが低く呟き、腰の十手に似た武器を抜く。

肉塊の中に、彼女は何かを――おそらく弱点を見ている。


鋭く踏み込み、武器を突き出す。


ガン、と硬質な音。

突き刺さった先で、異形の体がぐにゃりと捩れた。


だが――それだけだった。

異形は、まるで粘液のようにキーマンの腕にまとわりつき、引きずり込もうとする。


俺は反射的に、一歩踏み出した。

左手でキーマンを引き寄せ、右拳を異形の中心に叩き込む。

感触は、異様だった。粘る肉の中に、塊がある。


――弾けた。


一拍遅れて、異形の体が内部から崩壊する。

肉塊がどさりと落ち、その中に毛の生えた小さな動物の死体があった。


キーマンが驚いたように俺を見た。


「……今、何をした?」


大して動いていないのに、俺は肩で息をしていた。

ハアハアと荒い息をつきながら答える。


「わからない。でも……魂ごと、叩いた気がする」


キーマンは目を細めて、俺を見つめた。

その瞳は、合わせ鏡を覗き込んでいるかのような無限の深みを持っていた。


俺は意識を持って行かれて、よろけた。

キーマンは、はっとしてアイパッチをした。


「……行こう」俺は短く言った。


通路は徐々に傾きながら、地下へと潜っていった。

空気はさらに重く、光も細くなっていく。


「識心の流れ……異常なパターンになってる」

ナティラがモニター端末を覗き込み、顔をしかめた。


「どういうことだ?」俺が訊くと、ナティラは小さく首を振った。


「たぶん、通路全体を使って……なにか、描いてる」

「描いてる?」

「結界か、魔法陣か……でも、規模が大きすぎる」


ナティラの声は震えていた。


――嫌な予感しかしないな。


さらに数十歩進むと、通路がぐっと広がった。

前後左右、すべてが闇に呑まれる。


そのときだった。


ずるっ……ずるっ……


湿った、いやらしい音が四方から聞こえてきた。

視界の隅で、何かがうごめく。


「囲まれてる!」

キーマンが叫び、素早くアイパッチを外した。


あらわになった灰色の瞳が、闇の奥を鋭く射抜く。


「数十……いや、もっといる」


ナティラが拳銃型の遺物を構え、背中を俺に預けた。


「集まれ!互いの背中を守るぞ!」


俺たちは背中を合わせ、三角形を作った。


そして、闇が――やってきた。


ぬるり、と。

じりじりと。

重く、粘りつくように。


無数の異形が、通路を埋めるように蠢いている。


骨と肉をぐしゃぐしゃに混ぜたような肉塊。

魂が剥き出しになった、濁った化け物ども。


その群れが、音もなく迫ってくる。


「来るぞッ!」


俺は反射的に、一番大きな塊に向かって拳を叩き込んだ。


しかし――手応えはなかった。


異形たちは俺たちにまとわりつくでもなく、

まるで――


(……俺たちを、無視している?)


粘る肉塊たちは、俺たちの間をすり抜け、

振り返る間もなく、通路の奥へと雪崩れ込んでいった。


その後に残ったのは、異様な疲労感だけだった。


「はあ、はあ、なんなの……なんなのよ!」

ナティラが膝をつき、叫んだ。


キーマンも十手型の武器を支えにして、肩で息をしている。


俺も、ひどく消耗していた。

生命力をごっそり持っていかれたような、そんな感覚だった。


――そのときだった。


全身を貫く、絶叫。


音ではない。魂を軋ませる、存在を振り絞った悲鳴。


「ユリカ!」


俺は叫んでいた。


通路の奥、異形たちが消えていった先から、

爆音とともに、焦げた風が吹き付けた。


そして俺は、確信した。


――ユリカが、呼んでいる。


このダンジョンの中心で、苦しみの中で、俺たちを。

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