第28話:奈落の底の恐怖――俺は深淵をのぞかない!

「ぐあああああ!!」


自分の叫び声で目が覚めたことある?――俺は初めてだ。

腹の強烈な異物感と燃えるような激痛で、身動きひとつできない。


「待ってて、いま抜くから!」


ナティラの声がして、俺の体がわずかに押し上げられた。


「ぎゃああああ!!」


ちくしょう、不死身にするなら痛みも消してくれよ!


口の中が熱い。血が湧いてくる。

ナティラに協力したい。けど、声すら出せない。


「ごめんね、我慢して!」と、ナティラが叫ぶ。


しかし――


「いやあっ!」


叫び声とともに、体から手が離れた。


「なに、やめて……っ!!」


彼女は、俺には見えないところで何かと格闘していた。


トゲがガタガタと揺れ、内臓をシェイクする。

叫び声の代わりに、血が口から噴水のように噴き出した。


やがて、粘ついたものが体に巻きついてきた。

強烈に締めつけてくる。


――やめろ。なにもかも出ていっちまう!


そのまま、ずるずると体が持ち上がっていく。

まだ半分刺さっているのに、乱暴に横へ――引き抜かれる。


俺は――たぶん、そこで一度気を失った。

でもすぐに、激痛と衝撃で目が覚めた。


固い地面に叩きつけられ、引きずられている。

ナティラの悲鳴が響いている。


――触手だ。


俺とナティラを引きずっている、ヌメヌメしたものの正体。

嫌な予感が頭をよぎる。きっとこの先には――


「ゴボオオオッ!」


ゲロを吐く音だ。こっちまで気持ち悪くなる。

蠢く壁が、青い光で照らし出される。


「口!」


ナティラが叫ぶ。でも、パニックに陥っているわけじゃない。

引き摺られながらも、ごそごそとポーチを探っているのが見える。


俺は一気に穴に引き摺り込まれた。

全身に切り裂かれるような痛みが走る。


――喰われる!


その瞬間、熱が炸裂した。


くぐもった爆発音。肉の焼ける臭い。

俺を包んでいる肉壁が苦しげに呻き、のたくる。


――ナティラがなにかやってくれた!


希望が生まれる。だが、それで終わりではなかった。

体が傾き、強烈な落下感がやってくる。


「ちくしょう!」


俺は焼けただれた肉に包まれたまま、さらに深い奈落へと落ちていった。


◆◆◆


肉塊は、ぶつかってはバウンドした。

その度に、ぎゃっとか、ぐぇっとか、ナティラが声をあげる。


どのくらい落ちて転がっただろう。


肉塊が止まった。

今度は粘液まみれの肉壁がのしかかってきて、息ができない。


俺は必死で手足を動かして肉の穴から抜け出した。


体中ズタズタだ。

自分の血で滑る手足に苦労しながら、ようやく身を起こす。


そこは、とてつもなく広い通路のような所だった。

壁、床、天井に青い光の筋が走っていて、それが明かりになっている。

大きな照明はないが、周囲の様子はかろうじて分かる。


「んんん、助けてっ……」と、くぐもった声が聞こえた。


「……ナティラ!」


俺は、はっと気づいて肉塊を見た。

細長い円筒形のぶよぶよした塊。それが、もぞもぞと動いている。


肉穴に腕を突っ込んで、ナティラを引きずり出す。

嫌な匂いの粘液にまみれているが、大きな怪我はなさそうだ。


……俺はどうなんだ?


「もう治ってる。すごいなあ」ナティラが俺の体をまじまじと見た。

服に開いた穴から、俺の腹をさする。くすぐったい。


「……ありがとう、ナティラ。マジで死ぬかと思った」


「ううん、爆薬もギリギリだったし。一応、怪我見せて」


ナティラがポーチを探る。

そのときだった。


ズゥゥ……ン……


床が、沈むように揺れた。


「……なに?」


ナティラが声をひそめる。

俺も自然と口をつぐんだ。


空気の密度が変わった気がした。

呼吸のたびに、肺に異物が混じるような圧がある。


ズズズ……キィ……


耳元で、針で引っかくような音。


「……来る」


それだけは分かった。理屈じゃない。

空間そのものが怯えていた。


やがて音もなく、通路の奥が――裏返った。

見えてはいけない何かが、這い出してきた。


ヌルリ、と肉が這う音。

ギチ、ギチギチ……と骨がずれる音。


それは、視界のどこにもいなかった。

でも、見えてしまった。


螺旋のようにねじれた関節、逆に曲がる足。

胴体に埋め込まれた無数の目――そのすべてが、笑っているように見えた。


俺は、視線を外そうとして――失敗した。

理性の芯に、音もなくヒビが入った。


「っ、ナ……ナティ……ラ……」


口がうまく動かない。

頭蓋の内側を、ぬるい触手が撫でまわしているような感覚。


ナティラも同じだ。目を見開いて、震えている。


動けない。逃げられない。

無数の目のひとつと目があう。それで、俺は実質的に支配された。


――もう、だめだ。


そのときだった。


「――伏せろ」


女の声がした。


次の瞬間、世界が白熱した。

鼓膜が破れるような高音、閃光、熱――理解が追いつく前に、怪物が止まっていた。


白い影が跳んだ。

両手に持った奇妙な武器で、怪物の背を貫く。


ズブゥッ……ズズ……


怪物が、揺らめきながら実体化する。

目が潰れていく。肉が逆に収縮して、異様な形で痙攣する。


ナティラが俺を伏せさせる。

女は、そのまま怪物の背を駆け上がり、叫ぶような言葉を吐いた。


理解できない言語――だが、空間がそれに従った。


怪物が痙攣し、煙を上げる。

目玉がひとつ、またひとつと濁って崩れ、骨と肉と膜の塊がどちゃりと落ちた。


静寂が戻った。


女がこちらを振り返る。


「無事か」


言葉は簡潔だが、声音に芯がある。


「……何、あれは……」と、ナティラが震えながら言った。


俺も震えが止まらない。頭の奥で、誰かが笑っている気がした。


――見てしまったものは、もう戻らない。


女が、武器をまとめて腰に納める。


スラリとした体に張りつく白い服に、頭の形が分かる黒いボブカット。

大人びた美しい顔立ちだったが、俺はぎょっとした。

彼女の目が、骸骨のように落ちくぼんで真っ黒なのだ。


――いや、違う。


彼女は両目に黒いアイパッチをしている。それが眼窩に見えたのだ。


――あれで見えているのか?


それなのに、俺は鋭い視線を感じていた。

魂を直接見ている――それが俺には分かった。


――味方だと思いたい。


そう思ったときだ。女の背後で肉の塊が動いた。


「後ろ!」


俺は声を出すと同時に走り出した。

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