第29話:円環の鍵って、俺ぇ!?
「後ろ!」
俺は叫ぶと同時に走り出した。
肉の山――化け物の残骸が、うごめき盛り上がった。
潰れたはずの上半身が、蛇のように鎖骨を軸にねじれ、女の背へとのしかかろうとしている。
頭は真っ白だった。行け、ナレ。前へ出ろ――その叫びのままに、俺は走った。
「逃げてッ!」
ナティラの声が背後から飛ぶ。
だが、間に合わない。
女が振り返った瞬間、残骸の腕が振り下ろされた。
ダメだ、間に合わない!
「やめろお!」
俺は化け物をぶん殴るつもりで叫んだ。体の中身を全部ぶつけるつもりで。
その瞬間、化け物が止まった。
女にとってはその一瞬で十分だった。
腰の帯にさした十手のような武器を抜いたと思ったときには、両手が肉塊に深く沈んでいた。
「***ッ!」
あの名状しがたい叫びが、また女の喉からほとばしり出た。
化け物の動きが完全に止まった。
そして、内側から膨れ上がるように全体が泡立ち、どろどろと流れ落ちた。
見届けた直後、足から突然力が抜けて、俺は走っていた勢いのまま、すっころがった。
ごろごろと床を転がり、仰向けになって止まったとき、女を下から見上げていた。
「……何者だ?」深く落ち着いた声音。
落ちくぼんだ両目に見間違えた黒い革のアイパッチが、俺を見下ろしている。
両目を覆っているのに、彼女は俺のことをまっすぐに「見て」いた。
「助かった。お前、よく動けるな」
「……役に立ったなら良かったよ」
ナティラが駆け寄ってくる。
「あれは、なに?」
「いまは、もう大丈夫だ」
女はそう言うと、化け物の残骸を見た。
流れ広がる液体の中に、何かの塊があった。人型に見える。
「核が残っていた。識心の残響が、身体を勝手に動かす」
女が真剣な顔で振り返った。
「それでお前らさ……煙草ある?」
俺たちは無言で首を振った。女は、残念そうに深いため息をつき、指先に火を灯した。
皮膚の間から漏れるような燐光だった。
「すごい……」
確かにすごいが、ナティラがそこまで感心する理由が俺には分からなかった。
――アマヤとかユリカの方が、よっぽど大きな魔法を使ってたよな。
「なあ、ナティラ。それはどういう……」
言いかけて、ナティラの視線が俺を見ていないことに気がついた。
女が、いつの間にか化け物の残骸の中にいた。
「お前ら、どうやってここに来た?」
振り返らずに、ぽつりと問う。
「薬草屋の廊下から落とし穴で落とされました」と、俺は答えた。
「忍び込んだの?」
「いえ。正面から入って、教団に用があるから代表者を出せと言いました」
女が伸びるようにしてこちらを見た。楽しそうに笑っている。
「やるね!」
「無謀でしたけどね」俺は苦笑した。
「……さて」
女が人型に見える塊に向き合う。
「たぶん大丈夫だが、一応気をつけてくれ」
そう言って、塊の表面を撫でた。
すると、膜が破れるようにして塊が割れて、中から女性が出てきた。
赤黒く汚れているが、服も着ている。その顔は、目を閉じて微笑んでいた。
「……知り合いですか?」と俺は聞いていた。
アイパッチの女はしばらく黙ってから答えた。
「昔、冒険を共にした仲間だ。こんな所にいたのか」
女は静かに額に手を当て、唸るような言葉を呟いた。
死体が、ぱんと割れた。
肉体が溶け崩れて、服だけが女の手に残った。
カランッ――
乾いた音がした。
女は、手の平と同じくらいの大きさの黒茶色の円盤を拾い上げた。
女は円盤を腰のポーチにしまい、立ち上がった。
「自己紹介といこうか」
女が目の前に立つ。背が高い。
「あたしはキーマンという。遺跡探索者ギルドのギルド長だ」
「あなたが――」とナティラが驚きの声をあげる。
「わたしたち、あなたに会いに行ったの」
「そうなのか。誰かの紹介か?」
俺はユリカのことと、ギルドで話したのと同じ状況説明をした。
キーマンはひとつうなづいてから、
「まず、お前らのことを教えてくれないか」
「あ、すみませんでした」と、俺は慌てて居ずまいを正した。
「俺は景山ナレ。この世界じゃない場所から連れてこられました。今夜来たばかりです」
キーマンが軽くあごを引く。
「わたしはナティラ。水の神殿の技術者で、癒しの術式を使える」
キーマンのアイパッチが今度はナティラの方を向いた。
ナティラは少し震えながら、それでも正面から受け止めている。
「色々聞きたいことはあるし、そっちにも言いたいことがあるだろうが――」
と、言葉を切ってキーマンは口元に手を持って行った。
――いや、煙草ないから。
アイパッチがこっちを向いた気がした。
「……残念なお知らせを先に済ませた方がいいだろう――出口がない」
俺とナティラは顔を見合わせた。
「ここ、ダンジョンだよね。だったら通路があるんじゃ――」
「この空間は閉じてる。この通路はぐるっと回って繋がってる」
「でもダンジョンは通路で縦横につながってるから――」
「何度もさえぎって悪いが」と言って、キーマンは手の平を前に突き出した。
「あたしは体感で三日くらいここにいる」
――つまり、探し尽くしたということか。
「あの化け物はどうしてたんですか?」と、俺は聞いた。
「さっき初めて出てきた。どこかに潜んでいて、そっちの侵入に反応したんだろう――たぶんお前だな、ナレ」
「あなたのその目でも見つけられなかった?」
「ほう、鋭いな。その通りだ。他の魔物はいたがな」
「もし、化け物が俺に反応したなら……ちょっとさっきの円盤を見せてください」
キーマンは、ためらいなく黒い円盤を俺に渡した。
円盤はずっしりと重かった。
片面は平ら、片面には複雑な紋様が刻んである。
有機的だが規則的で、なにか意味がありそうだ。
「この紋様、水の神殿でも見ました」
「ああ、それはそうだろうな。ダンジョンと神殿はどちらも遺跡だ」
「……なるほど」
「ねえ、ナレ。それ光ってる!」
ナティラの声が興奮している。
――あ、これ始まりました。
「これ、遺物だ……すごいわね」
俺はされるがままに円盤をナティラに渡した。
すると、青い光はゆるやかに消えていった。
「お前に反応したか」と、キーマン。
「通路はなかったんですか?」
「ああ。だが正確には通路はあったが、閉じていた」
「扉の隣に平らな板はありました?」
「……どうだろう、分からないな」
「案内してください」
俺の言葉に、キーマンはうなずいた。
「ちょっとナレ、もう一回持ってみて!」
ナティラはもはや自分の世界に入っていた。
俺の手に強引に円盤をねじ込み、光ったのを見て喜んでいる。
俺は歩き出したキーマンについて行きながら、疑問を口にした。
「キーマンさんは、どうやって入ってきたんですか?」
「ギルドからの転移だ。おそらく罠だ」
ナティラがはっと顔を上げる。
「転移装置の故障じゃなくて?ここには転移装置はないの?」
「まあ故障の可能性はあるがな。だがこっちの装置が動かないのも、仕組まれたものだと思う」
「ギルドの権力闘争ってところですか」
「教団への対応でふたつに割れていた。お前らがやられたことを考えると、ゼイランだろう」
「巫女ユリカは?」ナティラが心配そうに聞いた。
「殺されることはないと思うが、教団の手の内だろう。巫女をさらって、何をやろうってのか……」
その後、しばらく無言で歩き、キーマンが止まった。
「ここだ」
壁に、真ん中に線が入った円形の扉があった。
高さは2メートルほど。明らかに「ハッチ」だ。
扉の横には案の定、丸いパネルがあった。
俺は念の為、自分の手の平を当ててみたが、反応はなかった。
「ナティラ」と言って手を差し出すと、ずっしりとした重みが乗った。
俺は円盤をパネルに当てた。
「わあ、すごい!」ナティラが歓喜の声を上げる。
光が円盤を中心にパネルを走り、ハッチの縁が光った。
最初の扉が横に開き、次の扉が縦に開き、その次がまた横に開いて、通路が現れた。
「やった!」
ナティラが飛び込んでいこうとするのを、キーマンが長い腕でがっちりと抱き止めた。
「キーマンさんは、ユリカと知り合いですか?」と、俺は聞いた。
キーマンはナティラを抱えたまま答えた。
「……昔、同じ遺跡を歩いた。ミョルニもな」
ナティラを離して、キーマンは通路の奥を見つめた。
アイパッチの奥から何を見ているのか、俺にはまだ分からなかった。
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