第27話:駄目だこの街、誰も信用できない!

ギルドの奥に消えた蛙男を、俺たちは無言でしばらく待った。


「あれはナッド族っていうの。指の吸盤で書類をぺらぺらってね、うまいんだよ」


俺がよほど驚いた顔をしていたのか、ナティラが教えてくれた。


「色んな種族がいるんだな」


「そうだね。水の神殿は、ほとんど人なんだけどね」


「……時間かかるなあ」と、ユリカがぼやいた。


その直後、階段の上からナッド族の男が降りてきた。


「こちらへ……」独特のくぐもった声で言った。


俺たちは、2階の奥まった部屋へ案内された。


そこにいたのは、黒曜石を削り出したような肌の男だった。

顔の輪郭は整っているが、表情というものが存在しない。まるで彫像のようだ。


執務室のようで、手前に会議用の机と椅子があり、奥にどっしりした個人用の机がある。

男は立ち上がって、机を回り込んで歩いてきた。

俺より少し背が高いくらいなのに、足音が異様に重い。


「はじめまして、巫女ユリカ。私はゼイラン。副長です。

  ギルド長のキーマンは外出したまま戻っておりません」


どこか機械的な声。ただ事実を読み上げる、認証音声のようだ。


「最初に申し上げますが、あなた方の来訪は教団に伝えました。ここは心都ですので」


研ぎ澄まされた鉱石のような瞳が、俺たちを真っ直ぐに見つめた。

空気が張り詰める。


――こいつ……教団の関係者か?


ユリカが口を開いた。


「ギルドは教団と繋がってるってこと?キーマンがそんなことするとは思えないけど」


ゼイランがうなずいた。


「あくまで中立です。教団の支持者も多いですから」


――教団の支持者……異端の宗教団体なのに?


「ふーん……キーマンは神殿を支持してたよね」


「それはいまも変わりませんよ。やむを得ずです。炎の神殿も引き上げたではないですか」


ユリカは、唇を尖らせて黙った。


「すみません」


間ができたところへ、俺は口を挟んだ。


「ここへは情報を頂けないかと思って来たんです。

  今夜、その教団が水の巫女をさらいました。心都へ連れ去ったと思われます。

  なにか情報をお持ちではないですか?」


「……あなたは?」


「失礼しました。景山ナレといいます。水の神殿の……協力者です」


――情報を出し過ぎか?でも、このくらい言わないと何も聞けない。


「巫女ユリカと一緒にいるなら不審者ではないのでしょう。そちらの女性も神殿の?」


ナティラがうなずいて、名乗った。


「事情はわかりました。状況は切迫していますね」


俺たちはうなずいた。ゼイランも軽くあごを引く。


「どうぞ、このまま行って下さい。私どもは手出しをしません」


「……どういうことだ?」ユリカの声が低い。


――気持ちはわかる。


俺たちには何の手がかりもない。ここで放り出されたら八方塞がりだ。

そして時間が経つほど、アマヤは危険にさらされ続ける。


「ですから、拘束するようなことはしないと。中立ですから」


「なにも教えてくれないのですか?」と、俺は言った。


ゼイランは肩をすくめた。


「我々にも立場があります。ギルドメンバーもみな、教団の薬草にはお世話になっていますし、

  支配的な神殿に敵意を持っているものも多い。そのことをお忘れなく」


「でも……」と前に進み出た俺を、ユリカが止めた。


「ナレ、諦めろ。これ以上言ってもギルドの立場上なにもできないんだ。

  行かせてくれるだけ感謝するよ。キーマンによろしく伝えてくれ」


「承知しました」と、ゼイランは慇懃におじぎをした。


◆◆◆


「この辺りによく効く薬草屋はあるか。そう、あっちの方に効くやつ」

ユリカが脇道の暗がりに向かって話しかけている。


闇の中から出て来た毛むくじゃらの腕が銀貨を受け取り、指差した。


「まだ奥に行くのかよ」と、俺はぼやいた。


脇道から脇道へと、薬草屋を探して俺たちは歩いている。

暗い、臭い、視線が不穏、建物から悲鳴が聞こえてくる。

そして、この妙な感じ――識心やらマナスやら、この世界独特の力の源が不安定に揺れている。

あんなに治安が悪いと思った大通りに、いまは早く戻りたい。


「やばくなったら引き返すぞ」と、俺は小声で言った。


ナティラがうなずく。ユリカは黙って前を見ている。


建物の壁には、かすれたスローガンや、潰れた神殿の印が描かれている。

そいつらの上に、何かの印らしき奇妙な紋様が上書きされていた。


「ゼイラン、わざとだったよね」と、ナティラが言った。


「……なにが?」


「薬草屋の話。あれ、あたしたちへのヒントだよね」


ユリカのフードが、こくりとうなずいた。


「味方なのか、敵なのか、分からない。でも、あたしらにはこの線しかない」


――そういうことか。


唐突に薬草屋に向かうと言い出したから何かと思っていた。

教団が薬草を売っているというのは、新しい情報だったわけだ。


そして、その通りの突き当たりに薬草屋はあった。


建物の一階部分だけが店舗に改造されている。

外壁はひび割れ、扉の上の木札に『薬香庵』と書かれていた。

周囲の建物に比べると、明らかに人の出入りが多い。


「ここだな……」


ユリカがうなずき、俺たちは戸を押して中へ入った。


薬草の匂いが鼻をつく。

最初は清涼感があるが、すぐに喉に残るような渋みが追ってきた。

あまりいい匂いとは言いがたい。


店内は薄暗く、棚のあいだを布で仕切ってあった。

人影がちらついたが、みな目を伏せていた。


「……いらっしゃい」


店の奥から、しゃがれた女の声がした。姿は見えない。

トントントンと刃物を使う音が聞こえてくる。


ユリカが一歩進み、声を張った。


「炎の神殿から来たんだけど。巫女の件で、話をしたい」


俺は、おいおいと思ったが、すぐに、そっちの方が話が早いと思い直した。


一拍の沈黙ののち、返事があった。


「裏へどうぞ。……通路の奥に、話せる場所がございます」


棚の間を抜け、狭い扉をくぐると、裏手への通路が現れた。

石造りの壁に、脇道で見た印が描かれている。


「教団のアジト、ここだな」と言って、俺は少し鼻で笑ってしまった。


「隠す気、全然ないんだね。それだけ心都で力があるってこと」と、ナティラ。


通路の奥は、わずかに傾斜していた。床に敷かれた金属板が、歩くたびに低く響く。


ユリカ、俺、ナティラ――その順に通る。

進むごとに、後ろが暗く閉ざされていくような感覚があった。


――パキ。


乾いた音。ナティラの足元で、何かがきしんだ。


その直後だった。


通路の中ほど、俺の足元が――沈んだ。


「うわっ!」と叫ぶことしかできなかった。


床が斜めに割れ、俺とナティラの体が吸い込まれる。


ユリカは落ちずに済んだ。

しかし、遠ざかっていく廊下で、炎が逆巻くのが見えた。


そして、穴の上を黒い影がさっと通った。一瞬の金属の閃き。

それを見た次の瞬間、俺は背中から硬い地面に叩きつけられた。


「ぐあおおおお!」


否、それは地面なんかじゃなかった。

俺の腹から、鋭いトゲが何本も突き出ている。


俺の上にナティラが落ちてきた。

俺は彼女をなんとか守ろうとしたが、その記憶の断片を最後に気を失った。

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