第12話:さらわれ巫女と仮面の暗殺者たち
――止んできた。
アマヤが最初に思ったのは、それだった。
頬にぽつぽつと当たる雨と冷たい風。
体の前面に感じる体温。
揺れている。
よく知っている雨の森の匂いと、濃密な獣臭――
誰かの背にくくられて、森の中を移動している。
とても速い。森をこんなスピードで走るなんて普通ではない。
「気がついたか。落ちたくなければ暴れるな」
くぐもった男の声が言った。
手首と足首は縛られている。口にさるぐつわ。
これでは静かにしているより他にない。
尻の下に、しなやかにうねる獣の体を感じる。
濡れた地面を蹴る重くも軽やかな音と、フッフッという呼気が聞こえる。
――まわりにも何体か走ってる。
とても大きな獣だ。馬くらいある。
でも、蹄の足音じゃない。細やかに足の踏み場を選んで走っている。
「さらわれている」――心当たりはいくつかあった。
ルスカからもオクシトも、なにかと気を付けるように言ってきた。
神殿から出られない私に言う意味あるのかな? と思っていたが、根拠はあったようだ。
彼らの心配した通りになってしまった。
――でも、わたしは諦めるわけにはいかない。
アマヤには、どうしても神殿を出なければいけない理由があった。
唐突に、獣の疾走が終わった。
「どうした――キツネ」前方の闇から女の声が聞こえた。
「刻限にはまだある。ここらで休んではどうだ」と、アマヤを背負った男が答える。
「いいね。濡れ鼠で、このままじゃ風邪を引いちゃうぜ、お嬢」
「イタチ――外の者がいることを忘れるな」
若く澄んだ感じの男の声を、アマヤの前の男――キツネがたしなめた。
「承知」と従う声は、しかし悪びれた風はなく、どこまでも飄々としている。
「ウサギ、野営地を探せ。イタチは警戒、キツネは客人を手当てしろ」
女の声でみなが動き出した。
アマヤはキツネに背負われたまま獣から降り、背中から下ろされた。
「失礼」
キツネがアマヤの背中に手を当てる。
「もう気が回復してる。さすがは水の巫女だ」キツネが感心したように言った。
――気とは識心のことだろうか?
自分が学んできたのとは違う術理の言葉だ。
かなり興味を引かれたが、アマヤは黙っていた。
賊と無駄な会話をする必要がないことくらい、分かっている。
雨はほぼ止んでいるが、月も星もない夜の森は暗い。
くわえて人も獣も真っ黒で、輪郭まで闇に沈んでいる。
――どうにかして、逃げる。村へ行くんだ。
雨上がりの森だ。周囲に水はたくさんある。チャンスはあるはずだ。
「準備できました」少し震え気味の少年の声。
「ごめんよ」
「わっ!?」
いきなり荷物のように抱えられ、思わず声が出てしまった。
実際にはくぐもったうめきに過ぎなかったが。
そのまましばらく移動し、下ろされたのは硬い地面。
そこは森に突き出た岩のくぼみだった。ごく浅い洞窟のようになっている。
「よく見つけたね。やるう」と言ったのはイタチだ。
照れたような笑いが聞こえる。
「カゲ、薪を乾かしてもらっていいか」と、イタチ。
少女が進み出て、積み上げてある枝に触れる。
少女と分かったのは、一行の中で一番小さく細い体の線からだ。
顔はフードと仮面で隠されている。他の男たちも同じだ。
焚き火に火がついた。あたりを暖かな光が照らす。
岩に怪しげな影揺れ、燃える木の匂いと熱がやってくる。
パチパチと薪が爆ぜる音に、さすがの殺伐とした集団も耳を傾ける。
――少しずつ違う。
アマヤは集団を観察した。
みな、黒いフードの装束に身を包んでいる。
少女――カゲは仮面も何もかも真っ黒。
他の男たちは、灰色の線で、それぞれの呼称の動物を全身で表現していた。
キツネの仮面にはキツネを思わせる線が描いてあり、フードには尖った耳がある。
イタチもウサギも同様だ。ただし装飾はごく控えめで、影に入ればみな一様に真っ黒だろう。
「ささ、客人も体をあたためな」
キツネがアマヤを抱えて焚き火のところまで連れて行ってくれる。
甘い匂いがするなと思ったら、カゲが枝に刺した白いものを焼いている。
「おじょ――じゃなくて、カゲ。そんなもの焼いたら匂いで――」
「この面子なら、なにが来ても平気」と、カゲが遮る。
そりゃそうだけどさ、とぼやきつつも、イタチは「なら俺も」と懐から出したものを焼きはじめる。
今度は香ばしい匂いがただよってきた。
――ほだされちゃ、だめ。
アマヤは、ほっこりしそうになる心を引き締めた。
この連中はアマヤたちを襲い、カゲはリュミナを殺した。他にも死人が出ているかもしれない。
――そう、わたしが連れてきてしまった人も――生きていてくなきゃ困る。
静かな時間が流れる。
カゲが仮面を外して、こんがりと焼けた白い――たぶん何かの菓子をほおばりはじめる。
やはり、湖で見た少女だ。歳はたぶんアマヤより二つ三つ下。
――あんなに可愛らしいのに、あの識心の一撃を放ったんだ。
変な連中だった。
アマヤの知っている神殿と村には、こんな人たちはいなかった。
ふと、アマヤは識心の流れが変わったことに気づいた。
焚き火の熱が、ほんのわずかに奪われるような感覚。音も湿っている。
――水?
感じるままに首をめぐらせると、背後の岩肌に濃い影がひとつ、貼りついている。
人の背丈ほどの、大きな茸。傘の裏がぬめり、垂れ下がった管のようなものが岩に這っている。
――いつの間に?
それが――ぬるり、と動いた。
「なに……?」
声が漏れる。いや、声というより息だ。それでもイタチが振り返った。
「……っ、油断した!ヌマヒルダケだ!」
イタチが声を張り上げた瞬間、アマヤの視界の端で何かが跳ねた。
地面が水を含んでいたように、地表から肉のような影が立ち上がる。
茸の足?それとも触手?
否、それはもう一匹の怪物だった。
同じ姿――いや、さっきのよりも小さい。だが、素早い。ぬるりと跳び、ウサギの足元へ襲いかかる。
瞬間、少女の体がくるりと一回転する。地面すれすれで放たれた蹴りが、影を打ち払った。
茸の肉片が、ぶちり、と音を立てて飛び散る。
「けっこういるな。……ったく、雨のあとで、なぜ気づかなかった」
キツネが焚き火越しにつぶやく。
雨が上がりには――こんなものが湧くのか。
「客人、動くなよ。噛まれたら面倒だ」
イタチが言いながら、すでに二本目の剣を抜いている。
カゲは無言で斜めに跳び、アマヤのすぐ脇をかすめて別の個体を踏み潰す。
視界がぐにゃりと歪み、空気がぬるい膜を持ちはじめた。
――これは、識心に干渉している!?
アマヤの中で、複数の術式が無意識に立ち上がる。
――ここには、なにか別の異物がいる――いや、在る。
それが、暗殺者たちの識心――彼らの言葉では気――を鈍らせて怪物の接近を許した。
アマヤは、かすかな気配に意識を澄ませた。
まだ、逃げ道は消えていない――そう信じて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます