第11話:聖域の神、予想通り無茶振りのかたまり

上へ――俺たちは、水の中を昇っていく。


俺はクヴァの腕の中だ。手も体も冷たいが、水よりは温かい。長身がゆるやかにうねり続けている。

空気はキスで供給される。そういうとロマンチックだが、やってることは人工呼吸だ。

三回目からはもう、慣れた。慣れたくなかったけど。


目の前がぼやけている。というか、水の中ってこんなに見えなかったっけ?


――水泳ゴーグルがあればなあ。


ファンタジーの絶景を見せられてるはずなのに、俺にはただの光のカーテンだ。

巨人には、たぶん別の世界が見えてる。あの膜付きのまぶた、俺も欲しい。


大きな人影が現れては消え、通り過ぎる。

みんなが道を開けてくれていることが分かる。


柱状の水から出ると、青の真っ只中だ。

光はなおも前方にあり、俺たちはそちらへ向かっている。


重力の感覚が全然ない。でも、光源がある方が上だと、本能は告げている。

この光は、ショロトルの太陽と呼ばれている。


俺は、クヴァ=ソンとガル=ソゥグの話し合いに立ち会って、色んなことを知った。

巨人のこと、この都市ミマルグチャのこと、そして――


――これか。


水が黒く濁ってきた。


水の空――ウアリカナを浄化する神殿の機能が衰えてきたのだ。

衰えは地上で新しい巫女が誕生した2年前から始まった。


巫女の名はアウラニス。


そして、巨人たちを恐怖におとし入れたものを、俺は目にすることになった。

都市の放棄を主張する、ガル=ソゥグたちのような派閥を生んだ要因だ。


水の空の最上部。水面を突き抜けた瞬間、俺の顔に空気が触れる。

上を見上げるクヴァの眉間に深いシワが刻まれた。


本来、水の空は天井に張り付いていた。それが、落ちてきているのだ。


いま、灰茶色の構造物が、俺の頭上10メートルほどに広がっている。

それが、神殿の底部らしい。つまり、これがミマルグチャのある巨大空洞の天井というわけだ。


――すげえな。


遠くに見える巨大な柱みたいなのが、神殿の脚だろう。

何本も伸びて、水の空ウアルカナを保持している。

まるで、タコが自分の何倍もあるボールを抱えているみたいだ。


巨人たちは、この神殿の脚に水中から家を建てて暮らしているらしい。

クヴァの自宅も、たぶんその中にある。


――いつか、招いてくれるかな。


どんな食べ物が出てくるだろう。珈琲はあるだろうか(たぶん、ないな)。

クヴァはどんな風にくつろぎ、どんな場所で寝ているのだろう。


――なんて妄想しているうちに、美巨人とのお家デートを夢見る俺を抱えて、クヴァは水面を進む。

ガルたちも着いてきている。


やがて俺たちは、天井から水の柱が落ちている所まで来た。


「この上が接点だ」と、クヴァが言った。


クヴァが他の巨人たちと目を合わせる。

ガルが、ムスッとしたまま、うなずく。


俺たちはまた、水の柱に入った。

今度のは勢いよく流れ落ちていて、クヴァはぐんぐんと水を蹴らなくてはならない。


ほの明るい空間へと出る――一緒に来ているのはクヴァだけだ。

どうやら、ここから先は俺たち二人だけらしい。


クヴァが俺に空気を移す(口でね)。

俺たちは、球状の空間の天頂部にある通路を、さらに泳ぎ上がっていく。


――真っ暗だ。


と、クヴァが俺を送り出すようにして、手を離した。


『頼む、ナレ。我らを救ってくれ』


クヴァから祈りのような心波が届く。


俺はひとり、上へ上へと漂っていく。


そして――


いきなり頬にビンタをくらった。


「ちょっと、いつまで寝てるの!?」


――なんだ?なにが起きてる?


「のんびりしてる暇はないの!目を開けて!」


俺は、おずおずと目を開いた。


そこは真っ白な空間だった。

そして俺の横にいたのは――


「彩奈……!?」


――いや、ちがう。


顔かたちは彩奈だ。でも、肌があまりに白い。まるで白桃だ。

それに、耳のところにひらひらしたエラがついている。髪もピンク色だ。


これだけでも異形だけど、その目――瞳は金色に縁取られていた。

アウラニスと同じ、金冠の眼だ。


――まあ、だいたい分かるけどな。


俺は冷静である。この数時間でどれだけの経験をしたと思ってるんだ?


「ショロトルだな?」


彩奈――の顔をしたショロトルが目を見張って、唇をぐっと結ぶ。

彩奈が驚いたときの表情にそっくりだ。


「なんだ、つまらない。もたもたしてる癖に勘だけは鋭いね」


俺は立ち上がった。白い空間には白い床がある。


ショロトル――と呼ぶことにする――は、ふらふらと歩き、岩を削って作ったように見える白い玉座に腰掛けた。


服装は、クヴァの服を真っ白にしたような感じ。

布面積が小さく、羽織もやたらひらひらしていて、目のやり場に困る。


――幼馴染のそういうの、見ててきついんだよなあ。


「……お前のマナスはたいてい読めるってことを覚えておけ」


ショロトルが流し目をくれながら言う。

彩奈の真似は、もうやめたらしい。


「で、何のようだ」単刀直入に聞く。


「いいぞ、時間がない。これから2つのことを伝える。それを成せ」


彩奈の顔で、薄笑いのまま言う。


――なんだろう、この違和感。神……なんだよな?


「さてな、いまは関係ない。大事なのは、我はナレを戻せるということだ」


「俺を帰してくれるのか!」と、俺は叫んだ。


――いや、連れてきたんだから当然だ!


「そうか?どうしようと我の勝手では?まあいい。そうだ、帰す。楔もこうして見せた」


ショロトルは両手を広げて、したり顔。


――彩奈は可愛いな。


「……くすくす」


――笑うな。


「お前が面白いことを言うからな」


ショロトルが、パンッと手を打つ。


「時間がない。巨人巫女がいればこんなことにはならなかった。仕方がない。ナレはアマヤを救う。アマヤを取り巻く世界の破綻にケリをつける。ナレはそのための覚悟をする。我の修正を受け入れ、活用する」


――急に、ペラペラしゃべり出したな。


「理解したな。では、ナレはアマヤの現状を見る。巨人を伴って現場へ向かう」


「ちょっと待て、色々聞きたいことがあるぞ。まず、どうしてアマヤ……」


――あれ?息が……くッ……!?


「当然だ、ナレは水中で呼吸できない」


「いや、でも――」


……。

――これ、知ってる。

…………。

――これ、あれだ。あのときのそれだ。

………………。

――勘弁してくれよ。


「お前はいつも、それを言うな」


視界が閉じる。俺はまた別の場所に行くのか――


「道を示す。ナレが切り拓く。神殿を通れ。加勢も得られる」


そのショロトルの声を最後に、白い空間は消えた。


雨の匂い、濡れた森の気配。

薪の爆ぜる音、揺れる焚き火の明かり。


夜の森、大きな岩の近くで暖を取っている集団がいる。

岩に怪しく影が揺れている。


真っ黒い格好をした何人か――四人だ。

それと、白い服を着て横たわっている女。


――アウラニス――アマヤ!?


アマヤの対面では、まん丸いボブカットの愛らしい少女が、焼いたマシュマロを食べている。


……あっ!


アマヤの背後――闇に沈んだ地面から、ぶっとく、ぬらりとしたものが、むくりと起き上がった。

形はいびつで、どこか卑猥で、生き物とも器官ともつかない。


そいつは人間の頭よりも高い先端部を傘のように広げた。

そして、粘液を滴らせる奇怪な触手を、何本も垂らした。


――気をつけろ!


と、心の中で叫んだ瞬間、視界が急激に暗転する。

意識が落ちていくなか、俺は――全身が溶けていくような感覚を味わった。

耳の奥で、キーンと音がする。


これ、知ってるよ。


心臓が肋骨を砕かんばかりに暴れる。

空気を求めて、飲みたくもない水を飲みまくる。


湖の底、神殿の一室。青い光が揺れる、固く閉ざされた空間で、俺は人知れず溺れた。

意識を失う直前に、柔らかい体に抱きしめられたのが、前との違いだ。

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