第9話
「…じゃあいただきます」
スコーンに手を伸ばすとまだ少し温かい。
「…おいしい…」
一口齧ればもうその言葉しか出てこない。バターの風味が口一杯に広がって、幸せな気持ちになる。
スコーンを味わいながら、顔が緩むのがわかる。
「良かった、気に入ってもらえて」
そう言って堤くんもスコーンを齧る。
「うん、美味しい」
はにかむように言う堤くんに、少し笑ってしまう。
「私絶対ここに通うわ…」
落ち着いた雰囲気のお店だし、ずっと家で勉強してるのも飽きてしまうからいい気分転換になりそう。
「その時は是非僕も誘ってよ」
「うん、そうする」
堤くんに奢るって約束だし。
スコーンをもう一口食べる。
しとしとと降る雨を窓越しに眺めていたら、見慣れた制服の中学生が視界の端に映った。
「あ…」
スコーンを口許にやっていた手が下がる。
「…どうしたの?」
堤くんが私の視線を追うように窓の外を見ると、ちょうど私たちの前を女の子達が通過する。
「…中学生?」
きっとどうして私があの子達に反応したのか分からなかったのだろう、尋ねるようにこちらを向く堤くんに苦笑する。
「あの制服、私が通ってた中学校のものなの」
スコーンの最後の一欠片を口に入れてナプキンで指を拭う。
「え?…あ、あぁ」
私が外部の中学校に通っていたと言うことを忘れていたのか、納得するまで少し時間がかかったよう。
「ここからそんなに近い訳じゃないんだけどな…」
まさかこんなところでもう一度あの制服を見るとは思わなかった。
(…部屋に出しておくには制服は嵩張るからって、仕舞っちゃったもんなぁ)
後で分かったことだが、どうやらこの時に見た中学生たちは部活動のための移動中だったらしい。それは私が有言実行とばかりにほぼ毎日このお店に通いつめたからそう見当がついたのだが、毎週決まった曜日に同じ時間帯にこの前を通る彼女たちは他校に行くのかなんなのか。
どちらにせよ、部活動に所属していなかった私は少し彼女たちが羨ましいと感じた。もう今更部活動に参加しようとは思わないが、きっと楽しい時間を過ごせたのではないだろうか。
きっと拓弥くんがこの前言っていたことはこう言うことだったのかな…と少し分かった気がした。
「…中学校、楽しかった?」
「うん、楽しかったよ」
多分堤くんは何気なく質問したのだろうが、私の胸には皮肉のようなものが残る。
きっと今の学校で中学校生活を送るよりもうんと楽しい時間を過ごせたし、かけがえのない思い出になった。
「友達はいたの?」
「うん、すっごく仲の良い子が2人」
「え…」
今の私からは想像もつかないのだろう。
少し目を見開いた堤くんに可笑しくて少し笑う。
「毎年、夏休みにはお泊まりしてるんだよ」
今年もする予定なの。
悪戯心が芽生えて付け加える。
「えぇ、そんなに仲良いんだ…」
少し驚かせたかっただけなのに、落ち込んだように俯いてしまう堤くん。
「え、なんかごめん…」
なんだか悪い気がして謝る。
「ううん…鈴木さんが今のクラスにも馴染めるようにもっと頑張るよ…」
「何それ、堤くんが頑張ることじゃないじゃない」
どちらかと言えば私が頑張らなきゃいけないことでしょ。
堂々と私がクラスから浮いていると言ってしまい、さらに方向違いな努力を宣言されて少し頭に来る気持ちもあるけど、きっと堤くんはそんなつもりもないだろうし、何より項垂れるその姿が面白くて笑ってしまった。
クラスメートたちと仲良くなることに少し前向きになれた気がするし、もう少しで期末テストがあってその後はすぐ夏休みだから今すぐにって訳には行かないけど、努力してみようかな。
(拓弥くんに今、会いたいなぁ…)
会って私の考えを話したい、聞いてほしい…。
拓弥くんだって仕事で忙しいのは分かりきってるから、叶わないことを願いながらストローでアイスティーを啜る。今はなんだか勉強する気になれなくて鞄には手をつけられない。
最近調子もいいし、今くらいはゆっくりしてもいいか。家に帰ったらまた頑張ろう。この雰囲気にリラックスできたのか、なんだか今日の勉強はとても捗る気がする。
(とりあえず、第一目標の期末テストまでのあとちょっと、頑張ろう)
そう決意しながら、窓の外の綺麗に咲いた紫陽花を見た。
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