この物語に象徴的に記されているように、時代とともに様々なものが、失われていきます。
「死と再生」のテーマを持ち出すまでもなく、万物、そして歴史、文化は流転していきます。
ですが、いつからでしょう。
かつて永くそこにあったものは姿を消し、後に残ったのは、最初から消費されることを前提にしたかのような、さかしまな蜃気楼群。
別に皮肉を言いたいわけでも、警鐘を鳴らしたいわけでもないのですが、私は最近、未来という言葉が少し遠くなったように感じます。
とはいえ、悲観ばかりでもないのです。
何故なら、このような作品に出会えたから。
私は、文学が好きです。
だから、その立場から述べます。
はたして、文学という不器用な、愛すべき人間の営みですら、いつの世まで必要とされるのでしょう。
ないとは思いますが、この時代に身を置くと、そんなことを時折思うのです。
けれど、その時代そのものに爪痕を残すその可能性を、文学は永劫秘めていると、それもまた、未来を生きる人の営みなのだと、その言葉を、私は本作から贈られたように思います。
そもそもからして、生きていく人の営みには、言葉かたちは違っても、根付き発露され続ける何かというものは、我々の心配をよそに、ただただ絶えず、そこにあり続けるのかもしれません。まるで、もう誰も見上げない桜のようだったとしても。
本作は終焉と同時に、未来の物語でもあると受け止めています。
「おくる」という字に、「葬送る」とも、「贈る」とも音を添えられるように。
この時代の流れの中で、本作に出会えましたことを、幸運に思います。
地に足のついた、その上できちんとこれまでの歩みの反省と愛情を含んだいいお話です。
私は日本語文化圏って終わりゆくものだと感じてます。人口減少に合わせて私達が親しんでいるものは間違いなく消えいってます。この物語はいずれ全体に訪れる出来事の縮図です。
私は新しいもの大好きでむしろ衰退したニュージャパンが楽しみなので別にいいのですが、別に良くない人ほど失ってから嘆くのだろうと予想しています。こんなになるなんて思いもしなかったと。
私はそんな人間が嫌いです。主人公が無知を盾に悲劇だとかバカなことを言うからです。あなたの物語だったのに。
止められるとは思いません。私は夢想家ではないです。衰退はもう変えらない。でも結果的に失われて悲しんだとしても、愛情と反省を残す人が好きです。
そういう人が書かれてました。止められなかった終わりに際して正しい人でした。
これは日本語文化圏に生きる誰しもにいずれ訪れます。学校という単位ではなく。その時にどうあるべきか教えてくれてます。
おすすめです。