道化のマリー
鍵崎佐吉
道化のマリー
「おや、シンディ。娘がいたなら先に言ってくれよ」
お母さんが連れてきたそのジャックという男は、今までの男とは違ってお母さんよりも私の方に興味があるようだった。私のパサついた髪をゆっくりと撫でながら男は問いかける。
「君、名前は?」
「この子はマリーっていうの。ねえ、それより早く続きをしましょう」
私が答えるよりも早くお母さんはそう言って、彼の腕を引いて寝室へと入っていった。それから一時間くらい経った頃、寝室からお母さんの叫び声が聞こえても私は特に気にしなかった。お母さんは乱暴にされるのが好きだったから、そういうことも珍しいことではなかったのだ。だけど寝室から出てきた血まみれのジャックを見た時、私は部屋の中で何が起こったのか悟らざるを得なかった。
「ねえ、マリー。僕と一緒に来てくれないかな」
ジャックは露わになった下半身を隠そうともせず、穏やかな微笑みを浮かべて私に言った。
「大丈夫、お母さんみたいな中古はともかく、君は大事にしてあげるから」
断ったら殺されるんだろうなと思ったので、私は彼についていくことにした。
ジャックの家はお母さんの家よりちょっと広くてベッドも清潔だったから、その点においては何も不満はなかった。だけどジャックはお母さんよりもさらに注文の多い男で、私は彼の言いなりになって日々を過ごさなければならなかった。
「マリー、人前であくびなんてしちゃ駄目だ」
「このピアスをつけてみてよ。きっと似合うから」
「少し毛が濃いね。全部剃っちゃおうか」
「僕と寝る時以外はベッドは使っちゃ駄目だ。いいね?」
ジャックはきっと自分の理想の女の子を作りたいんだろう。純粋で従順な、自分だけに尽くしてくれる小さな恋人。彼は私を飼っているというよりは、私という人形を愛でているのだ。気に入らないことや上手くいかないことがあったら、お母さんみたいに簡単に壊されてしまう。私はそうならないように自分にできる限りの努力をした。
ジャックと暮らし始めてから私は自分でも驚くくらい綺麗になった。相変わらず窮屈な生活を強いられてはいたけど、ジャックは私の変貌にとても満足しているようだった。言うことさえ聞いていれば隙間風の吹かない家で温かい食事が貰えるのだから、慣れてしまえばこの生活もそう悪いものでもない。
最近のジャックは自分でするより私にさせる方が気に入ったようで、その日もベッドに寝そべったまま緩やかな快楽に身を委ねていた。しかし不意に玄関をノックする音が響いて、しかもそれはなかなか鳴りやまない。ジャックは舌打ちをして渋々行為を中断すると、ズボンとシャツだけ羽織って少し歩きづらそうに玄関に向かった。その直後、大勢の男の声が聞こえて、制服を着た警官が一気に部屋になだれ込んでくる。ジャックは拳銃を突き付けられたまま壁に押し付けられている。
ベッドの上で全裸の私を発見した若い警官はしばらく呆然としていたが、不意に目を逸らして自分の着ていたコートを差し出してくれた。それから遅れて女の警官がやってきて、優しい声で私に尋ねる。
「あなたの名前は? ここで何があったの?」
「私はマリー。お母さんを殺されて、ここに連れて来られたの」
それを聞いた警官たちの表情が一様に変わった。その瞬間、ジャックの人形であるべき時間は終わったのだと私は理解した。
ジャックはお母さん以外にも何人も女の人を殺していたらしい。今までは潜伏場所を変えて上手く捜査の手を逃れていたが、私とするためにあの家に入り浸った結果、その場所を特定されてしまったようだ。とはいえ彼が捕まってしまった今、そんなのはもうどうでもいいことだ。
私に事情聴取をしたのは四十くらいの男の警官で、彼は親切かつ紳士的に接してくれた。自分にも娘がいるから他人事のようには思えないのだと彼は語った。
「本当に辛い思いをしたね。私たち警察の至らなさを、改めて謝罪させてくれ」
「私、これからどうなるの?」
「君は明確な被害者だ。いかなる罪に問われることもないし、どんな法にも縛られることはない。これからは自由に生きていいんだよ。私たちもそれを全力で手助けするからね」
その時、部屋のドアが開いて若い警官が彼に呼びかける。
「警部、ちょっとお話したいことが」
「わかった。すまないね、マリー。すぐに戻るよ」
そう言って部屋を出た彼は三十分以上経っても戻ってこなかった。ようやく部屋に戻って来た彼は、先ほどとは明らかに違う表情をしている。しばらくの沈黙の後、彼は低い声で話し始めた。
「被害者のシンディにはマリーという娘がいたが、五年前に交通事故で亡くなっている。それからシンディは出生記録を一度も出していない。さらに周辺への聞き込みで、半年ほど前にシンディが見慣れない女の子を部屋に連れ込んでいるのを見た、という証言が得られた」
男は一度言葉を切って、私の顔を見つめる。彼が言っているのはまったくの事実だし、反論するようなことは何もない。私が黙っていると、彼は再び口を開いた。
「君はいったい何者なんだ?」
質問の意図はよくわからなかったが、どうやら私はもうマリーじゃなくてもよくなったらしい。だからあの人のことを話してあげることにした。
「私は私よ。だけどそれじゃ満足できない人がいるみたいなの。シンディもその一人。私の口元がマリーにそっくりだったんだって。だからマリーになってあげたの。彼女はとっても喜んでくれたわ」
シンディもジャックもやってることは同じだ。私はただ皆の期待に応えただけ。そうしていれば私のことを認めてくれる。
「それで、次は被害者ってやつになればいいのよね。よくわからないけど、頑張ってみるわ」
そう言ったけど、なぜだか男は何も答えてくれなかった。
道化のマリー 鍵崎佐吉 @gizagiza
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