3/3 エール
バス停で由々菜たち家族を見送って、すぐに商店街へ戻る。ただ、それだけのことなのに、ひどく寂しい気持ちになってしまった。
思えば、家が近所で同じ学校に通う同級生の由々菜と七日間も離れ離れになるのは、初めてのことだ。南口から見上げる空も、急に低くなってしまったような気がする。
商店街のことを、去り際まで心配していた由々菜に、今は楽しんでおいでと送り出したつもりだったのに、こんな気持ちじゃあ示しがつかない。とはいえ、すぐに心が回復することもなく、トボトボと歩いていると、目の前にあるケーキ屋のシーハウスのドアが開いた。
ちょうど出てきたのは、この近くのミニシアター・おやすみ映画館のオーナーである稀澤麦さんだった。見た目は髪の長い女性だけど、その正体は夢を食べる妖怪の獏である。
「麦さん、こんにちは」
「あらー。明君じゃないのー。どうしたの、しょんぼりしちゃってー」
僕に気が付いた麦さんが、心配そうな顔をしたので、そんなに分かりやすかったんだと苦笑してしまう。
「さっき、バス停で、由々菜たちを見送った所なんです」
「ああー、きょう出発だったわねー。昨日、由々菜ちゃんがあいさつに来ていたのよー」
「そうでしたか」
「あの子がいない間、代わりに私達でここを守っていかないとねー」
「ええ」
当然のように頷いてから、ふと、違和感に気付く。なんで、僕は由々菜が「商店街を守っている」と思ったのだろう。彼女は、四月の靴が勝手に動き出した事件と言い、トラブルメーカー側なのに。
何か、大切なことを忘れているような気がする。そう考えている僕の前で、麦さんは持っていたケーキ屋の箱を掲げた。
「さっき、シュークリームを買ったのよー。一個どうかしらー?」
「えっと、でも」
「いいのよー、たくさんあるから、遠慮しないでー」
ニコニコの麦さんに押されて、僕は、すぐ近くにあったベンチに彼女と並んで座った。麦さんから、「どうぞー」と、箱から取り出したシュークリームを手渡される。
「ありがとうございます。いただきます」と、シュークリームに口をつけた。ふわふわの生地に、バニラのきいたカスタードクリームがよく合っている。同じように頬張った隣の麦さんも、とろけそうな顔をしている。
「シーハウスのシュークリームは絶品ねー。東京、いえ、世界の名店とも勝負できるわよー」
「すごくおいしいですね」
「あ、そういえば、由々菜ちゃんから聞いたけれど、明君、今、ウォークくんの修理しているのよねー?」
「はい。そうなんです」
「進捗はどうなのー?」
「順調ですね。ただ、魔術を使った部分があるので、オサリバンさんに相談したいんですが、最近不在のようで……」
「ああー、最近、魔術協会に顔を出していて、忙しいみたいねー。私から、伝えておきましょうかー?」
「有難いです。お言葉に甘えてもいいですか?」
「いいのよー。困ったらお互い様だからー」
僕が頭を下げると、麦さんはにこにこしながら引き受けてくれた。人の夢の中に潜れる麦さんだったら、場所とか関係なく、伝言できる。これで、最大の難関を突破出来そうだった。
シュークリームもそろそろ食べ終わりそうになったころ、麦さんが、少し遠くを見るような目つきで話しかけた。
「明君、十二月、うちに新しい従業員が入ったの、知っているかしらー?」
「ああ、由々菜から聞いています。会ったことはないですけれど」
「早苗ちゃんっていうのよー。とってもいい子よー」
麦さんが経営しているおやすみ映画館は、特殊なミニシアターで、映画を見に来た人がそのまま眠ってしまうのが目的になっている。その人たちの夢を、麦さんはいただいている。
開業して八年、一人で切り盛りしていたおやすみ映画館だが、最近、新しい従業員さんが入ったらしい。おやすみ映画館が開いている時間は夜中になるため、利用したことがない僕は、顔も知らなかったのだが。
「苗ちゃんはね、八年、もうすぐ九年前ね、その時に、この商店街に来ていたのよー」
「映画館にも来たんですか?」
「まだ映画館は開いていない頃なのよー。でも、あの頃ってことは、私は会っていなくても、苗ちゃんを見ていたのかもしれないわねー」
「はあ……」
会っていないのに、見ていた。その妙な言い回しが気になるが、しみじみとした麦さんの言い方に、上手く追及出来なかった。
「苗ちゃんがあの日に商店街に来ていたこと、八年後に、私の映画館で働いてくれたこと、それはただの偶然でしょうねー。でも、そのあとの私たちの関係が、その偶然を、ただの偶然から、運命に変えてしまうのかもしれないわー」
「いいですね。それ」
「昭君も同じよー。ウォークくんを直そうと思ったこと、由々菜ちゃんがご近所の幼馴染なこと、今は偶然だけど、きっと、これから意味を持ってくることなのよねー」
「……はい、そう考えられるかもしれません」
「その『これから』が大変だけど、頑張ってねー」
笑いながら言ってくれた麦さんの一言は、軽い調子だけど非常に重く響き、受け取った僕は大きく「はい」と頷いた。
ここで、シュークリームを食べ終わた麦さんは、映画館へと帰っていった。「いつか遊びに来てねー」と手を振る彼女はいつも通りだけど、その笑顔の裏には僕の知らない彼女の苦労があるような気がして、深く印象に残った。
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