3/4 休憩
「こんにちはー」とドアを開けると、真っ先に、たくさんの猫の鳴き声が耳に入ってくる。次に、僕の立つ策の外側、すぐそばまで、数匹の猫たちが興味深そうに集まってきた。
そんな猫たちの視線の向こう、エプロン姿の若い男性が、ポットを片手に立ち止まり、僕へ笑いかける。この猫カフェ・カウダの店長の竹久さんだ。
「
「あ、でも、僕は……」
「いいですよ。わざわざ来てくださったんですから、もてなさせてください」
ただ、家のお使いで尋ねただけなのに、竹久さんから入るように勧められてしまう。足元の猫たちも、「もう帰っちゃうの?」と言いたげな、なんだか寂しそうな声になったので、仕方なく、僕も柵の内側へ足を踏み入れた。
手ごろなソファーに座っていると、ペルシャっぽい模様の猫が、僕の膝の上にすぐに乗っかった。そのまま寝そべって、まるで、自分だけの特等席だというように、ゴロゴロと喉を鳴らす。
その猫の頭を撫でる。この子の名前は何だろうか。僕はカウダに数回ほどしか行ったことないから分からない。
さて、肝心の竹久さんは、僕とは別のお客さん二人のところへ行っていた。三十代後半の女性二人組だ。彼女たちの前に、竹久さんは持っていたポッドを掲げる。
「由比浜さん、石崎さん、コーヒーのおかわりはいかがですか?」
「あら、もう一時間以上もいるのに、いいの?」
「申し訳ないわね」
「いいですよ。お二人が来店すると、皆さん機嫌がいいですから」
コーヒーのおかわりをもらって、女性たちはご満悦でお礼を言う。竹久さんが言っていた「皆さん」は、猫たちのことだろう。彼は、僕や由々菜のような年下や、ここの猫たちにも敬称をつけたり、敬語を使ったりする、ちょっと変わった人だ。
一度バックヤードに戻った竹久さんは、僕の文のコーヒーを持ってきてくれた。しゃがみこんで、僕のそばのローテーブルにそれを置くと、深々と頭を下げる。
「わざわざご足労いただき、ありがとうございます」
「いえ、ご近所ですので」
竹久さんは、この二階が自宅になっている猫カフェを一人で切り盛りしているので、中々外に出られない。僕も、彼が店の外にいるのを、八年前に一度だけ見た。
「これ、お預かりしていた時計です」
「ああ、ありがとうございます」
僕は、膝の上の猫を驚かせないように気を付けながら、足元に置いた紙袋から、一つの箱を取り出した。それを受け取った竹久さんは、箱の中身を取り出す。それは、一つの鳩時計だった。しかし、実は鳩ではなく、猫が飛び出す仕掛けになっている。
「本当に助かりました。一日で直してもらって」
「いいんです。うちのおじいちゃんが、この修理はいい暇つぶしになったと言っていましたから」
竹久さんは小さな台に上って、僕のすぐ隣の壁に、鳩時計ならぬ猫時計を掛けた。この様子は、さっきのお客さんたちにも見えたようで、「まあ」と歓声が聞こえてきた。
「あの時計、直ったのね」
「やっぱり、この猫カフェには、あの時計がないと」
常連さんたちの言葉通り、ずっと掛けられていて、壁が変色していた位置に、この猫時計は納まった。振り子が動いて、かこかこと、この時計ならではの音を刻み始めると、カウダという空間が「完成」したような気がする。
この瞬間が、僕はたまらなく好きだ。時計を売っている店で、祖父と父も時計の修理をしているのは、「新しいものを買うよりも、ずっと同じ部屋を見守っている時計の方がいい」と思っているからだろう。僕も今、それを深く実感している。
……コーヒーを一口啜って、猫の背中を撫でていると、何かに急き立てられていた気持ちが、ゆっくりと解いていくのが分かる。
僕は、台を降りた竹久さんに、「あの」としゃべりかけていた。
「今、僕はウォークくんを直しているんです」
「ああ、おととい、由々菜さんから聞きましたよ」
竹久さんの返事に、なんだと苦笑する。秘密にしているつもりはないけれど、結構広まってしまっているらしい。
「今日は朝からずっと、ウォークくんの修理をしていました。そのこと自体は楽しいんですけれど、ずっと同じ姿勢でいたから、体が硬くなっていたようです」
「好きなことに熱中していても、時には休憩が必要ですよ」
「ええ、今、それを感じています」
僕が頷くのを見て、竹久さんは、何かを思いついた風に、「そうだ」と呟いた。
「ウォークくんが再び動き出す瞬間を、以前のストリートピアノの時のように、発表会にしてみたらいかがですか?」
「そんな、大袈裟ですよ。僕が個人的にやっていることですから」
「でも、ウォークくんが、この商店街で長く愛される存在になれば、精霊が宿るかもしれませんよ」
「精霊、ですか……」
突拍子のない話に、聞き返すと、竹久さんは全てを包み込むような笑顔で、大きく頷いた。
ウォークくんに精霊が宿る。想像もしなかったけれど、そんなことが出来るのだろうか?
なんとなく、目線の膝の上の猫に向けると、この子も僕の方を見つめ返していて、後押しするように「にゃあ」と小声で鳴いた。
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