『第一幕』~桜の木の下にて~

「ここが神無月魔女学校……。」

 私、九王忍くおうしのぶはその施設……より正確にはその門を見つめて息を呑み、そう呟いた。ここ、神無月かんなづき魔女学校は数々の有名な魔女を輩出してきた名門魔女学校だ。――魔女。それは人類の脅威である「魔獣」と呼ばれる存在に唯一対抗できる存在であり、「魔法」と呼ばれる神秘を扱う乙女の総称である。魔女としての力の発現が認められた者は、魔女を育成する機関である魔女学校への入学が義務付けられ、そこで数年から十数年間、基礎教養科目に加えて、基本的な魔法の使い方や、魔女や魔法に関する知識や歴史、魔獣との戦い方、現代における魔女関係の法律などを学び、その傍らで訓練や実戦で魔女としての修養を積み、一人前の魔女を目指すという。

 通常、魔法の力が目覚めるのは、早ければ三歳頃、遅くとも中学入学前には覚醒するとされており、事実、私の姉も幼稚園の卒園間近に魔女として目覚め、卒園後にこの魔女学校の初等部に入学していった。……しかしながら、私が魔女の力に目覚めたのは平均より大分遅い、高校受験を控えた中学三年の冬の事であった。当時の志望校に合わせた自習プランは当然そのほとんどがパアになったし、高等部からの編入の都合上、入学試験は免除になったが、その代わり、「周囲の生徒との間に知識レベルの差が開きすぎないように」という、本来なら有難いはずの「気遣い」により、大量の課題を出された為に地獄を味わったのを覚えている。まあ、最終的にしっかり課題はやり終えて編入当日――つまり今日だが――に間に合ったので、終わり良ければ総て良し、というヤツではあるが。

 ――とまあ、そんなこんなで、あれよあれよという間に魔女学校への入学が決まった私だが、今はただ校門の前で立ち尽くすことしかできないでいた。理由は色々あるが、端的に纏めると――勝手がわからないのである。それはそうだろう。ただでさえ高等部編入というイレギュラーな立場な為に、このタイミングで入学する同士らしき生徒はどこにも見当たらず、加えて同様の理由で、通常は校門付近や、各要所に用意されるはずの案内書きも用意出来なかったと連絡があった通り、それらしきものも見当たらず、おまけにここは魔女学校。普通の学校とは色々勝手が違う上に、全寮制なので、もう端から端まで今まで通ってきた小学校・中学校とはわけが違う。そんなわけで、絶賛立ち尽くし中である。一応、案内役が来るとは連絡を受けているものの、

「見たところ、そんな感じの人がいるようには思えない……。」

校門前にはそれらしき人影は見当たらず、はてさてどうしたものか、と本格的に悩み始めた瞬間だった。

 ――鈴の鳴るような、清らかな声が聞こえた。

 「失礼します。九王、忍さん、でよろしいでしょうか?」

その声に振り向くと、白磁の肌にセミロングの栗色の髪を持ち、雪のような純白に、裏地には夜空のような深い紺色を使ったマントを肩から掛け、同じく純白のシャツとスカートを身に着け、胸元には金縁に紺色の、どうやら身分か、あるいは何かの勲章と思しきバッヂを付けた、二十代半ばといった風の、美しさを感じさせながらも、どこかあどけない愛らしさもある女性が立っていた。

「えっと、はい。九王忍は私です。」

私が答えると、その女性はにっこりと微笑んで告げた。

「ごきげんよう。遅くなり申し訳ございません。わたしは白月雪乃しらつきゆきの。この学校で教師をしている者です。今日から貴方の担任となります。よろしくお願いします。」

「よ、よろしくお願いします。」

緊張で声を上擦らせながらも応えると、白月先生は微笑みながら、

「では、わたしの後についてきてください。」

と言った後、私に目配せした。私はようやく、ひとまずの安心を得られることに、ほっと息を漏らした。

 先生に連れられて校内に入る。道すがら、先生は学校の様々なこと――例えば校舎内の各部屋の簡単な説明であったり、これから入寮予定の寮の話であったり――を雑談を交えながら話してくれた。先生は女性としては大分背が高く(聞けば175cmもあるらしい)必然的に見あげる形になりながら話を聞き、時折こちらからも質問をするなどして時を過ごす。

「そういえば、九王さんは魔獣がどのようなものか、知っていますか?」

その質問に戸惑いながらも答える。

「ええと、はい。二百年前に突如として現れた、人類の脅威、ですよね?曰く、通常兵器は全く効果がなかったとか。」

「はい。その通りです。しっかり予習してきたみたいですね。感心感心。」

私の答えに、先生は満足そうに頷いた。

「えと、課題の一つにあったので。」

自分としてはやって当たり前のことだったので、褒められたことで妙に気恥ずかしさを感じながら、付け加えるように言う。すると先生はにこにこしたまま地獄のようなことを言った。

「基礎問題集からの抜粋ですね。初等部の子向けのものです。」

「初等部……。」

改めて、自分と他の生徒との差を実感する。分かっていたつもりだったが、具体的な難易度を示されるとその重みが良く分かる。

「ちなみに、追い打ちをかけるようですが、これからしばらくの間放課後に補講がありますので、しっかり出席してくださいね。」

笑顔のまま更に恐ろしいことを言う先生。どうやら、これから始まるこの学校での生活は、前途多難のようである。

――とまあ、そうこうしている間に、先生による学校案内は終わりを迎えた。

「さて、ひとまず案内はここまでにしておきましょう。寮に関してはまた後ほど、今日の授業が終わった後にそのままご案内しますね。そろそろ教室に向かいましょう。自己紹介をしていただくつもりですが、考えてありますか?」

先生の言葉に私はゆっくり頷いた。

「素晴らしい。では、行きましょう。」

先生の後をついて歩く。私たちはやがて1―Aと書かれた札のある教室の前にやってきた。

「ここが、これから1年間、私たちが使うことになる教室です。クラス間の生徒のバランスの問題で一部振り分け直された子もいますが、ほとんどが初等部、あるいは中等部時代からわたしのクラスに所属していた子です。」

ごくりと息を呑む。いよいよ始まるのだ。私の魔女としての生活が。そう思うと自然と体に力が入る。そんな私の心を知ってか知らずか、先生は再度こちらを振り向き、段取りを説明しますね、と言った。

「まずわたしが先に入って九王さんを呼びますから、呼ばれたら入ってきてください。席を指定するので、そこに座ってください。以降は皆さんと一緒にHRに参加してください。大丈夫。癖は有りますが、皆良い子達ですよ。」

先生はそう言うと再度にっこりと笑い、言葉を続ける。

「準備は良いですね?では。」

言い終えると、先生は教室の扉を優雅に開けた。声が遠くなる。

『おはようございます皆さん。去年からの皆さんはお久しぶりです。振り分けで今年からわたしのクラスに来た方は初めまして。白月雪乃、と申します。これからよろしくお願いします。』

先生の自己紹介の声に続いて拍手の音や、かすかに歓声のようなものも聞こえた。先生はどうやら相当慕われているようだな、と思ったところで、

『さて、今日は皆さんに一つお知らせを。既に噂等で耳にしている方もいるかもしれませんが、この度、我が校は約五十年ぶりに高等部編入の生徒を迎えることになりました。それに伴い、彼女をこのクラスで受け入れることになりました。九王さん!」

と呼ぶ声がしたので、すぅ、と深呼吸をしてドアを開け、黒板の前、先生の隣に立った。目の前にはこの学校の制服を着た少女たちがずらりと揃って席に座っている。これがこれから共に学ぶ生徒たちか、と

「初めまして。ご紹介にあずかりました、九王忍です。誕生日は四月の三日で、血液型はO型です。えっと、姉の静がここの学校の二年生なので、もしかしたら姉を知ってる人もいるかも、です。去年の十二月に突然魔女として覚醒しまして、こうして、高等部からこの学校で学ぶこととなりました。そのため、みなさんより知識、経験共にずっと不足していますが、どうか、よろしくお願いします。」

 ひとまずは必要なことを語り切り、顔を下げると、途端に拍手があがった。顔を上げて教室をざっと見回すが、驚き一色の子もいれば、純粋に歓迎の様子を見せる子、あるいは戸惑うような表情を見せる子、はたまた儀礼的に粛々と拍手をする子等、様々な表情が見て取れたが、しかし、拒絶の表情を浮かべている子は見当たらず、内心でほっと息をついた。

「では、九王さんに質問のある方。」

一通り拍手が落ち着いたところで先生が彼女達に質問を募る。すると、バッチリとメイクをキメ、ともすれば無秩序に着崩しているように見えかねないところを絶妙なバランスで制服を着こなしている、いかにもハキハキと喋るし、活発そうな子――端的に言えば、いわゆる「ギャル」っぽい、可愛らしい子が、見た目の印象通りの明るい声で勢いよく手を上げた。

「はいはーい!」

「はい。春陽はるひさん。」

先生に促され、彼女が質問を口にする。

「趣味とか聞いて良いかな~?」

特別声量が大きいわけでも、声が高いわけでもないのに、不思議と良く通り、一声聞こえるだけで花が咲きそうな、聞くだけで元気を貰えそうな声を好ましく思いながら、私は質問に答えた。

「趣味は読書とゲームと、後、歴史の勉強で、あ、他には、ウォーキングとか好きです。」

私の答えを聞いた、「春陽さん」と呼ばれたその子は、ぱあっ、と目を輝かせて、

「え、ゲーム好きなの?ウチとおんなじだね!後でどんなのやるのか教えてね!」

と言って席に着いた。にこっと笑みを返して、私は再び教室全体を見据えた。春陽さんが席に着き、私の視線が春陽さんの付近から教室全体に戻ったのを確認した後、先生は

「はい。では他に質問のある方。」

と、再び私への質問を募った。すると、今度は教室の後方に座っていた、綺麗な黒髪の生徒が静かに手を上げた。

「はい、藤沢さん。」

「藤沢さん」と呼ばれた彼女は、恭しく一礼意した後、春陽さんとは対照的に、静かに、それでいて目立たず埋もれてしまうようなことのない、優雅さを纏った声でこう質問した。

「どなたかお付き合いしている方、あるいは好きな方はいらっしゃいますか?男女は問いません。」

思っていたより俗な質問だな、と思った後、

「現状はどちらもいません。憧れは有りますが。」

と答える。すると、藤沢さんは、ありがとうございます、と言って静かに一礼し、着席した。それを見ながら、ふと自らを思う。なんとなくではあるが、恋というものに憧れはある。ただ、生憎と初恋もまだである。いずれ自分も誰かに恋するのかな?と、思っていたら、先生の声で現実に引き戻された。

「次の質問で一旦打ち切りにしましょうか。さて、では最後に質問したい方。」

三度、先生が質問を募る。すると、

「はい。」

凛とした声が響いた。声の主は栗色のショートヘアに色白の肌を持った、小柄で真面目そうな生徒だった。

「では、桜小路さくらこうじさん、どうぞ。」

「桜小路さん」と呼ばれた彼女は、真一文字に結ばれた口を、スッと開いて、こう口にした。

「魔力適性と特性を教えてください。」

桜小路さんのその質問に、教室に緊張が走った。皆内心気になっていたのだろうか。あるいは問題のある質問だったのだろうか。

「桜小路さん。」

初葉ういは。」

桜小路さんを制するように二人分の声が上がる。一つは先生のもので、もう一つはプラチナの髪にエメラルドの瞳を持つ、メガネをかけた生徒だった。先生は柔和な微笑みで彼女を制すると、視線を桜小路さんに戻してこう告げた。

「桜小路さん、その質問は不躾ですよ。」

そう窘めた後、先生はふっ、と短く息を吐き、

「とはいえ、どの道訓練のタイミングで共有してもらう事ではありますね。九王さんがよろしければ、この場で話して貰いますが……よろしいですか?」

と私に訊ねてきたので、私は、はい、と短く答えた後、質問に答えた。

「私の属性適性は火、水、風、土、闇、光の全属性、魔法適性も攻撃、治癒、支援、結界、使役の五つ全てでSランク評価をいただいてます。」

その言葉に、教室中がざわつく。あまり実感が湧かないが、恐らく凄いことなのだろうというのは、説明を受けたときになんとなく察してはいたが、こうして大勢の人間がざわついているのを見ると、改めて実感する。

(私、結構なイレギュラーなんだなあ……。)

私自身は魔女としてはほんの駆け出し魔女で、未熟も未熟なのに、資質はやたら優良で、おまけにとんだ遅咲き。正直自分でも自分をどう評価すればよいのかわからない。教室で浮いてしまいそうで、とてつもなく不安だった。

 そんな私の心情を知る由も無い桜小路さんはなんとも複雑そうな表情で、ありがとうございます、とだけ言って席に着いた。

「はい、ではこれで九王さんへの質問コーナーはおしまいです。九王さん、窓際の、奥から二番目の席に座ってもらえますか?」

最後に先生がそう言ってその場を締めた。私は指示された席に向かった。指示された席は先程質問してきた生徒の一人、春陽さんの隣で、先程、先生と一緒に桜小路さんを諫めようとした、メガネをかけた生徒の左斜め後ろだった。私が席に着くと、春陽さんはにこっと笑って小さく手を振りながら、よろよろ~、と声を掛けてくれた。……少しだけ、気が緩んだ。

 私が席に着いたのを確認して、先生がぱん、と軽く手を叩き、口を開いた。

 「はい。全員が席に着いたところで、早速HRの続きをしましょうか。まず、今日は始業式の後そのまま授業があります。忘れていたひともいそうですから、改めてお伝えしておきますね。次に、今日は四限目までです。間違わないように。」

先生はここで一旦言葉を切り、私の席の近くに視線を合わせるとこう告げた。

「ウッドさん。申し訳ありませんが、授業が終わったら、わたしも同行するので、九王さんに寮と、寮での過ごし方を案内してあげてください。」

すると、私の右斜め前の席の生徒が、はい、とハキハキとした声で応えた。どうやら、彼女は「ウッド」さんというらしい。続けて、今度ははっきりと私の方を向くと

「九王さん、今日はお昼休み後がそのまま放課後の扱いになるので、補講の時間までゆっくり過ごしてもらって構いませんが、普段はお昼休みは十三時までなので、忘れないようにしてください。それと、今日の補講は十四時半からです。忘れずに来てくださいね。」

「わかりました。」

私の返答に先生は満足そうに頷くと、正面に向き直って、

「はい。というわけで、本日の朝のHRはここまでです。この後は半から始業式ですが、二十五分までは雑談をしたり、お手洗いに行ったりしていても構いません。ただし、いつものことですがお手洗い以外の場所には行かないように。それでは、わたしは準備する物がありますので、一旦職員室に行ってきます。二十五分になったら廊下で会いましょう。ではでは~。」

と言って手を振って教室を出て行った。途端、教室がざわめきだす。私の席の周りの人も一斉に私の方を向いて、私に話しかけようと、誰も彼もがこちらを見たが、誰かが口を開く前に、ウッドさんが素早く口を開いて、

「はい。じゃあとりあえず九王さんの周りの席の五人でジャンケンね。勝った人から順番に質問して良いってことで。」

と取り仕切った。

(反発とか無いんだ。ウッドさん、慕われてるんだな。)

そう思いながらジャンケンの様子を見守っていると、どうやら決着が着いたようで、春陽さんがこちらに向き直ってきた。

「まずウチからね!ウチ、春陽葉月はるひはづきって言うんだ!よろしくね!」

「九王忍って言います。こちらこそよろしく。」

「で、なんだけどさ、九王さんってゲーム好きなんだよね?どんなのが好きなん?ポチモンとか好き?」

ポチモン、ポーチモンスターと呼ばれる大人気RPGシリーズの略称だ。モンスターを捕まえ、育て、一緒に冒険をする、というシステムで、私も子供の頃から大ファンである。

「ウチもウチも〜♪他には他には?」

「えっと、動物のしまとか、ドラコレジェンドとかかな。あと、わりとレトロなやつとかもやるし、アプリゲームとかもいくつかやっっってるよ。」

「結構やってるんだね~。ウチと今度ポチモンで対戦とか交換とかしようよ。」

「うん。いいよ。」

「あ、てかさ、しのぶっちって呼んでいい?ウチのことも好きに呼んでいいからさ!」

「ふふ。いいよ。……じゃあ、私は葉月って呼ぶね。」

「んじゃ、改めてよろしくね!しのぶっち!」

「うん。改めてよろしく。葉月。」

終始ハイテンションな葉月との会話は、けれど不思議と疲れることなく楽しいまま終わった。

「さて、次は私の番ね。」

右斜め前の席の彼女が言う。たしかウッドさんだ。

「私はクラリス・ウッド。このクラスの学級委員長よ。クラリス「さん」でも「ちゃん」でもいいけど、下の名前で呼んで頂戴。趣味は読書と勉強。あと天体観測ね。あ、あとギターとバイオリンも嗜んでるわ。」

「九王です。よろしく。……ギター、やるんだ。」

意外に思って聞く。彼女は真面目そうなイメージだったし、学級委員長という立場や、彼女の他の趣味も併せると、バイオリンは兎も角、ギターを嗜む様子とは結びつきにくかった。……多分、私の中に、ギター=ロックバンド、という固定観念があり、ロックと真面目さというのが正反対という固定観念も同様にあったからだろう。

「ええ。……貴方も弾くの?」

私は被りを振って答える

「ううん。聞く専。でもロックとかジャズは嫌いじゃないよ。そうじゃなくて、ちょっとイメージと違ったっていうか。」

私の言葉を聞いたクラリスは、クスッと笑って

「ああ、委員長っぽくないってこと?」

と言った。私はそれに頷き、こう続ける

「うん。それに、なんていうか……。」

私の言葉を継ぐようにクラリスが言う。

「ああ、ギターとバイオリンってジャンル違いのイメージあるものね。でも、だったら覚えておいて。バイオリンって意外とロックと相性良いのよ。エレキバイオリンとかもあるんだから。」

と答えてくれた。

「なるほど。覚えておく。」

「ええ。是非。」

新しい知見が増えたことを喜ぶ。その後二言三言話したところで、彼女は、じゃあ、この辺で、と言って次の人に順番を譲った。

「……えっと、次はあたし、ですね。」

そういったのは私から見て真正面、前の席の子だった。小柄で、ピンク色に近い赤毛という、ちょっと珍しい色の髪をポニーテールに結んだ子だ。髪をよく見ると染めた髪特有の光沢や野暮ったさが無いので、どうやら地毛のようだ。

「あたし、小春杏こはるきょうといいます。好きなものは、えと、サクソフォンと、あと押し花と料理と、あとはづちゃん……葉月ちゃんに付き合ってカラオケも割と行きます。ゲームも好きです。」

言い終わってぺこりと会釈する小春さん。その所作に小動物めいたものを感じながら、ふと気になった点があったので、訊ねてみることにした。

「ちょっと聞くんだけど、『はづちゃん』って」

「あ、はい。あたしとはづちゃん……葉月ちゃんは、いわゆる幼馴染みで、あと、こ、こ……」

「かのピだよ~!」

茹で蛸のようになって言葉に詰まった小春さんの後を引き継ぐように葉月が言う。先程までと同様明るく気軽なようでいて、堂々と、誇るような、胸を張るような、そんな凛とした響きの声だった。

「おお。」

思わず感嘆してしまう。実際に「そういう」人に出会ったのは実のところ今日が初めてだからだ。

「その、やっぱり、変……かな?」

小春さんの声は震えていた。それはそうだろう。今の時代、同性愛への差別意識は大分薄れてきたし、殊に所謂L――レズビアンの場合、(詳しくは知らないけれど)パートナーの片割れ、もしくは両方が魔女であるなら、女同士の性交渉でも子供を作る術があり、実際に子供を作った例がある為に、「同性愛者は子供を作らない」などという、差別をするための恰好のの口実が大分効力を失ったこともあり、表立って――つまり、不特定多数の人の前で――差別的な発言をする愚か者は減ったものの、とはいえ未だに差別は残っている。自ら同性愛者であることを口にするのは勇気がいることだ。それをほぼ初対面の相手に言うのだから、声が震えるのは当然だ。

「別に。『そういう』人たちに出会ったのは初めてだから、新鮮ではあったし驚きもしたけど。」

だからこそ、素直な言葉を口にした。驚きはする。けれど嫌悪は無い。私は敬意を込めて微笑み、こう続けた。

「これからよろしく、小春さん。」

私がそう言うと、小春さんの顔が、花が咲いたようにパッと明るくなった。彼女は明るい笑顔でこう返した。

「はい!あ、『杏』でいいですよ。あたしも『忍さん』って呼んで良いですか?」

「うん。もちろん。改めてよろしく。杏。」

「はい!」

そうして、杏の自己紹介が終わった後に、葉月がそっと口にした。

「ごめんね、驚かせちゃって。でも、ウチら、隠さないし逃げないって決めてるから。杏のこと、ウチが絶対守るんだ、って決めてるから。」

先程までと違い、静かで、けれど確かな意志を感じる声で、私にそう告げる葉月。そこに、

「カッコイイよね。杏が惚れたの、こういうとこだと思うんだよね~。」と、背後から声が掛かった。振り向くと、後ろの席の生徒がニコニコ笑いながら手を振っていた。

「どもども。アタシは月菜るな綾辻月菜あやつじるな。月に菜っ葉と書いてルナね。趣味は色々あるけど、手芸とかDIYとか、大別すると「何かを作ったり、直したりすること」が好きかな。なので料理も好きです。今は学校の一角を借りて庭園づくりもやってまーす。」

「て、庭園づくり!?凄いね!」

驚愕して思わず声を上げてしまう。高校生が個人で庭園づくりということは重機は使っていないはずだ。つまり相当な労働が必要になるはずだ。それを平然と言ってのけるとは。

「にゃはははは。つっても狭い庭園だからねー。剣先スコップでホホイのホイよ!」

「ホホイのホイ……。」

凄い表現だ。いや、重要なのはそちらではなく、スコップで造園したというところだ。

「……凄いな。パワフルだね。」

驚きと敬意を込めて言う。いや、本当に凄いと思う。けれど、綾辻さんは、別段特別な事でもないと語るようにかぶりを振り、こう口にした。

「いやいや。趣味の範囲だし、それにホラ、ちょっとずつ、無理のないスピードで進めてるだけだし。第一、全部穴だらけにするわけじゃないしさ。いっぱいに刺せば一掘り30cmはあるから、一回で意外と進むもんだぜ。」

最後の方は少しだけいたずらっぽく、語尾を上げて言う綾辻さんに、私は改めて尊敬の眼差しを向けた。

「それでも、継続できるのは凄いと思うよ。」

私がそう言うと、綾辻さんは照れくさそうに笑って

「そう?じゃあ、有難く受け取っとくかね。ま、ともあれ、これからよろしくね、九王!」

と言った後、

「あ、でもしずか様の妹なんだっけ。じゃあ忍で。どうせアタシのことも月菜って呼んでもらうつもりだったし。」

と言ったので

「うん。それでよろしく、月菜。」

と返して、気になったところを聞く。

「姉様……姉と知り合い?」

月菜はこくんと頷いて、

「そ。こう見えてもアタシ茶道部だからさ。まあ、あの人有名人だし、どっちにしろ知ってるけど。」

と答えた。なるほど。納得である。

「そっか。それでなんだね。」

「そゆこと。」

月菜は短く答えて、指をぴこぴこ動かした。話はこれで終わり、ということだろう。私もなんとなくそのまま会話を切った。

(それにしても、静「様」か。伝統とはいえ、何だか不思議な気分だ。)

上級生に「様」を付けるのはここ、神無月魔女学校の伝統。とはいえ、身内が「様」付けで呼ばれているのは新鮮な気分だ。そんなことを考えていたら、いつの間にか次の子が自己紹介をするタイミングになっていたようだ。

「それじゃあラスト。ボクだね。」

最後に自己紹介をしたのはハシバミ色のショートヘアの子がだった。自分の事を「ボク」と呼んだが、目鼻立ちは良い意味でボーイッシュという印象からは遠く、身に付けているヘアピンなどの小物も、デザインライン、色合い共にガーリィでキュートでポップな印象の物で纏まっている。声の様子も鈴を鳴らすようでいかにも少女的である。平易な表現を敢えて使うと「可愛い。」というヤツである。そんな彼女は、イタズラっぽくウインクして、

「初めまして。ボクはハンナ。ハンナ・アルムナイアン。ボクの事は他の子と同様ファーストネームで呼ぶか、あるいは気軽にハニーと呼んでくれたまえ。好きなものは紅茶とお茶菓子。趣味という点ならサッカーと手芸、あと囲碁かな。」

と語った。

(囲碁!)

如何にも西洋風の顔と名前なのに、囲碁という、極東のボードゲーム(それも、ここ日本では将棋ほどメジャーではない)が趣味と聞いて、にわかに驚き、目を見開いた。その反応を見て、ハンナは、うんうん、と頷いてこう言った。

「やはり驚いたね。囲碁が趣味と言うと、日本人は必ずと言っていいほど驚くからね。まあ、分からなくもないさ。ボクも日本人にクリケットやカバディが趣味と言われたら驚くだろうからね。」

言い終えてニコっとウインクするハンナ。キザな口調に対して、声も仕草もやはり可愛らしい。

「ハンナは自由なんだね。」

そんな彼女を見て、ふとこんな感想を漏らす。唐突なその言葉にハンナは首を傾げた。

「自由?」

「うん。自由。ハンナは口調はボーイッシュだけど、他は結構ガーリィというか、可愛い系だし。でも、それでいてしっかり纏まってるから。」

身に着けているものや顔立ち、それに声が可愛らしく、口調はキザでボーイッシュ。好きなものは紅茶にサッカー、囲碁に手芸と和洋混在。それでいてちぐはぐにはならないのは、「自由」という調律が為されているからだろう。

私のそんな言葉を聞いたハンナは満足そうに頷くと、

「なるほどね。それで自由、と。ふむふむ。ふふっ。では褒め言葉と受け取ってい良いんだね。」

と言ってクスクスと笑った。私もなんだかおかしくなってしまい、一緒に笑った。

 そんなこんなで、とりあえず周りの席の子に自己紹介をして貰ったところで、ちょうど先生が戻ってきたので私たちは先生の指示通り出席番号順で廊下に並んだ。高校編入なので出席番号は一番後ろになるのかな?と勝手に思っていたが、別にそんなことは無く、普通に真ん中辺りになった。考えてみれば、普通の学校で言うところの、学期替わりではなく学年替わりのタイミングで編入になるのと似たような扱いのはずで、加えて、中等部から進学するにあたって、ごく少数ではあるが別クラスに振り分けなおされた、あるいは別クラスからクラス再編で振り分けられてきた生徒もいるのだから、当然出席番号の振り直しも行われるはずであり、即ち高等部編入だとかそういうのが関係ないのはある意味当然であった。

 ともあれ、出席番号順に並んで先生の後についていく。てっきり体育館に行くのかと思ったが、向かったのは「視聴覚室」と書かれた札のある部屋だった。最初に案内された時を思い出す。あの時は度肝を抜かれたものだ。なにせ、視聴覚室と言っても、私が通っていた公立中学にあったような、プロジェクターとパイプ椅子があるだけの、普通の教室と同じくらいの部屋ではなく、どちらかというと「ホール」と呼ぶ方が適切な、ちょっとした劇場ホールくらいのサイズの部屋に、やたらと座り心地のよさそうなふかふかの椅子がズラリと並んでいるのである。常識が破壊されそうになり、なるほどこれが名門学校か、とひとりごちたのを覚えている。なお、時間の都合で案内はされなかったが、白月先生曰く、ここの他にも中ホールと大ホールを兼ね備え、より本格的な舞台装置も据えられた、「神無月白百合劇場」という名の本格的な劇場も存在しているとのことである。名門魔女学校恐るべし、である。

閑話休題

 ともかく、先生の誘導に従い、特に何事も無く劇場……ではなく「視聴覚室」にたどり着き、これまた番号順に席に座る。見た目以上のふかふかとした感覚に若干苦笑い気味になりつつ、正面を向いた。次々と生徒たちと先生方で席が埋まっていき、しばらくすると生徒でいっぱいになり、どうやら全クラスの移動が済んだかな?というタイミングで、白月先生が立ち上がり、ぐるりと大周りで回り込むように移動して壇上に上がると、舞台袖付近のマイクを移動させ、口を開いた。それを見て、ややざわざわと話し声がしていたものが一斉に静まり返った。先生は会場が鎮まったのを見て微笑むと、静かに言葉を口にした。

「開会の辞」

一呼吸置いて続ける。

「ではこれより始業式を行います。一同起立。礼。」

「校歌を斉唱。一同、礼。」

校歌を歌う。もっとも、これが初めてなので周囲のクラスメイトや前方の席に座っている先輩方に即興でなんとなく併せながら、だが。

私がそうやって戸惑いながらも何とかついていっている中でも、式はただ坦々と進んでいく。校歌を歌い終わり、校長先生の挨拶が始まった。そういえば校長先生の顔はまだ見ていない気がする。どんな人なのだろう、と思い壇上に集中する。すると、舞台袖から桃色の髪に特徴的な髪留めを付けた、小柄な女性が現れた。生徒と見紛いそうなほど幼い外見の彼女は、しかし所作やたたずまいから、不思議な威厳が漏れ出ていた。彼女は、すたすたと舞台中央に置かれた檀に向かって歩くと、そのまま檀の上にすっと上がって、優雅な手つきでマイクを引き寄せ、流れるようにスイッチを入れ、話始めた。

「ごきげんよう、諸君。大半の生徒は既に知っていると思うが、今年は高等部の生徒がいるということで、改めて自己紹介しておこう。私が、この神無月魔女学校の校長を務めさせていただいている、神無月美夏かんなづきみかだ。覚えておくように。」

と、そこまで言って、一度こちらの方を見た。なんだか恥ずかしい。

そんな私の心の内をよそに、校長先生は話を続ける。

「さて、私は長話をするのは苦手だ。諸君らも長い話を聞きたくは無いだろうから手短にいこう。依然、街の外では魔獣に因る被害が多発しており、魔女以外が街の外に出ることが困難な状況が続いている。進級、あるいは進学し、諸君らの気持ちも新たになったことと思う。是非、昨年度出来なかったこと、やらなかったことに挑戦し、己が力としてほしい。諸君らが身に着けたその力は、きっと人類が魔獣から国を、世界を取り戻す標となるだろう。以上だ。」

校長先生はそう言ってマイクを置き、一礼するとスタスタと壇上から去っていった。それを見た白月先生が一瞬頭を抱えるような仕草を見せた後、再び口を開いて告げる。

「一同着席。続いて、年度初めの注意事項を私からお伝えします。」

と言って舞台中央に移動し、先程校長先生が使用していたマイクのスイッチを入れ、話し始めた。

「まず当然のことですが外出の際は外出届を出すこと。次に――――」

先生が校内において気を付けるべきことを話す。内容としては校則の変更点や、特に重要な点、校内設備に関する臨時のお知らせ等であった。やがて話が終わり、静かに舞台中央から、先程までの司会用の立ち位置まで戻ると、静かに一礼し、閉会の辞を述べ、周囲が僅かに賑やかになったのに紛れるようにして私たちの席の近くに戻ってくると、二年生の後に続いて教室に戻る事旨を告げた。しばらくして二年生が全員退場し、私たちの番が回ってきた。隣の生徒に続いて列を成し、教室に戻る。こうして、始業式は終わり、十分間の休憩の後に、早速一時限目の授業が始まることが告げられた。休憩中、月菜が話しかけてきてこう言った。

「ね。変な事言うけどさ、ホントに魔女になったばっかなんだね。」

「?」

どういうことかと思って首をかしげると、月菜は左の人差し指を軽く立ててこう続けた。

「ホラ、アタシが造園にハマってるって言ったときに、魔法使ったの?みたいな事言わなかったじゃん?だから、ホントに、魔法がその辺にある環境とは違うとこに最近までいたんだな、って思ってさ。」

「ああ。なるほど。」

言われてみれば、というやつだ。確かに、魔法で作業した可能性もあったわけだが、私はその可能性に思い至らなかった。月菜の言葉は続く。

「いやさ、てっきりそういうこと言われるかなーとかちょっと思っちゃってたりして、アタシ、そういう地形をどうこうするような魔法は得意じゃないから、魔法でやったのかー、とか思われたら嫌だなーって勝手に思ってて、だからアンタがそういうこと言わずに、素直に手作業でやったって受け取ってくれて、ちょっと……いや、結構嬉しかった。」

そう、照れくさそうに言う月菜に、私はかぶりを振って、

「いや、でも考えつかなかっただけだから、感謝されるようなことでもないよ。」

と言うと、月菜は頸を振って、

「いやいや、そういうのが嬉しいんだってば。……まあ、そんなわけだから、ありがとう。」

と言って、恥ずかしそうに顔をそらした。私は

「そっか。」

とだけ返して、ひとり、月菜は可愛いな、と心の内に呟いた。

そうこうしているうちにチャイムが鳴り、二時限目の……私にとっては魔女学校での初めての授業が始まった。

最初の授業は魔女史……魔女と魔法の歴史に関する授業だった。

「はい。今日は新学期最初ですし、九王さんもいますから、今までの復習がてら、クイズ形式で始めましょうか。九王さんは、分からなくてもノートは取るようにしてくださいね。では、第一問。初等部の範囲から。公式記録に初めて魔女が登場したのは何年とされていますか?」

先生の出題に誰よりも先に反応したのは葉月だった。

「はい!はーい!」

「はい。では春陽さん。」

先生に指された葉月はウサギみたいに、ぴょん、と勢いよく立ち上がると、笑顔で答えを口にした。

「西暦一〇一九年!」

葉月の答えを聞いた先生はにっこりと笑って

「その通りです。流石ですね。偉い偉い。」

と彼女をほめちぎった。葉月は嬉しそうに、えへへー、と笑った。その一連の流れを見た月菜が私の肩をつつき、こっそりと耳打ちした。

「あの子、去年の今頃は座学に死ぬほど興味無くてさ、今みたいな初等部の問題もまともに答えられなかったんだよ。それを一年で中等部三年の平均くらいまで立て直したワケ。」

「……それ、凄いね。どっちも。」

「ね。どっちもね。」

初等部クラスの問題もまともに答えられないような生徒を一年で矯正した先生の手腕もそうだが、如何にその時点での原稿の授業内容より簡単な内容とはいえ、一年でそれを吸収しきって、周囲についてこれるレベルまで成長した葉月の吸収力と努力も凄まじいものだ。どちらも賞賛に値するし、先生がほめちぎるのもなるほど納得である。私は葉月と先生に深い敬意を示しつつ、すばやく授業に意識を戻した。

「魔獣の発生は約二百年前、今は無きアメリカ合衆国で観測されたのが最初とされています。では、第二問。」

先生によるクイズ形式の授業はその後も続いたが、私がついて行けたのは三問目までだった。まあ、いつまでも私一人にレベルを合わせるわけにも行かないだろうし、分からなくてもノートだけは取るように、と指示されていたので、解説を聞いてノートを取ることに集中した。先生もそれを想定していたのか、四問目からは設問と設問の間を少し長めに取ってくれた。

かくして、私の、魔女学校での最初の授業は幕を閉じた。

次の授業は校庭に出ての魔法の実践演習だった。といっても、講義と違って、魔法どころか魔力の制御もおぼつかない私は、まずは魔法を使う所を一度実際に見て、とにかく魔法の扱われ方に慣れることと、それが終わったら魔力制御の猛特訓、と指示された。

「本当は実技も補習授業で教えてあげたかったんですけど、何分時間が足りず、申し訳ありません。」

とは先生の言葉だ。まあ、私ばかりに構うわけにもいかないだろうし、そもそも補習というのは現行の授業に追いつくためにやるのだから、補習に時間を掛けすぎて現行の授業分の予習、復習に時間を割けなくなるのでは本末転倒だ。尺が無いというのは、無論先生の時間の問題も大いにあるのだろうけど、大いに私の時間の問題でもあるのだろう。なのでまあ、仕方のないことである。ともあれ、私は先生の指示に従い、指定された場所に向かった。

 指定された場所では十五人ほどの生徒が集まり、先生の指示を待っていた。事前のアナウンスによれば闇属性魔法に対する適性がCランクを超えている生徒達で、他は各自に合わせた課題が割り振られているらしい。魔法はその性質から様々な区分けが為されており、また魔女にはそれぞれの区分けごとに、適正を示すSからFまでの七段階に分かれた値が割り振られている……らしい。

(Cランク……。確か適正値のちょうど真ん中……。平均値って認識でいいのかな?)

知ったばかりの知識を必死に掘り返して考える。実のところ、この認識は少々間違っていたのだが、今の私にとっては知る由もない事だった。

――閑話休題

生徒たちが集まったことを確認した先生はにっこりと微笑むと、ゆっくり口を開いた。

「さて、皆さん。今日実践していただくのは重力制御魔法です。こちらに資材が用意してありますので、これをご自身のおへその辺りの所に浮かせて、それを五分間維持させてください。」

先生はそういって足元のコンテナを指さした。見ればコンテナの中には長さニ十センチ、厚さ十五センチ程のレンガが詰め込まれていた。

(重力制御って闇属性魔法なんだ……。)

魔法の属性には確か地属性というのもあったはずなので、私はてっきりそちらだと思っていたのだ。そんなことを今更知った私を一人置いて、先生の説明は続く。

「クリアできた方から順に、今度は踝付近まで資材を移動させて、その状態を今度は十分維持してください。それが終わったら今度は地面に押し付ける課題を用意しますので、声を掛けて下さい。では、はじめ!」

先生が号令を掛けると生徒たちが一斉に資材のレンガを取りに行った。それと入れ違いになるように、先生が近づいてきてこう言った。

「九王さんは藤沢さんを見ると良いですよ。」

「藤沢さん……ですか?」

「ええ。彼女は闇属性魔法のスペシャリストですから。」

首を傾げた私に、先生は理由を述べて続けた。

「本当のところ、彼女はとっくにこの課題をクリアできる実力を持っていたので、課題を免除しようと思ったのですが、彼女自身から、九王さんに自分の魔法を見て欲しい、と打診がありまして。それならば、と思い、こうして課題に参加して頂きました。」

「なるほど。」

それならば確かに手本として見るように言うだろう。納得である。

「さて、その藤沢さんが資材を手に取って戻ってきましたよ。よく見ていてください。」

先生の言葉通り、藤沢さんがレンガを持って、元々整列していた場所にほど近い場所に戻ってきていた。彼女は一瞬こちらを振りむき、ウインクした後静かに告げた。

「――Stirkui.起きよ。

――その瞬間、私の中で、バチっと何かが弾ける感覚がした。心臓が急に加速し、電流が走ったように、視界にバチバチとノイズが走る。

思わずたたらを踏む私に、先生が冷静に語りかける。

「大丈夫。魔力の感応現象です。九王さんの中にある、使われず、また制御下に置かれることも無く、ただ沈んでいた魔力が、周囲の魔女の魔力が活性化したことによって強制的に活性化し、また極軽度の暴走状態になった状態です。暴走と言っても極軽度ですから、影響元から離れれば自然と収まりますし、そもそも感応が原因なので、一度体内魔力を制御できるようになれば二度と起こらない現象です。だから落ち着いて。ゆっくり深呼吸して。」

「は、はい。」

先生の声を聞いて何とか冷静さを取り戻し、あらぶっていた意識と心臓を落ち着かせる。バチバチとした感覚は消えないものの、感覚は真っ当な状態に戻ってきた。

「少しきついかもしれませんが、深呼吸しながらでも良いので、藤沢さんの魔法を見てあげてください。」

「はい。」

口を結ぶ。私が魔力の感応現象とやらに当てられている間にも、藤沢さんは魔法の準備を行っていた。

「Szirhjui!《ひれ伏せ!》」

藤沢さんがそう呟いた次の瞬間、レンガが勢いよく地面にめり込み、かと思えば、藤沢さんが指揮をするように手を突き出せば、それに呼応するようにゆっくりと浮き上がり、藤沢さんの右手の動きに合わせるように、藤沢さんの頭上まで移動すると、最後に急速に位置を下げて、先生の指示通り、藤沢さんのおへその辺りの高さでピタリと止まった。

「流石藤沢さん、あの程度ならお手の物ですね。一言シングルスペルでの発動。それも余興を挟む余裕すらあるとは。」

感心するように言う先生の横で、またしても聞きなれない言葉を聞いた私は、首を傾げた。

「……シングルスペル、ですか?」

それを聞いた先生は、おっと、と言って私に謝り、補足した。

「すみません。説明していませんでしたね。今後補習で説明しますが、簡単に言うと魔法の詠唱の長さの単位の一つです。シングルスペルは最小単位なので、まあ滅茶苦茶短いってことですね。」

「なるほど……?」

いまいち良く分からず、首をかしげる私に、先生は苦笑して言った。

「まあ、そこはおいおい。……ともあれ、今藤沢さんが使って見せたのが魔法です。雰囲気は感じ取れましたか?」

「はい。」

私が首を縦に振ったのを確かめると、先生は頷いて

「では、そろそろ魔力制御の個別指導を始めましょうか。距離を取れば自然と収まるものとはいえ、感応現象をいつまでも放置する意味はありませんからね。」

といって、私に付いてくるように指示したので、私は黙って従った。

 先生の指示に従い、練習場から少し離れた場所に移動した私は、そこで改めて先生の指導を受けていた。

「まずは魔力を運用するための器官、魔導回路マギアサーキットを起動します。九王さん。先程の魔力感応現象の時の感覚を思い出せますか?」

先生の問いかけに、コクリと頷く。先生は続ける。

「では、先程感じた感覚を探すイメージで、己の内側を強く意識してください。目を閉じて、胸に手を当てると、よりやりやすいかと。」

言われるまま、己の内に目を向ける。程なくして、先程感じた感覚に辿り着く。

「その調子です。そのまま深く、深く。例の感覚の根源を探るように。」

先生の言葉に従い、己の内に深く、深く潜っていく。

「探り当てたらたら、それを捕まえてください。」

深く、深く潜り、そして不意に見つける。それは、白い、糸にも似た、一筋の光だった。

「あった。」

そう呟き、手を触れる。

shrtui!記せ

知らないはずなのに、何故か不思議に口に馴染む言葉が、口から漏れる。

ーー瞬間、私の中に海図マップが広がり、同時に、私の中に力が満ち溢れた。

「見えたようですね。」

先生の言葉に頷き、言葉を続ける。

「はい。でも、回路というより海図でした。こう、海図が頭の中で広がるような……。」

私の言葉に、先生はふふっ、と笑って

「魔導回路のイメージは人によって異なります。運用に必要なイメージも同様に。ですから、貴方が海図をイメージしたというのであれば、それで良いのです。」

と答え、続きを口にした。

「さて、今ので魔導回路が起動したと思いますが、どうですか?」

先生の問いに、戸惑いながら答える。

「ええと、何だか体中に何とも言えないエネルギーが満ちてる気がします。」

それを聞いた先生はにっこり笑って言う。

「よろしい。魔導回路が正常に起動したことで、魔力が正常な覚醒状態になった証拠ですね。ビリビリした感じも消えたんじゃないですか?」

「……あ。」

言われてみれば、さっきまであったビリビリと痺れるような感覚が消えている。思わず目をしばたかせると、先生は無言で頷き、続いてこう繋げた。

「さっきまでは本来は入れない場所に偶然入れてしまったようなもので、今回改めて正規の入室方法を獲得したような感じですね。後ほど「戸締り」に該当する技術も教えますが、その前に、魔力運用の基礎の基礎、充填と放出を覚えましょう。……その前に、ちょっと的を用意しますね。」

そう言って、先生は二、三分ほどその場を離れた後、言葉通り、的のようなものを持って戻ってきた。

「お待たせしました。さて、まず充填の練習からですね。先程、体内にエネルギーが満ちている気がする、と仰っていましたが、そのエネルギーを一か所に集中する事をイメージしてみてください。集中する場所はどこでも良いのですが、この後放出の練習も続けて行うので、その際にやり易くなるよう、腕、特に指先がおススメです。九王さんの場合、慣れるまでは指定の場所に航路を引くイメージをしてみると良いかと。」

「はい。」

言われた通り、航路を引いて体中のエネルギーを指先に集めることをイメージする。すると、少しの間を開けて、指に光が灯ったような錯覚を感じた。

「これ……。」

私の呟きに、先生は満足そうに頷いて次の指示をした。

「どうやら上手くいったようですね。では、そのエネルギーを体外に放出してみましょう。ボールとして握ってみるのと、弾丸として的に向かって撃ち出してみるの、どちらが、イメージしやすそうですか?」

「ええと、撃ち出してみます。」

「わかりました。では、ここに的をセットしたので、ここ目掛けて撃ち出してみましょうか。……あ、そうそう。最初の内は命中しなくて大丈夫ですよ。放出のイメージを掴むことの方が重要なので。」

「わ、わかりました。……いきます!」

指先に意識を集中する。指先に集めた力を、撃ち出して的に当てることを強くイメージする。すると――

――ぴゅん、と音がして小さくも確かな光が指先に宿り、放たれ、的に当たる……直前で消え去った。

「あ、え?」

「……驚きました。初めてこの訓練をする子は大概あらぬ方向に飛んで行ったり、もっとずっと手前であっけなく弾けて消えたりするものなのですが、思ったりずっと飛距離が出ましたね。」

初めての魔力放出の感覚に戸惑う私と、予想していたよりずっと良い結果を私が出した為に驚きを隠せない様子の先生。二人分の異なる驚きが、しばし空間を支配した。しかし、やがて我に返った先生が、ぱん、と手を叩いて場を仕切り直した。

「っと。では、最後に、魔導回路をオフにする方法の指導を始めましょう。と言っても、先程も言った通り、魔導回路の起動イメージは人によって異なりますので、わたしがするのはやっぱりちょっとしたアドバイス程度になりますが。」

「お願いします。」

「では、そうですね、九王さんの場合、起動イメージが海図を開くイメージだったので、反対に、海図を折り畳むイメージでやってみてはいかがでしょうか。」

「……わかりました。やってみます。」

アドバイス通り、頭の中に浮かんだ海図を、今度は折りたたむイメージをしてみる。すると、程なく、体内に満ちていた力が眠りに付くようにゆっくりと抜けていくのを感じた。

「……出来た、と思います。」

私が報告すると、先生は軽く拍手した後、次なる課題を告げた。

「よくできました。では、今の起動、充填、放出、終了の一連の流れを……そうですねえ、二分以内に十セットできるようになる事を目標に、練習を始めましょうか。後、紙とバインダーを渡しておきますので、魔力を的に当てることが出来たら、正の字で記録して見て下さい。」

「はい!」

「わたしはあちらの練習場に戻りますので、もし何か問題が起きたり、課題をクリアできたらすぐに来てくださいね。」

「はい。」

こうして、魔力を制御する猛特訓が始まった。……二分で十セット、という目標は、結論から言うと思っていたより難しかった。二分で十セットということは、言い換えれば百二十秒に十セットということで、つまりは一セットに掛かる時間が平均十二秒を切らなければいけないのだが、その十二秒の壁が中々越えられない。結局二十五分も掛かってしまった。そういえば、と思ってバインダーに目を落とす。十二秒の壁こそ中々越えられなかったものの、魔力を的に当てる方は特訓を初めて早い段階で成功していて、一セットが十三秒を切るようになったころには安定して当てられるようになった。どうやら私は的に当てるのは得意なようだ。

「まあ、魔法じゃなくて魔力の塊を当ててるだけだから、ちゃんとした魔法を当てるのとはわけが違うのかもしれないけど。」

そう独り呟いて、先生の下へ報告に向かった。

「先生、終わりました。」

そう私が報告すると、先生は驚いたように目をしばたかせ、しかしすぐに微笑を浮かべると

「お疲れ様です。では、バインダーを回収しますね。……的はあちらに置いたままですか?」

と訊ねてきた。しまった。置きっぱなしだ。

「す、すみません。」

私が謝ると、先生は笑顔で、構いませんよ、と言い、

「確認のために訊いただけで、元からわたしが回収するつもりでしたし、問題ありません。そもそも、資材の管理は教師であるわたしの仕事ですから。気に病まなくていいですよ。」

と続けた。

「ありがとうございます。」

そう言って頭を下げる。すると先生は、いえいえ、と言った後、私から回収したバインダーに目を落とし、一瞬目を見開いた後、いたずらっぽく笑ってこう言った。

「素晴らしいですね。的中が六セットは練習初日としては破格と言っていい命中率です。本格的に魔法を扱えるようになったら、命中率がウリの魔女に成るかもしれませんね。先生も楽しみです。」

きらきらした顔でストレートに褒められたせいか、顔が熱くなるのを感じながら、ありがとうございます、とお礼を言う。先生は、いえいえ~、と言った後、私にこう告げた。

「さて、今日この後は授業が終わるまで見学で構いません。明日以降の魔法実践の授業ではいよいよ本格的に魔法の練習を行ってもらうつもりですので、覚悟しておいてもらえると。それと、朝六時から始業時間までは生徒の自主練習用に練習場を開放していますので、できれば朝の時間を利用して自主的に先程の練習を続けて、少しでも一セットに掛かる時間を単秀句できるようにしていただけると助かります。その内、シミュレーターを使って実際の魔獣との戦闘を想定した訓練や、チームに分かれて行う、魔法使用アリのレクイエーションを授業に取り込む予定なので、少しでも腕を磨いてもらった方が参加しやすいかと。」

「……わかりました。頑張ります。」

成程。それは確かに練習を積んでおいた方が良さそうだろう。私はきゅっ、と手を握りしめ、自分に気合を入れた。

「さて、それでは本日分の課題はクリアなので、残りの時間は、先程言った通り、見学に充てるのがおススメです。勿論先程までの特訓を継続していただいても構わない事には構わないのですが、自分より上手(うわて)な方の術(すべ)を見て学ぶのも大事な事ですし、これから先そういう機会は減っていくでしょうから。「見る」事に集中できる機会は最大限活かすべきかと。」

「なるほど。では、見学してます。」

「はい。ではわたしは他の方の様子を見てますね。お疲れ様です。」

まだ時間は余ってますけど、と付け足してウインクして先生は去っていった残された私は、とりあえず重力操作魔法を練習している人の様子から見ることにした。

 重力操作魔法を練習しているグループを見ると、思った通り、藤沢さんは、重力を軽くする課題も、重くする課題もとうに終えた様子で、まだ終わっていない生徒たちにアドバイスをして回っていた。

(こうして見ると、確かに藤沢さんは特別上手だったんだな。)

成程、先生の言う通り、見ているだけでも中々に学びがあるもので、藤沢さんが飛びぬけて重力操作が得意なことが改めて実感できた他、得意な生徒と苦手な生徒の差も、そして、まだ得意とか、苦手とかを語れるレベルにすら至っていない己との差も、しっかり……否、くっくりと見ることができた。

(改めて、私って未熟なんだなあ。)

自分の立ち位置を改めて実感したところでチャイムが鳴り、三時限目の授業が終わった。

 四時限目、今日のラストの授業は、先程までと打って変わって一般科目――より正確に言うと、古文の授業だった。教壇では先生が小野小町の歌を黒板に書き写している。

「『花の色は 移りにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに』っと、この歌はですね――。」

先生の解説を聞きながら考える。今日は初めてのこと尽くしで、何もかもが新鮮だったけれど、そのうちに鮮やかさが滲んで、馴染んで、何でもない日常になっていくのだろうか。そしていつか、温かで優しい、セピア色の思い出になっていくんだろうか。

(そうなったら、いいな。)

日々が色あせることも、若さが無くなっていくことも、小野小町は嘆いたけれど、私は、きっと悪い事ばかりではなくて、老木に老木の美しさがあるように、きっと、老いた先にも、良いものがあると、私は思うのだ。

(まあでも、より一般的は美貌は若い人間の特権か。美貌は大事だよね。うん。)

なんとなく良い感じに恰好が付きそうなところで纏まっていた思考を、高速で旋回させつつ、ノートの上でペンを走らせ、先生の指示通りに教科書をめくる。こうして、今日最後の授業は過ぎていった。

 放課後。本来は昼休みの開始直後と呼ぶべきタイミング。告知通り、先生がクラリスを引き連れて私の席の前までやってきた。

「さて、お昼休みに入ったころ申し訳ありませんが、寮の案内をするので、わたしたちについてきてください。」

「わかりました。」

先生とクラリスの後に従い教室を後にする。しばらくすると、レンガで作られた立派な建物が目の前に現れた。

(寮っていうか、もはや館だよね、これ。)

何しろ大きい。パッと見た感じ、窓の配置から推測するに九階建ての建物で、校舎がロの字をしているのに対して、寮はどうやらコの字をしているので、文字に起こすと校舎の丁度半分、といった印象を受けるが、実際はむしろ校舎より広いくらいだ。校舎はロの字の北側半分のコの字が旧館、南側半分のコの字が新館になっていて、各階の東西にある廊下で繋がっているのだが、寮はそのそれぞれのコの字の二・五倍はありそうな大きさである。……そして、今気が付いたのだが、すぐそばに看板が立っており、その看板曰く、今目の前に見えている建物は『壱号館』らしい。目の前の建物が大きすぎて気づけなかったが、この建物の左隣にも同じような建物が建っていて、それが視認できる限りで二棟……いや三棟はある。凄まじい規模だ。つくづく次元が違う。そもそもどうやってこんな広い土地を用意したのだろうか。この街の結構な割合をこの学校が占めている様な錯覚さえ覚える。……いや、M市という市区町村単位ならともかく、N街という町村単位なら間違っていない気もする。それほどに巨大だ。

「随分大きいですね。」

圧倒されながらも口にすると、先生ではなくクラリスが応えた。

「まあ、初めて見たらそういう感想になるわよね。わかるわ。でもまあ、これから三年間はここで暮すわけだし、慣れてもらわないとね。」

けらけら笑いながら言うクラリス。私はひきつった笑みを浮かべながら答える。

「……うん。努力する。」

口にはしたもの、果たして慣れるだろうか。そう思っていたところ、どうやら目当ては壱号館ではなかったようで、二人が方向転換し始めた為、慌ててついていった。

「はい、というわけで、九王さんにはこちらの弐号館で暮していただきます。」

目当ての建物――つまりこの『弐号館』の前で先生が言う。外観は色以外ほとんど同じ。まあ当たり前か。寮ごとに構造が違ったら色々と不都合が生じそうだし。そして、その色だが、壱号館が赤色基調だったのに対して、こちらは深い藍色が基調になっている。

二人に案内されながら中に入ると、目の前には下駄箱があり、その奥には木造の廊下と階段があった。如何にも洋館的な造りなのに、靴を脱いで上がる和式の構造が採用されているのは、何というか日本らしいと言うべきか。まあ、正直靴のまま上がる洋式の住居というのは慣れていないので、大変助かりはするが、不思議とくすぐったい気もする。我ながら贅沢だろうか。

……などと思っていると、先生が手を振って、

「規則上、先生はここから先、原則として入らないことになっているので、ここで失礼しますね。外で待っているので、案内が終わったら報告をお願いします。」

と言って出て行った。それを見送ったクラリスが

「じゃあ、改めて案内しましょうか。」

と先頭に立ち、案内を再開した。

「ここはまあ、見ての通り下駄箱ね。一人一か所個別に割り振られてるわ。うちのクラスはこの辺りを使うことになってるから、九王さんのもここの辺りを探せばあるはずよ。」

そう言って、クラリスは三列目の真ん中辺りを指さした。確かに見覚えのある名前が散見できる。その中に自分の名前を見つけて一安心した。

「あったみたいね。じゃあ、そこ使って。……さて、私も靴を脱いで、っと。」

クラリスが自分の下駄箱に靴を入れ、案内を再開する。

「さて、と。といっても、基本構造としてはごくシンプルだから、あんまり話すことも無いんだけど。建物のざっくりとした構造としては、一階には左にキッチンとダイニング、右には談話室、見ればわかることだけど、中央奥には階段とエレベーターホールがあるわ。二階から九階までが居住フロアね。一階ごとに二人部屋が十あって、ホテルやアパートみたいに、階層数+号室数、まあつまり二階の五号室なら二〇五、みたいに部屋番が振ってあるわ。補足として、各階の中央には階段とエレベーターがあって、それを挟んで東側が一から五号室、西側が六から十号室よ。で、九階より上には屋上があるけど、ここは出入り自由よ。見晴らしは良いし、花壇やベンチがあって心地良いし、フェンスがあるから安全よ。で、最後ホールの奥、昇り階段の奥にもう一つ階段があるの、見える?あの階段を降りた先が大浴場。広い上にサウナもあって最高よ。っと、まあ、この寮全体の説明としてはこんなとこかしら。あとは実際に出向いて説明するわね。」

クラリスの説明に無言で頷きを返し、理解したことを示す。クラリスはそれを見て短く、よし、と言った後、

「じゃあ、実際に出向いてみましょうか。まず、談話室を案内するわね。」

と言って、案内を再開した。

右に曲がり、少し歩くと朱色のドアが私たちを出迎えた。ドアには『一〇一』という部屋番の書かれた金属製のプレートと、そのすぐ下に、『談話室』と書かれた木製のドアプレートが掛けられていた。よく見ると、ドアプレートにはピンク色のアネモネが小さくあしらってあった。可愛い。

「ここが談話室ね。さ、入って。」

促されて部屋に入る。すると、入ってすぐに、赤いバラをかたどっていながら、柔らかい色と主張しすぎないデザインが特徴的な、大きな絨毯が私を出迎えた。同じメーカーだろうか。部屋の片隅には同じようなデザインの、ピンクのバラモチーフと思われるビーズクッションが鎮座している。部屋の中央壁際にはダークブラウンの、落ち着いた木目調のテレビ台と、その上に何インチあるのか想像もつかないほど大きな大きな液晶テレビ、そして、恐らく録画機能付きのブルーレイレコーダーが置かれている。また、それと向かい合うように、スカイブルーのソファが置かれており、間には横長の大きな木製のテーブルが置かれている。向かい側には暖炉……ではなく、暖炉風の薪ストーブが置いてあり、天井を見ればシャンデリアを模した凝ったデザインの電灯が吊り下げられていて、出入り口側の壁際には大きな木製の本棚と、よく見れば棚にある本を読む際の注意書きが書かれたシールが貼ってある。曰く、談話室からの持ち出しは禁止らしい。本棚の隣には新聞や雑誌の立てかけられた金属製の無骨なラックがあり、こちらにも同様、持ち出し禁止を示すシールが貼ってある。本棚とラックの前にはテレビの前に置いてあったのと同じデザインのソファとテーブルが二つずつ置いてあり、部屋の隅には観葉植物の鉢が置いてある。窓は入り口から見て奥側に集中していて、窓枠には季節の花々をかたどった模様が刻まれたすりガラスがはめ込まれている。窓の両隣には朱色の大きなカーテンがついていて、今は開いている。全体的に豪華なのに華美になりすぎていない、美しい部屋がそこにあった。

「凄……。」

思わず感嘆する。クラリスはそんな私を見て微笑み、説明を始めた。

「これが談話室。まあ読んで字のごとく、複数の生徒で交流するための場所ね。基本的に消灯時間前ならいつでも、生徒の誰でも利用して良いことになってる。注意書きが貼ってあるのが見えると思うけど、本棚の本と、その隣のラックにある雑誌や新聞は持ち出し禁止ね。この部屋の中で読んで、それ以外の場所で自由に読みたい本があるなら自分で買うか図書館で借りること。後、飲み物は飲んで良いけど食事は持ち込まないこと。ダイニングと、自分の部屋があるから基本そっちでね。で、テレビを見るときはあそこの壁に掛かってるホワイトボードに何時から何時まで利用するのか記入すること。まあ、部屋にもテレビはあるはずだから、見たいだけならそっちを使うことをお勧めするわ。」

そう言って、クラリスはテレビの横の壁を指さした。なるほど確かに壁掛けタイプの小さなホワイトボードがある。クラリスは、私が頷いたのを確かめて説明を続けた。

「で、ブルーレイレコーダーがあるけどこの部屋にブルーレイもDVDも無いので、見たいなら私物を持ち込むこと。あっち、窓際に掃除用具があるから、汚したりしたらできるだけ自分で片付けてね。」

今度は窓際の隅っこを指さすクラリス。よく見れば確かにカーテンの反対側、丁度入り口からは見えにくい位置に掃除用具入れのようなロッカーがある。

「わかった。」

「うん。で、さっきも言ったけど消灯時間の二十三時半以降は翌日の五時まで利用禁止です。先生方を敵に回したくなかったら、くれぐれも夜中に騒いだりしないこと。」

「わかった。」

「他には……そうね、ボードゲームでもゲーム機でもカードゲームでも何でも大抵の物は持ち込んで良いけど、熱中しすぎて騒ぎすぎないこと。あと、談話室内に限ったことじゃないけど賭け事はしないこと。まあ、あとは校則と法律に準じます、と。談話室に関してはこんなところね。何か質問は?」

訊かれて考える。あまり疑問に思うようなところはない。少しして、ふと思いつき、口にする。

「別の寮の子を呼んでもいいの?」

私がそう訊ねると、クラリスは困ったような表情でこう言った。

「ええと、うん。構わないはずだけど、ここ、一学年一棟よ?あんまり呼ぶ機会はないんじゃないかしら。」

「あ、なるほど。」

確かにそうだ。と、いうことは、一クラス三十人と仮定して、一学年が五クラス、それが初等部、中等部、高等部の全学年分と考えると高等部に三棟、中等部に三棟、初等部に六棟必要だから、

「全部で十二棟かあ。」

改めて、凄まじい規模だ。思わず嘆息する。

「まあ、流石に魔法で空間を拡張したり、増築に魔法を使ったり、色々やってるらしいわ。それでも凄まじい規模なことには変わりないから、そうやってため息が出るのもわかるわ。」

クラリスは同意するようにそう言って、ふっ、と軽く息をつき、言葉を続けた。

「さて、他に質問はある?無ければ次はキッチンとダイニングの案内をしようと思うけど。」

「んー。今は特には。」

「そう。じゃあ、談話室の案内はここまでにしましょうか。」

そうして、私たちは談話室を後にして、キッチンとダイニングに向かった。

最初の説明通り、真ん中の階段とエレベーターホールを挟んで向かい側にキッチンとダイニングがあった。こちらの入り口は鶯色のドアで、こちらには部屋番を示すプレートが二つ、『一〇二』と『一〇三』が掛かっていて、その下に先程談話室のドアに掛かっていたものと同じようなデザインのドアプレートが掛かっていた。ドアプレートには『キッチン&ダイニング』と書かれている。こちらのドアプレートには青いバラがデザインされている。おしゃれだ。クラリスの先導に従い、中に入る。

 扉を開けると、まず目に入ったのはパステルカラーのベージュの絨毯と、上品なローズピンクのクロスの掛かった、大きなマホガニー製のテーブルが三つ。そしてその上にはラタンの大きなバスケットが一つのテーブルに二つづつ置いてあり、その中には食パンやお菓子などの食べ物や、金属製の缶がいくつか入っているのが見える。椅子はテーブル同様にマホガニー材で出来ていて、上品さを損なわないように配慮された白地に淡いタッチの花がデザインされた背もたれとクッションが敷かれている。電灯はこちらもシャンデリアを模していて、窓からは丁度桜並木が見える造りになっている。奥にはキッチンが見えていて、ダイニングとの間はカウンター風の間仕切りで仕切られている。その仕切りの上にはオーブンレンジが置いてあり、よく見ると奥のキッチンにも同じメーカーの物と思しきオーブンレンジが置いてある。仕切りの横には壁掛けタイプのホワイトボードが掛かっており、付箋が貼ってあったり、メモ書きがあったりしている。窓の反対側には食器棚があって、お皿やティーセットなどが丁寧に収納されている。キッチンの方だが、入り口からは見えづらいものの、どうやら電気式のいわゆる「オール電化」とかではないらしく、普通にガスコンロが採用されているようである。そして、見えづらいが、どうにもピザ窯があるように見える。ここから見える範囲ではわからないことも多いが、パッと見た限り、結構本格的な調理が出来そうである。……とはいえ、十分広いものの、思っていたより小ぢんまりしている。ちょっと意外だ。

「ここがダイニングね。で、奥に見えるのがキッチン。私はあんまり使わないけど、基本的な調理器具はあらかた揃ってるわ。他にも料理好きの子曰く、パエリア鍋とか、本格的な蒸し器とか高性能炊飯器とか色々あるみたい。包丁やナイフの類も刺身包丁やパン切包丁、その他用途別に色々揃ってるらしいわ。あ、勿論冷蔵庫もあるわよ。冷凍庫とセットになってる一般的なやつね。で、食器とかは基本共用。自分用のを持ち込んでも良いけど、持ち込んだのは判別できるようにしておくこと。他の人に間違って使われても、私も学校側も一切責任を負いません。あと、テーブルとかカウンターの上のバスケットに置いたものは共有物と見做されるので注意すること。逆に、他の人が勝手に使ったり飲み食いしても構わないものだったり、他の人とシェアしたいものはあそこに置いておくと良いわよ。冷蔵庫に入れたものも基本共有物と見做されるので、共有したくないものはカウンターの上に付箋があるから、それに名前を書いて貼っておくこと。あと、これは決まり事じゃないけど、共有してもいいものを買ったら、冷蔵庫にメモを貼っておくか、そっちにあるホワイトボードに書き込んでおくと良いわよ。」

クラリスはそう言ってカウンター横の壁掛けタイプのホワイトボードを指さした。なるほど。確かに、その方が他の子に伝わりやすいだろう。私は黙って頷いた。

「キッチンとダイニングに関してはこんなところかな。何か質問ある?」

「あ、じゃあ、一つ良いかな。」

「ん?何?」

「質問じゃないけど、ここ結構こぢんまりしてるよね。」

疑問を口にする。すると、クラリスは何でもないかのように答えた。

「ああ、だって、食堂が別にあるもの。食事したいだけならそっちの方が広いし、訓練とかで疲れてると、自分で作れる子でも人に作って貰いたくなる子が多いもの。それに、ホラ一人分って結構パフォーマンス悪いでしょ?そうなると、食堂で済ます事が増えるのよ。つまりまあ、需要の問題ね。」

「なるほど。」

言われてみればこちらも納得の理由である。私はコクコクと頷いた。

「他に質問ある?」

クラリスが再び訊ねる。そういえば、先程の説明で少し気になったところがあった。

「クラリスって、あんまり料理しないんだ。意外。」

私がそう言うと、クラリスは嘆息しながら言った。

「あんまり、ね。さっきも言ったけど、訓練とか、あと私の場合は楽器の練習とか、あと任務帰りで疲れてたりとでやる気が起きないことが多いのよ。大人になって苦労しないように、最低限のスキルは磨いてるし、時々作りたくなって作る時もあるけど、基本朝はパンとコーヒーか紅茶だけだし、昼と夜は食堂で済ませてるわ。」

「なるほど。」

と返した後、今のはちょっとよろしくない訊き方だったかもしれない、と思い付け足す

「ごめん。ちょっと無神経な言い方だったかも。」

私の言葉に、クラリスはわずかに息を漏らした後、

「気にしないで。」

と言い、

「……私、そんなに料理好きそうに見える?」

と付け加えた。

「まあ、そうかな。結構そういう所には妥協しなさそうに見える。」

そう答えると、クラリスは苦笑しながら応えた

「そっかぁ。そう見えるかぁ。……言っとくけど、私、結構ずぼらよ。掃除とか洗濯とかは纏めてやるタイプだし、料理も割と手抜きが多いし。流石にお菓子作りはある程度真面目にやるけど、でも手を抜けるところは抜くし。」

などと言うので、私は

「そういうのはずぼらというのとは違うと思う。ある種の効率化って言うべきじゃないかな。」

と反論した。

「そうかしら。」

「そうだよ。」

私がそう言うと、クラリスはコクリと頷いて、

「じゃあ、そういう事にしておくわ。――他に何か質問ある?」

と訊いてきたが、流石にもう思いつかなかったので、私は黙って首を横に振った。

「OK。あ、そうそう。ここも基本消灯時間以降は翌五時まで使わないことが推奨されてるけど、飲み物を温めて飲むくらいならお咎めなしになることが多いわ。……流石に料理とかはやめた方が良いけど。」

「なるほど。」

覚えておこう。

「じゃあ次、大浴場を案内するわね。」

こうして、再び案内が始まった。

一階中央、昇り階段の奥の下り階段を下って、地下にたどり着いた私たちは、そのまま廊下を進んで、大浴場の前にたどり着いた。廊下を進んだ先には温泉や銭湯で見かけるような、大きく『湯』と書かれた、赤い大きなのれんが有り、その奥に、今度は白に近い空色の扉があった。扉にはまたしても部屋番を示す『〇〇一』と刻まれたプレートが掛かっており、その下にやはり、先程談話室前やダイニング前でも見かけたのと同じデザインのドアプレートが掛かっており、『大浴場』と書いてある。今回のドアプレートには白百合があしらってあった。

 扉を開けると、またしてものれんが有り、その奥に脱衣所があった。部屋は逆L字型で奥に浴場につながっていると思しきすりガラス製のドアがあり、その近くの壁際には化粧台兼洗面台がズラリとならんでいるのが見える。台の上にはドライヤーが置いてあるのが見えるので、お風呂からあがった後の髪のケアはあそこでできそうだ。その逆サイド、部屋の入り口側の壁と、部屋の中央部分には銭湯で見るようなロッカーが並んでいる。違いは恐らくコイン式ではないところだ。大浴場へのドアと、ロッカーの間には、デジタル体重計が控えめに存在を示していた。その隣には身長計もそっと置かれている。ちょっと銭湯チックだが、天井と壁の間には金色の――真鍮だろうか。まさか金ではあるまい――装飾が取りつけられていて、他にも壁にはよく見ると薔薇の柄があしらってあり、電灯も、名前は知らないがステンドグラスチックなガラスの囲いがついた物が使われていて、なにやらゴージャス、というか、何となく雅な雰囲気が醸し出されていて、合理性とエレガントさが同居した、ちょっと変わった空間になっていた。

「ここはまあ、見ての通り脱衣所ね。ロッカーと化粧台があるくらいで、正直説明する所は……ああ、下駄箱と違って、ここのロッカーは固定じゃないから、そこは気を付けて。あと、一応消灯時間から朝五時までは使えないから、そこだけ気を付けて。それ以外には特にないかな。……一応訊くけど、何か質問ある?」

かぶりを振る。私も特に説明が必要な所は思いつかなかった。

「じゃあ、次……どうする、浴場の説明、いる?」

「ううん。別に良いかな。」

「じゃあ、次、居住フロアは一旦飛ばして、屋上を案内するわね。」

「わかった。」

こうして、私たちは大浴場……というか脱衣所を後にした。

 屋上の扉は飾り気のない金属の扉で、ここには部屋番を示すプレートも、部屋名を示すドアプレートも存在しなかった。扉を開けると、中央に花壇のある開放的な空間が私たちを出迎えた。花壇を中心に据えるようにベンチが設置してあり、丁度花壇を眺めながら座れるようになっている。花壇にはプリムラや宿根スミレなど、この季節らしい花々の他、低木が何種類が植えられている。端の方は落下防止用の柵が設けられており、その分下を眺めるのは難しい作りになっているが、まあそこは仕方ないだろう。安全上の配慮、というやつだ。そういう、安全上のやむを得ない部分を除いて、概ねかなり開放的に造られており、外気を浴びながらゆったり過ごすのにはうってつけ、といった雰囲気だった。

「屋上はこんな感じ。見ての通り、花壇とベンチがある感じね。ここも消灯時間以降から翌五時までは立ち入り禁止。……質問は特にないだろうから、単純に印象でも訊きましょうか。どう?ここの印象は。」

私の隣に並んだクラリスが言う。私は正直に答えた。

「うん。結構好きかも。」

「そっか。」

言葉短くクラリスが言う。ぐっと背伸びをして、空を見あげた。いい天気だ。

「さて、そろそろ行きましょうか。」

「うん。」

こうして、私たちは屋上を後にした。

 「ねえ。私の気のせいかもしれないんだけど。」

 居住フロアについて少し歩いてから言う。

「うん?」

前を会歩いていたクラリスが振り返った。私は恐る恐る、言葉の続きを口にした。

「部屋、広くない……?」

「大丈夫。気のせいじゃないし、中を見たらもっと驚くわよ。」

クラリスが笑顔で口にした言葉に、私は唖然とするしかなかった。

――そう、いち寮室に過ぎない筈の、一つ一つの部屋が、それこそ外から見るだけでも認識できるほど、異様に広いのだ。

……冷静に考えて、これだけの面積があるのに一階につき、たかが寮室程度で十部屋しか入っていない時点で察してしかるべきではあった。が、しかしこうして目の当たりにしてみると、なんというか、デカい。大きい。無法だ。しかもこれでまだ外からわかる範囲しか見ていないのである。正直に言おう。怖い。どんな魔境が飛び出してくるのやら。

……そうやって、戦々恐々としている私をよそに、クラリスはいよいよ寮室の案内をしようとしていた。気のせいか、とても楽しそうに。

「はい。というわけで、ここが私の部屋です。ホントは空き部屋を案内したかったんだけど、丁度全部埋まってる時期でさ。あなたの……正確にはあなた達の部屋を私が案内するていうのも変な話でしょ?なんで、今回は私の部屋を使って寮室の案内をするわね。さ、入って入って。」

予感される部屋の大きさに気圧されながらも、促されて部屋に入る。

「うわでか。」

最初に口に出たのはそんな感想だった。だってデカい。大きい。外の様子から想像できるよりさらに大きい。凄い。恐い。流石に教室ほどの大きさではないけれど、それでも二人で暮らすには十分すぎる大きさだ。その上よく見るとトイレらしき部屋も風呂らしき部屋もついてる。個室風呂がついてるだけでもまあまあ贅沢だと思うが、それに加えて風呂とトイレがきちんと別室になっている、というのは、およそ事前に抱いていた、「学生寮の一室」というもののイメージを破壊して蹂躙しつくには十分過ぎるほどだった。すごい。

……幸い、というべきだろうか。内装は比較的シンプルに纏まっていた。壁紙はシンプルな白い壁だし、床もシンプルなダークブラウンのフローリングだ。床には大きな赤いハートの絨毯が敷かれているが、そこはまあ、シンプル判定で良いだろう。備品はそうでもない気がする。TVもあるし、机なんかPCが置いてあるのと置いてないので二台もあるし、冷蔵庫もある。本棚はデザインが違うので、クラリスか、彼女のルームメイトの私物かもしれないが、それにしても至れり尽くせりではなかろうか。目が回りそうだ。

クラリスは、私がそうやって呆気に取られているのを知ってか知らずか、笑顔で寮室の案内を始めた。

「これが寮室の基本的な間取りね。入って左がトイレで右が脱衣所兼洗面所と、その奥が個室風呂。中央がリビング兼寝室、って言えばいいのかな。奥にはベランダもあります。基本二人部屋で、ベッドは二段ベッドね。さっき、談話室の案内をしたときにも説明したけど、テレビは各部屋にも一つずつあります。他には冷蔵庫が一台と、あとPCが一人一台、机はPC用と勉強用に一人二台ずつ。椅子も二脚ずつ。WiFi対応のルーターが一機、であとは脱衣所には洗濯機と乾燥機があるし、それと空調の類が全部屋共通の備品になります。他は基本私物。だから例えば絨毯は私の趣味だし、本棚はピンクの方が私ので、シルバーの方が私のルームメイトのやつね。私物は法律その他に反さない限り持ち込みOKだけど、退寮の時にはきちんと処分、又は回収になるから、あんまり大きいものを持ち込むと後が大変かな。まあ、とはいっても、本棚くらいは有った方が良いかも。置くとこ無いのよ。この寮室。冷蔵庫とテレビは二人で共有だから、利用に関しては二人でよく話し合う事。後、防音がしっかりしてるから、楽器の練習とかをしても、他の部屋の迷惑にはなりにくいけど、ルームメイトの迷惑にはなるかもしれないから、そこもルームメイトと相談して。別の部屋に遊びに行くのは自由だけど、例によって消灯時間以降から翌五時までの間にうろつくのはおススメしないわ。それと、他の部屋に泊まっても良いけど、もし他の部屋に泊まるなら申請を出した方が身のためよ。後の事は悪いけど、貴方の部屋に合わせた紹介の方が良いだろうから、貴方のルームメイトに訊いて。」

「……わかった。……ところで、その私のルームメイトって……。」

まだ聞いてない、と思って口にする。すると、クラリスは、手をポンと叩いて、

「ああ、いけない、いけない。まだ伝えてなかったわね。」

と言い、それから、ふっ、と息を吸って、やや困ったような顔で私にその名を告げた。

「貴方のルームメイトになるのは、桜小路初葉さくらこうじういはさん。覚えてる?貴方に魔法適性の質問をした子。」

「ああ、あの、京都っぽいアクセントの。」

思い出した。確か、先生に諫められてた子だ。あの時は確かクラリスも先生と一緒に止めようとしてたっけ。

「そ。……悪い子じゃないんだけどね。ただ、ちょぉーーっと実力主義が過ぎるところがあって、特に貴方のお姉さん、九王静くおうしずか様を過剰に意識してるところがあるから、それで貴方にああいう絡み方をしたんだと思うけど……。」

「姉様を……。」

「そ。静様、学内総合一位だからね。白月先生の一番弟子でもあるし、ライバル視してる子は少なくないけど、特に初葉は強烈に意識してる。総合四位だから、分からなくもないけどね。」

「学内順位って確か、魔力量とか適性値とかで決まるやつだっけ。」

「そ。魔法適性値、属性適性値、魔力量、放出限界、その他諸々ね。」

私の疑問にクラリスが答える。なるほど。

「それで四位って、桜小路さん凄くない?」

「勿論凄いわ。十位以内に高等部一年生以下の子は五位の夜因依……藤沢夜因依ふじさわやよい、ほら、最初に、恋愛経験がどうの~って質問した子いたでしょ。あの子と合わせて二人だけで、他は高等部二、三年生ばっかりだから。」

「ああ、藤沢さん。やっぱり凄い子だったんだ。」

相変わらず、いまいちピンと来ていないが、上級生だらけのなか、ただ二人だけ一年生、というのはなんとなく凄いのが分かる。

「ええ。……で、まあ、とにかく、総合順位五位以内同士だから、意識するのは分かるんだけどね。ただ、あの子と静様じゃ、魔法適性の傾向が全然違うんだから、意識しすぎだと思うんだけど。実際、二位のアリツィア・シュッツェンローゼ様なんかはあんまり静様の事は意識してないみたいだし、夜因依も特に意識はしてないみたいなんだけど。」

「うん?その言い方だと、三位の方は意識してる、ってこと?」

私の疑問にクラリスは、ええ、と頷いて続けた。

小梢銀こずえぎん様はライバル意識あるみたいだし、静様も割と意識してるみたい。まあでも、あの方と静様は適性が結構似てるし、白月先生の弟子同士だから、意識しあうのはむしろ当然なのよ。」

「なるほど。じゃあ、やっぱり桜小路さんが特に強烈に意識してる、って感じなんだね。」

「そ。」

短く言うクラリス。なるほど。強くライバル視している実力ある先輩の、まだ未熟も未熟な妹、それは確かに意識せざるを得ないからもしれない。得心がいった。

「で、だから妹の私もバチバチに睨んでる、と。」

「そういうこと。まあでも、さっきも言ったけど、悪い子じゃないので、なんとか上手くやってくれるとクラス委員長としてはありがたいです。うん。」

最後の方の言葉はため息と一緒に吐き出された。気苦労が多いんだろうなあ、と思う。クラス委員長というのは大変だ。私は、こくん、と頷いて応えた。

「まあ、やってみるよ。」

「ありがと。……さて、そろそろ案内を切り上げましょう。でないとお昼食べる時間無くなっちゃうし。」

ふっ、ともう一度息をついた後、ぱっと表情を笑顔に切り替えてクラリスが言う。確かに、今日は余裕があるらしいが(だからこそ先生も案内の時間をこのタイミングに充てたのだろうけど)だとしてもあまりにも寮の案内に時間をかけていては昼食を摂る時間が無くなってしまう。時刻は十二時半。一通り案内もしてもらったし、そろそろ切り上げて昼食の時間にした方が良さそうだ。

「そうだね。……今日は案内してくれてありがとう。」

お礼を言う。するとクラリスは顔を綻ばせて応えた。

「いえいえ。これもクラス委員長の役目だもの。お役に立てたかしら。」

「勿論。」

「そう。それは光栄ね。」

彼女はそう言って一拍置いた後、私にこう訊ねた。

「ところで、昼食はどうするか決まってる?」

「ええと。とりあえず、今日はお弁当を持ってきたけど。」

そう答えた私に、クラリスが

「それなら、一緒に食堂で食べない?」

と提案してきたので、私が

「いいね。じゃあ、ご相伴させてもらおうかな。」

と言うと、クラリスはくすくすと笑ってこう応えた。

「ご相伴って……。おじいさんみたいな表現ね。それじゃあ、最後に貴方たちの部屋番を伝えるから、念の為、部屋の前まで一緒に行って、それを確認したら、食堂に行きましょうか。」

「あ。」

そういえば案内してもらったのはクラリスの部屋だった。

「……もしかして、気づいてなかった?」

「うん。」

私が素直にそう伝えると、クラリスは苦笑いして言った。

「そっか。……うん、これは私のミスね。ごめんなさい。」

「いや。気付かない私が悪いよこれは。」

慌てて言葉を返す。少しして、お互いに吹き出し合う。

「ふふっ。」

「アハハッ。はあ。じゃあ、お互い様ってことでいいかしら。」

「うん。いいよ。」

「じゃ、ついてきて。」

「わかった。」

こうして、私たちはクラリスの部屋を後にし、私の使う部屋の前へ移動した。

「ここが貴方たちが使う、二〇三号室よ。」

そういって、クラリスは目の前の扉を示した。その言葉通り、扉に掛けられたナンバープレートには二〇三と書かれていて、その下の段には『桜小路・九王』と書かれたネームプレートが取りつけられている。当たり前だが、ドアの作りはクラリスの部屋の扉と同じで、ホテルやマンションなどでよく見る、赤味を帯びた暗褐色に塗装された、金属製の割と重そうな扉だ。やはりホテルやマンションの扉でよく見るようなアーチ形の装飾が取りつけられている他、同様に、クラリスの部屋にもあった、内部のモニターに繋がっている、来訪者確認用のカメラレンズも取りつけられてある。カギはカードキー式で、鍵穴の代わりにタッチ式のICチップセンサーが取りつけられている。クラリスの部屋を案内された時も思ったが、なんというかお金が掛かっている。

「そういえば、カードキーも預かってるだった。渡すの忘れてたわ。今渡すわね。」

そういって、クラリスがカードキーを差し出した。失くさないように、後でケースを用意しておこう。とりあえず、普段使っている、手帳型のカードケースに、他のカード類と一緒に仕舞っておく。

「ありがとう。」

「どういたしまして。ホントはもっと早くに渡さないといけなかったんだけどね。とはいえ、こうやってしっかり渡せてよかった。それじゃ、一通り案内も済んだし、改めて、食堂へ行きましょうか。」

「うん。」

こうして、私たちは寮を後にして食堂に向かった。

 流石にお昼時という事で、食堂は生徒たちでごった返していた。とはいえ、お昼休みの開始からそれなりに時間が経っていることもあり、少しずつ席も空きつつあった。そんなこんなで、運よくテラス席に座ることが出来た私たちは、歓談しながら各々のお昼ご飯を楽しんでいた。私のお弁当はご飯に、前日のうちに作った肉じゃが、野菜をたっぷり混ぜた玉子焼きに、ほうれん草のおひたしを添えたものである。実家で料理をする当分訪れなくなると思ったらついつい気合を入れてしまった。まあ後悔はしていないが。我なが美味しくできたと思うし。ちなみにクラリスは朝のうちに購買で買ったというサンドイッチにかぶりついている。

「それ、中身何?」

気になって訊ねる。クラリスはサンドイッチの一切れ目を綺麗に飲み込んで答えた。

「ポテトサラダ。もう一個はハム&レタスサラダ。ここの購買のは結構美味しいからおススメよ。」

彼女はそう言ったのち、ポテトサラダサンドの、二切れあった内の、もう一切れに手を付けた。そのまま、もむもむ、と頬張る。見ているだけでも美味しいことが伝わってくるほど良い笑顔だ。思わずこちらまで笑顔になりそうだ。というか、なった。自分でも口元が緩んでいるのを感じた。やはり誰かが美味しそうにものを食べているのを見るのは健康に良い。そんな彼女を眺めつつ、自分も箸を進め、時折会話を挟む。

「そういえば、バイオリンはロックに使われることもある、って言ってたよね?もしかして、クラリスもロック弾くの?」

そう訊ねると、クラリスは得意げにこう語った。

「良い質問ね。ズバリ、私は二刀流。オケ部……オーケストラ部と学内バンドを兼任してるの。当然クラシックもロックもやってるわ。どっちも見学はいつでも歓迎だし、定期的にライヴやコンサートもやってるから、良かったら是非来てちょうだい。」

「うん。どこかで是非。正直言えば、バイオリンを使うロックミュージックはちょっと興味があるから、ライヴだけじゃなくて練習の見学も行くかも。」

クラリスの誘いに笑顔で応える。するとクラリスも、にっこり笑って

「ええ。待ってるわ。」

と応えた。

――そんな感じで、クラリスとの楽しいひと時は過ぎて行った。

 そして午後。昼食を食べ終わった私はクラリスに別れを告げ、とはいえ、補講までは少しばかり時間に余裕があるので、

さてどうしたものか、と少しの間考えを巡らせた後、そういえば、先生に校内を案内してもらった時、図書館があるというのを聞いていたのを思い出した。確か校舎の北にあった筈だ。校舎を出てすぐのところには案内板もあったし、行ってみよう。

自分の記憶と案内板を頼りに図書館にたどり着く。……ところで、実は『図書室』ではなく『図書館』であることにも最初驚いたのだが、よくよく考えてみると大学には普通に図書館があるらしいので、小・中・高一貫校のここに『図書館』があるのもまあ納得である。

 ――とまあ、それはともかくとして、図書館の外観は高い塔の様だった。それでいて一階ごとの広さもかなりのものがある。これはかなりの蔵書がありそうだ。そんなことを考えながら歴史を感じさせるデザインの、大きな木製の扉を開けて中に入る。

「おお。」

思わず感嘆の声が漏れる。窓から垣間見える部分から相当な広さを持つことは見て取れたが、実際に中に入って見てみると、想像以上に広々としている。中に入ると駅の改札のようなタッチ式端末とそれに対応して開くであろうゲートが備え付けられている。壁に掛けられた掲示物を見るに、どうやら生徒証をタッチすると開く形式らしい。なるほどセキュリティがしっかりしている。生徒証をタッチして入ると、すぐ右手に受付があり、そこに一度に借りれる冊数が描かれた札が置かれている。その札を読むに、どうやら書籍だけでなくDVDやCDも借りることができるようだ。奥にはホール状の巨大な空間があり、一階の左半分は閲覧スペースらしく、机といすがズラリと並んでいる他、中央の通路にほど近い場所に『閲覧スペース』と書かれた立て札が置かれている。天井は最上階まで吹き抜けになっていて、中央奥の階段を使って上の階に上がる仕組みらしいが、階段の奥に更に通路があり、よく見るとその通路だけ造りが異なっている。どうやら後から増築工事を行った部分らしい。そしてよく見ると、それを示すように、『エレベーター』という文字と、通路の奥を示す赤い大きな矢印が描かれた立て札が置いてある。なるほど。雰囲気をなるべく崩さず設置するために奥に。けれど存在自体は認識してもらいたいので文字と矢印は大きく。そして吹き抜けなので吊り下げるのではなく立て札。理にかなっている。

(まあ実際、十階建てみたいだしね。利便性を考えたら増築もするか。)

そんな納得を胸に右側を見る。一階の本棚には雑誌のバックナンバーや、神話。宗教関係の本、各国語の辞書や文法書などが収められているらしい。すこし悩んだ後、奥の案内板を見て二階に上がることにした。二階には人文学系の本や歴史関係の書籍があるらしく、私の興味を引いた。すこし彷徨った後、無事に歴史書の棚に辿り着いた。

「魔女史の本は……あった。」

自習も兼ねて魔女史の本を借りることにする。実のところ、この学校で一番興味があるのが魔女史の授業である。元々歴史を学ぶのが好きな事もあって、先の授業では知識が無く、知らない単語ばかりだったのにもかかわらず、ぞくぞくした感覚に襲われるほど興味とワクワクが止まらなかった。ドキドキしながらワインレッドの表紙の本を手に取り、その後、一階に降り、雑誌コーナーに向かう。歴史書の棚に、「『近年の著名な魔女名鑑』と『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』は一階・雑誌コーナーにあります。」という張り紙があり、興味が沸いたからだ。そういう本も、魔女の歴史を学ぶのには大いに役に立つに違いない。そう、期待を込めて雑誌コーナーを探す。やがて藍色の表紙の本とモスグリーンの表紙の本を見つけ出した。雑誌コーナーに置いてあるだけあって、『近年の著名な魔女名鑑』は絵本に度々あるような、厚めの表紙に正方形の大判の本で、見た感じ写真がふんだんに使われていそうな様子で、もう一方の『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』はムック本のような硬めの表紙こそ使われているものの、まさしく雑誌で、どうやら意外とカジュアルな雰囲気の雑誌の様である。背表紙からは分からなかったが表紙にはでかでかと魔女と思しき女性が写っている。結構美人だ。三冊を抱えて閲覧スペースに向かう。

閲覧スペースは広いおかげか、あるいは単純に各階に別に閲覧室があるからか、然程混み合ってはおらず、椅子も布張りでふかふかしていたのでゆったり過ごせそうだった。私は目の前の長机に持ってきた本を積むと、しばし迷った末、『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』を最初に手に取った。ページが少ない上に写真主体でさっと読み終えそうなのと、グウェン・ベゾエ賞とやらに興味があったからだ。早速一ページ目を開く。

『はじめに。この本は、西暦二一一〇年、直近五年間で最も優れた功績を挙げた魔女を表彰し、その名を功績と共に未来に残すことを目的として作られた、グウェン・ベゾエ賞の受賞者を写真と主な功績、並びに受賞時のインタビューによって明かされたプロフィールと共に紹介することを目的とする本です。』

(なるほど。つまり、この雑誌に掲載されている魔女はいずれも特に優れた才能と実績を持つ魔女という事か。)

ざっと、どんな魔女が載っているのか眺めてみることにする。確かに文言通り見開きページに魔女の写真が大きく掲載され、左下に簡単なプロフィールと共にその魔女の功績が載せられていた。……残念ながら、まだまだ魔法に対して理解の浅い私では、どれほど凄いことなのか、十分理解できなかったが。……とはいえ、色々な魔女の写真が掲載されているので眺めているだけでも楽しいし、気になった部分をすこしメモしておいても今後役に立ちそうだ。そんなことを考えながらページをめくること数分。後ろから四ページ目、つまり最後から二人目に見知った顔を発見した。そのページにはこう書かれている。

『白月雪乃』

そう。そのページには我らが担任、白月雪乃先生が掲載されていたのだ。思わず目を見開く。

「まじか。」

驚きのあまりそんな言葉を口にする。どうやら、あの人はただの一介の教師などではなく、世界的な功績の持ち主らしい。そういえば、と思ってタイトルページを見返す。タイトルページには雑誌のタイトルと、その背後にエムブレムのようなものが写っており、左下に小さく『グウェン・ベゾエ賞受勲者証』と書かれていた。記憶を手繰る。確か、先生の服にこのエムブレムのようなものと同じデザインのバッジがついていた筈だ。

(そういうバッジだったんだ、アレ。)

驚き『近年の著名な魔女名鑑』の方を開き、パラパラとめくる。するとやはりこちらの方にも先生の名前と写真が掲載されていた。こちらはより文章に力が入っている雰囲気で、『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』が見開きページを使ってまで写真を大きく載せていたのに対して、こちらはページの半分から三分の一程度に収まっている。その代わり、より詳細な情報が記載されており、プロフィールに加えて経歴も割とと細かく記載されていて、ストーリー調とまでは言わなくとも、敬意が流れに沿って理解できるように書かれていた。実によく纏まっている……と思う。何しろ文章のまとまりは良いのに私の知識が絶望的に足りないせいでどういうことなのかイマイチ理解できないのだ。手を付ける順番を間違えたか、とも思ったが、残る一冊、『用語解説付き・よくわかる魔女史』は分厚く、流し読みしているだけでもわりかし時間を食いそうだったので、この順番で良かったのだと思い直した。

 そんなこんなで、『近年の著名な魔女名鑑』に記載された先生の経歴等に目を通し、分からないところは今後調べるためにメモを取るなどして少し経過した後、ふと、隣のページに目を向ける。最初は気づかなかったが、この人もどうやらこの学校の教師らしい。経歴欄の最後に『神無月魔女学校就任。』と記載がある。「汐薙あずさ」先生。後で白月先生に訊いてみよう。そう考え、私は一旦『近年の著名な魔女名鑑』と『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』を閉じ、『用語解説付き・よくわかる魔女史』をパラパラとめくり始めた。なるほど看板に偽りなしか。魔女と魔法の歴史を、敬意も含めて解説し、魔女史の専門用語に関しては欄外で軽く解説しつつ、詳しくは巻末の資料集を読むようガイドが置いてある。写真の史料・資料が残っているものは写真が添えられているし、絵画がある場合はそれも載せられている。大変見やすい本だ。ただ、流石に分厚いので、予習復習を兼ねて最初の方のページをいくらか読み、用語に関して巻末資料を読むだけに留めておく。キリが良いところまで読んだところで、立ち上がり、受付へ向かい、他の二冊共々貸出手続きを受ける。続きは補習を受けた後寮でゆっくり読むことにし、残りの時間は授業で習ったこと、今本で読んだことをノートに纏め直して整理するのに使った。時計が十四時十五分を回ったところで切り上げ、借りたばかりの本と筆記用具、ノートを仕舞って図書館を後にし、教室に向かった。

教室に着いた私は、そういえば座るのは自分の席で良いのだろうか、と迷い、とりあえず自分の席に座った。そうして五分も経たない内に先生が現れ、にこりと微笑み、よいしょ、と言って私の前の席の机――普段なら、杏が使ってる席だ――にどさどさと教材と思しき紙の束を置き、こう言った。

「もう来てたんですね。感心感心。わたしはもう少しだけ準備があるので、もう一回職員室まで行って来ますね。 すぐに戻ってくるので、そうしたら始めましょうか。」

と言って再び教室の外へ姿を消し、その後、また五分くらいして戻ってきた。先生は私と正面から向き合う位置に机と椅子の向きを変え、そのまま私の席に机をくっつけると、椅子も一緒に寄せて、その後そのままそこに座ると、口を開いた。

「はい。では、改めまして、補講を始めましょうか。」

そう言って、先生が髪をかき上げる。栗色の髪が陽に照らされて金色に光る。次いで、香水か何かだろうか、なにやらラベンダーのような香りが漂ってきた。……こうやってごく近くで対面してみると、改めて美人だ。綺麗系なのにどこかあどけなさも残していて、それが可愛らしさを醸し出している。さっき本で見たばかりなのに、なんなら本物も、ほんの三時間前に見たばかりなのに、そのどちらの瞬間よりも綺麗に感じる。思わず見蕩れてしまいそうだ。――いや、事実として数秒の間ながら見蕩れていたに違いない。何しろ、気が付いたら、先生が不思議そうに首を傾げてこちらを覗き込んでいたからだ。

「わ。」

そのことに余計動揺して声を出してしまう。すると、先生は申し訳なさそうに言った。

「すみません。驚かせてしまいましたね。……何か、気になる点でもありましたか?」

先生の言葉に慌ててかぶりを振る。

「ああ、いえ。ちょっとぼうっとしてただけで。何でもないです。」

流石に、「先生の顔に見蕩れてました」とは言えなかった。先生は不思議そうに、ふむ、と言った後、

「では、とりあえず気にしないでおきますね。とはいえ、何か困ったことがあったら、いつでもなんでも、是非、相談してくださいね。そのための教師、そのための先生なんですから。」

と言ってくれた。自分の沈黙の正体に気恥ずかしさを覚えながらも、私は、はい、と答えた。

「では改めて。今日は魔法理論基礎を一時間、魔女史を一時間、本日の総まとめを一時間、質問コーナーに三十分のコースで行きましょうか。では、魔法理論基礎の教科書を出してください。」

「はい。」

指示に従い教科書を出す。中学までと違い、教科書類は教室の机か、教室のすぐそばの個別に割り振られたロッカーに仕舞う事になっているので、とても便利だ。わざわざ寮に持ち帰る必要が無いのが楽で良い。おかげでわざわざ準備をすることもなく、スムーズに補講に取り組める。先生は、私が教科書を机に置いたのを確認して次の指示を出した。

「ではまず六ページ・七ページを開いてください。……開きましたね。では始めます。六ページの図、魔法の分類図に関しては流石に理解していますね?」

「はい。」

頷く。入学前の課題で触れたところだし、有難いことに今日の授業でも触れてくれた所なので、流石に覚えている。

「よろしい。では、主にどのような分類があるのか、図を見ずに答えられますね?」

「はい。炎、水、風、土、光、闇の六属性から成る属性分類、攻撃、治癒、支援、結界、使役から成る五大戦術分類、対生物、対物質、対空間、対概念からなる四大汎用分類、操作、創造、契約、結界、治癒、支援から成る、現象別六大分類、直接と間接から成る、形式別二大分類の五つの大分類と、その他三十六の小分類があります。」

先生の問いにはっきりと答える。先生はそれを見てにっこりと笑い、大きく頷いて応えた。

「素晴らしい。きちんと基礎は抑えてありますね。では、質問が無ければ次に行きましょうか。」

「はい。」

「では、次。先程答えていただいた通り、魔法には五つの大分類と三十六の小分類があり、また、国際魔女連盟の実施する適性値検査によって、これらへの適性を示す値として、個々人にそれぞれ、高い順にS、A、B、C、D、E、Fと規格外を意味するEXの七段階+一の値が割り振られ、また示されますが、では、適性値が割り振られる対象の内、もっとも重視すべき適性はどれとどれでしょうか。二つ答えてください。」

これも分かる。確かこの二つだ。

「属性分類と四大汎用分類の二つです。」

「正解です。一般に評価されやすいのは五大戦術分類における評価値ですが、アレは戦闘時以外には使えない魔法が丸ごと分類無しに放り込まれてる欠陥分類で、日用使いも含めて考えた場合、属性分類と四大汎用分類を最も重視すべきですね。」

ほっと安堵する。しっかり勉強してよかった。

「ちなみに、今、五大戦術分類を欠陥分類と言いましたが、ではなぜ、その「欠陥分類」が今でも使用されているか、分かりますか?」

先生の追加の質問にすこし考えてから答える。

「えっと、『戦術分類』とあるように、戦闘、及び、その前段階の準備や作戦立案においてはむしろ最重要だから、でしょうか。」

そう答えると、先生は満面の笑みで応えた。

「はい!その通りです。名前の通り、戦術面に特化した魔法分類であるため、普段は役に立たないけれど、戦略や戦術を考える場合においてはこの分類が重要になるからですね。では、次に行きましょうか。」

「はい。」

「では評価値に関して質問です。先程も触れた通り、魔法適性はSからFまでと、規格外のEX五段階+一で評価・ランク付けされますが、では、平均値はどのランクでしょうか。」

……少し戸惑った。課題では触れていない内容だが、五段階+一なら実質二択。何故出題したのだろう、と思ったが、つまり課題で触れていない内容も学習しているか、ということだろう。

「えっと、C、ですか?」

迷いながら口にする。今日の授業でもCランクを基準に共通課題か個別課題かで分けられていた。なら答えはこうだろう。そう思ったからだ。けれど先生はかぶりを振って否定した。

「残念ながら不正解です。ちなみに、何故そう思ったか訊いてもよろしいでしょうか?」

「えと、七段階の真ん中なのと、今日の授業でも、Cランクが基準で課題の内容が違っていたので、Cランクが評価の平均なのかな、と。」

それを先生は優しく頷いて応えた。

「良い着眼点です。ですが正解はDランク。属性適性にしろ、四大汎用分類上での魔法適性にしろ、Dランクが平均値とされています。」

先生の解説に、思わず驚きが盛れる。

「下から二つ目のランクが平均値なんですね。少しびっくりしたかも。」

「まああくまで単一の項目における最多数がDランクだった為に平均値もDランクになった、という話ですが。例えば、炎属性の適性がDランクの魔女は全体の七割ほどで、他の属性適性もDランクが七割前後だそうです。」

「なるほど。」

「イメージとして、Fランクは一般人に毛が生えた程度、Eランクでもちょっと魔女っぽいことができる程度、Dランクでまあ、魔女社会で浮かない程度、適性値がCランクあれば十分得意を名乗ってよく、Bランクなら優等生、Aならばもうエース級、Sランクは人外の域、という感じだと思っていただければ。」

なるほど。

「つまり、裏を返すと、今日の授業で扱ってた、重力操作魔法は結構高度な魔法ってことですか。」

先生の話通りなら、Cランクが要求されるというのは、闇属性魔法がそれなりに得意な魔女でないと扱いが難しいという事ではないだろうか。そう考えて口にする。果たして先生は頷いた。

「そうですね。それなりに高い適性値を必要とする魔法ではあります。いくらその魔女自身の技量が優れていたとしても、己の適性値に見合わない場合はまともに扱えません。特に、適性値E以下で扱うと良くて怪我、最悪の場合命に係わる可能性があります。」

「そんなに……。」

「とはいえ、適性値が基準を満たしている魔女なら扱えるようになって欲しい魔法ではあります。風属性適性がD以上で扱える、桐生操作の魔法と組み合わせれば疑似的に空を飛べるようにもなるので。」

「空……。」

「ええ。空を飛ぶ手段の一つ、というかその構成要素の一つ、と言った方が正確ですが。」

先生の講釈を聞き、ただ静かに驚嘆する。この世界が、今まで踏み入れたことのない世界なのだと、改めて実感した。そんあ私を見て、先生は微笑みを崩さないまま、静かに、また口元を、繊細な楽器の弦をつま弾くように、きゅっと僅かに震わせ、それからより一層美しい形に変えて、それからそっと目を細めた。思わずまた見蕩れてしまいそうになる。そんなとき、先生が不意に手のひらを、ぱん、と鳴らした。危なかった。

「さて、余談はここまでにして、何か質問はありますか?」

「いえ。特には。」

「では、そろそろ次に行きましょうか。」

「あ、はい。」

教科書に視線を戻す。ページをめくろうとする直前、先生が新たにこう語った。

「ちなみに、属性適性は基本的に、一人に付き一個か二個が突出して高いか、そうでなくても、例えば、炎がA、地と光と闇がB、水と風はC,といった具合に得意不得意が出るのが普通です。ですから、当然、九王さんの様に何にでも高い適性があって、しかも全部Sランク評価、というのは滅茶苦茶レアです。」

「ぐえ。」

思わず変な声が出る。それはつまり……

「つまり、私はとんでもないイレギュラーってことです、か。」

恐ろしさのあまり舌がもつれる。だってそうだろう。自分が知らず知らずのうちにとんでもない才能に目覚めてたとか、怖すぎる。そんな私の内心を知ってか知らずか、先生は笑顔のまま私の疑問に答えた。

「ええ。ついでにとんでもない大天才ってことですね。」

「すみません。プレッシャーなんですが……。」

胃痛がしそうだ。先生はというと、からかっているのか、相変わらずにこにことしている。いや、先程までの笑みよりもややからかいの度合いが増えているように見えるのは気のせいか。否、気のせいではない。いまくすくすと笑う声がした。やっぱりからかっていたらしい。先生はそうして少しの間くすくすと笑った後、僅かに表情を引き締めてこう告げた。

「さて、今度こそ次に行きましょうか。」

「あ、はい。」

次のページを開く。先生は、私がページをめくるのを確認したうえで、再び話し始めた。

「では、次。魔法の詠唱と適性値との関係についてお話しましょう。九王さん、今日の授業の折、一言シングルスペルという用語に触れたのを覚えていますか?」

問われて思い出す。そういえばそういう単語を聞いた。あの時はおいおい説明する、と言われたんだっけ。私は頷いた。

「あ、はい。覚えてます。」

「それに関してようやく解説できます。魔法の詠唱は複数、あるいは単一の単語で構成されます。基本的に、難易度が低い魔法ほど詠唱に必要な単語数が少なくなります。そして、その詠唱に必要な単語数を示す単位が『スペル』というわけです。」

「あ、それでシングルスペルなんですね。」

なるほど、と得心する。一単語しか使われていない詠唱だからシングルスペル。実に分かりやすい。

「はい。その通りです。そして、ここからが重要なのですが、先程、難易度が低い魔法ほど詠唱に必要な単語が短くなる、と説明しましたが、魔法そのものの難易度は勿論、使用者の魔法適性や魔女としての練度、その他使用者の技術によっても必要な単語数……ここからはスペル数と呼ばせてください。……こほん、必要スペル数は異なります。例えば、同じ難易度Fランクの魔法でも、その魔法の魔法適性Aの魔女なら、勿論、一日ごとの練習量にもよりますが、概ね二、三日練習すればシングルスペルで発動できるようになるでしょうし、要領が良い子ならそれこそ休憩込みで二、三時間あればその域に達するでしょう。逆に、適性値がFランクの魔女がその域に達するには相当な期間、練習を積む必要があるでしょう。それこそ数ヶ月単位で修練を積む必要があるでしょうね。」

 先生の講釈にふと疑問を覚える。要領が良い人とそうでない人とで差が開きすぎではないだろうか。そう思って尋ねてみる。

「同じAランクなのに、どうして要領の良し悪しでそんなに差が開くんですか?」

そう口にすると、先生は右人差し指を立てて、先程よりもより感情に満ちた笑顔で答えた。

「もっともな疑問ですね。その答えは単純明白。単純に疲れる上に退屈だからです。低いランクの魔法、それもFランクの魔法となればその練習は簡単かつ単調になりがちです。それがその魔法にAランク適性を持つ魔女ならば尚更。魔法をより短いスペル数で発動できるようにするには、魔力の出力の仕方を変えてみたり、イメージを変えたり、強固にしたり、あるいは儀式動作と呼ばれる、魔法儀式的な意味を持つ動作を組み込んだり、あるいはもっとシンプルに魔道具の補助を受けたり、色々工夫のし甲斐がありますが、扱う魔法のランクが低くなればなるほど、そして魔法に対する適性値が高くなればなるほど、工夫できることが減っていく。だって、イメージするまでもなく効率化できてしまいますし、それを改めてイメージを固めたところで結果はたいして変わらない。他の工夫方法だって、適性が高い子は習うまでもなく出来てしまう事が多い、というか、自然と出来てしまうからこそ適性が高いのかもしれませんが。」

 「なるほど。工夫できることが減ると単調になり、結果飽きやすくなる。そうなると逆に個々人の集中力の持続しやすさや要領の良さに露骨に影響されるようになる、と。」

先生の説明になるほど、と頷く。先生は首肯し説明を続けた。

「そういうことです。ほら、片手間でやっても一秒も掛からない動作を、わざわざ効率化したい人はごく少数でしょう?それと同じことです。」

「確かに。」

「逆に、適性値に対して難易度が高ければ高いほど、魔法の習得自体に時間がかかりますし、詠唱の短縮にも時間がかかります。そうなると一日当たりの練習時間を増やすだけでは効率化できなくなり、集中力の高低差による技術向上速度の差は小さくなります。要領の良し悪しの差も多少埋まりますね。まあ、要領の良し悪しによる差に関しては逆に大きくなる部分も有りますが。ほら、ゲームステージのショートカットを見つけるのが上手い人っているでしょう?そういう感じで、あっさり大幅な効率化を達成しちゃうケースもあるにはあるので、そういう場合は差が大きくなりますね。」

「なるほど。よくわかりました。」

心から感嘆する。とてもわかりやすい解説だった。

「どういたしまして。他に、疑問、質問等ありますか?」

すこし考え、そして、はたと手を打つ。気になったことがもう一つあった。

「魔法の詠唱は練度や適性値、その他技術によって短縮できるそうですが、どの程度までの魔法なら短縮できるんでしょうか?」

私の疑問に先生はやはりにっこりと笑ってこう答えた。

「ちょうど、次はその点に関して解説しようと思っていたところです。結論としては、どんな高ランクの魔法でも工夫を凝らすことである程度は詠唱の短縮が可能です。」

勿論、魔法の難易度に適性値が見合っていれば、の話ですが、と先生は付け加えた。

「特にAランク以上の適性値が有り、かつ難易度がEランク以下の魔法であれば、修練を積むことで詠唱を全くせずに発動することができる様になることもあります。しかし、逆にCランクより上、Bランク以上の魔法はどれだけ修練を積んだところでシングルスペルでの発動は難しい、とされています。まあ、ごく一部にそれが出来てしまう人はいますが、それはそれ。基本的に、どれだけ適性が高くても、シングルスペルで発動できるのはCランクまでだと思っていただければ。」

「……。」

無言でノートを取る。先生はそんな私をただ微笑みながら見守ってくれる。やがて書き終えて顔を上げ、しっかりと礼を言う。

「ありがとうございました。とてもよくわかりました。」

「いえいえ。」

そう言って、先生は再びにっこり微笑み、こう続けた。

「では、他に質問はありますか?」

そう問われて、気づいたことを口にする。

「あの、そういえば、私も藤沢さんも、魔導回路を起動するときによくわからない言葉を口にしていたような気がするんですが、アレ

何なんでしょうか?」

先生の回答はある意味シンプルだった。

「あれは魔女原語と呼ばれる、まだまだ解明が十分にはなされていない謎の言語です。一応、魔女が魔法に目覚めた時、身体の内、魂の内部からにじみ出る言語である、ということ、魔女であるなら直感的に意味を感じ取れる、ということは判明していますが、現在はそれと、ごく僅かな文法らしきものしか分かっていません。」

「なるほど……。困った言語ですね。」

私がそういうと、先生は

「そうなんですよねえ。ただまあ、何か悪さをするわけではないので、こう、使える言語が増えた!くらいに受け取っておくのが吉かと思いますよ。」

「了解です。」

 そうして、初めての補講の時間がゆっくりと過ぎていく。やがて魔法基礎の分の時間が終わり、十分間休憩を挟むことになった。ふと、気になったことを訊いてみる。

「あの、そういえば、授業じゃなくて先生のことで質問があるんですけど。」

私の質問に、先生は小首をかしげながら応える。

「はい。どのような質問でしょうか。」

「えっと、実は図書館で『歴代グウェン・ベゾエ賞受賞者紹介』という本を読みまして……そこに先生の名前があったので、ちょっと話を聞いてみたいかな、と思いまして。」

私がそう言った瞬間、先生の顔が苦々しげに歪んだ。先生は不快さを隠さずに応えた。

「ああ、アレですか。あの、世界魔女協会とかいういけ好かない連中が勝手に認定してる、あの、アレ。」

そう言うと、先生は心底不快です、と言わんばかりにため息をつき、舌打ちでもしそうなほど口を横一文字に曲げた。

「あの、すみません。そんなに気に入らない話だとは思わなくて。先生がこのことについて話したくないなら、私は別に……。」

慌てて謝る。すると先生はもう一度、今度は気持ちを切り替えるようにため息をついてこう答えた。

「いえ。私が個人的にアレを気に入っていないだけなので。それで、どのような話を聞きたいんですか?」

「えっと、どれくらい凄いのか良く分かってないので、どういう賞なのか、とか、先生の功績の凄いところについての解説とか、色々聞こうと思って。」

私がそう答えると、先生は覚悟したような、諦めたような顔をして答えた。

「そうですね、まず、アレは然程権威ある賞ではありません。――正しくは、権威はあるけど受勲の基準になる制度がかなり俗っぽいせいで品位や名誉はあまりない、と言うべきでしょうか。ええ。この勲章バッジや、受勲者専用マントも、お上が付けろとうるさいから付けているのであって、正直あまり付けたくないというか、なんというか。」

「そうなんですか?」

「ええ。まあ、とは言っても、仮にも近年まれにみる実力者として認められた、という証ではあるので、重みは感じますけど。」

「そういうものなんでしょうか。」

「ええ。それに……」

先生は一瞬言い淀んだ後続けた。

「わたしがこの勲章を疎ましく思っているのは、誰よりわたし自身が自分をこの勲章にふさわしくないと思っているから、というのもあります。」

「ふさわしくない、ですか?」

思わず驚いて目を見開く。先生は私の問いかけに苦笑しながら答えた。

「ええ。……分かってはいるんです。俗な基準ではあるけど、同時に何の忖度もない、実力が認められた証に過ぎない勲章だと。そしてそれ故、本来胸を張り、堂々と誇るべきものだと。自分はこの勲章にふさわしい魔女なのだと。けれどわたしはどうしても、わたし自身を認めてあげることが出来ない。自分の実力に自信はあります。この学校の生徒全員を同時に敵に回しても完勝する自信があるし、得意分野なら世界中の誰にも負けない自身もあります。同世代最強魔女も、結界使い最強もどちらも紛れもない自分であると、自負もあります。けれど、勲章を背負うにふさわしい立場だとは思っていない。思えない。沢山の結界魔法を開発しました。世代最強の称号も得ました。この学校の防護結界の管理を一任される立場を得ました。だけど、それでも、わたしの悔恨を振り払うには足りなかった。――わたしは、過去、自らのミスで恩師と両親を守れなかったのです。」

「…………。」

絶句する。あまりに壮絶な過去に、言葉が出なかった。それでも、恐る恐る質問をする。ここまで聞いたからには、きちんと聞いておかねば。

「何が起きたのか、訊いても良いですか?」

先生は後悔に顔を一杯に歪ませながらも、深呼吸を挟んで、それからこちらをまっすぐに見つめて、ゆっくりと口を開いた。

「単純な、だからこそ自分を許せなくなるミスです。わたしがまだこの学校の生徒だったころ、魔獣の大群がこの町に押し寄せる事件が起きました。街を覆う結界が、当時はわたしの管理下に無かったので、稀にではあるものの、街に魔獣が侵入することもありました。その日の事件も、数を見なければそういう事例の一つに過ぎなかったのでしょう。だけどその日は数が違った。無論、わたし含む、当時のこの学校の生徒たちも迎撃に向かいました。当時のわたしは、愚かにも他の生徒に張り合い、功を争おうとしました。あの雑誌を読んだならご存知だと思いますが、わたしの得意とする戦いは結界を主軸とした防御特化の戦いです。だから、攻撃など他の生徒に任せて、自分は守りに専念すればよかったのに。なのに当時のわたしは、あろうことかその「守り」を疎かにした。自分の本領を疎かにしてまで、他人と張り合った。そのせいで検知に引っ掛かっていた筈の魔獣を見落としたんです。そしてそのフォローをしてくださろうとしたのがわたしの恩師、柳真由美先生でした。もう人を守りながら戦えるほど若くはなかったのに。実技指導からはとっくに退いていたのに。『非常勤で働くのも、もう限界だから』と、『名残惜しいけど、来月には学校を去って、年金で暮らすつもり』と言っていたのに。それなのに、わたしの両親が数体の魔獣に襲われるのを見て、すぐさま迎撃してくださったそうです。けれど当時すでに七十八歳。魔力や技量は衰えずとも、それを支える肉体は衰える。わたしの両親を庇いながら倒せたのは一体だけだったそうです。わたしが現着した時に目にしたのは、既に言切れた両親と、わたしの両親を庇うような恰好で倒れ、息も絶え絶えな先生の姿でした。」

先生はそう語ると、爪が肌に食い込まんほどに拳を握り、歯を食いしばった。そして、すっ、と一呼吸入れると話を続けた。

「……大好きな先生でした。わたしが入学した時点でかなりのお年を召していたので、けして動きにキレがあるわけではありませんでしたが、それでも技術と知識は並外れていましたし、穏やかで優しく、善くない行いをした生徒を叱ることはあっても、理不尽に起こることはせず、生徒のために色々なことをしてくれた、魔女として、教師として、そして何より人として尊敬できる方でした。あの日の、間に合わなかったのはわたしのせいなのに、それを責めることもなく、ただ、庇いきれなかった、と謝る姿が頭から離れない。力が足りなくてごめんね、と言う先生の姿が、頭から離れないんです。」

堪えきれなくなったように、先生の目から涙がこぼれる。手でそれを拭うと、先生は話を続けた。

「結果として、その日の犠牲者はその三人だけでした。……ええ。他の魔獣の対処には間に合いましたから。怪我人もほとんどがかすり傷や、ごく軽い火傷程度で、一番重い怪我でも男性が一人捻挫したくらいだと聞いています。犠牲者がもっと多かったら英雄扱いなどされていなかったでしょう。けれどわたしは英雄になってしまった。街を守った英雄の一人に。」

先生は自分の手のひらを開いて見つめ、それから再び強く握った。

「……何の皮肉でしょうね。自分のミスで大切な人を三人も失ったわたしが英雄の一員だなんて。……それからわたしは狂ったように結界魔法の研究と特訓にのめり込み、多くの結界魔法を発明しました。卒業後、この学校の教師として採用された後は、街の防護結界の管理を預かることになったので、より強固で一部の隙も無いものに張り替えました。それだけでなく、この学校を覆う結界にも着手し、より強固な要塞と作り変えました。目の前で人が死ぬのに耐えられなかったのか、もしくは罪悪感からただ逃げようとしたのか。わたし自身にも未だわかりません。ただ結果として、わたしはこの勲章を手に入れ、ついでにこの学校では校長に次ぐ第二位の地位も手に入れました。大切な物を三つも取り溢して、引き換えに得たのが英雄の呼び声と、この勲章とマント、というわけです。正直疎ましく思うのも仕方ないでしょう?」

「……でも、それならどうして。」

疎ましいと思うのは理解できる。けれどそれならなぜ、先生は勲章バッジもマントも身につけているのだろう。その疑問に先生は自嘲しながら答えた。

「これは戒めであり、同時に誓いです。あの日の自分の傲慢さと愚かさを忘れないための戒めと、今は亡き両親と先生に恥じない教師になる、という誓い。その両方です。」

先生は私をまっすぐ見つめてそう語った。私は静かに息を呑んだ。やがて、ふう、と息を吐くと、先生は苦笑しながらこう言った。

「すみません。賞のことでしたね。わたしとしたことが自分語りばかりになってしまって。お恥ずかしい。あの賞は世界魔女協会が年一回決定している、『世界最優魔女ランキング』とかいう俗なモノにおいて、五年連続で一位に輝いた魔女に送られる、いわば殿堂入り記念勲章のようなモノです。」

「それは確かに俗っぽいですね……。」

「でしょう?もっとも、先の『世界最優魔女ランキング』の評価基準自体は、年一回行われる、世界魔女協会の年内総括会議と全世界の魔女向けのアンケートによる魔女自体の知名度と、功績に対する認知度の調査を組み合わせた、割としっかりとしたものなので、けして軽いものではないんですが。」

「なるほど。」

色々納得である。確かにそれなら俗っぽいと語るのも、戒めとして意識するのも理解できる。先生は話を続けた。

「次に、わたしの功績についてですが……そうですねえ。一番わかりやすいもので言うと、この街とこの学校を覆う防護結界の件でしょうか。先程も触れた通り、わたしはこの街用と学校用、二種類の結界を維持・管理しているわけですが、今まで二年に一度張り直す必要があったものを、今後一切張り直す必要が無いものに作り変えました。」

「おお。」

確かにそれは革新的だったろう。納得である。

「他だと、そうですねえ、これもわかりやすいでしょうか。現在存在する結界魔法の三割はわたしが発明しました。」

「それは凄い!」

先生が生まれる前から存在する魔法も大量にある筈だろうに、現存する内の三割が先生の発明とは。それは確かにとんでもない功績だろう。こちらも大いに納得である。

「こんなところでしょうか。何か質問はありますか?無いようなら、そろそろ補講を再開しようと思いますが。」

「あ、はい。大丈夫です。」

「では、再開しますね。今度は魔女史の教科書の四ページを開いてください。」

そう言って、再び微笑みを浮かべ直す先生を見て、私は、この人を支えたい。支えられるような、頼りにしてもらえるうような魔女になりたい。そう強く思った。

 ……とまあ、そんなこんながありつつも補講が終わり、先生に見送られながら教室を後にする。時刻は十八時を回ったところ。この後はどうしようか。食夕食にするか、それとも寮の自分の部屋に行ってみるか。迷った末、食堂で先に夕食を摂ることにする。

食堂は流石に食事時という事で込み合っていたが、なんとか席を確保し、食事にありつく。今日の夕飯は麻婆丼をセレクトした。ここの学食は親切にも丼ものにはサラダと味噌汁が付くようで、わかめと豆腐の味噌汁とミニトマトときゅうりのサラダが付いてきた。中々美味しそうだ。花椒の香りが食欲をそそる。

「いただきます。」

手を合わせて食べ始める。印象に反さず花椒がよく効いていて、ピリピリとした刺激に、豆板醤の辛みと豆鼓醤、甜麺醤のコクと甘味が合わさり、そこに更に白米が絡むことで大変美味な麻婆丼だ。味噌汁は味噌汁でシンプルながら出汁がよく効いていてとても美味しい。サラダはサラダで、品質の高さが一つ食べただけで伝わる、神憑り的な甘みと酸味のバランスのミニトマトと、シャキシャキとして瑞々しいキュウリが大変美味しく、ドレッシング無しでも美味しく楽しめる上に卓上のドレッシングから好みの物を掛けると更に美味しい。大変良い味だ。思わずどんどんレンゲと箸が進む。気づけばあっという間に食器が空になっていた。

「ごちそうさま。」

食器を返却する際、もう一度、今度は職員さんに聞こえるように「ごちそうさま」を言って、食堂を後にした。

「……。」

食堂を後にした私は、寮の自室……つまり私とルームメイトの部屋の前に来て静かに息を呑んだ。やはり緊張する。質問コーナーの時、質問されて以来、まともに会話していないし、席も離れていたので、特に明確に「顔を合わせた」と言えるというほど近くにいたこともない。クラリスから一応話は聞いているが。人の話だけで判断するのはよろしくない。なので――。

「よし。」

とにかく会ってみよう。どうせ同室だ。ここで会わなくてもいずれ会う。最低限の会話はすることになる筈だ。ならば挑むしかない。そう思い、両手で頬を、パン、と叩き気合を入れ、カードキーを端末にかざした。ピ、という小気味よい音と共にドアが開く。

「―――。」

中には一面の畳風カーペット。二段ベッドの上の段は和風の落ち着いた柄の掛け布団が垣間見える。よく見るとカーペットの隙間に赤色のテープが張ってある部分かある。向かって右手奥には漆塗り風のダークレッドに塗られた木製の本棚があり、その隣には同じようにダークレッドの棚があり、よく見ると茶器らしきものが仕舞ってある。そしてその隣には和風箪笥が狩れており、二つある勉強机の内一つに鉢植えに植わった花が乗っている。窓には梅柄のカーテンが取りつけられているなど、全体的にできる限り和風に纏めようとした印象の部屋になっていた。その中心に、彼女――桜小路さんが座っていた。――正座で。彼女は口を真一文字に結んだまま、真っ直ぐにこちらを見据え、口を開いた。

「ようお越しになられましたな。」

あからさまな棘を感じる張り具合とトーンの声。表情も相まってかなり高圧的な印象だ。いきなり躓きそうである。しかしここで躓くわけにはいかない。私はすっ、と短く息を吸い、負けじと相手を見据えて名乗った。

「個人的に会うのはこれが初めてだよね。改めまして、九王忍です。」

「桜小路初葉いいます。よろしゅう。」

お互い張り詰めた空気のままとりあえず挨拶を交わし、一応の礼儀として会釈する。一瞬の間を開けて、再び桜小路さんが口を開いた。

「言うときますけど、うちは素人さんやからと贔屓はいたしまへんので。そのつもりでよろしゅう。」

「別に贔屓されに来たわけじゃないよ。」

私がそう言い返すと、桜小路さんは小さく鼻を鳴らしてこう言った。

「それならええですけど。」

再び一瞬の間が開く。ややあって、桜小路さんがふっ、と息を吐き、こう続けた。

「とにかく、これからうちとルームメイトになるいうんやったら、今から言うこの部屋でのルールを守ってもらいます。」

そう言って、桜小路さんは、そのルールを口にした。

「一つ目。洗濯物は二十二時までに出してもらいます。それ以降に洗濯物が出た場合は翌日六時以降に各自で洗濯機を回すか、でなければ次の日分と一緒に纏めて出してもらいます。二つ目。お互いの私物に勝手に触らない。三つ目、テレビは早いもの順。チャンネルを変えたい時、録画したいものがある時は要相談とさせてもらいます。四つ目。食事は各自で。うちはあんたの食事は用意せんし、あんたもうちの分は用意せんでええです。五つ目。起きるのも自分で。うちは起こしませんし、あんたもうちを起こしたりせんでいいです。」

些か一方的ではあるものの、概ね特に気になる点はない。高圧的な態度の割に真っ当な要求ばかりで少し安心した――。そう思った矢先、とんでもない爆弾が飛び出した。

「最後、そこの赤いテープより左側は全部うちのスペースや。勝手に入らんといてもらいます。」

「ええ……。」

前言撤回。かなり横暴だこれ。前途多難な日々の予感に、私は頭を抱えるのであった。

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