擬態でなく理想
それから私は、伸ばしていた髪をばっさりと切った。
理由は、雪川栞のためということにした。
あの日からちょうど1週間。
けれど翌日にはもう美容室の予約を入れていた。
知らない街の知らない美容室に行った。
乾いた毛が散らばっている床を眺めて、懐かしいベリーショートの髪の感触を確かめる。
鏡の中の自分は学生時代に似ている。
ただあの頃よりな輝きの失せた目をしている。
未来などないこちら側の自分。
では、なぜ戻ってきた?
考えていると思わぬところで横槍が入る。
「かっこいいですね、宝塚のようで」
そんなお世辞を曖昧に笑って流した。
褒め言葉の影に弾丸が込められている気がする。
別のところにある相手の本音を目の奥に探る。
"どういうつもり?そこまでするなんて"
"理解出来ない化け物"
本来の自分に戻ると、世界は急に険しくなる。
所詮髪ひとつ。
なのに止まない詮索。
「モテたでしょうね」
「そうだったらかっこつきますよね」
モテたなんて言わない。珍しいものに集まって、飽きて満足したら捨てられる玩具みたいなものだ。
無駄に心を掻き乱されたのはこっちの方。
だから、どの恋も本気だった。
傍目にはおままごとのような恋でも私は必死だった。
どこかに当たりがあるはず、持て囃される時間は今だけだと急いていた。
開けるとラッピングの殻だけ散らばる恋。
私は男になりたいのだろうか?
それは違う、と思った。
「よく短くするんですか?」
放っといてほしい。
「楽なので。それだけです。こうすると部屋の掃除も多少楽になるし」
相手の好奇心なんか満たしてやるもんか。
「へぇその割には」
「板についてますね」
背中にひやりとしたナイフを当てられた。
私の身体は女性性を削ぐように作り替えている。
ホルモンなど打ってはいないが、有酸素運動で胸や尻を落としているから、髪まで短くしてしまえば遠目には少年そのものだ。
髪を伸ばしても、譲れなかった身体。
でも、少年になりたいわけではない。
求める見返りが与えられる確率が増すからこうしているだけだ。
女が好きだ。
だから女たちの関心を引くように男に勝る蠱惑的な存在である必要がある。
生身じゃ敵わない。だから化粧もする。
私の顔面は、自己表現と理想を描くためのパレットだが、男になるためにメイクを施したことは一度もない。
男じゃ足りない。
絵画教室に通っていた成果がこんな形で結ばれるなんて誰が考えた?
おかげで、メイクブラシは絵筆の代わりとなり、私の描く理想へ辿り着く手段となった。
ただはっきりとした形で自分の理想を周囲に見透かされるのも耐えられない。
肥大した自意識ほど見苦しいものはないから、理想だけが一人歩きしないよう内面と外見のバランスをとるのは私にとって常に留意事項だ。
「横顔をSNSに載せてもいいですか?このカット人気が出そう。なんせモデルがいいから、そのまま撮っても作品撮りだ」
「あはは、上手いなぁ」
そりゃこんな生き物リアルじゃない。
ご提供しましょう。
私は横顔を見せた。
でも、後悔はしてない。
本当はもっと早くこうしたかったんだ。
おかえり、私。
戦う準備は出来てる?
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