1−10
医務室に入ると、頭の様子を見てから回復の魔法をかけられる。母様はその間僕の手をぎゅっと握りながら僕の顔を見続けている。
「これで出血は止まったはずです。」
魔術師にそう言われると、母様が僕をぎゅっと抱きしめた。その手はカタカタと震えている。
「1人にしてしまってごめんなさい。ヴァルターがあんなことをするだなんて思っていなかったの。」
それもそうだと思う。ヴァルター兄様が、僕に対してあんなふうに怒りをぶつけてきたのは初めてだ。前に暴言を吐かれたことはあったけれど、僕が寝たきりで何もできないからか、母様や父様に発見されるのを恐れてか、僕に手出しはしてこなかった。
「僕は大丈夫ですよ。頭の傷も治してもらいましたし、もうなんともありません。」
そう言ってにっこりと笑うと、母様の手の震えは治ったようだった。
「ノア、ああ良い子。あなたのことは私たちが守るからね。」
母様はもう一度僕を抱きしめると、自分に言い聞かせるようにそう呟いた。母様は、今回のことできっとヴァルター兄様を僕に近づけないようにするだろう。今回は気づいていなかったようだけれど、魔力補佐装置をヴァルター兄様に壊されてしまったらと考えると震えが止まらない。僕は動けなくなり、邪気によって息ができなくなり、最終的にはヴァルター兄様に殺されてしまうだろう。
会わないことは、お互いにいいことなのかもしれない。
「ノア、今日はもう離宮に戻りましょう。アランを呼ぶわ。母様もついて行くから、ね?」
僕を諭すようにそう言う母様は、侍女に合図をした。きっとアランを呼びに行ったんだろう。別に先手を打たなくたって、拒否したりしないのに。
「うん。帰ります。」
そう言うと母様はほっとしたように息をつき、僕の背中を撫で続けた。
アランは数分もしないうちに医務室に現れた。
「お待たせいたしました。お送りします。」
「いきなり呼び出したのはこちらだから気にしなくていいのよ。さあ行きましょう。」
僕は歩けるのに、母様は僕を下そうとはしない。怪我をしたから、いつもの心配性が倍くらいになっている気がする。ここで僕が母様を拒否して歩こうとしても、きっと許されないと思う。それならば、母様に甘えてこのまま離宮に帰ろう。
「ヴァルター様がノアディス様に怪我をさせたと聞きました。お身体はいかがですか?」
「回復の魔法をかけてもらったから、もう大丈夫なはずよ。でも、」
アランの問いに、母様はそう答えた。
「心配なの。またこの子に何かあるんじゃないかって。今日くらいは、私のために、この子を抱っこさせてほしいの。」
「ええ。もちろんです。」
母様の心地よい揺れに体を預けていると、頭がぼんやりとしてくる。落ちないように母様にしっかりと抱きつくと、僕にまわっていた腕がより一層強くなる。
母様は、今日のことできっと自分自身を責めてしまうのだろう。そんなことをしてほしくないと言ったところで、きっとどうにもならない。それならば、僕は今は無事だと、僕の体温で伝えるしかない。強く強く、母様にこの気持ちが届いてくれますように。
中庭に着くと、父様の執務室の窓が見えた。今あそこには父様がいるのだろうか。もう、怖い声と顔はしていないだろうか。
少しの期待を持って執務室の窓を見ていても、父様の姿は見えなかった。明かりもついていないようだから、今は執務室にはいないのかもしれない。そう思って目線を母様の横にいるアランへと移す。
僕に、力があれば、今回のようなことは起こらなかっただろうか。アランのように、強い力があれば…。
「ノアディス様、いかがなさいましたか?」
「僕が、こんなに弱っちくなかったら、ヴァルター兄様は僕に対してあんなふうに怒らなかったかな。」
何気なくこぼした言葉に、母様がビクッと反応した。
まずい、母様の前では言わない方が良かったかな。そう思いながらも、アランは言葉の続きを待っているかのように見えた。母様の様子を伺いつつ、口を開く。
「…兄様、僕に、兄様の方が優れてるって言ってきたんだ。僕よりも剣が振れて、魔法が使えるって。」
母様とアランは、僕の話に耳を傾け続けている。
「僕が、強ければ、兄様の何かの地雷を踏むことはなかったんじゃないかって、そう思うんだ。」
僕の言葉を聞いたアランはうーんと首をひねる。母様はまだ無言を貫いていて、表情が読めない。
「ノアディス様がヴァルター様と互角にやり合うことができるようになっても、きっと確執は取れないと思います。むしろ、お互いが死ぬまでやり合う可能性もあります。だったらまだ、今の状態で良かったのではないかと思います。」
恐る恐ると言った感じでアランは自分の考えを伝えてくれた。確かに、アランの言う通りかもしれない。僕に、抵抗する力があれば、僕だけではなくヴァルター兄様にも怪我ができてしまったかもしれない。それなら、まだ、今日の状態が最適解だったんだろう。
母様は僕の問いには答えず、ぎゅっと抱きしめるだけだ。無理はしないで、という母様なりの僕への思いやりなんだと思う。離宮に着くまで、母様は僕のことを強く抱きしめたままだった。
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