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 鳥海山の山岳道路には「ブルーライン」という名前がつけられていた。

 冬を越し春を迎え全線が開通する、ゴールデンウィークの出来事であった。

 

 に、絶好の季節の到来だ。

 

 バイクに最適の季節は春と秋、それ以外は乗るもんじゃない——私の譲れない信条だ。

 真夏の鈴鹿は、忌憚なくいえば、地獄でカマ茹でにされてたようなものだ。


 その頃、秋田の学生寮にいた。広大な山麓を迂回するブルーラインは、秋田と山形をバイパスし、なおかつ眼下には青い海、はるかに男鹿半島まで臨むことができた。

 二つの県を股にかけて走るというのも、気に入っていた。

 山肌を覆っているのは多く針葉樹だったが、山形側の四合目あたりにはブナの原生林もある。太古から生きている巨樹は神気だって見えた。

 深山には《神》が棲むという、たしかに。たまに熊のツメ痕をみつけた……。


 鳥海ブルーラインとは県観光課の職員が付けた名だろうが、平日は走り屋の格好の——走路サーキットとなった。

 レース以外(註)で、同好の士とつるんだことが無かった……とはいわない。族といわれるほど結束しがらみも、会規も設けなかったが、規模が膨れあがると他の団体としばしば小競り合いがおきた。

 抗争まで発展し、ときに鉄パイブを振るったことも……2度か3度ある。ツナギの下に新聞紙を巻きつけた以上の愚行だった、さすがにそこは弁えている。

 だが———

 基本的に自分のライディングは自由ひと色だった。

「走りたい季節に走りたい場所を、燃料ギャスのゆるすかぎり走る」、これに尽きた。

 走り屋のスピリットが時空を駈けぬけ——記憶がよみがえっていた。



 私——二十歳の俺はブルーラインを一台で走行していた。

 秋田側から山形へと下りのルート、ブナ林に見下ろされを抜けていく。

 海抜は800メートル。下りのストレートにはいった。単車は山の大気をつきやぶり翔る。スピードと一体化する、何にも似ていない、アドレナリンのざわめく感覚。若い俺はたぶんそいつに中毒していた。

 愛車はヤマハのRZ350。同じコースではナナハンにも敗けたことはなかった。

 特に下り坂では絶対の自信……が、あったのだ。


(えっ?)


 あっさり抜き去られていた。

 真紅の単車——ドゥカティに。

 車種を見分けた刹那にギア・チェンジ、イナズマのように走る

 抜かれたら抜き返す…!

 相手が排気量でまさる、どんなマシンでも関係ない。

 だ。  


 「って具体的にどういうこと?」

 彼女に訊かれたことがある。

 ウデはウデなんだが——バイク性能を制御し切り、路面情報を的確に拾う能力なんてだるいぜ——アドレナリン出まくりの狂躁状態にいながらにして「マシンを最高の状態で走らせる、研ぎすまされた感覚を保つ」ことだ。


 スロットルは全開。

 余計なことの入り込む余地はない。

 タコ・メーターの針を見る以外。

 エンジンが吹きあがってさえいれば。

 恐怖心などこの俺の後ろ髪にも触れられっこない。


 真紅のドゥカティを追い上げにかかった。

 うねり流れるようなブルーライン、2車線の道を俺たち2台は競りあった。

 俺が勝った瞬間もあったが、コーナーの立ち上がりから抜き返されふたたび真紅の尻を追うハメになった。

 山すそをめぐる長大なコースを競って競って、何キロ走ったかしれない。

 しかしブルーラインをふもとまで走ってもオレはドゥカティに勝てなかった。

 RZ350のパワーは一瞬も落ちてなかった。

 エンジンはガンガン……


 そして、下りはウデだ。


 これも俺の走る上での信条だ。

 つまり相手の伎倆の方が上、ということだ。

 公道レースので喫した完全な敗北——

 なのに気分は最低でなかった。

 もしかしたら相手が不格好な大型車でなく、流麗な車体デザインの持ち主だったせいかもしれない。

 機能とはである、これも俺の信条のひとつ。

 単車バイクという高速車両を愛する者にとって、それは絶対的だった。





(註)

今回改稿にあたって、本作主人公のモデル氏にいくつか再質問を試みたところ、昔はスリム50キロを誇っていたロード・ボンバー幻の第三ライダー氏、ほんとうに呆れ返ったうつり気野郎で、有名メーカーが上位を占める耐久レースは本当は合わなかった、周回タイムを競うサーキットレースがメインだったとほざきだす始末。。その上バイクトライアルもけっこう好きだった。(ヒルクライムとか? もっと早く云え、そっち系のも書きかけたのあるが、いくらなんでも困難かと中断してる話があるのよ)と何十年も経ってまるで思い出したように自白している。

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