フラッグレース #6
西の空に日が沈み、東に広がる広大な原生林を渡って、夕闇を連れた竜の群れが帰還する。とても雄大な光景だが、もし知らぬものが目にしたら、その光景は
そんな彼らが定期巡回を終え、安息の宿を目指し集まるなか、1頭の竜が速度を上げ群れから飛び出す。見事な宙返りからの華麗な着地、他の竜とくらべても、その
夕暮れ差す砦の発着場。竜の背から降り、脱いだ兜を脇に抱えた騎士が、後続に声を掛ける。
「デッド、もっと丁寧に竜を着地させろ。それと、今日のあれはなんだ、後で報告書を回しておけ。イガ、テガ、シガ、お前たちは接近しすぎだ。もっと間隔を保って飛べ」
「調子は良さそうだな、タザン」
「隊長。いつお帰りになられたんですか?」
後続の騎士に激を飛ばす後ろから、ルイスに声をかけられ敬礼で挨拶する。
「ついさっき戻ったところだ。隊長代理、なかなか板についてるじゃないか」
「いえ、またまだです。改めて、自分の未熟さを思い知らされました」
「あれだけこなせれば十分だよ」」
そう褒められたが、次々に降り立つ竜たちを見つめる表情は硬い。
「まだ気にしてるのか」
「いえ、そんなことは……」
「たしかにあの一週間があれば、規定の飛行時間に達していたし、昇給試験も受けられたかもしれない。だが、あのまま飛んでいたらどうなっていたか」
硬い表情のまま、ルイスの話に耳を傾けるタザン。
「なに、お前の実力なら、これからいくらでもチャンスはあるさ。焦ることはない」
「ありがとうございます」
そう礼を口にしつつも、険しい表情は崩さない。
発着場へ次々と着陸する竜たち、降機した騎士が鞍を外しにかかる。駆け寄る竜舎番、騎士と言葉を交わし手綱を預かると、竜と共に竜舎へと帰っていく。
「まだ許せないのか?」
その一言に一瞬、タザンの目が見開かれるが、沈黙で答える。
帰還する竜の群れ、遠くで繰り返される日常的な風景。目を離さないタザンを諭すように、肩を2回叩くと、右手を上げ去っていくルイス。夜の帳が下りるように、タザンの胸にも暗く過去が広がっていく。
「聞いたかよ、あの話」
「聞いた聞いた。明け方の白い影」
「そうそう、もう何人も見ているらしい」
竜舎を抜け騎士の宿舎へ戻る途中、竜たちの就寝準備をする竜舎番たちの噂話が、タザンの耳に入ってくる。
「明け方?俺が聞いた話じゃ、夕闇をすごい速度でって話だったぜ」
「やっぱりあれか?ほら例のレースの」
「ああ、あの子も可哀想にな」
「なにがだよ」
「なんだお前知らないのか。ロッシュ、あの子の世話係おりたらしいぜ」
立ち止まるタザン。
「ほんとかよ。どういうつもりな……」
「おい」
噂話をしていた竜舎番たちの真横に、いつの間にか立っているタザンが、上から睨みつけている。
「今の話は本当か?」
「あ、いや、その……」
「本当かと聞いているんだ」
その威圧感はまるで、緑界で界獣と対峙したときのそれと変わらない。あまりの迫力に、竜舎番は言葉を失い固まっている。
「どうなんだ」
迫りくる右腕。胸ぐらをつかまれた竜舎番が持ち上げられ、足先が宙に浮く。
「なにやってんだい」
責め苦から開放され、尻もちをつくと、竜舎番がむせ返る。顔を上げると、タザンの手首を締め上げるイザベルが、傍らに立っている。握られた手首を強引に振りほどき舌打ちすると、タザンは背を向け、その場を去ろうとする。
「ちょっと待ちな。一言あってもいいんじゃないかい」
肩越しにイザベルを睨みつけ、無言のまま立ち去ろうとする。
「なに様だい、あんた。何にそんなにイラついてるか知らないけど、あんたが毎日安心して飛べるのは、この子たちのお陰だってのを、忘れてやしないかい?」
ピタリ立ち止まる。
「愛想よくしろってんじゃないよ。敬意をはらって、少しは感謝しな」
「ロッシュは、本当に下りたのか?」
背中越しにタザンが低い声で質問する。その態度に少し呆れた様子でイザベルが答える。
「さあね。私の部下はあいつひとりじゃないんだ。それに、人の喧嘩に興味はないね」
そう
早足でかかとを打ち付ける音が、イラ立ちを響かせ、寝そべる竜たちの間を抜けていく。帰還のざわめきが冷めていく中、ひとり熱を帯びているタザン。
独りよがりのイラ立ちだということは、分かっている。
場違いな緊張感に、耳をそばだて首をもたげる竜たち。なじみの鳴き声が聞こえ、相棒二キスの竜房前で足を止める。純真な瞳がタザンを見つめる。再び響く足音。ひとつだけガランとした竜房。柱から外された認識番号の跡。それを横目に、タザンは騎士宿舎へと帰っていく。
晩ごはんで出払った竜舎番の詰所。その一角に置かれた一際大きな事務机と簡素な椅子。背もたれに寄りかかるガンテは、目頭を押さえ大きく息を吐いた。
1日の終わり、ただでさえその巨漢に似合わない、細かな事務作業に疲れが見え隠れする。そんなガンテにラミア騎士団長からもたらされた知らせは、長らく出ていなかった頭痛を呼び戻すには、十分な内容だった。
「あの、お転婆め」
もう一度、手にした手紙に目を落とし、見間違いではない現実を確認する。
「失礼します」
詰所の扉が開き、ガンテの前に進み出たラックが挨拶する。
「おやっさん。今日の報告書です」
「ああ、ご苦労さん。その箱に入れておいてくれ。……なんだ、まだ何かようがあるのか?」
手紙を机の引き出しに入れ、机に広げた書類に手を伸ばしかける。が、消えぬ視線を感じて顔を上げる。腕を後ろで組み、何か言いたげなラックが立っている。
「用事があるならさっさと言え」
そう促されるが、なかなか口を開こうとしない。
手にした書類を机に戻し、両手を組み向き直る。ラックの迷いが視線を泳がせる。それを捕まえて、ガンテが愚痴っぽく口を開く。
「はっきりしろ。これからまだコイツらと格闘せにゃならん」
山になっている書類の束を、目線で指す。
「質問があります」
「なんだ……あれか?北の砦の話か。まぁ場所が場所だが、なかなかいい話じゃないのか。お前の夢だったろ、騎士になるのは」
「いえ。その話ではなく。リズは……いや、ロッシュは勝てるでしょうか?タザンに」
「無理だな」
即答するその速さに、開いた口から次の言葉が出てこない。
「だ、ど、……どうして、そう思われるんですか」
「理由は3つ。経験不足、相手がタザン、そして、エレメンタルを使いこなせない」
やっと絞り出した質問に、またも間髪いれず即答される。
「いや、しかし。ロッシュが世話係についています。それに、騎乗竜はあのメラルですよ」
両手を組んだガンテが、もう一度背もたれに寄りかかる。軋む椅子。
「なら、どうする?あと2日。お前ならどう巻き返す?」
「それは……」
「騎乗は出来たみたいだが、乗り始めてまだ2週間弱。いくら昔、東で最速を叩き出したメラルでも、現役でかつ、赤の騎士団で10本の指に入る竜の乗りて、タザンに勝つのは無理な話だ」
「し、しかし」
「確かに、この短期間で騎乗出来ただけでも流石だと言える。しかし、竜眼、エレメンタルは使いこなせていないはずだ。それでは竜の性能を最大限に発揮できない。それに比べタザンは、エレメンタルの引き出し方に関しては、他の騎士にくらべて頭ひとつ抜きん出てる。リズに勝ち目は、万に一つもないな。それにメラルは……」
そこまで言って、ラックの悲痛な顔に気がつくガンテ。
「まぁ、ルルイに願えば、約束の風くらいは吹くかも……」
「失礼しました」
言い終わる前に、頭を下げて詰所を後にする。残されたガンテが、頭をひとなでして、バツの悪さをごまかす。
点々と明かりが灯る廊下を、早足の音が駆ける。
「よう、ラック。久しぶりだな、調子はどうだ?」
前からやってきた軽薄な声に、歩速を緩めるラック。
「ビルさん、久しぶりです。どうしたんですか、こんな時間に」
「なに、ちょっとした野暮用でな。お前こそ、急いでどうしたんだよ?」
近づくと馴れ馴れしく肩を抱き、顔を覗き込む。
「なんだよ。お前らしくないじゃないか」
そう
「このままだと、リズが……ロッシュが……」
悲痛な面持ち。いつもと違う雰囲気のラックに、一瞬だけ真剣な眼差しをみせるビル。
「ふたりのとこが、信用できないか?」
「そんなことは……」
「だったら、そんな顔するんじゃないよ」
すぐに戻ったフザけた顔。ラックの首に腕を回し引き寄せる。
「でも、このままじゃ。タザンがなにを言い出すか……」
「もう、負け確定か?もっと相棒を信じろよ。そうだ、お前も付き合え」
引き寄せた腕に力を込められ、苦しそうにするラックの頭上に、疑問符が浮かび上がる。
「ちょっとひとりじゃ、準備がしんどくてな」
「なんの準備ですか?」
「なに。勝利の女神にウインクさせるのさ」
ノクトの店で鼻歌を歌い、チェルが丸い机に向かう。エマが奥から顔を覗かせる。
「チェル、楽しそうね。なにか良いことでもあったの?」
楽しそうに絵を描くチェルに、思わず笑みが溢れる。机に広げた色とりどりの鉛筆。中央に広げた紙に書かれているのは、白い竜と青い瞳の男。
「それは……」
「ひみつー」
チェルが座る机の奥、革手袋の並ぶ棚。整頓された陳列に、ひっそりと空白が出来ている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます