フラックレース #5

「いいかい、ここにまたがって。そう、足はそこ、そうそう。運転はこっちでやるから、リズちゃんは振り落とされずに、上手く乗りこなしてくれればいいから。なに、心配することはなにもないさ」

 ウインクするビルから、竜騎乗訓練装置なるものの扱いを真剣に聞くリズ。そばで見つめるロッシュは、腕組をして冷めた目でみつめている。

「それで本当に、竜の騎乗訓練が出来るのか?」

「当たり前だろ、動いているところを見てもないのに、失礼な奴だな。こいつがこう、上下左右に動いて、竜の動きを再現するんだよ」

 自分の手を鞍にみたてて、身振り手振りでビルが説明する。

「竜への騎乗は、そんなに甘いもんじゃない」

「わかってるよ、そんなことは、誰に向かって言ってる。それに、こいつは昨日今日、気まぐれで作った代物じゃない。俺の長年の夢が詰まった。いや、それだけじゃない。こいつが成功すれば、その先に開かれる、騎士たちの未来は明るい。それに繋がる大発明、大いなる一歩なんだよ。これだから素人は」

 不格好な竜の模造品。それを前に、早口で熱弁するビルの目は輝いている。

「そもそも、このガラクタは動くのか?」

「どこまでも失礼な奴だな。お前はそこで黙って見てろ」

 そう言うと鉄の箱の前にしゃがみ込むビル。少し間が空いて数回上下して止まる、模造竜に取り付けられた鞍。

「で、勝敗はどう決める?おふたりさん」

 真剣な眼差しで鞍の動きを見つめていたリズの、喉の奥が思わず鳴る。その顔の前に3本の指が立てられる。

「3分だ。3分それに乗っていられたら、お前の勝ちでいい」

 ロッシュの提案に、真一文字の口が小さくうなずく。

「よし決まった。立会人は、このビル・ベルトが務める。のはいいんだが、おい、だれか時測りを持ってないか?」

 騒ぎを聞きつけ集まりだした野次馬に問いかけるが、顔を見合わせるだけで返事はない。

「少し待ってろ」

 そう言い残すと、野次馬をかき分けて、ロッシュは竜舎に向かう。

 


 あんな玩具でなにができる。

 イラついた足取りのロッシュを、作業中の竜舎番が横目で追う。

 あんなもので竜の初騎乗が再現できるわけがない、あの……。

 昼下がりだが薄暗さが残る竜舎の中、明りとり窓から光が伸びて、ロッシュの顔を照らす。


 

 大人たちが呼び戻す声を無視して、握りしめた手綱を力をいっぱいに引くと、ふわりと浮く幼い顔のロッシュ。

 激しく揺れるがなんとか持ち堪え、上昇していく翼。どこまでも続く空を、青みがかった黒い瞳がにらむ。

 見つけるんだ、絶対に。

 唇を噛み締めて、高く高く。白銀に煌めく白い竜が、螺旋を描き昇っていく。そして……滑り落ちる、小さな光。


 

「どうしたんだい。外でなにかあったのかい?」

 竜房の前で外の様子をうかがっていたエレノアが、左目を手で押さえ立ちよどむロッシュに問いかける。

 エレノアが立つ竜房の奥、白い気配も、静かな息遣いでこちらを見つめている。

「なんでもありません先生。すいませんが、時測りを貸して貰えないでしょうか」

「それは構わないけど、大丈夫かい。顔色が悪いみたいだけど」

「ありがとうございます。大丈夫です」

 砂時計を受け取って一礼すると、竜房の奥を見つめてから、足早に表へ戻る。

 


「おう、こっちの準備は整ってるぞ」

 人々をかき分け野次馬の中央におどり出ると、竜騎乗訓練装置に跨り手綱を握るリズが、こちらを向いて頷く。

「ではここに……」

「一体なんの騒ぎだよ、これは」

 ビルの口上を遮り、ラックが野次馬をかき分け現れる。

「これは一体どういうことだよロッシュ。リズも何やってるんだよ」

 互い目をそらさず、その問いかけを無視する、ロッシュとリズ。

「おいおい、今いいところなんだから、邪魔するなよ」

「これはなんですビルさん、なにやってるんですか」

「なにって、赤の騎士団名物、岐路の決闘だよ。お前も好きだろお祭りは」

「いや、お祭りって。ロッシュ、なにやってるんだ。リズもそんなことしてる場合じゃないだろ」

「はいはい。今はこんなことしてる場合なんだよ。後から来てごちゃごちゃ言うな、盛り下がるだろ」

「なにするんだ、離せ。おいロッシュ、リズ」

 野次馬たちに羽交い締めにされたラックが、押し下げられる。

「いらん邪魔が入ったが改めて」

 わざとらしく咳払いしたビルが、胸の高さに右手を上げ、口上を述べる。

「リズ・シュナイダーとロッシュ・フォクナの両名の願い、風の女神ルルイの名の元に、今ここに決せん。行く末は、立会人ビル・ベルトが見届ける。両者、互いの勇気と誇りを賭け、正々堂々たる勝敗を」

 ビルが胸の前の右手を、晴れ渡る空に高々と伸ばす。それを合図にロッシュが砂時計を目の前に掲げる。手綱を握り締めるリズ。振り下ろされる右手。

「テイク……ゴー!」


 リズを乗せ、静かにゆっくりと動き出す竜騎乗訓練装置。上下運動から少しづつ前後運動が加わり、そして左右にも揺れだす。徐々に上がっていく速度。次第に複雑な動きになる、リズを乗せた鞍。しがみつくように握る手には、汗がにじむ。

 動きが激しくなるにつれ、取り囲む観客のざわめきが応援に変わっていく。ロッシュが掲げる砂時計は、感情無く砂をすべり落とす。

 弾ける汗、乱れる呼吸、たったの3分が無限に流れる。

 しかしそれは錯覚で、砂時計の砂は、残りあと約半分。取り囲む野次馬たちの歓声が、次第に熱を帯びてくる。

 

 ぼん。


 鞍の下で小さく音が破裂する。もう一度。模造の竜が今までにない振動を見せ始める。しかし、誰一人そのことを気にする素振りはない、模造竜に乗る当事者のリズさえも。

 そんな中いち早く異変に気付いたロッシュが、ビルに目配せをする。放心した顔がみるみる青ざめるビルが、慌てた素振りで鉄の箱の扉を開け放つ。模造の竜から聞こえていた微かな異音が、徐々に大きくなっていく。

 今までで一番の爆発が音を上げ、リズの足元に一筋の黒煙が上がる。ビルの悲鳴に近い驚きの声。鉄の箱に無数の小さな稲妻が走ると、続いて起こるいくつもの破裂音。ようやく異変に気がついた野次馬の声が、波紋のように広がって、ざわめきに変わっていく。


「きゃ!」

 爆発と同時にリズが悲鳴をあげる。際限なく上がるスピード。早く激しくなっていくリズの乗る鞍。鉄の箱から上がった黒煙から炎が吹き出し、慌てたビルが火を消そうとして、脱いだ上着を叩きつける。その間にも、模造の竜から上がる黒煙は増えていく。振り落とされまいと、必死に手綱にしがみつくリズ。

「手を離せ!」

「む、むりで、す」

 ロッシュが駆け寄り指示するが、返事をするのがやっとで、手を離す余裕などどこにもない。

「いいから手を離せ」

「の、のりかた……。りゅう、の、のりか、たを、おしえ、て」

「なに言ってる。今はそんな」

「わた、しにとって、はそん、なばあい……。おしえ、キャ!」

 連続する爆発、もはや分解しそうな勢いで、上下する竜騎乗訓練装置。その動きは、鞍から何度もリズを弾ませる。


「わかった。分かったから手をはな……」

「やっ、きゃーーー!!」

 大爆発する模造の竜、鞍ごとリズが高く吹き飛ぶ。言葉を失う野次馬たち。わらの束を抱え戻ったラックが、班の仲間と飛んだリズの軌跡を目で追う。半歩前に出ただけで、立ちすくむロッシュ。


 頭上を一陣の、緑の風が強く吹き抜ける。



 竜舎の入口、騒然とする外の様子を心配してエレノアが顔を覗かせる。その上を、白く大きな影が駆けていく。その勢いある風に、思わず頭を押さえるエレノア。

 目をつむって空高く飛んだリズに、遠く観衆の声が聞こえる。

 ひんやりとした空は、リズになにも求めない。求めず、そしてなにも与えない。ただそこにあるだけ。手綱を握りしめたまま、なすすべなく宙を舞う。ああ、これが私の憧れた空、父が夢見た空。遠く呼ぶ声が消えていく。無音、いや微かになにか聞こえて……。


 巻き上がる突風に、空高く打ち上げられたリズの体が優しく舞い、まるで子どもを寝かしつけるように、ラックが抱えたわらの束に着地する。その衝撃で、ラックがわら束と共に倒れ込む。

「大丈夫か」

 ラックの呼びかけにも、なにが起きたかわからず、放心状態のリズ。なんとか立ち上がると、目の前に白銀の光が舞い降りる。

 驚くリズの顔。目の前に現れたのは、白い鱗を輝かせる一頭の竜。ロッシュの父、サルトの搭乗竜だったメラルが、エメラルドの瞳でリズを優しく見つめている。

「あなたが助けてくれたの?」

 そっと手を出すと、優しく首筋を撫でる。気持ちよさそうに、メラルが目を細める。

「そう。ありがとう」

 そう言うと、ゆっくりと首に抱きつく。



 模造竜から上がる炎。あちらこちらに飛散した破片も、黒煙を上げている。野次馬たちが、散らばった燃える模造竜の消火活動に右往左往する中、ロッシュはひとり、ただ立ち尽くす。力なく垂れ下がる右手、握られた砂時計は、もはや時を測ってはいない。

 もうもうと昇る炎と黒煙、取り巻く人々から上がる掛け声と水飛沫。その向こうに見え隠れするリズと白銀の竜。

 もう二度と竜舎から出ることも、ましてや空を飛ぶこともできない、そう思っていた老竜。しかし今、目の前で悠然ゆうぜんと空を駆け一粒の命をすくい上げたことが信じられず、ただ見つめる。

 なにかを口にし、竜の首を抱きしめるリズ。立ち昇る炎と黒煙の向こうで力強く光ったエメラルドの瞳を、ロッシュは見逃さなかった。

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