最終話 自由に向かって、愛に生きるために

 湖畔から王城に戻ってきたユリスとリリシアは、手早く身支度を始めた。

 駆け落ちをするにあたって、持っていける荷物はそう多くない。必要最低限の衣類や下着を鞄に詰め込み、数日分の旅費を持っていくのがせいぜいといったところだ。

 準備を終えた二人は、早速今晩駆け落ちを決行することにした。今は一刻も早くアイゼンドから出て行って、二人きりになりたかったのである。

 周囲を確認しながら、二人はゆっくりと足音を立てないように歩き、王城の出口へと向かっていく。そうして階段を下っていたところ、


「……っ、誰か来ます!」


 ユリスは下の方から階段を上ってくる足音に気がついた。


「ど、どうしますか姉さん!?」


 声を潜めながら、リリシアが訊ねてくる。

 それにユリスは、拳を固く握り締め、


「……場合によっては実力行使をするしかないでしょう。最低限、私たちが城を出るまでは動けないようにします」


 無関係な人間相手に暴力を振るうのは、できるなら避けたい。

 でも、世界の全てを敵に回してでもリリシアを愛すると誓ったのだ。だったらもう、そんな甘いことは言っていられない。

 この手が消えることのない血で穢れようとも、自らが最低最悪の大罪人に成り果てようとも、覚悟の上だ。

 ユリスが固唾を飲んで近づいてくる人間を待っていると、やがて現れたのは――


「……レオンですか」


 アイゼンド王国の第二王子にしてリリシアの婚約者、レオンだった。

 レオンはこちらを見止めるなり、軽く手を挙げながら近づいてきた。


「お二人とも、どうかされましたか? こんな時間に――って」


 姉妹が大荷物を持っていることに気がついたレオンは、すっと目を細める。


「……そのお荷物は、なんでしょうか? 説明して頂けますか」


 この状況、下手な言い訳や言い逃れをしようにも無理がある。こうなっては正直に事情を話して、理解してもらえることを祈ろう……無理だったらその時はその時だ。

 ユリスは内心で覚悟を決め、レオンにこう言った。


「私とリリシアは駆け落ちします。できることなら、咎めないで頂きたい」


「駆け落ち? まさか、お二人は愛し合っていると?」


「そうです。私とリリシアは愛し合っています」


「政略結婚を放棄することになってしまい、すみません。でも、これがわたしたちの本当の気持ちなんです」


 ユリスとリリシアは言葉を重ねる。

 口調に躊躇いは淀みは一切ない。ただひたすらに、思っていることをありのまま話しているという自然さが、そこにはあった。

 二人の想いを受けたレオンは……額に手を当て、首を横に振った。


「お二人の仲がとても良いことは存じ上げています。しかし……そんな話を聞かされたとしても、はいそうですかと頷けるわけがないでしょう。姉妹で愛し合うなんて、リーン教の教えに背く背徳行為です。さらにその上、駆け落ちまでしようだなんて。頭がどうかしてしまったんじゃないかと疑いたくなりますよ」


「許されない行いだということは、承知の上です。それでも私たちは愛に生きたいのです。だからどうか、駆け落ちを見逃してはくれませんか」


 一縷の望みに賭けて、頭を下げるユリス。

 だが当然と言うべきか、レオンの返答は「無理です」という頑ななものだった。


「駆け落ちなんてものをすればどうなるか、聡いお二人ならおわかりでしょう? アイゼンドだけでなく、お二人の祖国であるルミナリアにまで迷惑がかかります。なにより我々の結婚は和平のためのものなのですよ? それが王女の逃亡なんていう最悪の形で破談したらどうなると思っているのですか?」


 レオンの言い分は、全面的に正しい。

 駆け落ちなんてものをすれば、数え切れないほどの迷惑が国や人に降りかかる。

 それはあまりにも愚かで、否定されて然るべき選択だ。


「今ならまだ間に合います。お二人とも、駆け落ちなんてやめてください。姉妹で愛し合うのも、金輪際終わりにしてください」


 淡々とした口調でレオンはそう訴えてくる。

 正義がレオンにあるのは明白。だがそんなものはわかりきっている。

 この愛のためなら悪に成り下がっても構わないと、ユリスは本気で思っているのだ。

 かくなる上はと、ユリスが腰元の剣に手を掛けようとしたところ――


「レオン、待ってくれ」


 ユリスたちの背後から、一人の青年が歩いてきた。ジークだ。

 ジークは姉妹を庇うようにその前に立ち、レオンと向かい合う。


「俺からも頼む。二人のことを認めてやってくれ」


「なにを馬鹿なことを言っているのですか。意味がわかりません」


「ユリスは己の想いを賭けて俺と決闘をして、勝ったのだ。だからこいつの想いは尊重されなければならない」


「……なるほど、そういうことですか。たしかに決闘は神の審判と言われていますし、その結果は尊重されるべきでしょう」


 レオンはそこまで言ったところで、「ですが――」と続ける。


「それならば今度は僕と決闘をしませんか、ユリスさん。もしあなたが勝ったなら、その時はお二人の愛も駆け落ちも、すべてを全面的に肯定しましょう、逆に僕が勝ったなら、お二人は姉妹で愛し合うことなどやめて、僕たちとの政略結婚を受け入れるのです」


「……いいでしょう。その決闘、受けさせて頂きます」


 ユリスとしても、その方が都合がいい。

 決闘で勝てばいいと言うのならば、勝つだけだ。


「私、絶対に勝ちますから。見ていてくださいね、リリシア」


「はいっ。応援してます、姉さん」


 ユリスは勝利を誓い、それにリリシアは可憐な笑みを返した。





 その後、話し合いの末に決闘の内容が決まった。

 今回の決闘に用いるものは剣。時間が夜遅くということもあり、馬上槍試合を行うのは無理だろうという判断だ。

 ルールはシンプルで、剣で斬り合って相手を降参させた方の勝ち。互いに甲冑を着るためそう簡単に死ぬようなことはないが、場合によっては命の危険もありうる。ただこれについては騎士同士の戦いでは避けられないものなので、お互いに了承していることだ。

 そうして夜半過ぎ。

 王城では人目につくということで、森の中にある湖畔──ユリスとリリシアが想いを伝えあったあの場所だ──にて、決闘が行われることとなった。

 月明かりの下、甲冑姿のユリスとレオンが剣を携えて向かい合う。

 そこから少し離れたところで、リリシアとジークが二人の決闘を見届けようとしていた。


「……姉さん」


 リリシアは手を組んで祈るようにユリスを見つめる。


「不安か?」


 ジークが平坦な声音で訊いてくる。

 リリシアはわずかに逡巡した後、「いいえ」と首を振った。


「姉さんは絶対に勝ちます。だからわたしは、姉さんの勇姿をこの目に焼き付けるだけです。不安なんて、ありません」


 強がるような口振り。無理をしているのは明らかだったが、ジークはそれを指摘したりはせず、無言で小さく笑った。


「ユリスさん、決闘を始める前になにか言っておくことはありますか?」


 剣を構えたレオンが凛々しく問いかける。

 その問いにユリスは、


「いいえ。剣を交えながら語ればいいでしょう」


 毅然とした態度でそう答えた。


「それもそうですね。では──」


「いざっ──!」


 ユリスとリリシアは前に踏み込み、剣を振りかざす。

 刹那。

 キィン――と、鉄と鉄がぶつかり合う音が響いた。


「ハァ……ッ!」


 ユリスは気迫を込めてさらに一歩前に踏み込み、レオンの剣を押し返す。

 するとレオンは後方に下がって距離を取り、改めて剣を構え直した。


「失礼ながら、驚きました。女性でありながら、これほどの膂力をお持ちだとは」


「当然でしょう。私は十年間、リリシアを想ってこの身を鍛えつづけていたのです。女だからと見くびっていては、痛い目を見ますよ」


 事実、ユリスは今まで何人もの男性騎士を相手にして戦い、勝利してきた。

 身体を鍛え上げ男女の性差をできる限りなくしているのはもちろんのこと、仮に体格差で不利だったとしてもそれを補えるだけの技量を身につけている。

 今のユリスにとって、女であるということは、さして大きなハンディキャップにはなっていないのだった。


「たしかにあなたは強い。ですがだからと言って、それは僕が負ける理由にはなりえませんよ」


「……ほう。随分な自信ですね」


「僕とて勝算もなしに決闘を提案したりはしないということですよ。さぁ、もう一度打ち合いましょうか、ユリスさん」


「言われなくても――ッ!」


 ユリスは剣を上段に構えたまま駆け出し、レオンに肉薄する。

 そして勢いをつけたまま、大振りな剣戟を繰り出す。

 迫りくる攻撃にレオンは――


「――――フッ!」


 同じく上段から剣を振るい、受け止めた。そして、今度はレオンが一歩こちらに踏み込み、ユリスの剣を弾く。


「くっ……!」


 純粋な膂力では、やはり優位に立てないか。

 それならば、と。ユリスは連続攻撃に打って出ることにした。

 一撃、二撃、三撃と、上段下段を織り交ぜながら休む間もなく連続して剣を振るっていく。その鋭さと威力は相当なもので、並みの手合いなら一瞬で押し切られてしまっていただろう。

 だが、レオンは違った。ユリスが振るう剣の軌道をしっかりと読み、そのすべてを剣で打ち払って冷静に対処している。

 十度目の攻撃を振るったユリスは一旦体勢を立て直すべきだと思い、歯噛みしながら後方に下がった。


「っ、まさか私の攻撃がすべて弾かれるとは……」


「そう悲観することはありません。ユリスさんの実力は申し分ないと思います。僕自身、今この状況でなければ押し切られていたことでしょう」


「……どういうことですか? 今の私は、強くないと?」


「ええ。あなたは事を急ぎ過ぎているんですよ。リリシアさんと駆け落ちしたいという気持ちが逸って冷静さを欠き、焦りが見えています。その気持ちが剣にも現れ、動きが単調になっているんです」


「……っ!」


 言われてみて、ハッとした。

 たしかに普段のユリスなら、こんな攻め一辺倒の剣戟なんてしない。

 序盤は相手の出方を見て、それに応じて臨機応変に巧みな剣術で相手をいなしていくのが、本来のユリスの戦い方だ。

 今のユリスは、まさしく自分を見失っていた。


「……ご指摘ありがとうございます。ですが、いいのですか? 敵にそんなことを教えてしまって」


「構いませんよ。今のあなたでは、どうやったって僕には勝てませんから」


 レオンは言いながら、剣を構える。


「今度はこっちの番です」


 その言葉を皮切りに、レオンの攻撃が始まった。

 軽やかな足さばきでこちらに踏み入り、上段から一撃、返す刀で次いでもう一撃を振るってくる。

 どちらも、普段のユリスなら容易に対処できるはずの攻撃だった。

 それなのに……今は、なんとか押し負けないようにするだけで、苦しい。


「くぅ……うっ……!」


 わからない。なぜ今の自分が、こんなにも弱いのか。

 悔し気に呻くユリスに、レオンは剣を振るいながら滔々と告げてくる。


「ユリスさん、あなただって本当はわかっているはずです。駆け落ちなんてすることの愚かさを。姉妹で愛し合うことの異常さを。それがわかっているからこそ、現実から目を逸らそうと闇雲に突っ走ろうとしている。違いますか?」


「そんな、こと……」


「駆け落ちをすれば、いったいどれだけの人に迷惑がかかりますか? 僕たちの政略結婚は、和平のためのものでもあるんです。それなのに王女が行方不明になって婚約が破談になったりしたら、どうなると思います? 場合によってはアイゼンドとルミナリアで戦争になってもおかしくありませんよね。そこで多くの人々が無益な血を流すことになったとしても、あなたはリリシアさんと笑っていられるのですか?」


「……はい。たとえ誰に恨まれようとも、世界中を敵に回すことになろうとも、リリシアを幸せにすると誓ったのです。だから、後のことなど、考えません……!」


 自分で言っていて、理不尽極まりないなと思う。

 これはただのワガママだ。現実から目を逸らし、正論を知らぬフリする、子供じみた愚かすぎる考え。

 レオンがそれを否定するのは至極真っ当なことだ。

 されども――ユリスはここで退くわけにはいかない。


「リリシアのためにも、私は絶対に勝ちます――!」


 ユリスは今一度自分を鼓舞して、反撃を試みる。

 先刻までとは違い、勢いと力任せの攻撃にはしない。

 しっかりと相手の動きを読んだ上で、鋭く振り抜いて防御を破ることを意識する。

 剣戟の最中、タイミングを見計らって一歩前に踏み込み、渾身の一振りを上段から叩き込む。

 ……が、この攻撃は、またしてもレオンに防がれてしまった。


「ユリスさん、さっきからあなたはリリシアさんのためだとか、リリシアさんを幸せにするだとか言っていますが……駆け落ちをしたとして、本当に幸せにできるのですか?」


「……っ」


「国から追われる逃亡生活は過酷なものになるでしょう。衣食住さえままならないでしょうし、野垂れ死ぬ可能性だってあります。そのような思いをリリシアさんにさせてまで駆け落ちする意味とは、なんですか?」


「意味、なんて……そんなの決まっているでしょう!」


 ユリスは唇を噛み締め、連続で剣を振るっていく。

 剣の型も技術も、我さえも忘れて。

 ただ胸の内の気持ちを吐き出すかのように。


「私もリリシアも、政略結婚なんてしたくないんです! でも、そんなことは、姉妹で愛し合うなんてことは、運命が許してくれない! だから逆らい、抗うのです!」


「抗ってなんになるというのですか? あなたたちは姉妹で女同士だ、愛し合ったところで子供を作れるわけでもない。愚かな選択の果てにあるものは、無意味な破滅なのですよ! どうしてそのことがわからないのですか!」


「愚かであっても、決して無意味なんかじゃありません! だって――」


 ユリスは叫び、ありったけの想いを力に変え、剣を振り抜く。


「私とリリシアは愛し合っているのですから――ッ!!!」


 ──瞬間。

 ユリスの剣が、レオンの剣を弾き飛ばした。

 武器を失ったレオンはその場で膝をつく。

 つまり……此度の決闘、ユリスの勝利だ。

 レオンは兜を脱ぎ捨てて、項垂れる。


「そう、ですか。愛こそがなによりも大事なものだと、あなたは言うのですね」


「はい。他に必要なものなど、なにもありません」


 迷いのない口調で断言する。

 ユリスの出した答えに、レオンは肩を竦めつつも、苦笑した。


「……わかりました。そこまで強くおっしゃるのなら、もう止めはしません。決闘の勝者として、どうかお好きにしてください」


「はい。今までありがとうございました、レオン」


 ユリスは深く頭を下げ、次いでジークにも頭を下げる。


「ジーク、あなたにも感謝を。あなたがいたからこそ、私は愛に生きるという選択をすることができました」


「……ああ。達者でな」


 そうして、王子兄弟に別れを告げてから。

 ユリスは最愛の妹に手を差し伸べて、微笑む。


「行きましょう、リリシア」


「はい、姉さん」


 リリシアはユリスの手をしっかりと握る。

 姉妹は馬に跨がり、夜闇の中を駆け出した。

 自由に向かって、愛に生きるために

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政略結婚をするまでの一ヶ月間、王女姉妹の秘密のロマンス 光野じゅうじ @juuji-0010

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