第一章:水子女(ミズコオンナ)編

第1話:新任隊長の意気込み

篠崎シノサキ夜明ヨア。本日より、STARSスターズ警備部第一部隊の隊長に任命する!」


 そんな指令と共に、ピカピカのバッジをマントの胸に刺したのが、ほんの数日前の話。

 誇り高き使命感を胸に、ボクはステム社率いるポートシティ治安維持部隊・STARS本部の廊下を颯爽と歩く。望んでこの立場になった訳じゃないけど、色々な事を乗り越えてきて、これまで積み上げてきた物は無駄じゃなかったんだと実感できた。

 そんな感慨に浸っていると、廊下の向こうから、柔らかな金髪を流して歩いてきた人物がいる。ボクと同じくらい高らかに靴音を鳴らしてきた彼は、不意にボクの目の前で足を止めて、ニヒルに唇をつり上げた。


「やあ。そんなに自慢げな顔をしていると、よっぽど部下に昇進を自慢したいんだと思われてしまうよ?」

トオル。まあ、それも事実と言えば事実だけど? ボクが隊長になれたって事は、その優秀さを認められたって事だからね。だからといって、今まで戦ってきた仲間を下に見るつもりも、顎で使うつもりもない。ボクにとっては、みんな等しく隊のメンバーなんだからね」

「そういうのは、自分の隊の人間にこそ言うべきものだと思うが。Neiceニースの連中を率いている僕にとっては、君ら企業の部内体制なんて知るところじゃない。そもそも、僕の事はミンティと呼んで欲しいね、ヨア。れっきとしたコードネームがあるんだから」


 そう言って、鹿撃ち帽がトレードマークの同僚、桐島キリシマトオルことミンティが、肩をすくめる。

 スーツに似た制服はNeiceニース――電磁警察の象徴で、ボクも前年度までは着ていた物だ。


 長らくこのSTARSで働くボクがなんで警察組織なんかにいたのか、説明すると少しややこしくなるけれど、簡単に言えば、この会社を一回辞めた直後に電警でんけいの臨時職員採用に受かって、その足でなぜか再びこの会社に出向する事になったからだった。

 民間警備部隊であるSTARSに入ったのは、その時だ。


 今はもう警察を辞めて、出向ではなく再びステム社の正規職員として採用される事に決めたけれど、今年から新体制になったSTARSは電磁警察と合併組織となったため、かつての同僚であった透とも、ボクは相変わらず顔を合わせている。

 憎まれ口を叩き合う時間は不毛と言えば不毛だけど、かつての仲間がいるというのは心強いし、まあ、悪い気分じゃないね。


「もう……お二人とも、新年度から喧嘩はめっ、ですよ?」


 そんな可愛らしい声に振り向けば、小柄な女の子がそこに立っている。セーラータイプの隊服を纏っていて、見た目はリスみたいに可愛らしいけれど、とんでもなく有能で仕事ができる子である事を、ボクは知っている。


「やあ、ぽぽちゃん」

「喧嘩というほどの喧嘩でもない。僕は彼に、嫌味を言っていただけだからね。ご忠告、痛みいるよ」

「嫌味を仰っていた自覚はあったのですね……。お二人が仲良くしてくださるなら、私はそれでいいのですが」

「仲良く、ねえ……」

「それは、そこの彼に言ってもらえないかな。何なら、君の異能を食らわせてもらってもいい。どうやら信任隊長として、肩の力が入り過ぎているようだからね。最近」

「なっ! 自分だって、警察内で特殊機動隊に抜擢されて調子乗ってるくせに!」

「おっ、お二人ともすごいのですから、喧嘩はやめてくださぁい! もう。こんなにいつも口喧嘩をされていては、私の異能なんか効かなくなってしまいますからね、そのうち」


 ぷくっ、と頬を膨らませるぽぽちゃん――こと、野宮ノノミヤたんぽぽちゃんの周囲に、ふわっといい香りが漂う。

 この世界には、不思議な超能力を操る人間、いわゆる異能持ちである人がちらほらいる。実はボクも、そのうちの一人。

 今目の前にいるぽぽちゃんの異能は「フレグランス」。相手をリラックスさせる香りを、瞬時に出す事ができるらしい。

 本人もアロマの調合が趣味みたいだし、おかげで、STARSの事務所内はいつも芳香剤要らずだ。


「ふふ、ごめんって。ぽぽちゃんにはいつも感謝してるからさ」

「おーいっ。ヨッハーってば、またミンティパイセンと喧嘩してるの?」


 そう話していたら、背後から呑気な声に呼びかけられて体がびくっとなった。突然話しかけてくるから、いつも驚いてしまう。

 まあ、彼女が人の集まる賑やかなところに自分から進んでひょいひょい顔を出してくるなんて、今に始まった事ではないんだけど。


人羽ヒトハちゃんか……」

「二人とも好きだねえ、人羽からしたら頭がいったーくなっちゃうような、迂遠うえんな言い回し。特にミンティ先輩なんか、いつも使ってる言葉が頭良過ぎてややこしいしぃ」

「それは、人羽くんなりに褒めてくれているのかな?」


 この子は、羽多野ハタノ人羽ヒトハちゃん。現役女子高生隊員だ。いつも元気いっぱいで、いわゆる陽キャというか、社交性とコミュニケーションスキルは異様に高い。歳上が相手だろうと目上が相手だろうと、おかまいなしだ。

 頭の下側で結ったツインテールを振りながら、顔を顰める人羽ちゃんを前に、透は涼しげながらも得意そうに頬を緩ませている。

 今絶対貶されたと思ったんだけど、おめでたい奴だな。でも、ただでさえ人付き合いが下手で、部下からも同僚からも敬遠されがちな透は、歳下に慕われるだけで嬉しいのかもしれない。意外と可愛い所がある。


「ていうか、なんでミンティだけ“先輩”呼びで、ボクはタメなわけ? 人羽ちゃん。一応、ボクも君より年上だったと思うんだけど」

「うーん、だって人羽とヨッハーは、はじめから従兄妹同士だしぃ。兄貴も含めて三人で付き合いがあるから、今更敬語使う雰囲気にならないっていうかぁ」

「あと、その変なあだ名もやめて欲しいんだけど……」

「えー? なんで? ねえみんな、ヨッハーの社内アドレス知ってるでしょ? Jonasヨナス@stars.comなんだよ? 日本人なのにわざわざカッコつけちゃって、こんなイカす名前でメール送られたら、こっちもヨッハーって元気にお返事したくなっちゃうじゃない?」

「社内に英語圏の人間もいるからガチで必要なのっ! ていうかそのネタ何回も大声でこすらないでよっ、恥ずかしいからッ!」


 大体、ボクの名前がヨアなんてキラキラネームなのが全ての元凶だと思う。発音が英語のYou’reと混ざっちゃうから、まどろっこしくて仕方がない。

 だからわざわざ英語名はヨナスにしたんだと何回も説明してるのに、人羽ちゃんってば本当に変なあだ名を付けるのが好きだ。

 そもそも、ヨッハーとヨナスじゃ全然似てないじゃないか。そう抗議したら「ヨッアーだと呼びにくい」と一蹴された。だったら普通に呼べばいいだけだと思う。


「ふふっ、もぉ、わかったよぉ。ヨアくん。こう呼べばいいっしょ? 時々ならそう呼んであげるから、ご機嫌直してよっ」

「いや、時々じゃなくて百パーセントにしてよね……」

「相変わらず賑やかだな」


 ボクがげんなりしていたら、そこに人羽ちゃんの兄の声が掛かった。

 緩く微笑みを浮かべたその制服の胸元に、このSTARSのトップ・司令官である事を示すバッジが付いている。

 立場的にはボクらの上司でありながら、実際はごく当たり前に同僚や仲間として過ごしてきたそいつ――羽多野ハタノ暁人アキトの登場に、透は目を細めた。


「これはこれは。社長自らが部下の様子を見回るとは、感心な姿勢だね」

「今はまだ“次期社長”だ。今のままでは、十九歳の社長御曹司でしかない。社内の事は、これからも追って勉強していくが……新しくなった隊内でも、僕が学ぶべき事は多くあると思う。司令官としての職務も、今年が一年目だ。電磁警察の精鋭とも言える組織に選ばれたミンティにも、よろしくご教授願おう」

「光栄だ。君は立場をわきまえているようだね。若輩者のBrainとして、これからも手を貸そう」


 二人で、ガッチリ握手なんか交わしている。若造同士何やってんだ、ってミンティの上司のガトーさんあたりは苦笑しそうだけど、一応これも偉い人同士の嗜み、ってやつなんだろう。

 暁人はボクの従兄だけど、正真正銘ステム社社長の息子だし、透は透で選ばれた精鋭しか入れない特殊警備隊・Brainのメンバーに今年から抜擢された。


 ボクは電警にいた時、警備部が募集してる臨時枠での採用でバイトも同然だったんだけれど、透は最初から国家試験に受かって特殊警備課に配属されている、生え抜きの警察官だ。

 相当のエリートでないと入れない特殊警備課、その中でも更に重要な事件を取り扱うBrainに配属されて、人の事なんか言えないくらいに張り切っている事を、ボクは知っている。

 思わず、ボクは肩をすくめた。


「まあ、この辺は変わらない顔ぶれって事だし、お互い足を掬われないように気を付けたいもんだね」

「そうだな。春から新たに入隊してくる隊員もいる。気を引き締めてかかろう。そろそろ捜査会議の時間だ。遅れないようにな」

「はいはい、司令殿」


 いちおうは友人で、同僚で、親戚でもある奴が直接の上司って、どういう顔をしたらいいのかよく分からない。

 ボクから見たら、暁人は高校生の頃から、っていうか子供の頃から、なんだかぽややんとした奴だったし今もあまり変わってない。

 そんな暁人のおかげで、ボクは助けられてきたし、この会社で首が繋がってもきたわけだけど。

 でも、大学へ進学もせず親の仕事を手伝ってるって事は、一応は社長として、家業を継ぐ気でいるんだろうか。ボクが変わらないと思ってるだけで、あいつもあいつで考えてる事はあるのかもしれないな。


 廊下を歩く人の流れの中には、緊張した面持ちの若い子らも混じっている。

 もう数年前の事になるけど、初めてステム社に採用されて、保守バイトを始めた時のボクみたい。まあ、ただのバイトと違って、ここは治安維持や警備を担当する部隊だから、ボクなんかと比べたらそのプレッシャーは半端ないだろうけど。


 不安と緊張に満ちた顔ぶれと真新しい制服を眺めて、少しだけ頬が緩んだ。

 そんなボクを見て、透がボクに渋面を向けてくる。


「おい。何をそんな『懐かしい。ボクにもそんな時代があったなぁ。だけど今のボクは先輩だぞ』みたいな顔をしてるんだ。感傷に浸るにはまだ早いぞ。今日の捜査会議では、例の事件に関して重大情報があると聞いている」

「煩いな、透は……勝手に人の心の内を代弁しないでよ。一応ボクらだって、もう新人って呼べる年は通り越してるでしょ」

「だから、透って呼ぶな」


 眠気覚ましのコーヒーを、自販機で一杯だけ買う。それを飲みながら、ボクは見慣れたメンバーの後ろを、会議室へと続いた。

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