オレンジの片割れ
マルメロ
プロローグ
「うええ……寒い……」
山奥の暮らしは、寒さが堪える。
世間では春が
ストーブが手放せない田舎暮らしは、電気とネットが通っている事だけが唯一の取り柄で、私は今日も家での留守番の時間、インターネットを開いた。今日はあまり執筆って気分でもないし、ゲームでもしようかなあ。
そう思いながら、あたたかな番茶を片手に、炬燵でネットサーフィンをしていた時。
(うん……?)
妙な動画サイトのサムネイルが目を引いた。ネオンが眩しい夜の街に、近未来的なデザインの高層ビル。
「
「わあ、綺麗な街だなぁ」
いかにも大都会、という感じだ。
街路にはネオンに縁取られたようなピカピカのスポーツカーが走り、頭に装飾を付けた人達は楽しげに遊園地のアーケードを歩き、公園では沢山の人が集まってバンドのステージを鑑賞し、お洒落なカフェテラスでカップルがワイングラスを交わしている。
まさに、憧れの都会ライフ。私には手も届きそうにないような、洗練された暮らしが画面の奥に広がっていた。
「どこなんだろ、これ」
本物そっくりに作られているけれど、どこか3Dというか作り物めいた感じもして、私は首を傾げた。
画面が切り替わると、ランドマークのようなタワーや商業ビルも映る。東京に似ているけれど、どこか違うような気もする。
もっと知りたくなって、ヘッドフォンをしながら画面を注視した。
『近未来の街、イマーシブ・ポートシティへようこそ。本MR空間は、ネオシティ・トーキョー時代の没入型VR空間を土台に、神経接続技術を生かして更なる発展を重ねた、最新鋭の立体装置です。帝都の街全体が、あなたの歩く庭であり、電脳空間への入り口その物なのです』
(わわっ、なんかすごそう。これ、近未来を舞台にしたSFのショートアニメとかなのかな?)
綺麗な女性の声のアナウンスにぶったまげながら、私はプロモーション・ビデオのようなその映像を見ていた。まるで、架空の街のツアー動画だ。
『ポートシティのサービスは、従来型の完全神経接続によるVRの世界とは違います。自らの体をもって、現実世界の中に立ち現れる電脳世界の物質・マテリアルに触れ、現実世界と重ねながら飲食やショッピングを楽しむ事が可能です。もちろん、従来のように全く移動せず、家や屋外から自由にポートシティのサーバー内へ意識を没入させ、リアルの方々と共にアバター――
(あの子……)
警備部隊の人だろうか。セーラーデザインの制服らしき物を着た、褐色肌の年若い男の子がいた。見た目が中性的で、パッと見男か女かと言われたらどちらで捉えても違和感はないけれど、その凛々しさに溢れた瞳から、何となく男の子だと直感する。
パレードが行われている街頭で人々を誘導し、勝手に道路へ出ないよう目を配っているようだ。
『もし街中で、不具合が起きたり危険な目に遭った時も、
素敵な職務だな、と思った。三十近くになっても、未だ手に職もなく体力もなく、家で引き篭もって料理を作る事しかできない専業主婦の私とは、全然違う。
他の隊員と呆れたようにおしゃべりする表情や、街中を堂々と歩く姿、警棒を手に見えない場所で黙々と職務をこなす真剣な横顔がちらりと映る度に、気が付けば夢中になっていた。
その青とオレンジに輝く瞳は、夜明けの空みたいに綺麗で、警備員というよりはアイドルとか芸能人みたいな可愛らしい顔立ちをしているのに――まるでこれが信念だと言うように、媚びもせずひけらかさず、ただひたすらに誰にも見えない場所で誰かを守る姿が、とても美しいと思った。
会った事もないその姿が、とても眩しい。
名前も声も知らないのに、私、いつの間にかあなたに恋しちゃったみたい。
誰かに強く心を惹かれる時の気持ちって、いつも不思議だ。
会いたい、あなたの為に強くなりたいって思う度に、心があたたかくなって、目に映る生活の景色が少しずつ変わり始める。たとえそれが、会う事が叶わない、本当に存在するのかもわからない相手だとしても。私の中のその人は、いつだって本物なのだから。
ポートシティの動画やサイトを、気が付けば少しずつ閲覧する時間が増えていた、ある日の事。
今度は、ホームページじゃなくて、アプリがある事に気が付いた。
何を提供しているサービスなのかはイマイチわからないけれど、ポイントアプリとしても使えたり、色々なミニゲームやツールが付いていたりするらしい。リリースは最近なのに、評価もそれなりに付いているみたいだ。
何となく気まぐれでインストールしてみたら、ぱしゃりとカメラアプリが作動して、目をまん丸にした私が画面に映っていた。
瞬時に、袴姿の可愛い女の子がアバターとして現れる。これが、代理キャラという事らしい。
『神秘的な体験を、あなたもしてみたいですか? ポートシティへのログインはとても簡単。目を閉じて、ヘッドホンを用意したら、プログラムに体を任せてください。安全で快適な旅をお約束します』
本当に、近未来のSFとやらを体験できる仕様になっているようだ。
ゆっくりと深呼吸しながら、私は目を閉じる。ここまで作り込まれたアプリなら、ひょっとしたらメディアミックスとかもされていて、あの男の子にも会えるのかな、なんて淡い期待を持ちながら。
すると、不意にノイズが入った女性アナウンスの声が、微妙に声質の違うものに変化した。
『次元接続、オン。神経転移システム、起動開始。ポイント11928における自動変換を実施します。MPMS、正常運行中。脳波測定、異常なし。エントリーまで、5・4・3・2・1……』
(おお、随分本格的だなぁ)
まるで、ジェットコースターに乗ってるみたい。黙って炬燵に座っているだけなのに、何だか風を感じるような気がする。今までになかったドキドキが、胸に込み上げる。
耳の横を吹き抜けていく涼しさと、瞼の裏を駆け抜けていくライン状の光。トンネルを抜けたら、きっと新しい世界が待ってるんだろうな。本当に、“あの未来”に住んでる人達にとっては。
そう思って、何の変哲もない家のリビングと炬燵机を期待しながら、瞼を開けた時。
目の前に広がる光景が、肌に感じる空気が、何もかも数秒前とは違っているなんて、私は思いもしなかった。
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