第2話:メルティベリーのお仕事-1

 電話の音が時折鳴り響く事務室で、私はカタカタとキーボードを打つ。ちょっと今出れる人が少なそうだな、と慌ただしい空気感を背中越しにちらりと察知してから、私は自分の机の受話器を取った。


「はい、レズ風俗メルティベリーです。はい、デートコースのご予約で。ありがとうございます。指名のご希望はありますでしょうか? ……はい、カオリですね。かしこまりました。お日にちのご希望は……十六日ですね。そうしましたら、同日十五時からと、二十二時からの時間に空きがございますが……」


 風俗の受付事務なんて私が務まるのかな、と思っていたけど、ままよと飛び込んでみたら、以前に電話番の仕事を少しでもやった事があるのが幸いしたのか、慣れれば意外とスムーズに予約を受ける事ができた。

 何より、ここのお客さんは意外と礼儀正しい人が多い。意外と、なんて言ったら失礼かもしれないけど、ダウンタウンの風俗街にある店なんて言うから、よっぽど治安が悪くて脅しやクレームみたいなのばっかりなのかと思っていた。


 世の中には、様々な事情で切実に性への需要がある事が、ひしひしと感じられる。まあ、電話でどんなに礼儀正しい人でも、実際の現場ではキャストさん相手にどんな態度を取っているかなんて、私には知る由もないのだけれど。


 電話を切ると、店長さんが声を掛けてきた。


「ムラサキちゃん、電話ありがとね。助かったわぁ」

「いえ、このぐらいは。突然押し掛けて、お金がないから働かせて欲しいってお願いしたのは私の方ですし」

「言葉遣いや最低限の礼儀がちゃんとしてて、丁寧に応対してくれる人って、意外と見つからないのよぉ。この近辺、良くも悪くも逞しく生きてきた子が多いものだからっ。でも、この業界のお客さんって、スレてるようなイメージとは違って繊細な気遣いとかサービスを求めてる人ばかりでしょお。派手なコンセプトでやってても、そーいうところはうちもアピりたいし、ムラサキちゃんがヘルプ入ってくれて助かるの。流石、町田まちだの紹介ねっ」

「町田ママには私も頭が上がりませんよ。この街に来てから、ずっと良くしてくれてますもん」


 正体不明の街、イマーシブ・ポートシティに迷い込むようになってから、はや一週間と少し。

 一人で家にいる時、ヘッドホンをしながら例のアプリを開くと、何故か必ずこの街に来てしまう。はじめは夢かと思ったけど、街で交流した人達はちゃんと私の事を覚えているし、時間の流れも私がログインするのに合わせて少しずつ経過している。

 そう、これは、言ってみれば私だけの夢……なのかもしれない。自分のペースで少しずつ進められるRPGのような、あるいは少しずつ読み進めていく小説のような。でも、その全てに私自身が関わっているというのが、なんだか新鮮で面白い体験だ。


 とにかく、深く考える事もなく、私は度々遊びに来るこの街に、馴染んでしまっていた。

 そして、滞在時間が限られているとは言え、街で暮らすにはそれなりにお金があった方がいいだろうという事で、ある日、ふらりと入り込んだバーで仲良くなったお店のママ――町田さんに、何かできる仕事はないかと尋ねてみたら、この風俗店を紹介してくれたのだ。


 ちなみにママは、ゴリッゴリの男性である。喋り方は女性っぽいっていうか、ハッキリ言ってオカマだけど。

 そして、ママが紹介してくれたここの店長さんもオカマだった。最初はちょっとびっくりしたけど、従業員の事をとても大切にしているのがわかるし、このお店も見ている感じはとってもホワイトだ。


「ところでムラサキちゃん? 実は例のソラさんとベニコさんが、またムラサキちゃんを指名出来ないかって声掛けてきてるんだけど」

「ええっ、またー? あの人達もよく飽きないなぁ」

「よっぽど気に入られちゃったのねえ。どうする? うちとしては助かるけど、ムラサキちゃん、基本的には裏方事務だから、ソラさんとべニコさん以外には接客出さないようにしてるし、嫌なら全然断っていいのよぉ。無茶言ってるのは私達の方だしねえ」

「うーん、別に嫌な人達じゃなかったし、私は楽しいからいいんですけど……連日とかでなければ……」


 苦笑しながら、私は体力と相談しつつスケジュールを考える。

 こんな私にも、何故かホテルでのコース――いわゆる体を使った接触を行うサービスをして欲しい、というお客さんが若干名いる。

 最初は当然断るつもりでいたのだが、その人達とは直接顔を合わせていた事と、お店からも常連で優良客だから安心して欲しいと太鼓判を押されたら、何となく興味も手伝って引き受けてしまったのだった。


 ちなみに私の実の夫は、ポートシティに関しても私の絶賛片想い中の相手に関しても「いんじゃねー」の放任一択である。とりあえず、私が傷つく事なく家にさえいればそれでいいらしい。というか、そもそもゲームで異世界トリップができるなんて信じてなさそうだけど。


 そして、件のお客である二人――ソラとベニコさんは、私のある秘密を共有した相手でもある。ただのお客さんではない事は、確かだった。


「その二人、両方とも予約入ってます?」

「ええ、今度ムラサキちゃんがこっちに来る時でいいから伝えて欲しいって。どうする? 一応、今日はベニコさんからデートとホテルの両方でお誘いしたいって、電話が入ってたけど」

「それだったらまだ耐えられるかな……」


 二件連続ホテルは、ちょっとキツい。それも、ソラはかなりの絶倫なのが問題。嫌がる事はされないし金払いはめちゃめちゃいいのだが、あんなペースで来られたら私の体が絶対に持たない。いくらここが電脳世界と言えど。


「じゃあ、今から連絡取って行ってみます。ベニコさん、いつものお店ですよね」

「ええ、お願いねえ。そうそう、あの辺り、最近ちょっとウザ絡みしてくる輩も湧いてるみたいだから気を付けて。いざとなったらちゃあんとSTARSスターズを呼んで詰所つめしょに駆け込むのよ!」

「はあ〜い」

(STARS……かあ)


 あの男の子が着ていた制服と、彼が属する組織の名前が見出しに踊っていたニュース記事を思い出す。

 『STARS、異能狩りに方針転換か』『ダウンタウンの治安強化に、一部から反対の声』……どうも、この世界は異能者への締め付け強化に動いているらしい。

 それがどこまで真実かは知らないけれど、どんなに一目会ってみたくても、この状況で私が彼と出くわすのは、何となく得策ではないように思えた。


 もし、私の“秘密”がバレてしまったら、STARSとしての彼は、私を放っておかないように思う。異世界からこの時代にやって来ている、という意味でも、それからもう一つの意味においても。


 店長に大人しく返事をしながら、内心そんな事を思いつつ、私はショルダーバッグをトレンチコートの上から掛けて、事務所を出た。


*****


 待ち合わせの地点で、ベニコさんは見事にナンパ師の男達に絡まれていた。

 ベニコさんは、パンク調の服に真っ直ぐな黒髪ストレートが綺麗な女の人。今日も、春には寒そうなほど剥き出しにした足に、厚底のブーツとヘソ出しのパンツ、それにライダースを合わせている。数回しか会った事はないけど、強気な割にはどこか繊細で壊れやすい印象を受ける、そんな人だなと思った。

 が、今ここでナンパしている野郎共が、そんな事を勿論知るはずはない。ベニコさんはクールに端末を弄って無視を決め込んでいるけど、全然引くつもりのない男達の方が、その態度に苛立って舌打ちし始めている。


 この辺が元々治安のいい場所じゃない事は知ってたけど、流石にこれは穏やかじゃないな。

 その場に近寄りながら、私は口の中で小さく唱えた。


子宮ウーム。対象を“魅了”」


 体の奥底に、じわりと熱が灯って体の中を走る感触がする。その途端、ベニコさんを取り囲んでいた男達が、何かに気を取られたかのようにこちらを振り返った。私はにっこりと、内心の恐怖がバレないように笑いかける。


「お兄さん達。可愛い女の子をお探しなら、あっちの方がいいんじゃないかな。あそこのクラブなら昼間からでも開いてるし、お兄さん達の好きそうなバンドのイベントも今日やるって言ってたし」

「おお、このバンドのアクキーが目に入るって? 姉ちゃん、なかなか通じゃねえか」

「いい情報教えてくれてサンキュウなあ。よし、お前ら、行こうぜ」


 割とあっさり離れて行ってくれた。ほっとして息を吐くと、呆れたような涼しげな声が降ってくる。


「……まったく。あんな奴らを追い払う為に、自分が囮になるなんて。相変わらず無茶をするわね、サキは」

「だって、ベニコさん心配だったんだもん。怪我はない?」


 そう、これが、私のもう一つの秘密。

 私はこの世界の出身でもないのに、なぜか相手を誘惑する、奇妙な力が使えるようになっていたのだ。

 おそらく、この世界で言われる異能というやつで間違いないだろう。

 まあ、使い方を間違えなければ、こんな風に便利だったりもするのだけど、直接的な戦闘力は全くないので、正直ちょっと微妙ではある。


「私一人でも、あの程度どうとでもなったのに。……でも、あなたのそういうところが好きよ。ありがと」


 ベニコさんの冷たい美女の仮面が、春の雪解けみたいにふわりとほどける。その瞬間を見る度に、サービスに来てるのはこっちなのに私の方がどきっとしてしまう。

 わざわざ指名してくれてるのはベニコさんだけど、どう考えても手玉に取られているのは私。これで風俗のキャストなんか務まるのかな、と思うのに、私の前のベニコさんは、クールでありながら心なしかいつも楽しそうだ。


 いつもの喫茶店に入って、マカロンのセットとポット入りのほうじ茶を頼む。

 初めて会った時に、お腹が痛くなるからコーヒーや紅茶はたまにしか飲めない、と恐る恐る伝えると、私が食べられるお菓子やお茶に合わせてくれた。

 ベニコさんは、表情の冷徹さに反してとても優しい。ぽつりぽつりと話されるとりとめもない愚痴を聞いていると、その慎重さや繊細さのせいで人に誤解されてるんじゃないかな、と思う事もある。


「その上司、絶対ベニコさんの事見る目ないよ。それでも健気に付いてこうとするなんて、ベニコさんやっぱり優しいね」

「私に向かって優しい、なんて言ってくれるのは、あなただけよ。職場でついたあだ名は、“雪女”とか“鉄仮面”ばかりだわ」

「だって、いつも遠慮してるっていうか、自分の事殺してるっていうか……見た目じゃわからない心が、伝わらないだけだよ。それをここでしか伝えられないのが、もどかしいけど」


 穏やかに微笑む彼女と一緒に、最後のマカロンを美味しく口に放り込んでから、私はちらりとスマホの時計を見た。

 この世界は、みんな“グラス”と呼ばれる透明なゴーグルとかウェアラブル端末みたいなのを使っていて、スマホを使ってる人の方が少数派らしい。今で言う、ガラケーみたいなものなのだろうか。

 まあ、私は元々この世界で電脳側にしか存在できないからグラスは必要ないし、スマホの方が馴染みがあるので、店長に聞いてダウンタウンのお店でこっちを用意したんだけど。細かいカスタマイズや同期は、ソラがやってくれた。


「そろそろ、ホテル行く?」

「ええ。お願いね」


 ベニコさんが、蝶みたいな微笑みを浮かべる。こんなにお淑やかな美女なのに、この人、職場じゃ本当に鉄仮面なんて呼ばれてるんだろうか。

 今度はナンパの群れに引っ掛からないようにと気を配りながら、私はお店を出て、ベニコさんの手を引きながらホテル街に向かった。

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