第6話 吾輩は子猫らしい

「ロンシャンの写真、全部見れた?」


お風呂から上がったエミが、隣に座ってそう尋ねてきた。


シャンプーのいい匂いがする。


しかも夏用のパジャマなので、肌の露出が多い。


「いや、まだ全部は見れてない。」


目のやり場に困りながら、マサヒロはPCの画面を見つめたまま答えた。


現在の時刻は13時30分。とっくに終電の時間は過ぎている。


「ふーん。じゃあ私もう眠いから寝ていい?」


マサヒロにとって、エミが寝てくれるのはありがたかった。気を遣わずに写真に集中できるからだ。


「もちろん。」


そう言うと、エミはベッドに横になった。


マサヒロは、ほっとした。


危惧していた変な雰囲気にならず、ようやく本来の目的であるロンシャンの写真に集中できる。


マサヒロは、写真に食い入るように見入った。


不思議なリズムで構成された窓から差し込む光の中で、礼拝が行われている。


ただ椅子に座って祈るという行為が、これほどまでに美しく感じられたことはない。


マサヒロは感動し、「いつか必ず、このロンシャンに行きたい!」と強く思った。


そんな感情が頂点に達したとき──


「ねえ、パソコンの光がチカチカして寝れないんだけど。」


という苦情が飛んできて、マサヒロは現実に引き戻された。


「ごめん。もうパソコン落として、自分は帰るね。写真、見せてくれてありがとう。」


そう言おうとした瞬間──


「あんたも眠いでしょ? 一緒に寝よ。」


その一言に、マサヒロはこれまでにない衝撃を受け、必死に考えを巡らせた。


どうする? どうすればいい? この場合、何が正解だ?

もはや、これから家に帰るという選択肢はない。それはあまりに絶妙なタイミングで封じられた。

では、一緒に寝るのか? いやいや、それはない。だって、彼氏がいて、しかもラブラブなはずだ。そんな女性と一緒に寝ていいわけがない。


であれば──


マサヒロは「うん」と答え、パソコンの電源を切った。


そして横になった。

床に、である。


**「これが正解だ!」**と、マサヒロは確信した。


が、次のエミのひと言で、その確信は一瞬にして崩れ去る。


はぁ? 床って…何それ。ベッドで寝なさいよ、子猫ちゃん。」


マサヒロはうろたえた。


ラブラブな彼氏がいる女性からの、添い寝のお誘い──

これは、どういう意味だ?

肉食系って、こんな感じなのか?

いやいや、さっきまで楽しそうに彼氏との話をしていたじゃないか。

そんな状況でコトを起こすなんてあるか?

というか、自分はこれに抗えるのか? いや、そもそも抗うべきなのか?

相手は、自分よりずっと頭も良くて、美人だ。こんなチャンス、一生に一度あるかないかだぞ。

いやいや、でも、ラブラブな彼氏が……


もはや軽いパニックである。


そんな時──


「大丈夫、大丈夫。何もしないってば。」


震える子猫を安心させるような優しい声で、エミがささやいてきた。


「えぇい、どうにでもなれ。」


マサヒロは、エミの隣に身を静かに横たえ、目を閉じた。




何もない。


落ち着かない。


寝ろ、寝てしまえ、と思えば思うほど、余計に眠れない。


もじもじしながら目を開けて、エミは寝ているかと横を見た。


エミは身体を横にして、こちらの方を向いていた。


起きている。そして、目が合った。


エミ:「……」


マサヒロ:「……」


エミ:「……」


マサヒロ:「……」


エミ:「ねぇ、“しよっか”?」


マサヒロ:「……いや、やめとく。」




マサヒロは、なぜ反射的にそう言ってしまったのか分からなかった。


彼氏とのラブラブ話を聞いたばかりだからかもしれないが、少し違う気もする。


うまく説明できないが、このまま進めば、相手も自分も傷つきそうな気がした。


エミが黙ってこちらを見ている。


「最悪!この意気地なし!!!」と罵られるかと思ったが──


「あんた、ほんっと子猫ちゃんねぇ。じゃあ、ほっぺにチューだけでいい?」


そのくらいならいい気がする。


「うん、それなら。」


ほっぺにキスをされた。


その瞬間、二人の空気がふっと軽くなった。




「じゃあ寝るけど、明日ごみの日だから、朝起きたらそのこと思い出させて。」


「了解。朝起きたら、優しくささやく。」


「ははっ、“ささやく”ね。おやすみ。」


「おやすみ。」


エミは寝息を立てて眠っている。


マサヒロも、安心して眠りに落ちた。





翌朝早朝、マサヒロは目を覚ました。エミはまだ隣で寝ている。


身を起こし、エミを起こさないようにそっとベッドから出ようとした時、エミも目を覚ました。


「いいよ、寝てて。もう帰るね。写真、ありがとう。」


目を閉じて再びまどもうとするエミに、「ごみ忘れないようにね。」とささやいた。


エミは目を閉じたまま、笑顔でうなずいた。


マサヒロは、朝焼けの中、駅へ向かった。




その日以来、エミを大学の喫煙所で見かけることはなくなった。


彼女は、タバコをやめたのかもしれない。



----


と、そんなことがあった女性に、個人的な恋の相談をしようとしている。


我ながら自分は男としてどうなんだ?と思いつつ、それ以上に、現在のパニック状態に耐えられない。


そして、他に相談できそうな相手も見つけられそうにない。


マサヒロはいよいよ追いつめられ、震える指で携帯に入力し、LINEを送った。



「あの、相談したいことがあるのですが」


「あら、あんたまだ生きてたの?で、何よ、子猫ちゃん?」

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