第5話 彼氏いるの?

マサヒロは緊張していた。


女性の一人暮らしの部屋に、一人で訪れるのだ。


この状況に比べれば、サンドイッチなどたいしたことではなかったことが、改めて分かった。


エミの部屋の玄関前に着き、インターホンを押す。


「はーい。いらっしゃ〜い。…お、アイス、ちゃんと買ってきたじゃん。えらいえらい。」


と緊張をよそに、カジュアルな笑顔で迎えられ、マサヒロは部屋の中にいざなわれた。


廊下を通り部屋に入ると、暗い...。


ほぼ間接照明しかない。


「暗くてごめん。明るい部屋って落ち着かないのよ。」


適度に暗いことで部屋全体にお洒落な雰囲気があり、エミらしいと言えばその通りだが、なんだか余計緊張する。


「ロンシャンの写真はこのPCの中。」


とエミは座卓テーブルの上に置かれたPCの前に、ベッドにもたれる形で座った。


マサヒロもその隣に座った。


「ほら、これ。」


とエミがフォルダを開いてくれた。数百枚のロンシャン内部の写真がある。


「おぉ、すごい!」


マサヒロは思わず声をあげ、写真に見入ってしまった。


教会内部の写真といっても、人が実際に礼拝している最中の写真で、こんな貴重なものを見る機会などめったにない。


コルビジェが何を考えロンシャンをデザインしたか分かるかもしれないと、マサヒロは食い入るように写真を見た。


エミが「アイス食べる?」と気を遣ってくれたが、それどころではない。


「ありがとう、でも今は大丈夫」、と気のない返事をし、この貴重な写真を一枚一枚じっくりと鑑賞した。


集中しているため、無言である。


と、ふと横から強い目線を感じて、エミの方を見た。


目が少し潤んでいるように見える。


「……どうした?」


「ごめん、つい……。」


「なに?」


「あーごめん、暗い中で見ると意外と男前だな〜って思って。」


「……ありがとう。」


「でもさ、女と二人っきりで黙るとかないわ〜。ほんと空気読めない男ね。」


「…ごめん、気をつけます。」


「あと、横顔は男前だけど、正面はそうでもないね。」


「なんだよ、それ。上げといて、急に下げるなよ。」


「……」


「あれ、このやりとり、昨日なかった?」


「そう。真似してみたの。で、どう? 自分が言われると。」


「うーん、まあ、悪い気はしない。」


ふたりは顔を見合わせて、小さく笑った。



「エミの言う通り、せっかく貴重な写真を見せてもらっているのに、まるでその人がいないようにふるまってしまってまずかったな」、と思い、マサヒロはツボ押しトークの開始を試みた。


「この写真、どうしたの?」


「前の大学の人にもらった。」


「へぇ、どんな人?」


「同じ学科の先輩。」


「フランスの山奥まで行って、礼拝中に写真を撮るなんてすごい人だね。」


「…そうね。」


ここでマサヒロは違和感を感じた。


エミがトークに乗ってこない。質問に対して、回答の文言が少なすぎる。


何より、エミが楽しそうではない。


ロンシャンの写真を見せてくれるのに、その写真を撮った人の話題がツボでない訳がない。


が、それは自分の勘違いかもしれない、とマサヒロは思い、ふと、PCの時計を見た。


12:00前で、終電までギリギリである。


「あ、ヤバい。終電だから帰るね。写真、ありがとう。」


沈んでいたエミの表情が急に変わった。


「は? せっかく来たのに全部見ないで帰るとか、器ちっさ。徹夜もできないの?」


エミの声に張りが戻りだした。


"キモい"に続き、"器の小さい"、は男性にとってプライドを揺さぶるキーワードであり、このワードを言われると、男性は奮起せざるを得ない。


「まあ、2駅ぐらいであれば、最悪徒歩でも帰れるか。」とマサヒロは思い、


「じゃあ、お言葉に甘えてもう少し…」


と返し、再び写真に集中した。


……が、沈黙が流れる。


気まずい。


さすがのマサヒロも、この状況でなんの話題を切り出せばよいか分からない。


エミから話を振ってもらえる様子もない。


暗い部屋の中、男女二人でただただ黙っている状況に耐えられず、マサヒロは


「彼氏いるの?」


と何とはなしに聞いてみた。


「……」


と、変な間があと、エミは答えた。


「いるよ。前の大学で付き合い始めた。」


マサヒロは少しホッとした。


これで、このままここにいても変な雰囲気にはならないはずだ。


「というか、これだけの美人に彼氏がいない方が不自然だ。」と改めて思い、彼氏の話だとさすがに盛り上がるだろうと、ツボ押しトークを再び試みた。


「へぇ、どんな人?」


「同じ学科の同級生で超優秀。大学院出たら有名事務所行って、そのうち独立するでしょって感じ。」


「それはすごいねー。」


「でしょ。」


「大学が別になって、寂しくない? 大丈夫?」


「……。」


これまた変な間があり、マサヒロは、まずいことを聞いたか……?と焦ったが、


「大丈夫。今でもラブラブ。」


とあり、一安心した。


「どうやって知り合ったの?」


「研究室紹介の時に.....」


と、30分ほど、エミと彼氏のラブラブっぷりを聞くと、ようやくエミに笑顔が戻った。


「気まずい空気が続かなくて、よかったー。」と、マサヒロが自身のツボ押しの成果に満足していると、


「私、お風呂入ってくる。」


と、エミは暗い部屋の中から着替えを取り出し、シャワー室へ向かった。


"暗い部屋で、女性がシャワーを浴びているのを一人待つ"――初めての状況に、マサヒロは再び緊張した。


極度に緊張しているためか、エミの浴びるシャワーの音が妙に大きく聞こえる。


「彼氏とラブラブだし、自分とは変な雰囲気にはならないはず.....。」


と、何度も自分に言い聞かせながら、マサヒロは再びPCの画面に視線を戻した。

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