7. 生

 妻夫木刑事とナタリー・レムは、未だに取り調べ室にいる。この密室の状況として数十分前と大きく異なるのは、ナタリー・レムの手枷てかせが外れている点と、両手が自由になった彼女の隣に椅子をビタづけにして妻夫木刑事が座っている点。


(俺は、このナタリー・レムというイタリア人女性の言うことを、信じることにした。と言うよりも……信じざるを得ない。何せ目の前で、あんなことが起こってしまったのだから。事実は受け入れるしかない。〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉——いやナタリー・レムの好みに合わせるのなら〈化け物〉は、黒いビニール袋の中にしまって、いや閉じ込めてある。そして少し臭う、のは仕方あるまい。所詮、母親という偉大な女性から生まれ出た男に過ぎない俺が、とやかく言う筋合いはないだろう……)


「〈化け物〉を産むようになったのは、いつからなんだ?」

「一年前よ。クリスマスの翌月だから、一月の終わり頃かしら」


(〈化け物〉の誕生、か。例えば、例えばの話だが、奇形児を授かった母親がいるとする。そのを、母親あるいは母親と父親の判断で産むことを決意するというのは、何を意味するのだろう。それは「この世に『生』を授かる」と言えるのか? 誰かにとっての「生き地獄」を意味するのではないか? いや、生まれた時点で「生きている」ことに変わりないのだから、生まれた存在を「生き地獄」なんて揶揄する者がいるのなら、そいつこそ生きる価値のないくずだ。生きるって何だ? 命とは………何なんだ? 少なくとも言えるのは……俺は、凶悪犯を射殺した自分を、〈化け物〉を産み続けるナタリー・レムに、重ねている。)

「一年前、か。それで、初めて〈化け物〉を産んだ時は……どんな感じだった?」


「そいつは突然産まれてきたわ。ある日うちのトイレで、いつもの生理、いや今回はなんだかやけにナプキンを取り替えなきゃだなあと思いながら便座に座ると、小さな頭部から四肢が生えた〈化け物〉が、私の股の間から出てきたの。とは随分と見た目の違うやつ。気を失いそうだったわ。驚きのせいか、貧血のせい、どちらかはわからなかったけど。あ、両方ね、きっと」


「何かきっかけというか、心当たりは?」

「さっきクリスマスと言ったけど、男と会ったのよね。それがきっかけのように思う」


(男、か。ん? 男? 男と会ったのがきっかけだと? まさか、な。そんな馬鹿げた話は、ないはず……)


「もっと具体的に教えてくれ。その男と会った夜のことを、詳細に(嫉妬しているわけでは……ないぞ)」

「何? 私が! クリスマスに! 男と! 何をしたか! 教えて欲しいっていうの??  そんなの一つに決まってるじゃないの。やだわ、悪趣味ね」


「これは仕事だ」

(そうだ仕事に違いない。)


「もう、わかったわよ。言えばいいんでしょう? あの夜は、彗星の降る夜だったわ。空気は冷たく澄んでいて……いや、取り調べに文学的な取りつくろった表現はいらないわね。端的にいうと、ディナー。その後は当然のように……じゃなくてその男と波長が合ったから、ラブホでヤって、朝起きたらベッドに私一人。翌日以降は音沙汰なし。俗に言うワンナイト——いやヤリ逃げ、ってやつかしら?」


「名前は? 男の」

(これは仕事なんだ。)


「『エマルネ・レプリオ』と名乗ってた。本名かどうかは知らない。義名かもしれない。その男の多くは、私も知らないわ」


「その男、外国人か?」

(ナタリーは……いやナタリー・レムも外国人、イタリア人だ。イタリア人は情熱的だ。情熱的なんだから、愛が芽生えていなくても体の関係を持つはず。いやそれは偏見か? これは仕事だ。俺は何を考えている? 俺は仕事だ。俺は刑事だ。仕事。仕事。)


「さあ。顔立ちはいかにも純日本人って感じだったけれど。本当のところは、どうなんでしょうね」


「それが不同意性行罪にあたるという認識はあったか?」

(うん、これは正式の手順だ。俺はこの上なく落ち着き払っている。)


「いいえ、好きでヤったわ。別に男と会ったこと自体には事件性はないわよ」


「じゃあ、男と会ったのが、だと言える理由は?」

「その男とヤって……あ、こういう言い方はあまり品がないのかしら? 『性行為』に及んで数日経ってから、今までにないような感覚を腹の奥に覚えたわ。不快でも快でもなかった。でも、とてつもない違和感。何かに目覚めるような感覚だったわ」

「妊娠の兆候ではなかった?」

「ええ、念の為産婦人科に行って検査したけど、異常なし。赤ちゃんは当然生まれてない。けど、約四週間後、〈化け物〉が生まれたわ」

「性行為の詳細を教えてくれ(これは仕事だが、俺の個人的興味からくる質問、でもある。いいやダメだ、これは仕事、仕事だ!)」

「いやね、そこもしっかり聞いてくるのね。っていうか、あなた、ひょっとして私のこと口説いてる?」



 取調室の時は止まったかのよう。



「えっ!?」

「え、図星?」


(ナタリー・レム、いやナタリー、本当のことを言うのはやめてくれ。)


「そ、そんなわけ、ないだろう! 俺はただ、真面目に仕事に努めているだけだ! これは仕事だ! 仕事なんだ!」

「あら、そう。ならお好きにどうぞ。声がやけに大きいのは見過ごせないけれど」

「すまない。では性犯罪の観点から聞くが、避妊はしたのか?(そこが重要だ。)」

「いいえ、生よ。中出しで」


(俺は、メモに「膣内射精」と記す。)


「え、今もしかしてメモに『中出し』って書いたの?」

「いいや。『膣内射精』とかいたが」

「品のある書き方をするのね」

「公的な文書になるからな。まぁ、内容が内容だから、特殊案件にはなるがな。それに、これは〈〈エックス・マスク〉〉みたいなポルノ雑誌じゃない。(そうだ、これは仕事だ。俺はうまくやっている。やったぞ。)」

「あら、ポルノ雑誌に詳しいのね。よく見るの?」

「……ふざけているのか?(ああ、うるさいな! よく見るさ!)」

「いいえ。単純な疑問よ。だってあなた、四十歳そこそこに見えるけど、左の薬指にあってもおかしくないものはないし、なんだろう、女に飢えてるって雰囲気がにじみ出てるわ。あ、顔はかなりイカしてる方だと思うけど、ね」

「余計なお世話だ(ありがとうナタリー。嬉しいよ。)」

「あら、そう。あ、刑事さん、どうして中出し……いや膣内射精だったか、わ・か・る?」


 ナタリー・レムは、最寄りの中年男性に、挑発的な眼差しを送る。


「知らないな。興味もない(いやある。)」

「あら、これがなら、もっと熱心に聞き出さないと! 私、優しいから自分から教えてあげるわ。私一回……。それも中絶できる日数のギリギリで。だからね、今も、不妊気味、なの、よ……」


(不妊、か。嫌なことを思い出す。)

「そうか。そんな言い出しにくいことまで……。協力、感謝する」


「あ、理由はともかく中絶してるならやっぱり、なんて飛躍した論理はやめてね。私も辛かったんだから」


(俺が離婚したのは、男性不妊症のせいだ。俺の、せいだった……)


「なら、その話を深掘りするのはやめておこう」

「ねぇ刑事さん、その配慮は優しさから来てる? それとも同情? はたまた他の理由?」

「やめておくべきだと思ったから、そのように言ったまでだ」

 

(いや、本当は違う。俺自身のためだ。不妊症の俺が、中絶の話を聞いて、どうも思わないはずはない)


「別にもっとあんなことやこんなことまで、聞いてくれてもいいのよ? 私はもう覚悟を決めたの。無実を証明するためなら、何でも洗いざらい話すつもりだから」

「話さなくていい、と言っている」

「遠慮しないで? 私は協力したいのよ?」

「いい……」

「どうしたの? 急に私の話に興味なくなっちゃった?」


「いい! と言っているだろう!!」

(しまった。つい、カッとなってしまった。俺は子を設けることもできず、それが原因で離婚したのに、子を中絶するという選択肢があったこの女に対して、一種の羨ましさのような、憎悪のような感情が、芽生めばえたんだ、多分。)


「え、刑事さん、本当にどうしたの? なんだか、変だわ」

「とにかく、この話はやめよう」

「そ、そう。わかったわ。お気遣いをどうも。ところで、私からもちょっとした気遣いをお返ししようと思うんだけれど、いいかしら? それとも、そんなのはただのお節介?」


(気遣い、か。悪い気はしないな。異性にそんなことしてもらうのは、いつぶりだろうか……)


「いいや、そうでもない。ぜひ、聞かせてもらおう」

「ヤリ逃げした〈エマルネ・レプリオ〉のことだけど、私に対して、だけじゃあないでしょうね、きっと。ああいうタイプは常習犯よ。ということはつまり、私の予想が当たった場合、つまりはヤリ逃げ野郎に〈化け物〉を産むように種づけされたな人が、他にもいるでしょうね」


(やはりナタリーは、一夜限りの関係を持った男のせいで、〈化け物〉を産む体になってしまったと言いたいようだな。それにナタリーはまるで、「自分のことも含めて」とも言わんばかりに、「可哀想」という言葉を使った。否定はしないが、これはあくまで仕事だ。感情移入している場合ではない。これは仕事だ!!)


「ああ、その通りかもしれないな。今後の捜査では……それも考慮することにしよう」

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