6. 事実

 妻夫木刑事は、睨みつけるような、だがやや怯えも含んだ疑いの目を、ナタリー・レムに向けている。数十秒間そのままでいた彼は、見つめることに満足したのか、おもむろに、立ち上がる。一人の男性が一人の女性を見下ろす構図。


「〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉ときたか。貴様、ふざけているのか?」


(動揺してるわね。こっちは身動きも取れないっていうのに)

「ふざけてないわよ。あなたはそれをちゃんと見たんだし、薄々感じて始めてるでしょう? 私の言ってることが、妙だけど、事実かもしれないって。私、聞いたことがあるの。卵子が勝手に分化を始めて、人間の身体のパーツ——歯や髪や骨や筋肉や皮膚、眼球なんかを、支離滅裂に作り出してしまう。そんな病気があるんだって」

「そ、そんなこともの……あったとしても、あんなふうに、動き回る〈化け物〉にまでなるなんて、ありえない! 俺はそんなオカルト話を、信じないぞ!」


 妻夫木刑事は、どちらが取り調べを受けているのかわからないくらいの声の荒げ様。


「ありえたじゃないの。その目で見たじゃない。〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉は、大体月に一回のペースで、私の股の間から産まれる。まぁ、産まれると言っても、普通の動物じゃあないと思うけど」

「……」


(あら、今度は黙り込んじゃった。)


「ねぇ、刑事さん。私は身をもって、証明できるわ。もうじき次の生理が来るから、その時は私を丸裸にして、〈卵巣腫瘍獣〉を産み落とす様子を、その瞬間を、しかとその目で確認したらいいのよ」

「はぁ!? 貴様自分が何を言ってるのか、わかっているのか?」

「なんなら、映像も撮ればいいわ。『私は後になってセクハラや性加害、はずかしめを受けたなどと騒ぎません』と署名をしてもいいわ。自分の無実を証明できるならね」

「貴様もしや、刑事の俺を……挑発しているのか? だとすれば、そんなふうに言うのは、賢明じゃないな」

「へえ。それは、どうして?」

「そ、それはだな……俺は、そんぞそこらの刑事とは、違うからだ!」


(自信があるふうで、ないわね、彼。だって、私の方が流暢りゅうちょうに日本語を話せてるじゃないの。)


「どんなふうに、違うの?」

「聞いて驚くなよ? 俺は、この間の立てこもり事件の凶悪犯にギャフンと言わせた、張本人だからだ!」

「『ギャフンと言わせる』って、なぁに? ごめんなさい、私、まだまだ日本語の語彙が足りていないの。もう少しわかりやすく、直接的な表現を頼めないかしら? あ、できればこれ以降私と話す時はずっと、という条件付きでお願いしたいわ」

「俺が凶悪犯を射殺した」

「ササツ? ああ、ね。査察なんて、誰でもできることじゃないの? そんなに名誉なことなの? それも、あなたの刑事としての手腕をするほどに?」

「貴様、やっぱり俺を挑発しているな!? 語彙不足なんて嘘っぱちだ。『査察』だとか、『担保』だとか、小難しい日本語を、知っているじゃないか——」

「で、凶悪犯をどうしたの? あなたが凶悪犯に何をしたのかを表せる動詞の中から、あなたが生まれて初めて使ったものを選んで、教えてちょうだい?」

「……」

「さぁ、刑事さん。早く」


(なんて言うのかしら……)


「俺が、


(よくできました! 面白いわねえ、私、刑事になった気分よ!)

「『殺した』って、随分と弱々しく言うじゃない」

「ああ。凶悪犯のお命に合わせて、勲章も頂戴したからな」

「それは警察組織に属する人にとって、大変名誉なことよね?」

「俺がもらった警察本部長賞はな、一般市民で言うところの、履歴書の賞罰に書くようなものなんだよ」

「ああ、前科持ちみたいな?」

(あっ、今のは失言かも。)

「ごめんなさい。たとえがよくなかったのを認めるわ」

「いいや、むしろその表現は本質を捉えている。撃った奴は……ってしまった奴は、出世ルートから外れる。相手がどれだけ凶悪な人間でも、それは変わらない」


(いけないわ。私、刑事さんに可哀想なことをしちゃったかも……)


「あ、えーっと、刑事さん、ごめんなさいね! 私、余計な質問をしちゃったみたい! そうだ、〈化け物〉の話に戻りましょう」

「ああ」

「次アレが来るのは多分……って言っても、すぐね。今この瞬間に来てもおかしくないくらい。刑事さん、〈化け物〉の誕生を、見に来る? ああそう、私、〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉よりも、〈化け物〉って呼び方が、好きなの。そのほうが仰々ぎょうぎょうしさがなくって……ねぇ刑事さん? ちょっと、刑事さん? 妻夫木星一刑事、聞いてる?」

「ああ……」


 妻夫木刑事は、テーブルに尻もちをついて打ちひしがれている。


(元気なくなっちゃった?)

「ちょっと、ひょっとして刑事さん、ねてる? 子供みたいに!」

「頼む、少しだけ……静かにしてくれないか?」


「……」と、今度は、ナタリー・レムのほうが、突如放心する。

「そっちこそ返事したらどうだ、ナタリー・レム…………って、本当に静かになったな」


(あ。)

「きたわ!!」

「『きた』って、何が?」

「〈化け物〉よ! 今にも出てくるわ!」

「い、今か? 今なのか?」

「ええ! もう出るわ! 何か、何か受け皿になるものはない? お腹の奥で、血が溢れ出すような感覚がしてるの! 早く! 刑事さん! 持ってきて! 受け皿! 桶! あとこの手錠もできれば外してちょうだい!」

「手錠を外せだって? それは、できない!」

「ならこの密室を血生臭くしてもいいって言うわけ?」

「それは……」

「判断が遅いわね! このポンコツ刑事デカ!」

「ああ! わかったわかった! 外すさ!」と、妻夫木刑事は可もなく不可もない手際で、ナタリー・レムの両手首の枷を外す。

「はい次受け皿! もう出る! 出るわ!」

「ああもう! 要求が多いなあ! 受け皿……受け皿……」


 二人の視線が、テーブル上の天丼の器へと向けられる。


   「「それだ/それよ!!」」


 妻夫木刑事は、座ってもだえるナタリー・レムの足元に、油臭い器を設置する。


「これで、いけるか?」

「たぶん! ああ! 生まれるわ! 〈化け物〉が!!!」



((((ギェアアオオオ……ピィ、ピィ……コポポポポ))))



 〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉が、一体、生まれた。目を欠いた、生まれたてなのに、歯のある赤子のような何か。手のひら大。へその緒は繋がっていない。それは人間の赤ん坊ではない。生まれて間もないのに、厳密にはき物ではないのだ。その論理的自家撞着どうちゃくをどうにかこうにか正すため──それを正すことは決して叶わない──だけに、〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉は、泣くように、鳴いている。


「これは……特殊案件扱いになるぞ。そうだ、証拠の映像を撮るのを忘れて——」

「ふぅ、ふぅ。あれは冗談、よ。変なビデオじゃあるまいし」


「……」

「……」

 黒いスーツの中年男性と、下半身を露出している中年女性の、目と目が合う。


(今気づいたけど、私、刑事さんの前で股間をおっぴろげて……今更だけど、恥ずかしいわ。)

「そんなのが毎月、股の間から出てくるのよ。処理に困るのもわかるでしょう? そしてそれは、人間じゃない。可愛い子だけど、ただの〈化け物〉なの」

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