5. 取り調べ

 狭い、密室。テーブルとその両端で向かい合う椅子二脚と、妻夫木刑事が今し方平らげた昼食の天丼の深皿のみ。部屋の中に一つしかない扉から見て奥側にある椅子の女性の手首には、かせ。枷の鎖はちっとも擦り合う金属音を立てないでいる。


(この女はどうしてこうも落ち着き払っていやがるんだ……)

「ナタリー・レム。イタリア、フィレンツェ生まれ。五年前に日本に移住。職業については黙秘。近所で聞き込みの結果、娼婦という噂も。まぁ噂なんてものは俺は信じない。生活資金の出所が不明……」


「ねぇ刑事さん。私は赤ちゃんを産んでもいないし、赤子を殺してもいなければ死体遺棄もしていないし、その事実はもうじき立証されるわ」


 ナタリー・レムは、パントマイムみたく、口のみを、それも最小限の幅で、動かす。


(なに戯言たわごとを言ってるんだ、この女は。)

「そうか。だといいな」


「信じてないわね、私のこと。あの可愛い子たちは、確かに生きていたけど……人間じゃあないの。可愛い、〈化け物〉なの」


(可愛い〈化け物〉だって? お前こそ〈化け物〉だろう?)

「あなたがあんなふうに非人道的なことができてしまう……と仮定すれば、ナタリー・レムさん、あなたこそ〈化け物〉だ。それに、麻酔ガスなんてどんなルートから仕入れたんだ?」


「私の家を隅々まで調べたのよね? 麻酔ガスなんて見つかった? なかったわよね?  ガスなんて……あはは。あれ、嘘よ。刑事さん、あなたは卒倒しただけ。きっと認めたくないのね? プライドってやつ? で、あなたが見た可愛い〈化け物〉の方は本当。現実だったのよ。そのことをよく理解してらっしゃる?」


(それは、信じられない。あんなものが現実だとは。)

「……」


「黙っていないで返事なさいよ。で、どんなものを見たか、覚えてる? それは、ワンちゃんネコちゃんみたいな動物だった? 違うわよね? みたいじゃなかったかしら?」


(言われてみれば、そうだ。その身体全体としては、まるで、ゲームに出てくるモンスターのようだったが、部分部分は確かに人間のような……いや、そんなもの、いるはずがない!)


「昨日、あれは私が産んだんだって言ったわよね?」


「ああ。だから、お前が赤ん坊を産んで、でも育てることもできずに、どうしようもなくなって、殺したんだろう? で。死体を隠すために冷凍庫に保存していた」


「でも、あんなに大量に、ねぇ? 不思議だと思わない?」


(この女、どうしてそんなに他人事のような口が聞ける?)

「ああ、とんでもない量の、死体だったな」


「ねぇ刑事さん、常識と非常識とを両立させて考えてほしいんだけど、私が何度もおなかを痛めて、何十っ回も赤ちゃんを産んで、その度に欠かさず死体遺棄してるんだって、本当に思うわけ?」


(ああ、頭ではわかっている。そう、確かにそうだ。量が多すぎる。死体は十体分ほどと推定されている。出産は男の俺には想像もつかないほど耐え難い苦痛を伴うはずなのに、何十回も産めるなんて、もはや産むことと死体遺棄することとに一種の快楽を覚えているとしか考えられない。ん? おかしい。今、この女は回と言ったか? 報告書にはおよそ回とあったが……)


「その線で、調査を進めている……」

「嘘よ。もし本当に私が赤ちゃんをと遺棄しているなら、体のパーツが足りなかったでしょう?」


(そうなんだ。そこもおかしい点だ。とにかくおかし過ぎるんだ。)

「その通りだ。手足の数に、目や口の数が一致していない」


「そう、ポイントはそこなのよ」


 ナタリー・レムは終始、気味悪いほどに冷静だ。


「何が言いたい?」

「なら一度言ってみることにするわ。それは私の中から生まれたモンスター。〈卵巣腫瘍獣らんそうしゅようじゅう〉なのよ」


 妻夫木刑事は、しばらく何も言い返せず、微動だにせずにただ、ナタリー・レムの向かいに座っていた。

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